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魅了の魔法が解けたので。  作者: 遠野
逃亡編

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30 一方、その頃(A)


 我が国の将来を担う貴族の子女が集まる学園で、夜更けに起きた女子寮の放火事件。

 教諭たちの素早い対応のおかげで無事、大事にならずに済んだものの、火をつけた犯人は未だ見つかっていない。


 しかも、この騒動に乗じるように、兄の婚約者……ウィロウ・フォン・イグレシアス嬢が失踪している。


 このことから、放火犯の真の目的はイグレシアス嬢の略取にあったと推測され、学園も城も上から下への大騒ぎ。

 未だに身代金を要求するような書状はイグレシアス侯爵家に届いておらず、未来の王太子妃の安否が心配されている。


 ……はず、だったのだが。


「アレクシス殿下、これを」

「! どうして君が、イグレシアス嬢の手紙を……?」

「イグレシアス様と約束したのです。どうか、誰にも──特に王太子殿下には、くれぐれも見つからないように読んでください」


 人目を忍ぶようにしてイルゼ嬢から渡されたのは、少し……いやかなり分厚い封筒だ。


 宛名には私の名前が、差出人の名前のところにはイグレシアス嬢の名前が記されていた。


 イルゼ嬢が何故この手紙を預かっているのか、そして、どうして兄ではなく私宛ての手紙なのか、疑問に思うことは色々とある。

 ……だが、『くれぐれも兄に知られないように』とイルゼ嬢に言い含められたということは、やはり・・・あの人が何かしていたのだろう。


 本当に、手紙にいったい何が書かれているのか、考えただけで頭が痛くなる思いだ。

 かといって、行方不明のイグレシアス嬢が残した手紙を見なかったことになどできるはずもない。


 意を決して封を開け、便箋を開き、


「…………は?」


 真っ先に目に入った一文に、思考が止まる。


「いや、え、……えっ」


 目が疲れているのかと同じ文章をもう一度、目で追いかけて、……理解が止まる。


「………………は?」


 想像を絶する内容に、頭が言葉の羅列を受け付けないというか、そもそも追いつかないというか……。

 それでも、イルゼ嬢が兄に隠れて手紙を渡してきた理由と、イグレシアス嬢がわざわざ私にだけ手紙を書いた理由は嫌でも察せられた。


 父も母も気付いていないが、兄は非常に自意識過剰なところがあり、かつストレスに弱いタイプの人間だった。

 しかも、それを隠すのが異常なまでに上手いという、気の毒なまでに優秀な人だ。


 いっそ隠遁した方が幸せに暮らせるだろう、と思ったことは数知れないが、苦悩しながらも必死に周囲の期待に応えようとする兄の姿を見ていると、とてもじゃないが私には言い出せなかった。


 私が『王太子の座を退いてはどうか』と言えば、要らぬ争いの種を生んでしまうのはわかりきっていることだし、兄に盲目的なまでの献身を捧げるイグレシアス嬢が何も言わないのだ。

 兄の一番の理解者である彼女が何も言わないのに、私が余計な口出しをすべきではない。


 そう考えて、私は、兄の努力を尊重してきた。

 ……イルゼ嬢から『祝福の力がイグレシアス嬢に働いた』と聞いた時も、まさかそんなはずがないと、兄を信じる気持ちを捨てきれなかった。


 だが、実際はどうだ。

 イグレシアス嬢からの手紙──もとい、告発文には『王太子から魅了の魔法を使われた』とある。


 どうして彼女が国の機密たる魅了の魔法について知っているのかはわからなかったが、あの愚兄が話して聞かせたか、先の大事件の当事者たる先代イグレシアス侯爵から聞いたのだろう。

 手紙には愚兄の手によって都合の良い人形にされた経緯と、その理由についての考察、そしてイグレシアス嬢が自分から身を隠したことがつづられていた。


 流石は愚兄の最大の理解者にして婚約者というべきか、彼女の考察はすとんと腑に落ちるものがある。

 そして、あの人なら確かにやりかねない、と思わせる説得力も十分。


 ……ああ、なんてことだ。

 まさかあの愚兄が、よりにもよって魅了の魔法を使っていただなんて。


 そこまで追い詰められていたのなら、私に話して欲しかった。相談して欲しかった。


 それとも、私の方から踏み込めば良かったのか?

 たとえあの人のプライドを傷つけることになろうとも、踏み込んで、洗いざらい吐かせれば良かったのだろうか? 


 ……あの人には、家族に相談することさえ、難しかったのだろうか?


 そんなにも他者に弱さを見せることが嫌だったのか、それとも、弱さを晒すことが恐ろしかったのか。

 愚兄の心情など私にわかるはずもないが、……魅了の魔法を使用するくらいなら、極刑に相当する罪を犯すくらいなら、どうして一言『無理だ』と言ってくれなかったのか。


「やるせない、が……そうも言っていられないな」


 イグレシアス嬢の手紙には、彼女が消えたあとの愚兄の動きを予測する文言も書かれている。


 もちろん、必ずしも予測が的中するとは限らないし、そうならないに越したことはない。


 しかし、彼女はあの愚兄の婚約者であり、一番の理解者だ。

 そんな人物が懸念する可能性を切って捨てられるほど、おめでたい頭はしていないつもりである。


『殿下がわたくしの代替品を得ようと考えた時、真っ先に狙われるのは恐らくイルゼ嬢だと思います。方法はアレクシス殿下にお任せしますが、くれぐれも、彼女を守ってあげてくださいね?』

「……言われずとも」


 おぞましい事態を予期する手紙は、決して愚兄に見つかってはいけないもの。

 どこか一ヵ所に置いて隠しておくより、肌身離さず持ち歩く方が安全だと考えた私は、ひとまず制服の胸ポケットに折りたたんで忍ばせておくことにした。


 あの愚兄を告発するには、この手紙だけでは証拠が足りないし、あまりにも地位が盤石すぎる。


 手紙の通りに事が運ぶとも限らない以上、私の方でも考えて動かなければ。

 ……それがたとえ、好いた少女を危険にさらすことになろうとも。


 心に影を落とす陰鬱な気持ちを抱えながら、私はイルゼ嬢に会うために部屋を後にした。


これにて『魅了の魔法が解けたので逃げることにした』逃亡編は完結です。

一ヵ月弱という短い間でしたが、お付き合いいただきありがとうございました!


このあと、活動報告にて明日からの更新……というより、次回予告? をしますので、気になる方は覗いてみていただければと思います。


引き続き『魅了の魔法が解けたので。』をどうぞよろしくお願いいたします!

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