20 ジェーン・ドゥへの贈り物(1)
「ところで、君はこれからどうするつもりだ? 手紙には『転移で逃げるための補助具を貸してほしい』としか書いていなかったが……君が望むなら、この屋敷に住んでも構わないぞ」
話にひと段落がついたところでわずかなインターバルを挟み、それからふと、先代様が問いかけてきた。
質問は今後の私の動向について確認するもので、行く宛てがなければとの提案も兼ねている。
先代様はウィロウの身体を守ることに力を貸してくれようとしているのだろう。
その厚意は非常にありがたいと思う。
……思うのだが、私は首を横に振り、先代様たっての申し出を辞した。
「そう言っていただけるのはありがたいのですが、一応、既に方針は決めているんです」
「ほう」
「どこかに身を隠しつつ、働いて生計を立てようかと」
「……なんと」
短い言葉には、複数の感情が込められているような響きがあった。
驚き、困惑、疑念……あたりだろうか。
それぞれをもっと細かく読み取るとすれば、箱入り娘の口から『働く』という言葉が出てきた驚きと、侯爵家の娘が市井で働くなんて……という困惑、何故こうもやすやすと労働の発想がでてきたのかという疑念──といったところか。
確かに、ウィロウならできない発想だろう。
生まれながらの貴族の娘で、幼い頃から妃教育に明け暮れた箱入り娘ともなれば、自分で働くなんて考えられないに違いない。
王太子から逃げるなんて不可能だと断じてしまうあの子には、そもそもこの逃亡計画すら立てられなかったのだから。
しかし生憎と、私は自分で働くのが当たり前な社会に育った一般人A。
むしろその発想が当然なので、素知らぬ顔で淹れてもらったばかりの紅茶を堪能する。
……いやもう何度目かわからないけどマジで美味しいわこれ。飲むたび毎回びっくりする。
働きだして家計が安定するようになったら、自分でも買おうかと真剣に検討するレベルだ。
ああでも、そうなると、紅茶の淹れ方の勉強もしなくちゃいけないよな。
前世じゃ紅茶を嗜むなんて優雅な趣味は持ってなかったし。
これは完全な余談だが、前世はもっぱら玄米茶を好んで飲んでいた。
ふわっと広がるあの香ばしい匂いが大好きで……こちらの世界にもあるのだろうか?
確か東の方には中国に似た雰囲気の国があったはずだし、探せばワンチャン……?
これも今後、余裕ができたらやりたいことリストに組み込んでおこう。
「ウィロウが貴族社会に戻らないと決めても大丈夫なように、それなりに生活基盤があった方が良いでしょう?」
「そんなことは、」
「『ない』って本当に言いきれますか? 今回の件で、あの子は結婚どころか異性に対して嫌悪感を抱いていたって何もおかしくないんですよ。それどころか、人間不信になっている可能性さえあると私は思いますが」
いまさら気付いたように、先代様がハッと息をのんだ。
もう一押し、二押しくらいすれば押し切れそうな気がするので、更に畳みかける。
「あんなことがあっても『侯爵家の娘として責を果たします』なんて言えるほど、ウィロウが気丈な子であれば、私とて文句は言いません。私はウィロウの意思を何より尊重しますから、本人がそれでいいと言うなら応援するだけです。……でも、実際、あの子は自分の置かれた状況に絶望して消えているじゃないですか。私が表に出てくることになるくらい、あの子は深く傷ついているんです」
「……」
「私には、結婚が義務である貴族社会にウィロウが戻りたがるとは思えません。責任感の強い子ですから、ハッキリ『嫌だ』とは言えないでしょうけど、それでも拒否を示すか嫌がるそぶりを見せるかのことはすると思います。というか、異性とまともに交流が成り立つかどうかも怪しくなっていそうだとすら考えていますけど、先代様はどう思います?」
などと尋ねたところで、先代様には答えられないだろう。
……答えようにも、ウィロウの一部である私の言葉に信憑性を感じてしまって、反論する気が起きないだけかもしれないが。
「たとえ侯爵家の血が流れていようと、ウィロウ自身に瑕疵がなかろうと、夫婦の営みができず結婚生活もままならないような子を、いったい誰が迎え入れようと言うんです? 普通の、まともな考えの人であれば、血を残せない人はお断りでしょう。……それでもウィロウを望む人がいるとすれば、それはきっと、あの子を大切にできないヤツに決まっているのでは?」
「──!!」
言葉にするのもおぞましいことを暗喩すれば、先代様は『私が言おうとしていること』にすぐに気付いたようだ。
表情を強張らせ、握る手にグッと力がこもったのが見て取れる。
……まるで、『そんなことは許してなるものか』とでも言っているみたいだ。
そうだろう、そうだろう。
『ただ傍にいてさえくればいい』なんて殊勝なことを言える貴族の男がいるとは思えないし、そんなことを言い出すヤツが本当に現れれば疑ってかかるのが当然だ。
口先だけではなんとでもいえるのだから、ウィロウが嫁入りした後に本性をあらわにして、あの子の心と身体に消えない傷を残す可能性は無視できない──否、むしろその可能性しか考えられない。
過保護だなんだと言われるかもしれないが、ウィロウの現状を鑑みれば、過剰なまでに反応するのは当然だ。
あの子はもう十分傷ついている。
信頼を、誇りを、人としての尊厳を踏み躙られているのに、これ以上の傷を負わせるのは酷だろう。
……そう考えるのは、決して悪いことじゃないはずだ。
「だから私は、この身体の主導権が私にあるうちに、ウィロウのためにできることをしておきたいんです。先代様のお膝元は確かに安全でしょうが、それでは貴族社会と縁を切ることができませんから。今のうちに自活や隠居できるだけの生活基盤を整えておけば、あの子が心穏やかに過ごすための一助にはなるでしょう?」
「……お嬢様はよく考えていらっしゃいますね」
「可愛いウィロウのためですから。……誰かのお人形さんにされるのは、もうたくさんなので」
気を利かせて紅茶のおかわりをくれたコードさんに微笑みかける。
今まで私はあの子のために何もしてあげられなかったんだから、これくらい当然だ。
ウィロウが幸せになれるように、ウィロウを幸せにするために、私は全力を尽くす所存である。
本日の異世界転移・転生の恋愛月間ランキングで19位に入っておりました! ありがとうございます!
ついに20位を切ったのは嬉しくもあり、ドキドキもしています……まさか短編版に続いて連載版でもここまで登らせてもらえるとは……。
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