表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/4

第2話 「逃走の果てに」

 ルクスとジローは管理人の追跡から森に入ることで逃れた。二人ははげた地面に腰を下ろしていた。周囲は腰ほどの背丈の草木が茂り、木々が頭上を覆う。森は鬱蒼としていて星々の光を通さない。中は一層暗かった。


「お前はこれからどうするんだ」ジローはルクスに問うた。


「故郷の村に帰るよ。ジローは?」


「俺をだました奴に復讐する。あいつら俺が何も知らないのをいいことに好き勝手しやがったんだ。持ってたもんも売り払われちまったんだろうな」


ルクスは驚いた顔をした。ジローはルクスに弱ったような笑みを見せた。


「俺は出稼ぎに隣町から商業都市エクサスに来てたんだ。そこで連中にあったんだがな。まさか騙されて奴隷にされるとは思わなかった」


 ジローは立ち上がった。


「ここでお別れのようだな。お前と合えてよかったよ。さてと、一旦故郷の町に戻って出直すか」


 ジローは挨拶をしてその場を離れようとした。その時四方の茂みから葉擦れの音が聞こえた。まがまがしい黒い(もや)が流れてきた。


「囲まれている」ルクスが言った。


「なんてことだ。せっかく自由になったところで」


 二人は身をかがめ周囲を警戒する。


「この音は管理人たちのか?」


「それにしては雰囲気が違う。ジロー気を付けて。嫌な予感がする」


 茂みの陰からぬっとあらわれたのは狼だった。


「嘘だろ」ジローは声を震わせる。


 狼は次々と現れた。ルクスとジローはたちまち狼の群れに囲まれてしまった。


 狼は舌なめずりをした。体毛は灰色でふさふさと生え、鋭い爪は森のわずかな光を誇張して照り返した。狼の鋭い視線の針山はルクスとジローを突き刺した。一歩二歩、じりじりと距離を詰める。二人の目の前には、群れの(おさ)だろうかひときわ大きい狼がいた。


 二人は打開策を求めて周囲に視線を走らせた。夜空を覆う樹木。狼とその背後にある茂み。草木に覆われておらず土がむき出しになっている地面。


 何もない。


 ジローは自棄になりそこら辺に落ちていた小石を蹴飛ばした。幸運にも小石は長らしい一匹の狼の目に当たった。悲鳴があがる。狼の群れに動揺が走った。今にも襲い掛からんとするものや長の方に振り向くものなど、狼がバラバラな行動をとり、一瞬群れの統率が乱れた。


 網目のように張り巡らされていた黒い靄。狼たちの結束する意思を表す靄に亀裂が走る。


「今だ。走れ」


 ルクスはそう言うと群れが作る靄の亀裂に走りこんだ。ジローも後に続く。二人は狼の垣を食い破るように進んだ。狼とすれ違う。手を伸ばせば狼に当たるほど近い。より鮮明に狼の顔が見えた。むき出しの牙。鋭い双眸。


 二人は狼の群れから抜け出し、駆ける。茂みの中に入り込んで走る。葉擦れの音とともに。


 「こっちはさっき来た道じゃないか」ジローは言った。


 ルクスは前方の光景に人の腕の形をした黒い靄が漂うのが見えた。さっきの管理人のものか? 目の前には管理人がいるのか? まだ自分たちを探している?


 二人は背後から追いかけてくる気配を感じた。立ち止まることはできない。きっと狼が追いかけて来ているのだろう。


 ジローは泣き笑いになって言った。


「挟まれるのは、是非ともうら若き娘であってほしいよ」


 二人はそのまま走っていると管理人たちと出くわした。


「お前ら見つけたぞ。逃しはしないからな」


 管理人が二人の方へ向かってきた。


 二人は観念した。ジローは天を仰いだ。空は木々に覆われていた。生い茂る枝葉はきらめく星々を覆い隠す。ルクスは目を閉じた。瞼の裏には家族との思い出がよみがえる。父親との畑仕事。母親との家事仕事。小さな弟の世話。その瞬間瞬間の静止画がルクスのそばを通り過ぎてゆく。もう一度家族と元の生活をしたい。取り戻したいのに。ただそれだけだった。どこで選択を間違えたのか。商業都市から出ようとしたとき? 商人から逃げ出したとき? 身を売ったとき?


 絶望の瞬間。


 ……しかし待てども待てどもその瞬間は訪れない。ルクスは不審に思い目を開けた。風景から色が抜け落ちていた。管理人たちは必死でこちらに向かっている。その駆けだす姿は凍ったように止まっていた。後ろを向いた。狼が飛び上がり今にもルクスの首を噛みつかんとしている。その狼は空中で縫い留められたかのように静止していた。ジローに振り向く。ジローは銅像のように上を見上げ固まっていた。


 ルクスは驚いた。目をしばたたかせる。しばらくして頭の中で声が聞こえた。少女の声だった。ルクスは混乱した。なぜ時が止まり、頭の中で声がするのか。超常が起こった現実の前にルクスはただ立ち尽くすことしかできない。


『面白い人たちね、あなたたち。特に君は見えてるんでしょ』


 誰の声なのだろうかとルクスは思った。頭の中の声は答えた。


『私はあなたの救世主といったところかしら。ねぇ取引しない?』


『どういうこと? 取引って?』ルクスは頭の中で答えた。


『助かりたくない?』


『もちろんそうだけど』


『じゃあ話は簡単。あなたたちの主人を殺してほしいの』


『僕たちにそんな力ないよ。今だってこうして何もできずに居るんじゃないか』


『力ならいくらでもあげられるわ。で、どうするの引き受けてくれるの?』


 ルクスは後のことは何も考えられなかった。この状況を打開できるのなら。生きて家族ともう一度合いたい。その一心だけだった。


『引き受けるよ。力がもらえるなら。 今この状況を覆せるのなら!』ルクスは答えた。


『よろしい。ではあなたに力を与えましょう。かわりにあなたの主人を殺してね。取引を破ったら生きてはいられないと思っていてね。』


 その時だった。頭の中が強く揺さぶられる感覚に襲われた。頭の中に少女の声とは違う、硬質で性を感じられない声が響いた。


『体内魔石に加工術を適用します。陰陽術式12式、15式、98式を転写します。転写完了。五行術式を1式から56式までを転写します。転写完了。術式展開、翻訳完了』


 頭に強い衝撃が走った。その場にうずくまる。


『それじゃあね。取引忘れないでよ~』


 少女の声が遠ざかるように小さくなった。風景に色が戻る。現実感が急速に取り戻された。管理人の怒号。狼の駆ける音が背後から迫ってくる。


 少年は周囲を見回した。その光景は相変わらず絶望を表現していた。前に立ちはだかる管理人。かみ殺さんと追いかけてくる狼。しかし文字列の形を成した黒い靄が浮かび上がっていることを除いて。


 ルクスは手元にあるその文字列の靄にふれた。現実を一変させる期待。謎の少女からもらい受けたという力。ルクスは文字列を指でなぞった。懐かしい感じがした。人が初めて本能に従い産声を上げるような。自然で生まれつき備わった本能が沸き立つような。


 黒い靄はしぶきを上げた。生まれて初めて見る力強さに驚く。瞬間、土杭が後方にせり上がり狼たちの腹を突き破った。撒き散る臓物。悲鳴。束の間、管理人と二人の間に巨大な土の壁ができた。何者をも寄せ付けない厳かさを持ち、佇む長城。目の前いっぱいに広がった。


 ジローはしりもちをついていた。ルクスを見やる。


「どうなってんだよ、これ。こんな力を俺に隠してたのか? 冗談きついぜ」


「ジロー、女の子の声が聞こえなかったかい。僕にこの力をくれたんだ」


「俺はそんな奴知らねぇよ」


 ルクスは考え込んだ。今の状況の変化は謎の少女が自分に力を貸してくれたおかげだ。この魔法は彼女が自分に何かしたに違いない。となると……。


――23:59:53


 視界の端に数字の列が浮かんでいるのが見えた。靄とは違う。はっきりと輪郭を持っている。徐々に減っていく。もしかしたら取引の制限時間なのか。視界を揺さぶっても同じ場所にとどまろうとする。本当に殺さないといけないのか。主を。主を殺さずにこれが0になれば自分はどうなってしまうのだろうか。


 安全な身になって深く後悔した。しかしあの事態で助かるには取引を交わすしかなかった。そう自分に納得させたルクスはジローを見た。ジローは驚愕なあまり顔を白くさせていた。後ろを見れば狼の屍が少なくとも10いくつは転がっているに違いない。人一人が、それも丸腰の人間が行うには驚異的だと表現するのが適するだろう。


「その女の子ってやつはお前になんて言ったんだ。その力で愚かな俺たちの主を破滅させなさいとでも言ったのか」ジローは目に恐怖を浮かべ、しかしそれを悟られまいと気丈に軽口を叩こうとする。ルクスは困ったような笑みを浮かべ答えた。


「そのとおりだよ」


 ジローは凍り付いた。


お読みいただきありがとうございます。よろしければ評価・感想を頂きたいです。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ