24 ジェーン・ドゥへの贈り物(5)
「彼女のご実家も中々良い家柄ですから、イグレシアス侯爵家のご令嬢であるお嬢様が髪を切ることに理解が及ばなかったのでしょう。ご不快な思いをさせてしまったこと、誠に申し訳ございません」
「いえ、理由がわかれば納得もできますから。私と生粋のご令嬢では感覚が違っただけのことですし、そこまで気にしないでください」
「寛大なお心遣い、感謝いたします」
メイド長さんと入れ違いになるようにして、申し訳なさそうな顔をしたコードさんが現れた。
彼は私が求めていた通りのものを持参すると同時に、メイド長さんの奇行を説明し、この場にいない彼女の代わりに頭を下げる。
……だが、これは果たして彼女だけが悪いのかと言うと、そうでもないように思えた。
というのも、私はウィロウの中で十八年を過ごしてきたが、それでも未だに貴族的な感覚のあれこれに慣れていないことに起因する。
たとえばお金。
夜会ごとにドレスを新調するのも、コンビニのお菓子を買う感覚で宝石を買うのも、それが貴族の体裁や面子を保つためであったり、権威を示すために必要なのは理解している。
しかし、理解していることと受け入れられるかどうかはまた別の話で、侯爵家や王族のお金の使い方にしょっちゅう恐れおののいていた。
お金のかけ方が間違っていないのは確かなので、こればかりは魂レベルで染み込んだ庶民的な金銭感覚が原因だろう。
補足すると、例に挙げたのが王侯貴族のほぼ頂点に位置するところばかりなのは、ウィロウの付き合いが大体そのあたりだったから。
ほかの爵位のおうちの買い物事情は知らない。
『髪を切る』ことに対する心理的ハードルの低さもまた同様。
私からすれば大したことがなくても、男性である先代様さえ止めようとするくらい、貴族の女性にとってありえないことなのだろう。
それをサラッと口にした私に、貴族の家で生まれ育ったメイド長が過剰に反応して奇行に走っても、仕方ないことなのかなと思う。
むしろ私が『髪を切る』ことを軽く考えすぎていたせいで、メイド長さんには悪いことをしたかもしれない。
正直すまんかった。
『ごめんね』『いいよ』のやり取りが済んだところで、コードさんが僭越ながらと、髪を切ることに名乗りを上げた。
お忍びで来ているせいでプロを呼べない私のためにその腕を振るってくれるという。
旦那様──もとい、先代様からも許可をとってあるとのこと。
どうやら彼はヘアカットもできるスーパーバトラーだったらしい。
自分でやるより慣れた人にやってもらう方が断然いいに決まっているので、コードさんにほかの仕事がないか確認してから、ありがたくヘアカットをお願いすることにした。
……私の腕じゃ、どうあがいてもこけしヘアが関の山なので。
せっかくウィロウの顔が美少女なのに、パッツンこけしヘアとか残念すぎるから嫌だ。
「どのようにいたしましょうか?」
「今後の手入れの余裕も考えて、バッサリ切りたいです。それと……」
人様に依頼する身分でああだこうだと注文をつけるのも気が引けるので、最低限こちらの要望を伝え、あとはコードさんにお任せすることにした。
切った髪が悪さをしないようにと肩から下は布で覆って保護し、床にも絨毯を保護するための敷物をした。
それからコードさんは私の髪に触れ、失礼します、と鋏を通す。
しゃきん。しゃきん。
小気味のいい音が響くたび、黒い髪が少しずつ床に落ちていく。
侯爵令嬢のステータスとして、ウィロウの髪の元の長さはかなりのものだったため、敷物はあっという間に黒で埋め尽くされていった。
鏡の中のウィロウの髪が確かな実感を伴って、どんどん短く、軽くなっていく。
それがなんだか、妙に心が浮足立つというか、ひどく心が躍るというか……とにかく不思議な心地だ。
髪が軽くなると、肩に乗せていた荷物まで軽くなるような、そんな錯覚さえ起きるほどに。
侯爵令嬢の象徴を切り落としていくことで、侯爵令嬢としての在り方までもが削ぎ落され、あとに残るのは一人の女の子だけ──なんて。
「……何を言ってんだろうな、私は」
背後のコードさんに聞こえないよう細心の注意を払いながら、ひとりごちた。
侯爵令嬢ウィロウ・フォン・イグレシアスがいなくなれば、そこに残るのは彼女の入れ物と、ウィロウに寄生する私だけだろうに。私はウィロウの一部であって、ウィロウではないもの。
先代様にそう名乗ったのはほかならぬ私自身だというのに、あの子と自分を同一視するなんて、まったく馬鹿なことを……。
嘲るように吐き出した言葉は、鋏の音に紛れ、コードさんには届かない。
ただ、勘違いする愚か者に、自戒の楔を打ち込むだけだ。
ついに拙作のブクマ数が2000を超えました……!
短編版も含め、この作品で『初めて』が盛りだくさんで本当に驚くし嬉しいです。いつもありがとうございます!




