04 午前零時の鐘が鳴る(4)
無力な私が歯がゆい思いでウィロウを見守り続け、長い長い年月が過ぎ──その日々は、三日前に突然の終わりを告げた。
嫉妬に狂ったウィロウがイルゼ嬢を突き落とそうと触れた瞬間、【純潔の乙女】の穢れを払う力が、ウィロウにかけられた魅了をうち払ったからだ。
詳しい話をウィロウが聞いたことがないから、私も知らない。
だけど、恐らく、【純潔の乙女】が持つ力というのは、RPGゲームで言うところの万能の霊薬に近い能力なんだろう。
イルゼ嬢が触れた相手を蝕むあらゆる弱体化を解除するとか、そんな感じの力。
ウィロウにとっては不幸中の幸いみたいなものだけど、本当に、イルゼ嬢様々だ。
でも、まさか、魅了が解けたことでウィロウが消えてしまうなんて……そんなの、一体誰に予測できただろう。
転落事故のあと、一度はちゃんと、ウィロウは目を覚ましていたんだ。
だけどそのあと、あの子は自分の身に起きていたことを──王太子に魅了の魔法をかけられていたことと、それがイルゼ嬢のお陰で解けたことを、一から十まで自分の力で理解して……ウィロウの心は、大きな恐怖に支配された。
王太子に魅了の魔法を使われ、自由意思が奪われていたこと。
しかしそのことに、自分自身を含め、誰一人として気付いていなかったこと。
王太子に魅了された自分が嫉妬に狂って人ひとりを殺そうとしたこと。
そのすべてがウィロウにとっては恐ろしく、……その何よりも、王太子という人間が怖かった。
ウィロウには王太子が何故、自分に魅了の魔法を使ったのか、まったく理解ができなかった。
けれど、冷静に状況を思い起こして判断し、魅了の魔法をかけられた自分が王太子に弄ばれていたことだけは理解できたのだ。
王太子がイルゼ嬢を使ってウィロウの嫉妬を煽り、その様子を見て恍惚としていたことを、あの子はちゃんと理解してしまった……。
だから、そう、ウィロウが王太子を怖がるのも無理はない話だ。
アイツは婚約者に愛を囁いているようで、その実、愛しているのは自分の玩具でしかない。
だからお人形さんが人を殺そうと構わないし──それどころか、愉しんですらいる始末だ。
でも、そんなの、ウィロウは嫌だった。許せなかった。
あの子は王太子の婚約者であることに、自分が国母となり夫と共に国を導いていくことに誇りを持っていたのだから。
……なのにウィロウは、王太子によって都合のいいお人形さんにされてしまった。
彼女の誇りは穢され、土足で際限なく踏みにじられた。
そんな悪魔のような所業を、どうして誇り高いあの子が許せると言うのだろう?
……けれど、アイツは腐っても王太子だ。
完全無比な王太子という、分厚い面の皮を被ったクソ野郎。
たとえウィロウが被害を訴えたところで、誰にも信じてもらえない可能性の方が高いし、口封じにと王太子に再び魅了の魔法を使われてしまうかもしれない。
むしろ、こうして魅了が解けていることを知られた時点で、王太子は魔法を使ってくるんじゃないか。
……そこまで思考が至った時の、ウィロウの恐怖は、絶望は、私には計り知れない。
ウィロウが侯爵家の令嬢であり、王太子の婚約者である以上、絶対にアイツから逃げることはできなくて。
死ぬまでずぅっと、王太子のお人形さんとしてしか生きられない──。
その事実にあの子は打ちひしがれ、抱えきれないほどの恐怖と絶望に見舞われて、そして。
「誰か助けて……」
……そんな、胸が締め付けられるような呟きを最後に、あの子は溶けるようにして消えてしまったのだ。
ずっと一緒にいたはずのウィロウの魂が、もう、私には感じられないし、どこを探しても見つからない。
だからだろうか。決してウィロウに干渉できなかったはずの私が、完全に表に出てきている。
手も、足も、魔法の力も。何もかも、私の意思で自在に動く。……動いて、しまう。
胸にぽっかりと穴が空いたような空虚感と、その穴をいっぱいに満たすほどの寂寥感と、この身を引き裂くような悲哀とで、それからまる一日、涙が止まらなかった。
侯爵令嬢という立場も忘れ、みっともなく声を張り上げてわんわん泣いて、泣いて泣いて、泣き続けて──ようやくすすり泣きも落ち着いたところでの、状況確認。
それが、今日だ。