恋文
こういうことは、おそらく現実にあるだろうな、と想像しながら書いていました。
「この手紙を姉様が読むのは、ガリアへの旅の途中だと思います。ガリアの地はカエサル様に平定されたとはいえ、まだローマに従わぬ蛮族もいると聞きます。帝国の紋章に逆らう愚かな者に対しては、アーレニウス達が万全の備えをしているとは思いますが、道中ご無事でありますよう。心を込めて、貴女を愛する妹であるエメリア・クインタより」
「ガリアとの境にある大きな川を渡ったところにある野営地で、この手紙を書いています。愛するクインタよ、貴女が度々送ってくれる手紙に私はどれだけ励まされたことでしょう。帝国の威光は、フランクの部族達にも及んでおり、幸いなことに街道を行く限り、危険は少ないとのことです(アーレニウスは油断してはならないと言っておりますが)。この地の気候はローマより寒冷です。土着の民達は、獣の革でできた服を日常的に纏っており、すれ違うと獣の臭いがします。こんな小さなことでも貴女と過ごしたローマの生活が懐かしくなります。どうか御健勝でありますよう。貴女の最も近しい家族であるエメリア・セクンダより」
「姉様からの便りが途絶えてから、もう半年が過ぎようとしています。この手紙は姉様に届くのでしょうか。アーレニウスからも父君に連絡はなく、スエビ族の反乱があったことを知り心配で夜も眠れません。女である私が一人でガリアに旅をすることなどできるはずもなく、ただただ姉様の無事を神々に祈るばかりです。ひと言でも良いので、姉様が無事であることを知らせてください。貴女を愛するエメリア・クインタより」
「領地での反乱で姉様が行方知れずになっていることを知ってから、もう7年が経ちました。スエビ族やトレウェリ族との戦いで、アーレニウスが亡くなったと聞きました。でも私は姉様がまだ生きていらっしゃると信じて、この手紙を送ります。そして春の訪れを待ってから、一月後には私もガリアの地へと向かいます。愛する姉様を探し出すために、もう一度、姉様に抱きしめてもらうために。貴女を心から愛するエメリア・クインタより」
昨日まで隣人として過ごしてきた者同士が殺し合うという、後に近代国家で最悪の内戦と呼ばれたユーゴスラビア紛争が始まったのは1990年のことだった。もともと多民族国家であり、決して仲の良くなかった民族同士を一つの国にまとめていたのは、故チトー大統領のカリスマ性と、社会主義国家としての締め付けによるものだった。そのたがが外れたとき、歴史的に対立を繰り返してきたセルビア人とクロアチア人が殺し合いを始めたのは必然ではあっただろう。しかしその結果は想像を絶する悲惨なものとなった。民族が違うというだけで、宗教が異なるというだけで無差別殺人の標的となった。
ミハイロヴィッチは、スコルピオニ(民兵組織)で狙撃兵としての訓練を受けた。サラエボのチトー元帥通りに面した7階建ての古ぼけたビルの窓から彼はスコープ(照準器)を、クロアチア防衛軍の兵士と思われる一人の男に合わせた。一瞬、その男の顔がこちらを向いたとき、驚きのあまりミハイロビッチは声を上げた。俺は彼を知っている、彼は私の姉様だ。愛しい姉様を私は殺そうとしていた。いくつもの生を繰り返し、ようやく会えた姉様がまさか私の敵だとは。呆然としてスコープから目を離した刹那、その男の頭の半分が吹き飛びミハイロビッチの視界から消えた。仲間の別の狙撃兵からの銃撃が姉様の命を私の目の前で奪った。ミハイロビッチは絶叫して立ち上がったが、それはクロアチア防衛軍の狙撃兵にとってまたとないチャンスだった。次の瞬間、ミハイロビッチの心臓付近を数発の弾丸が貫き、ミハイロビッチは即死した。やっと姉様と会えたという記憶だけを魂に刻んで。
今生において私はそれまでの記憶をすべて保ったまま極東の国で生まれ育った。愛する姉様のこと、行方知れずになった姉様を探しにガリアの地に赴いたこと、そこで病に倒れて死んだこと。ロシアの貧農の娘として生まれ死んでいったこと、南米の富豪の息子として何不自由なく育ったこと、そして前回、姉様を目の前で殺されたこと、すべて覚えていた。私は二重の命を生きてきた。日本という平和な国の中の中流家庭でその一人娘として生まれ育った命と、いくつもの輪廻転生を繰り返し姉様の魂を求め続けてきた命。
私は信じている、必ず愛する姉様とまた会えることを。学校への登下校の電車でも姉の魂を探す。新宿の雑踏を友人と歩いているときも、魂のセンサーは最大感度を保ったまま。高校を卒業して大学に進学したらバックパッカーになろうと私は決心していた。世界中を旅して今度こそは愛する姉様を見つけ出して抱きしめてもらい一緒に暮らすのだ、いつまでも。
楽しんでいただけたなら幸いです。2000文字以内の悲恋シリーズ第二弾です。