表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

忖度文化は日本語によるものかも

作者: 明日香狂香

 クリスマスのイルミネーションは点滅するから美しいと感じる。しかし、お寺では明かりを点滅させることはない。仏教では明かりは主に命や道しるべを意味している。


 同じ明かりなのに、日本人はどちらも違和感を感じない。そう考えた時、日本人は状況によって無意識に意味を変えているといわざるをえない。なぜ、そんな器用なことができるのか。おそらく、日本語の同音異義語の多さに由来しているのではないだろうか。


 日本語では同じ発音の後でも、話の内容によって意味を的確に捉える必要がある。

「今日はアメじゃなっかった。」

 天気の話の中では雨だし、お菓子の話だったら飴だとわかる。地域によってイントネーションは若干ことなるが、ほかにも「カシを作る。」と言えば菓子や歌詞、貸しなんて候補もある。


 話によって相手も言葉の意味を察する。つまり、忖度そのものだ。つまり、日本人に忖度するなというのは酷なことなのかもしれない。なので、記録を残すことが重要になるだろう。


 日本の貴族や武士はかつては記録をよく残していた。いつから記録を残さない国になってしまったのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ