05 午前零時の鐘が鳴る(5)
「……しっかりしろ、私」
パチン、と軽く自分の頬を叩き、動揺の冷めやらぬ己へ喝を入れる。
あの子の行方が知れないことはたまらなく不安だし、悲しみも未だ抜けやらない。
……だけど、駄目だ。
それじゃ駄目なんだ。
いつまでもいつまでも泣いているだけじゃ、何も始まらないし、変えられない。
助けて欲しいと、消える前にウィロウは言っていたじゃないか。
なら、私は、その願いを叶えてやらなくちゃ。
あの子の魂が今、どこにいるのかは、てんで見当がつかないけれど。
それでも、身体が未だ、ここに在ることは確かで。
だったら私は、あの子の願いを──王太子から逃げおおせることを、必ずや成し遂げてみせよう。
いつか、あの子が戻ってきた時に、何も怯えることがないように。
心の底から笑えるように。なんとしてでも王太子から逃げ延びて、アイツの手が届かない場所に行かないと。
幸運なことに、私はウィロウと記憶・知識・経験の共有ができている。
潤沢な魔力も、魔法の才能も、人格が変わっても変わらず健在だ。
もちろん、感覚を掴むための練習は少し必要だろうけど、それさえ終われば魔法は自由自在に使えるはず。
それだけで、逃避行の難易度はぐんと下がる。
当然、たった一人ですべての根回しを行い、スタコラサッサと逃亡するだなんて、ぽっと出の転生者in侯爵家の箱入り娘には難易度・ルナティックに等しい。
そんなのは指摘されるまでもなく、とっくのとうに百も承知だ。
でも、これまたラッキーなことに、私には協力者にできそうな人に心当たりがあった。
『あの人』なら、こちらの事情を話せばきっと手を貸してくれるだろう。
ウィロウは気付いていなかった……というより、無意識に思考から除外したせいで思い至らなかったようだけど、『あの人』だけはウィロウに魅了の魔法がかかっていることを見抜いていたから。
ウィロウのため、というのはもとより、国のためにも必ず手を貸してくれる。
そういう人なんだ、『あの人』は。
よし、そうと決まれば善は急げだ。
王太子は当然として、私の監視を担っている王家の影や、学園内の知人友人、両親にも気付かれないよう、迅速に最低限度の準備を進めないといけない。
仮病を使ったずる休みに違和感を持たれないうちに根回しして、本当に必要なものだけ持って、誰にも知られずここから姿をくらませる。
それが今、私がこなすべき最初のミッションだろう。
……いやもう本当に、初っ端からミッションの難易度が高すぎて笑えないんだよなぁ!
だけど、うん、困難なことではあるけど、不可能ではないはず。
少なからず、私の心が躍っているのがその証左だ。
王太子による支配からの脱却──私には、間違いなく、それこそがアイツを破滅させる第一歩になる、という確信があった。
ウィロウの中にいる間、私にできることなんて、ほとんど何もなかったけれど。
そんな私でも唯一できたのが、ウィロウを通して王太子を観察し、考察し、アレの弱点を見抜くことだった。
アレが何を恐れ、忌避しているか、私は知っている。
そして、『知っている』というのは、それだけで十分すぎるくらい強力なことだ。
だから私は、今までに得た知見を使って、必ず、王太子から逃げ延びてみせる。
そしていつか、絶対に、あの子を傷つけた報いを受けさせてやる。
『ざまあみろクソ野郎』って、人を弄んだヤツのみじめで無様な末路を見て嘲笑ってやるんだ。
「……だからそれまで、待っていてね」
どうか、どうか、私の気持ちがウィロウに届きますように。
ウィロウの心に、ほんのちょっとでも、安心と安寧をもたらせますように。
そんなことを祈りながら、胸のあたりに手を置いて、行方知れずのあの子にそっと語りかける。
──私はウィロウの一部であって、決してウィロウではない存在。
前世に大きく寄った思考と言動という、決して小さくはない王太子が知らないことがある限り、王太子から逃亡し、アイツを破滅させることの成功率はそこそこあるはずだ。
あの子のためにも、私は、私にできる十全の策と行動を取ろう。
それからあとのことは、天運が私に味方してくれるかどうかに懸かっている。
言うなれば、『人事を尽くして天命を待つ』ってヤツだ。
……。
……、……。
……魅了にかかっていた時のウィロウが、うっかり神様を軽んじるような言動を取ってしまったけれど、それが悪い方向へ作用しないことを願うしかないなぁ。
さて、それじゃあ気を取り直して、まずは逃亡計画の第一段階と行こう。
協力者候補の『あの人』に向けて、手紙をしたためるとしようか。