11 グッバイ・メアリー・スー(6)
彼女は恐らく、すべてではないにしろ、ウィロウと王太子の真実に気付き始めているのだと思う。
自分を害そうとしたはずのウィロウが、何故か突然、身を挺して守ってくれたこと。
それがきっと、違和感を感じる足がかりになったんじゃなかろうか?
働いた祝福の力、反転したウィロウの行動、婚約者に触れさせまいとする王太子──それだけの要素が揃えば、十分に王太子を疑う余地はある。
いやー、なんて素晴らしい展開だろう?
ウィロウと私に都合が良すぎて思わず高笑いしたくなるな!
「不思議なこともあるものですね? イルゼさんが殿方というわけでもございませんし、貴女がわたくしに触れたところで、何も問題はないはずですのに」
爆上がりするテンションは心の中に秘めたまま、イルゼちゃんの疑問には答えず、あらあらとすっとぼけてみせた。
でも、その代わりに、私は彼女の左頬にそっと手を添える。
肩に力が入ったことには気付かないふりをして、優しく、いたわるように、腫れと赤みが残るその場所を、力加減に気を付けながらゆるりと撫ぜた。
「……まったく、殿下も酷いことをなさるのね。女の子の頬を打つだなんて、許せないわ」
私がイルゼちゃんの頬が腫れていることに気付いたのは、ほんのつい先程のこと。
あまり腫れが残っていないし、髪で隠れていたから気付くのが遅れてしまった。
でも、私は結局それに気付いたし、……イルゼちゃんの話の流れで原因に察しがついた。
三日前のあの日、現場に駆け付けた王太子の野郎がやったんだって。
「ごめんなさい、イルゼさん」
「……え?」
「殿下の愚行に踊らされていたわたくしが言えたことではないけれど、それでも。婚約者として、あの人が貴女に強いてきたこと、貴女に手を上げたこと……そして何より、わたくしが貴女を突き落とそうとしたこと。そのすべてを心から謝罪いたします」
王太子がやらかしたことなら、王太子が謝罪するのが当然の筋。
だが、アレは絶対に自分に非があると思っていないから、イルゼちゃんに謝ったりなんてしないだろう。
それに、どれほど性根がひん曲がっていても、曲がりなりにもこの国の王太子。
簡単に頭を下げたりできない立場の人間だから、アレよりも地位が低く将来の伴侶となるウィロウが頭を下げるしかないのである。
もちろん、ウィロウはウィロウで謝るべきことがあるので、そちらも忘れずに謝罪を述べておく。
真摯に、丁寧に、心からの謝罪をする。
それは謝る時の基本であり──今までの印象を塗り替えるためのパフォーマンスとしても、一役買ってくれるはずだ。
「あ、頭を上げてください! イグレシアス様がわたしに頭を下げるだなんて、それこそ誰かに見られたら……!」
お高くとまった侯爵令嬢が頭を下げる、というのはそれだけで大きなインパクトを与えるものだ。
しかもその相手が同じ貴族ではなく、平民ともなれば、よりいっそう絶大な効果を持つに決まっている。
お陰でイルゼちゃんは軽いパニックに陥ったようだが──そのパニックでぜひ、魅了されていた時のウィロウのイメージの悪さを彼方へ押しやってもらえると嬉しいな!
もうちょっと善良でお茶目っぽさを出して混乱を煽りに行くか!
……我ながら混乱中の相手にやる所業じゃないわ、これ。
なんか詐欺してる気分になってきた。
「そうそう、さっきは意地悪を言ってしまいましたけど、この部屋には魔法をかけているから、わたくしたち以外の人間に盗み聞きも覗き見もされないんですよ」
「えっ!?」
「当然の嗜みです。……それに、こうでもしないと、わたくしは貴女と本心で話すこともままなりませんから」
ほろ苦いほほ笑みを浮かべると、すっとんきょうな声を上げていたイルゼちゃんも、くしゃりと表情を歪めて悲しげな顔になる。
同情、されているのだろう。
ほんの数分のやり取りで、彼女はすっかり私に好意的になってくれたようだ。
お人好し様々だなぁと思う胸の奥で、ふと、小さな罪悪感が芽ぶくのに気付いた。
どうやら、大切なウィロウのためとはいえ、他人を利用することを負い目に感じてしまったらしい。
……今更だな、と心の中で思わず苦笑する。
私が最優先すべきはウィロウを守ることだ。
そのために私は他人を利用して逃げ出そうとしているし、いつか必ず王太子を貶めようと目論んでいる。
決して一人では成し遂げられない以上、他人を利用するしかない──それがわかっているのなら、負い目に感じている余裕なんてないのは明らかだ。
前世のようにいい子ちゃんでいたいなら、王太子のお人形さんになる道を選べば良い。
……でも、それは、それだけは絶対に嫌だ。
ウィロウの願いだから、というのも、もちろん理由のひとつ。
だけど、私が嫌なのだ。
誰かに縛りつけられるのは懲り懲りだし、いい子ちゃんでいるために他人に振り回される……なんて人生は、もうごめんだ。
もっと自由に、のびのびと、やりたいことのできる自分でいたい。
そして、私は、そういう人生をウィロウにも歩んで欲しい。
そう思うのは、きっと私のエゴなのだろう。
別にそれでも構わない。
どうせ私は、所詮、肉体を持たない自我の塊でしかないんだから。
最終的な選択はウィロウ本人に任せる。
私はただ、そういう選択もあるのだとあの子に示すことさえできれば、それで構わない。
「イルゼさん、お時間はありますか? もしよろしければ、答え合わせに付き合っていただきたいのですが」
「わたしがイグレシアス様のお力になれるなら、喜んで」
──さあ、ウィロウのためにも、王太子の理想のヒロインにはご退場願おうか。
イルゼ視点は全2話と短いので、明日のうちにすべて投稿予定です。
というわけで明日は2回(昼夜or夜夜)、更新があります。どうぞよろしくお願いします。




