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魅了の魔法が解けたので。  作者: 遠野
逃亡編

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29 雪と薔薇の姉妹のような(3)


 私の婚約者は結局、カリンの妹──エリカに挿げ替えられた。

 侯爵位を受け継ぐ私の伴侶が心を壊した彼女では務まらない、という合理的な判断に基づく決定である。


 それはほかならぬ私が一番理解していることで、否などと言えるはずもない。

 そしてエリカも、突如もたらされた婚約を粛々と受け入れた。


 周囲は私たちの婚約に心配をしていたようだが、私もエリカも、この婚約に不満はなかった。


 カリンという大切な存在を失った私たちは、その空白を埋めるようにお互いの手を取った。

 心神喪失状態の彼女を邸宅へと迎え入れ、世話をするにはそれが一番だと理解していたからだ。


 幼い頃のきらきらと輝く思い出ひとつひとつを丁寧に紡ぎ、カリンと共有することで、私たちが知る彼女を取り戻そうと必死だった。


 もう一度、あの屈託のない笑顔を見せてほしい。

 私たちの名前を呼んでほしい。


 私とエリカにあるのは、ただ、その一心で……。


 だが、結局、私たちの努力が報われることはないまま、カリンは儚くなってしまった。

 医者の見立てによれば、あの忌まわしい事件による心の負荷が許容量を超え、心身を弱らせたのだろうとのことだった。


 何日にも渡ってカリンの死を悼み、嘆き、悲しんだ。

 喪が明けてからも二人して彼女の面影を探す日々を繰り返し、カリンの死から立ち直ることができた頃には、数年の月日が経過していた。


 私たちは白い結婚をやめ、子を成し、ようやく世間一般と同じような家庭を築いた。

 二人でカリンに寄り添い、お互いを慰め合う毎日を過ごしたことで、ゆるやかにお互いへの情愛が育まれた結果である。


 生まれた子供と過ごす日々は少しずつ、けれども確かに、私とエリカの心の空虚さを埋めてくれた。

 大切な家族を失った心の傷は一生癒えることなく私たちを苦しめるけれど、愛する子供たちから傷痕に負けないくらいの幸福を得て、私たちは前を向くことができたのだ。


 息子が跡を継ぐ頃には毒婦の影も薄れて、魅了の魔法は国が厳重に管理することになった。


 呪いにも等しいあの魔法の存在は世間から秘匿され、『過ちが繰り返されることがないように』という願いのもと、王族にのみ伝えていくことを先王陛下が定めたからだ。


 おぞましい魅了の魔法の存在と、それが引き起こした未曽有の大事件。

 この二つを末代まで伝えることで、あの事件を知る者が一人残らず消えてしまっても、子々孫々への注意喚起と戒めになればいい──そんな、先王陛下のひたむきな想いが込められた祈り。


 ……この意を汲む者がいこそすれ、踏みにじる者が現れるなど、私も陛下も考えてもみなかった。






 数年前に屋敷を訪れた孫娘から忌々しい魅了の気配を感じ取った瞬間、私は絶望する思いだった。


 あの魔法は術者が解除するか、術者が死ななければ、決して解けることがない。


 そんなことはとうに知っていた。

 だが、それでも、私は諦めきれなかった。


 カリンに続いてウィロウまでもが魅了の魔法によって人生を滅茶苦茶にされるなど、許せない。あってはならない。

 強い精神的なショックを与えればあるいはと、そんな思いを込めて突き放したが……私の希望を嘲笑うかのように、あの子を何も変えられないまま、私たちの距離は開いてしまった。


 先王陛下は既に崩御され、エリカも病没しており、あの子のことを相談できる相手は誰もいなかった。


 魅了の魔法は国に管理されている関係上、その存在を知るのはごく一握り。

 そして、そのわずかな人間の中で、ウィロウと関わりがある者と条件を絞れば、犯人の見当をつけるのは容易かった。


 だが、徹底された外面の良さから、たとえ告発しても信じてくれる者はいないだろう。

 望みをかける余地もなく、絶望の底に叩き落とされた私にできるのは、あの子が目を覚ます奇跡を祈ることだけだった。


 だから──だから、本当に嬉しかったのだ。


 ウィロウから『助けて欲しい』と手紙が届いた時、私は、思わず涙が滲むほど歓喜に打ち震えた。

 天は私たちを見放さなかったのだと、本気でそう思った。


 実際に現れたあの子は私が知るウィロウではなかったが、それでも、あの子と再び言葉を交わすことのできた幸福は計り知れない。

 ウィロウはいつか、必ず戻ってくる──そう言い切ってくれる存在は、確かに私の心を奮い立たせた。


 『ウィロウの一部であって、ウィロウではないもの』……そう名乗ったのは、さしずめ、抑圧されたウィロウの中で生まれたもう一つの人格だろう。

 毒婦の魅了の影響下にあった人間の中に、似たような症例の者がいたと知っていたからか、その存在をすんなり受け入れることができた。


 しかし、おそらく、すぐに受け入れられた理由はそれだけではない。

 ヴィルと名付けたその人格には、カリンを彷彿とさせるものがあったから……だからきっと、私は受け入れてしまったのだ。


 明け透けな物言いも、屈託のない笑顔も、サッパリとした気質の中に覗かせる毒も。

 懐かしい日々を思い起こさせるには十分すぎた。


 おっとりふわふわした雰囲気のウィロウはエリカに似ているが、正反対の性格をしたヴィルはカリンに似ている。


 もし私とカリンが子を成していたら、ヴィルのような子が生まれていたのではないか。

 思わずそんな妄想をしてしまうほど……私は、ヴィルの存在を受け入れていた。


「コード」

「はい、旦那様」

「王都へ向かう支度を」

「かしこまりました」


 紹介状を片手にギルドへ向かうヴィルを見送った私は、傍らに控えるコードに声をかけた。


 目的はいたって単純明快。

 ウィロウとヴィル、二人の孫娘・・・・・を守るためだ。


 あの子たちの祖父として、そして、毒婦によって国が傾いた激動の時代を生き抜いた者として、二人にとって最大の脅威である天上の王太子殿下を地の底へと引きずり落とし、のびのびと生を謳歌できる環境を整えてやらなければならない。


 ヴィルは放っておいても勝手に自滅するとせせら笑っていたが、それだけでは足りない。

 王太子殿下が二度とウィロウたちに手を出せぬよう、一刻も早く十全の体制を整えなければ。


「王都に着いたら、アレクシス殿下にお目通り願わないとな」


 これからの動きの算段を考えながら、心の中でそっと、エリカとカリンに語りかける。


 ……今度こそ、あの子たちを必ず守り通してみせるから。

 だからどうか、私たちのことを見守っていてくれ。


すみません遅刻しました(五体投地)

はじめてみる映画にキャッキャしてました……

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