今でも、思い出すことがある。
今でも、思い出すことがある。
子供だった。
「なにしてるの。」
7歳そこら。
でも、腰にまで届く亜麻色の髪は絹のようにつやつやと輝き美しく、狐目の、自分を見据えるような藍色の瞳には終わりが見えず、深く深く、吸い込まれてしまうような。
なんだか大人びた雰囲気の不思議な子供は、何もかも見透かしているようだった。
「探しているんだ。」
そう呟いた自分の唇の運びはどこか重く、その狐目に化かされてでもいるような気分で、目を細める。
「何を?」
「分からない。だが、恐らくすごく大切な物を。」
「ふぅん。」
聞いてきた割に、興味なさげにそう返してきたその子はまるで豪華な着物を身を包み、どこかの国の王族の方だろうか、とさえ思えてくる。
それほどにすずしげな様子の顔は整っており、まるで彫刻でも見ているような、そんな気分。
ああでも、仕草も含まれているだろうな。どことなく、高貴な雰囲気が漂っている。
「君は、どこかで俺にあった事があるか?」
「……どうだと思う?」
「さぁ、分からないな。でも何故か君がとても憎い。」
「そう。」
「でも、それ以上に愛おしかったような。変な気分だ。」
「……面白いこと言うね。」
揶揄う様に笑うので、なんだか目の前の人間より大人であるはずだろう自分が、まるで年下にでもなっているようだ。
でも、こうして訳の分からないことを何も考えずに言葉にしてしまう所、その錯覚が俺に与える影響は強い。
でもその姿は、どこか浮世離れして、この世界の者ではないようで、何故だか不安になった。
「気分はどう?」
「気分、か?」
「うん、気分。持論だが、こんなにつまらない場所は無いと思うのでね。特に君からしたらもっとそう思うだろう?」
「どう、だろう。そうなんだろうか。分からないよ、分からない。ただなんとなく、息苦しい。俺は何かを、探さなきゃいけないから。きっとこんな所で止まっちゃいけなかったのに。」
「……そっか。」
なんだかこの不思議な雰囲気に飲み込まれてしまったようで、不透明な会話ばかりを続けてしまう。
そもそも、何故子供がこんな所にいるのだろう。子供の言う通り、本来、こんなにもつまらない所は無いと言うのに。
「……どうだい、ここで、何か思い出したりすることはあるかい。」
「思い出す、か?」
「ああ……それこそ、記憶がぼんやりする前位の。」
記憶がぼんやり……?なんのことだろう。
俺は全てハッキリ覚えている。どこかから転校してきた彼女と親しくなって、恋に落ちて、それから……ああ、そうだ。真実の愛だと、婚約者に宣言した。
婚約を、破棄しろと。
でも、確かに、何故かぼんやりしているような……それより前に、もっと大切にしなきゃいけないことがあったような……それを、探していたような。
「……ああ、思い出した。」
「っ本当か!?」
「どうした?そんなに声を荒げて。」
「あ、いや……何でもない。」
「そうか。じゃあ、えっと……。」
どこか焦りながらも、何かに期待しているような子供の様子に、少しだけ口を開くのを躊躇する。
何故だか、話して良いものかと、戸惑う。こんな事、別に話したって良いだろうに。どうしたのだろうか。
まぁ、いい。
「初恋だった。」
「ああ!」
「まだ七歳の頃、城の中で、同い年位の女性に会ったんだ。」
「……は?」
「貴族らしい豪華な服を着てたんで、自分と同じように、その日の第一王女様の誕生日パーティーに呼ばれた子供だと思って話しかけた。会場は逆だぞって。反対の方向に向かっていたものだから。」
「……え。」
何故だか子供は、驚いているようだった。
何か変な事を口走ってしまったのだろうか。特に大きな問題は無い、ただのつまらない昔話だと言うのに。
ああ、そんな変な行動をする貴族への不信感だろうか。なら、続きを話した方が良いだろう。
「そうしたら、『知ってるわよ、何せ本人だからね。逃げているだけだわ。』って答えられて。一瞬信じられなかったけれど、その頭の上に輝くティアラが、王女の証とするものだったから。驚いて、そのまま走り去ろうとする彼女を追いかけたんだ。」
「……。」
「勿論、王女がいなくなったって事で、城中が大騒ぎになって。中には、王女を早くに見つけ出して、誘拐してやろう、なんていう輩までいた。そしてそんな奴らが、ちょうどその王女を名乗る子に遭遇して。」
「……。」
「取り敢えず、事が事だったから、その場に駆け出して、彼女を木が多い方のエリアに引っ張って行った。それで何とか撒けたら、彼女に城がいかに窮屈かを相談してきて。なんだか、その暗い顔を見ているのが嫌だったから、『大丈夫、俺が救ってみせる』なんて、凄くマセたことを言ったんだ。」
「……。」
ああ、そうだ。
その時の、彼女の顔が忘れられない。
「『じゃあきっと、私の幸せを見つけてね』って、照れているような、恐らくその子本来の、優しい顔で笑ったんだ。その笑顔が、忘れられなくて。昔はよく思い出しては彼女の事ばかり考えていた。だからそれは……覚えている。」
「……。」
途中からずっと黙り込んでいる子供が不思議で、ふとそちらを見る。
何故だか顔をしかめ、何かを耐えているような様子だった。
しばらくそのまま眺め続けていると、やっとこちらに気づいたのか、少し苦笑しながらこちらに顔を向けて来る。
そしてそのまま真顔になり、何か悩んでいるようなそぶりを見せながら、また顔を戻したので、それに習い、俺もまた何処か空虚な場所に視線を向ける。
「……そう言うの、良いと思うよ。騎士みたいだね。私の好みのタイプだ。」
「そうか。」
「うん……。そうだ、君の話を聞いてやったんだ。私の話も聞いてはくれないかい?」
「良いが。」
答えると、「そう言ってくれると思ったよ」と、口調のくせに何処か弾んでいない声を出して、話を始める準備をするように、「んんっ」と咳ばらいを着いた後、「これはもう、10年も前の話なんだけど。」と、語り始めた。
にしても、7歳位だと思っていたが、違っていたのか。
「婚約者がいたんだ。騎士を志しながらも、支配する側の人間のような……不思議な奴だったよ。」
「……あべこべだな。」
「うん、あべこべ。でもだからこそ気に入っていた。彼を支え、また、支えられたいと強く願っていたよ。だけど父上は言った。『支配する側の人間なんて、国に一人で十分だ』と。私は、支配しなければいけない人間だったから。彼と結ばれるわけには、行かなかった。だから私は、彼を諦めた。」
随分、簡単だなと思う。
そう言う物は、情が残って上手く行かないのではないのだろうか。
確かに必要な話だし、理性的で良いものだと思う。だが、そんな簡単に、諦められるものだろうか。
だが、それも普通の一つであるのかもしれないと、思う。
「その後、どうしたらこの厳しい世界で生き残りながら、彼との婚約を破棄できるか考えたよ。彼は私をあきらめるつもりはないように思えたから、協力はすべきじゃなかった。でも、自分から婚約を破棄したら、彼の方が有利な状況になる。だから私は、彼から婚約を破棄してもらおうと思ったんだよ。」
「……すごいな。」
「うん。私も、自分がこんなに非道になれるだなんて思わなかったよ。魅了系魔法を使える子供を探して、怪しい動きをする男爵家に育てさせて……婚約者にその魔法をかけるように仕向けた。彼は剣術ばかり極めていたから、魔法耐性は無く。簡単に、魔法にかかった。」
「……。」
「彼は、無事私との婚約を破棄したよ。それどころか、スムーズに男爵家の令嬢と結婚できるように、私に暗殺者まで送ったんだ。結果……。」
その後は、言われるまでも無く分かった。
子供がそんなにも非道なことをできるとは正直思えなかったけれど、その瞳は、どうやら本当だと物語っているようだった。
あまりにも、泣きそうな顔をしていたから。
「私は、彼の弟と改めて婚約した。彼はまるで王子様みたいな人だった。『君を幸せにする』なんて、気障なことを言った。彼と婚約して、私は本当に幸せになった。本当に、幸せで。でも、私は……。」
「……。」
「なぁ、もう一度願うよ。私の幸せを……。」
「……本当は魅了魔法なんて伝説でしかなくて、自分自身に暗示をかけていただけ、なんて言ったら……どうする?」
「え。」
「……冗談だ。」
初恋なんて、もう忘れたつもりで居たと言うのに。
こう最後になると、諦めたはずの少しの憎しみが零れてしまう。結局こちら側を選んだのは、俺だったのに。
「女王陛下ー!死刑囚にどんだけ時間かけてるんですかー!」
ここには似合わない、高そうな洋服を纏った男がこちらへかけてくる。きっと子供の部下だろう。
でも、子供は複雑そうな顔をしながら、無視を決め込んで、そのままこちらに声を掛けてくる。
「……探し物をしているんだろう?手伝おうか。」
「いや、いい。もう見つかっている。何を探していたか、ちゃんと思い出せたからな。」
「……そう、か。」
「……もう、弟が見つけて、君に渡してくれた。」
そう言うと、目を見開かれる。その目からは、今にも涙がこぼれそうだった。
「……すまなかったよ!君に全ての罪を、押し付けた……、でも、」
「謝らないでくれ、一国の主だろう。元々、君にこの命をささげると誓ったのは俺だ。今更何も言わない。それに、俺では君を支える事が出来なかっただろう。俺はあくまで支配する側のタイプ。そんな者が二人も国に必要無い。事実なんだ……愚かだったのは、俺一人で良い。」
「すまない……すまない。どうか、」
「きっと君はもう、幸せだ。」
必要な犠牲だった、分かっていた。愛していたから、受け入れた。
きっと、そんな簡単な物じゃ無いんだ。言いようのない何かが、彼女の考えに従いたいと思った。
愛なんて言葉じゃきっと言い表せない位、重たくて気持ち悪い何かが、俺を従わせた。
だから、それに従いたいと思ってしまった俺が、俺だけが、この世界で愚かなのだろうな。
彼女にもう、本当の幸せを見つけてあげられない俺が、俺が……。
「そっか。」
「ああ。」
それに弟はすごくいい奴だったから、きっと君を幸せにしてくれる。
これこそ本当に来るべきだった結末なのだから。
「陛下!……って、その者は……。」
「……良い。行くぞ。だから呼びに来たのだろう。」
「は、はいっ!えっと……お前!早く来い!」
強く言葉を投げかけられ、久方ぶりに地面を踏む。
最初は歩く感覚を思い出せなかったが、少し経つと慣れていく。
その後少しぼんやりしていると、暗い場所から急に明るいところに背を押され、その眩しさに思わず目をつむる。
どうやら俺の番が来たようだ。
投げられた沢山の石を眺めながら、そっと子供の方を見る。
その姿はもう、決して子供ではなかった。煌びやかな着物はまるで一等品。国を治めるくらいの人間でないと、着れないものだろう。
そして、ずっとずっと上の方で、側近達に守られている。
……頭の上で輝く王冠が、美しい。
あたまを乱暴に掴まれ、何かに固定される。
少しだけ付けられた刃は首の薄皮を切って、キリキリと痛んだ。体にゾワリとした感覚が走り、死への恐怖が沸き上がる……けれど。
それでもその感覚が麻痺しそうな位、想ってしまう顔がある。
……ああ、そうだよ。
今でも、思い出すことがある。
あの子供に似た、優しい、少女の笑顔を。
10年については、裁判とかなんやかんやありました。