28 雪と薔薇の姉妹のような(2)
少し話が変わるが、当時の私にはまだ、婚約者というものがいなかった。
次代の王の側近として軽々に決めることができず、慎重に慎重を期し、婚約者の選定を行っていたためである。
だが、あの頃……毒婦を捕まえる直前にちょうど、とあるご令嬢との婚約が内々定していたのだ。
相手は昔から交流のある伯爵家に名を連ねるカリンという少女で、いわゆる幼馴染の関係であった。
カリンとは気心が知れた仲ゆえに妙なむず痒さはあったが、お互いに不満はなく、末永く支え合っていくことを誓い合った。
伯爵令嬢でありながらも快活でサッパリとした部分のある女性なので、恋人同士というよりは親友同士に近い雰囲気ではあったものの、むしろそれが心地よかった。
私たちはそういう関係で、これからのイグレシアス侯爵家を盛り立てる。
そこに一抹の疑いを抱いたこともなかった。
そんな未来が訪れるのだと、信じ切っていた。
……だから、あの毒婦の息がかかった連中に彼女が襲われたと知った時。
事件後に再会したカリンが心神喪失状態に陥っているのを目の当たりにした時、当たり前だと思っていたものがすべて失われた絶望は、私の心を打ち砕くには十分すぎた。
先王陛下に教えていただいたのだが、どうやら捕縛直前に、あの女はカリンの存在を知ってしまったらしい。
そして、どれほど魅了の魔法を使っても私がなびかないことを彼女のせいだと早合点し、取り巻き連中をけしかけた──それが、事件のあらましだったそうだ。
……なんてくだらない。
私が侍らないのがカリンのせいだと?
そんなわけがあるものか。
たとえカリンが私の婚約者に決まっていなくても、私がアレに侍るなどありえない。
あんな醜悪な生き物に侍るくらいなら死んだ方がマシだ。
彼女からすれば、とんだとばっちりである。
あの毒婦の浅ましさのせいでカリンは人としての尊厳を傷つけられ、女性としての尊厳を踏みにじられ、結果として世界のすべてを拒絶してしまった。
私や、カリンの家族が声をかけても応えることはなく、ベッドの上でぼんやりと虚空を見つめるだけ……。
ガラス玉のように空っぽな瞳に、他者の助けをなくしては生命活動もできない姿に、私たちはどれほど涙したことだろう。
彼女をこんな風にした毒婦が憎くて、憎くて、殺してやりたいとさえ思った。
……だが、カリンがこうなった原因の一端は、私にあった。
あの女に目を付けられなければ。
もっと早くにあの女の手管を暴くことができれば。
婚約に関する情報を厳しく規制していれば。
──私が彼女と婚約さえしなければ。
次から次へと浮かび上がる後悔の念。
すまない、すまないと謝ることしかできず、悲しみに暮れる私は日に日にやつれ……ある時、カリンの妹に頬を打たれた。
「アドルフ様、いつまでそうしているおつもりですか? 貴方が今もなお、こんな姿になってもお姉様を愛してくださっていることはわかります。それほどまでにお姉様を想っていただけて、わたくしも、両親もありがたく思います。……ですが、今の貴方を見たら、お姉様はきっと修羅のように怒りますわ。『一体いつまでここにいるつもりなのか』と、そう言って、アドルフ様のお尻を蹴ってでも王太子殿下の元に向かわせたでしょう。あの毒婦がもたらした混乱は未だ冷めやらぬ状況なのはご存じのはず。それらをおさめ、これからの被害を防ぐための旗印には、アドルフ様──ほかならぬ貴方が相応しいのではありませんか? ……どうか、どうかお願いです。お姉様のような目に遭う人を、増やさないでくださいまし」
……そう言って、さめざめと泣く少女を前に、ようやく頭が冷えた気がした。
王家の庇護を受けた恩も忘れて好き放題した毒婦は国賊として処刑されるが、あの女によってもたらされた魅了の魔法は『なかったこと』にならない。
魔法そのものも、魔法がもたらした被害も、これから先もずっと国に爪痕を残していく。
カリンや私を含め、直接的・間接的に被害に遭った多くの人々が、死ぬまでこの悪夢に苦しめられる。
……ならば私は、この子が言う通り、『二度目』が起こらないように尽力しなければ。
彼女のような人を──あの魔法によって心を壊す人を、これ以上、増やしてはならない。
そうして再起した私は、先王陛下とともに、毒婦がもたらした影響の鎮火に奔走した。
そのさなかで、カリンと同じような目に遭った女性が少なからずいたことや、行方知れずになっていた官僚の何人かがあの女の手下によって魔獣どもの餌にされていたこと、振るわれた暴力によって障害が残り家族を養えなくなった者が山ほどいること、そして魅了の魔法の影響下にいた者たちが多かれ少なかれ心を壊してしまったことを知った。
……彼女への凶行に及んだ連中も例に漏れず、気狂いになるか、自死を選んだか、伽藍堂の人形のようになるかのいずれかだった。
どうやら魅了されていた間の記憶はしっかりと残っているらしく、魔法が解けて正気に戻ると、自らが犯した罪に対する罪悪感と自責の念に堪えられなくなるようだ。
無論、だからといって罪がなくなるわけではないので、彼らは裁きを受け、相応の罰を与えられる。
『魅了の影響下にあり正常な判断ができなくなっていた』という点から多少の情状酌量が認められることが、彼らにとって唯一の救いと言えた。
自分への尻たたきもかねて、今日は二話更新!
後編はいつも通りの時間に投稿しますので、どうぞよしなに。