「夜」
突然、何もかもが嫌になって、家にいるのも嫌になった。とにかくどこかへ逃げ出したいという気持ちが強かった。
それで、生まれて初めて、深夜に家を抜け出すことにした。タンスがある部屋では母親が寝ているし、金が仕舞ってある部屋では父親が寝ている。だから取り敢えず、自分の部屋に無造作に置いてあった500円玉と携帯、それからイヤホンを引っ提げて家を出た。
ドアを開閉する時が最も緊張した。バレたら怒られるだろうか、なんて考えたりもした。しかし、ハナから心配されるような人間ではないのだから、今考えてみるとそんな心配など必要なかったな、と思う。
家のドアを開けると、まるでそこは異世界のようだった。大袈裟かもしれないが、その時の自分には本当にそのように見えたのだ。随分暗くなってから家に帰ることはよくあったが、それとは全く違った「夜」がそこにはあった。
行く宛てもないので、とりあえず道なりに自転車を走らせた。人ひとりいない道を生まれて初めて見た。車が1台も走っていない道路を生まれて初めて見た。建物の灯りがひとつも点いていない通りを生まれて初めて見た。見た事の無いものばかりが目に入ってくる中、いつもと変わらずに道を照らす信号機と街頭が素晴らしく綺麗に見えた。
自転車のチェーンが回る音と虫の鳴き声が響き、孤独なはずの夜道は不思議と寂しくはなかった。夜という空間が、自分の中の何かを満たしてくれるような気がした。いつも感じていた孤独感がそこでは、そこだけでは、何か違うものにすげ替わり、心地の良いものになっていた。夜の街という孤独な空間が、自分の孤独感を認め、許してくれているような感覚があった。
かつて自分は、「人は一日に満足出来ていないから夜更かしをする。しかし、満たされる一日なんてものは来るのだろうか。世を更かして満たされるものなのか」なんてことを考えたことがある。人間は常に何かを欲する生き物だからだとか、そんな理由をつけて諦めていたが、今日は少し、満たされた一日だったように思う。
そうこう言っているうちに日が昇ってきてしまったので、かなり早いがそろそろ締めようと思う。これを読んでくれた人も、眠れない夜があるのなら、少し散歩に出てみては如何だろうか。
短いですが読んでいただきありがとうございました。
めちゃくちゃ寒かったので帰りに暖かい飲み物でも買って帰ろうと思います。