第二話 アブゾルフ -3-
「っせいっ!」
ナイフを持った右腕を全力で振り下ろす。
そして、途中で手を開きナイフを投擲する。ナイフは茂みを突き進み、やがて見えなくなった。
「え?」
ナイフが遠くに落ちた音が響いた途端に彼女が顔を上げる。小さな口をぽかんと大きく開けていて、そこから覗く小さな牙と細く長い舌が可愛らしい。
そして彼女が顔を見上げたので、素早くしゃがんで彼女と目線を合わせる。
「あれっしょ。俺がナイフで刺すと思ったんでしょ」
彼女の目の前で両手を開いて振る。敵意はありません、という意思表示だ。
「え? え?」
どうやら彼女は混乱をしているようだ。俺の手元と、顔とを何度も目で確認している。
「なんとなくなんだけどさ、俺がナイフで刺すと思ったんでしょ」
もう一度彼女に確認をする。
「違う……の?」
つぶらな瞳は涙で潤み、か細い声は更に消えそうで、華奢な肩は震えていて。思わず彼女に大丈夫だと言い抱き寄せたくなる。
が、そうできるほど俺と彼女はまだ親しくはないと思っているから、自戒する。
「当たり前じゃん。むしろ俺の方が約束を破りましたねって叩かれるかと思ったよ」
しゃがんでいるのも億劫になったので地面にどかりと座り込む。
「なんで……? なんで刺さないの?」
「だって、友達だし」
「でも、僕は人間じゃないんだ! 魔物なんだよ!」
彼女が声を荒げる。未だに肩の震えは止まっておらず、彼女がかつて経験した恐怖の深さを覗かせている。
「友達に魔物だとか人間だとか関係なくないかな」
「関係あるよ、大ありだよ! 人間は魔物だと見ると襲うじゃん!」
「あー、確かに。それもそうだ。俺もそうだし」
否定はできなかった。確かにそうだ。俺もそうやって生きてきた。
「だから! だから君も僕を殺すんだと思ったんだ。それなのになんで!」
「言うのめっちゃ恥ずかしいんだけどいいの、本当に」
「わからないから訊いてるんだよ、教えてよ! なんで君はナイフを捨てたの! 僕という魔物を前にして!」
そんなことを訊かれても、俺の答えは1つだった。
「友達にさ、ナイフは向けないよね。それだけだよ」
「それだけ……?」
俺の答えに彼女はどうやら呆気にとられているようで、肩の震えは止まっていた。
「いや、だってそれしかないっしょ」
「でも僕は魔物で、君は人間で!」
「だけど仲良く過ごせてたじゃん、俺達さ」
「それはっ……確かにそうだけども!」
「だったら友達でよくない? 君もそう思うっしょ」
「とにかくさ、魔物だから、とか人間だから、とかじゃなくてさ」
「さっきも言ったけど俺、友達は刺さないんだ。だから安心してよ」
できうる限り最大の、人懐こさを全面に押し出した笑顔を見せた。