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(Ⅱ)

 ミゲルド達のはるか前方に広がる、グリュンバード平原と呼ばれる豊かな穀倉地帯は、度重なる両軍の激突により、無惨な姿をあらわにしていた。

 踏み固められた茶色の大地に、申し訳なさそうに生えるわずかな雑草。

 埋め立てられ、すこし盛り上がった用水路の跡。

 民家の名残を示す、正方形や長方形に積まれたレンガ。

 かつては、家族の幸せを囲んでいたそれらは、いまや赤茶色の墓標と化していた。

 風に揺らめきながら近づいてくるのは、とむらいの送り火だろうか。

 いや――違う。

 赤地に炎を吐くドラゴンを紋章化した、ドゥーレンベル帝国の国旗を掲げた旗手であった。

 深紅の炎のようなその旗が通り過ぎた後、黒焦げになったかの如く、黒塗りのチェインメイルに身を包んだ帝国騎兵が押し寄せる――。


(なんとか、間に合いそうですじゃ)

 鼓膜こまくを騒がし、肌を刺す冷たい風を、あざ笑うかのような面持ちでセルジオンのつぶやきを受け取ったミゲルドは、ホッと胸を撫で下ろした。

 竜騎士団はエミハール団長を先頭に、V字陣形に隊列を整えて威風堂々と滑空している。

 ミゲルド騎が、自分のポジションであろう最後列左翼のスペースに収まった事により、ついに陣形を完成させた彼らは、まもなく黒い絨毯じゅうたんと化した大地を通り過ぎようとしていた。

 黒塗りの帝国軍の前方には、色とりどりの甲冑に身を包んだ敵軍が、気ままで不格好な隊列にて待ち構えていた。

 数は、帝国軍の半分ぐらいか。

 もちろん、彼らはセレディン正規軍ではなく、王国に雇われた血気盛んな傭兵であろう。

 全く統率の取れてない傭兵どもなど、鎧袖一触がいしゅういっしょくに蹴散らしてくれる。と、先頭の帝国軍紋章旗が雄弁にはためいている。

 やがて、エミハール団長騎が低空飛行を始めた。

 他の団員はそれに追随する様子もなく、そのままの高度を保ち続けている。

 これが竜騎士団恒例のパフォーマンスである事を、ミゲルドは聞いていた。

 背中の弓を手にとり、矢をつがえる団長。金色の甲冑が朝日を浴びて、ひときわ輝く。

 敵軍の外を囲むように、円を描きながら飛行するワイバーン。

 弦を引き絞り、ただ一点を見据えるエミハール。

 言い様のない緊張の静寂しじまが、戦場を支配する――。


 そして、矢が放たれた。

 石を投げ入れた水面に、波紋が広がってゆくかの如く、ゆったりと時間が進んだ。

 朝日を照り返す金色の矢は、きれいな弧を描いて地上へ吸い込まれゆき、消えた。

 間を置いて、緑色のチェインメイルを着た傭兵が、馬上からくずれ落ちる。

 その瞬間、帝国軍のラッパが高らかに鳴り響き、大気をつんざいた。

 かくして、セレディン王国滅亡の幕が切って落とされたのだ。


(行きますぞ、若っ!)

 竜騎士団のV字陣形が、大きく外側へ広がった。

 左翼に陣取っていた四騎に追随するように、セルジオンも身体を斜めに傾ける。

 地上を見下ろせば、黒甲冑に身を固めた帝国歩兵が、濛々(もうもう)と土煙を巻き上げながら進軍している。

 まるで巨大な黒い生き物が、虫けらを一気に飲み込もうと口を開けているようだ。

「すごいな……」

 しかし、予想に反してセルジオンの返答は無かった。

 また昔話でも聞かせてくれるだろうかと内心期待していたミゲルドは、ばつの悪さを紛らわすべくコホンと咳払いする。

 もちろんマフラーごしなので、周囲を飛んでいる先輩達の耳には届いていない。

 しばらくして、向こう側を飛んでいた竜騎士が、じっと動かないでいる敵軍の一部隊を指差した。

(伏兵のようですじゃ……)

 なるほど――よく目を凝らすと、こちら側にも縦穴の中に敵兵が隠れている。

 つまりは、戦場の右端と左端に塹壕ざんごうが掘られており、そして戦場の後方、線で結ぶと正三角形の頂点に位置する場所に、敵軍主力がおとりの如く陣取っている訳だ。

 しかも、埋め立てられた用水路に見えたのか、味方の地上部隊はそれに気付いた様子もなく、まっしぐらに進軍し、まさに術中にはまろうとしている。

 が――。

 あいにく上空からは丸見えであり、その様子がひどく滑稽こっけいに思えた。

 団長の指示を仰ぐべく、ミゲルドもエミハール騎を見る。

 されど金色の甲冑は、おとり部隊と思われる敵陣の真っ只中へと舞い降りており、指令を下す余裕など微塵みじんも感じられない。

 そんな彼に追随ついずいするように、三騎の部下も勇猛果敢に切り込んでいるが、敵の攻撃は、何かと目立つ団長に集中しているような気がした。

(団長が、あのような鎧を着るのは、皆のおとりになる為ですじゃ)

 その何気ないセルジオンの言葉は、稲妻となってミゲルドの全身を打った。

「金ピカが!」

(もちろん、見栄っ張りな御仁ですから、若の想像もあながち間違ってはないんですじゃ。しかし、レイナード様もずいぶん楽に戦えたと言っておられましたのぅ)

 父・レイナードとエミハール団長の、過去の勇姿に思いを馳せる。ミゲルドは少しだけ、団長を見直した。

 しかし――。

「あっ!」

 と、叫ぶ暇もないほど、周りの竜騎士達の行動は素早かった。

 団長の指示が期待できないと悟るや否や、手綱と羽ばたきの音を残して急降下する。

「手柄がッ!」

(若、ここは先達せんだつの技を拝見なされ。初陣の身で、功を焦ってはなりませぬぞ!)

 他ならぬセルジオンの言葉という事で、たぎりつつある功名心を、ミゲルドはなんとか抑えつける。

「空襲によって、伏兵が穴から飛び出すだろう。そこを……」

 ふと、そう考えたミゲルドは、首を振って即座に打ち消した。

 そんな卑怯な戦い方は、竜騎士じゃない。

 気を取り直し、戦うべき敵を求めて戦場を見下ろすミゲルド。

 黒に覆われた大地が、波打つように進むのが見える。

 いつの間にかセルジオンは、帝国陸軍の真上を突っ切って、おとり部隊へと迫っていたのだ。

(若の活躍できる場所は、あそこではありませぬからのぅ)

 何も言わずとも、相手の思惑が分かる。人竜一体とは、こういう事をいうのか。かつての父とセルジオンも、そうだったのだろうか。

(焦ることはないですじゃ。若も、もう少し大人になったら、分かるようになるですじゃ。それよりも、戦場に考え事は禁物ですぞ。目の前に集中なされませ)

 そう言われて、おとり部隊をざっと見渡すミゲルド。

 ゴツい顔で力自慢って感じのあんちゃん達が、ギョロリとこちらを睨んでくる。

 ミゲルドは、あまりの怖さに思わず目をそらした。

(しっかりなされませ、若。これからもずっと、戦場ではあんな風に睨み付けられますぞ!)

「そんな事言われても……」

(やれやれ、初陣ですから無理もありませんな……)

 そう呟いた後、咆吼ほうこうをあげるセルジオン。

 鼓膜こまくが破れんばかりの大音声に、ミゲルドはくらからずり落ちそうになった。

(さ、今のうちですじゃ)

 体勢を整えて、おそるおそる見下ろすミゲルド。

 先程のおかげで、敵は精神的に動揺しているらしく、こちらを睨んでいる者は少ない。


「よしっ!」

 ミゲルドは気合いを入れ、弓を左手で掴む。

 翼を大きく広げて、地上を這うかのような安定した滑空で、ゆったりと敵に近づいてゆくセルジオン。

 彼ならではの、熟練の妙技である。

 あぶみを力の限り踏んづけて腰を浮かし、筒の底から矢を引きずり取るミゲルド。

 弦を引き絞り、狙いを黒髪の傭兵に定めた。

 そして、押し出すように矢を放った。

 生じた反動が、あぶみに伝わる。

 遠ざかる唸りを耳に、ミゲルドは二本目の矢を素早く抜き取った。

 今度は赤毛の女傭兵に狙いを絞り、すぐさま放とうとした丁度その時――。

 伏兵の隠れてた縦穴の方角が、不意に明るくなった。

 思わず振り向いたミゲルドの瞳が、朱色に染まる。先輩の操るワイバーンが、炎の息を吐いたのだ。

 ばっさばっさと、翼を激しく羽ばたかせながら首を長く伸ばし、口から業火ごうかを吹き付けるワイバーン。

 鞍の上は今、暴れ馬に乗るよりもはるかに荒い振動に苛まれている事だろう。

 竜騎士にとって最も難しい騎乗を、先輩は必死でこなしている。

 ミゲルドは、いつの間にか弓を射る事も忘れて、しばらく惚けながらそれを見ていた。

(若には、まだ無理ですじゃ……)

「わっ、分かっている!」

 急に、現実に引き戻されたので、不機嫌そうな声で答えるミゲルド。

(それよりも御覧なされ。若の放った一本目の矢が、見事に当たりましたぞ!)

 セルジオンの言葉ではっとしたミゲルドは、地上へ目を凝らす。

 そして、地面に倒れ伏した黒髪の傭兵を見つけ、しばし呆然としていた。

 初めて――。

 憧れの父と同じように、敵を倒したのだ。

 そんな自分の姿を想像すると、無性にカッコ良かった。

 歓喜がどんどん湧き上がって来て、もう、抑えられない。

「いやっほぉう」

 ミゲルドは、沸き上がった会心の笑みを押し留める事なく、雄叫びとして思いっきり天に吐き出しながら、ガッツポーズをとる。

(じいも、うれしゅうございますぞぉ!)

 ミゲルドの歓声は、戦場の喧噪に飲み込まれてすぐにかき消されてしまったが、セルジオンだけはそれを心の隅々まで響き渡らせた。やがて知るであろう戦場の悲惨さと矛盾によって、この純粋な思いが砕けてしまう前に、せめて記憶の片隅に強く焼き付けておこうと思ったのだ。

「よし、次行くぞ!」

(はいですじゃ!)

 ミゲルドは張り切って矢を抜き取り、戦場の外を飛び出していたセルジオンがUターンする。

 そうして射撃体勢を整え、次なる標的を定めたその時に、セルジオンはつぶやいた。

(おやっ? どうやら決まったようですな……)

 その言葉の意味が、ミゲルドにはさっぱり分からなかった。とりあえず矢を放ってから、セルジオンに問うてみる。

「何のことだ!」

 もちろん、そんな気の抜けた矢など当たりっこない。

 現に、標的として定めた赤毛の女傭兵はぴんぴんしている。

 しかし、ミゲルドはそんな事よりも、セルジオンの言葉の方が気がかりでしょうがなかった。

(若、戦場をよぉーく見てみなされ)

 ワイバーンの吐く炎に追い立てられ、蜘蛛の子を散らすように逃げまどっている伏兵。

 それを遠目に動揺を隠せないでいる部隊長達と、そんな彼らを見て浮き足立つ敵兵。

 ここぞとばかりに、一気に飲み込まんと突撃をかます我が軍。

 なるほど――。

 おそらく敵軍にとって、あの伏兵こそが起死回生の切り札だったのだ。

 それが散り散りになっては、もう勝ち目はない。あとは、我が軍の圧倒的兵力に呑まれるだけ。

「俺達が、勝ったんだな!」

(そうですとも。竜騎士団にかかれば、どんな敵も赤子の手をひねるようなもんですじゃ)

 確かに竜騎士団がいなかったら、敵の挟撃作戦によって甚大な被害が出ていたかも知れない。

 自分達はピンチを救った英雄なのだ。そう思うと、ミゲルドは気分が高揚してきた。

「じゃあ、今の内にもっと手柄を立てなきゃな。今度はあそこだ!」

(おやめなされぃ! 勝負はもう、ついてますじゃあ!)

 張り切って矢を抜き取ったミゲルドを、セルジオンは思いっきり叱り付けた。

 完全に意表を衝かれ、びくっと身体を大きく震わせたミゲルドの手から、矢がこぼれ落ちる。

「じい、何をそんなに怒っているんだ!」

 展開を飲み込めずにいるミゲルドの声が、せっかくの気分を害された事も相まって、少しばかり怒気をはらんだ。

(竜騎士の役目とは! 犠牲を最小限に抑えて戦争を終わらせる事ですじゃ……)

 嵐の前の静けさ。セルジオンの語尾が、そんな風にふるえた。

(若が今、殺そうとしてる敵にも子供がおるのですじゃ。家族がおるのですじゃ。誰かが死ねば、遠くで待っている人が悲しむのですじゃ。若は、レイナード様が亡くなって何も感じなかったのですかあ! 戯れに殺して平気なのですかあ!)

 ミゲルドは、胸がつまった。自分は、何を勘違いしていたのだろう。

 父と同じ竜騎士となった自分の力を、今ここで、見せびらかしたかっただけではないか。

 敵を思いっきり倒して、英雄となった自分の姿に酔いしれたかっただけではないか。

「じい、俺は……」

 ぺたんと腰を鞍に乗せて、力無くうなだれるミゲルド。

(若、何も言われますな。分かっておりますじゃ……)

 すでに涙声になってしまっているセルジオンの声。

 それが、うなだれたミゲルドを少しだけ元気づけた。

「少し、休もう……」

 そうつぶやいたミゲルドは、右腰に装着されている水袋の止め金を外した。

 兜のバイザーを上げると冷たい風が入り込み、長い緊張感のせいで火照った顔を心地よく撫でる。

 さっそくマフラーを下ろし、水袋の中身を豪快に喉へと流し込んだ。

 乾ききった砂に染み込むかの如く、それはミゲルドの身体と心を和らげてゆく。

 戦場の喧噪も、そしていかなる矢も届かないであろう安全高度を、セルジオンはしばしの安息を噛みしめるように飛んでいた。

約10年前に、長編として書き出し……途中で投げ出したモノの第二部です。

よろしくお願いします。

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