16 因果応報の恋と知れ(3)
「私が先代様に助けを求めたのは、誰あろうウィロウのためです。いつかウィロウは必ず戻ってきます。その時に、もう二度とあんな恐ろしい目に遭わなくても済むように、あの子が心から笑顔でいられる……そういう未来を手に入れるために、私は先代様に『助けて欲しい』と手紙を出したんです。ウィロウの状態に気付いて、悲しんでいた先代様なら、私の気持ちをわかってくださると思ったから。私の気持ちに共感し、ウィロウのために力を貸してくださると思ったから。……それとも、先代様は違うんですか? 私と同じ気持ちだったから、このピアスを貸してくださったんじゃないんですか?」
生意気だと言われるかもしれない。
無礼者だと言われるかもしれない。
だけど、それでも私は、口をつく言葉を止められなかった。
あの子はいつか、絶対に戻ってくる。
なのに何故、あの子が戻ってくることを先代様は信じようとしないのだろう?
私でさえ信じていることを、この数年間、誰よりもウィロウを案じていたはずの先代様が信じないのは、諦めているのは一体どうして?
……私には先代様の諦めが納得できないし、諦めを浮かべた理由もわからない。
けれど、だからこそ、何も言わずにはいられなくて。
諦めには何か理由があるのかもしれない。ないのかもしれない。
理由がわからない以上、私はただ、あの子のことを諦めようとしている先代様の心理に、諦めないでくれと訴えかけるしかないわけだ。
……訴えるにあたり、ちょっと責めるような口調になってしまったのは、ウィロウを想うがゆえということでお目こぼしいただきたいところ。
なにぶん、あの子に対し母のような姉のような複雑な感情を抱く身としては、流石に見逃すことはできなかったので。
「……、ああ。そうだな。ウィロウの一部である君がそう言ってくれるのなら、あの子はきっと、私たちの元に帰ってきてくれるのだろう」
ややあって、先代様は深く息を吐いた。
それからゆるゆる首を振り、諦めを打ち払うような仕草を見せると、先ほどまでとは顔つきが変わる。
……たとえ悲痛さが完全になくならなくても、それはそれで仕方ない。
傷ついたあの子が雲隠れして、私が表に出てきている以上、そのことを悲しむなとは流石に言えないだろう。
だから私は、諦めさえしないでくれるなら、それでいい。
それだけで、今は十分だ。
「君が言う通りだ。すまなかった」
「いえ。先代様がウィロウの帰りを待っていてくだされば心強い、という私のエゴですので。先代様が謝罪なさる必要はございません。むしろ私の方こそ、生意気な口を利いたお詫びと、手を貸していただく御礼をお伝えすべきかと」
ということで、改めて謝罪と感謝を述べて頭を下げる。
そんな私を見て、先代様は二、三回ほど目を瞬かせるので、何かおかしいことでもしただろうかと疑問が浮かぶ。
当たり前のことをしただけなのに、彼は一体、何が気になったというのだろう?
内心で小首をかしげた時、控えめなノックの音が沈黙に割って入った。
「旦那様。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ」
誰が来たのかと身構えたが、どうやらコードさんがお茶の用意を終えて戻ってきたらしい。
……先代様とのおしゃべりで注意が散漫になっていたな、と反省。
いくら王都から離れたイグレシアス領まで逃げてきたとはいえ、まだまだ気を抜いてはいけない。
少なくとも、身を隠す算段がつくまでは、私にはゆっくり一息つく余裕なんてものはないのだから。
コードさんは蠟燭のぼんやりした明かりの中、ティーセットを載せたワゴンを押して入室してくると、きびきびとした動きで二人分のお茶を準備してくれる。
ふわりと漂う紅茶の香りは、小さなウィロウが好んで飲んでいたものと同じで。
先代様がそれをおぼえていてくれたという事実に、なんだか切ないような、懐かしいような、妙な心地になった。
いつまでも立ち話ではなんだからと先代様に促され、私たちはテーブルを挟んで向かい合わせになるようソファに腰掛ける。
サーブされたティーカップを受け取る時にお礼を言えば、先代様もコードさんも目を丸くした──って、いやいやいや。
どうしてお礼を言っただけでそんな反応をされなくちゃいけないんだ?
ウィロウだってやっていたことじゃないか、貴族のご令嬢としては珍しかったかもしれないけど!
……なんて、ぶうぶう文句を垂れることはできないので、曖昧な笑みを浮かべてカップに口をつけた。
ここで心配になるのが所作だが、ウィロウがしっかり身につけてくれたお陰で身体にも染みついており、ちょっと意識すれば再現はとっても簡単。
つまり、私が完璧な淑女を装うのはお茶の子さいさいなのである!
……ただし、忘れてはならないのが、完璧な淑女の姿はあくまでウィロウからの借り物だということ。
というのも、私は所詮、一般家庭育ちの庶民でしかないので、意識しないとすぐにボロが出てしまうのだ。
便利なんだか不便なんだかよくわからないが、まあ、お嬢様として生活する限り不便に感じる部分ではあるのかな? という所感。
「……」
「どうした?」
「あ、いえ……お茶が美味しいな、と」
礼儀作法についての話はさておき、今の私は、紅茶の異様な美味しさに驚いている。
この紅茶は昔々のウィロウが飲んでいたから味を知っていたし、侯爵家のお眼鏡にかなうだけあって高品質なのもわかっていた。
だから美味しいのは当然だし、何も驚くようなことはないはず……なんだけど。
「ふっしぎー……女子寮のご飯なんて、あんなに味気なくて美味しくなかったのに」
私が身体の主導権を得てから飲食した何よりも、この紅茶がとびきり美味しい。
ウィロウの身体だしちゃんと食べなきゃって、義務的に口にしていた食事の何倍も満足感があり、多幸感も得られる……と言えば、なんとなく伝わるだろうか?
とにもかくにも、こんなに美味しい紅茶は前世も含めて初めてなので、内心かなりテンションが上がっている。
お行儀が悪いとは思うけど、おかわりってもらえたりしないかな……?
「コード。なんでもいい、茶菓子を用意してくれ」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたしましょう」
紅茶に夢中になった私はこの会話を聞き逃し、数分後、お茶請けの美味しさにまた目を白黒させることになるのだが……いや本当、なんでこんなに美味しいの……?
※紅茶もお茶請けも、良いものなのは確かですが、特別おいしいわけじゃありません。どちらも普通に美味しい紅茶とお茶請けです。




