クラス転移という名の貧乏籤
格調高くも簡素な一室にて、一人の少女が執務椅子に腰掛けて悩まし気にため息をついていた。彼女はこめかみに色白で細い己が手を添えると、ちらりと執務机に目を向けて眉間に微かに皺を寄せ、また一つため息をつく。
執務机には、書類の束が山ほど積まれていた。
それはどれもこれも報告書の類や問題発生における案件、新事業におけるモノで、齢十五の少女には荷が重いモノばかりといえる。
だが、少女――ヴェルダリア帝国第三王女であるソフィアにはそのような言い訳は求められてはいない。王族である彼女にとって王より初めて与えられた簡単な仕事は是が非でもなくそれなりに完遂させなくてはならない。少なくとも実力主義、能力主義を重んじる帝国では、自分に与えられた仕事をこなせなければ無能の烙印を押される。王族としての責務も能力も低いともなれば、その先に待ち受けるのは旧来の道具としての王女の役割しかない。ソフィアとしてはその程度の覚悟はあるつもりではあるが、しかし姉も兄も自分以上の仕事をこなし、帝国に寄与している以上、自分だけ怠けるなどという選択肢はない。
だからこそ、与えられた仕事――ソフィア程度でも可能で、重要度が低い仕事をこなそうと努力している。必要以上に成果を出そうとしている。そしてその頑張りは当然努力に比例して上向きではあった。
当然の成果で。
必然の成功。
ソフィアに与えられた仕事は、王族がする仕事の中では簡単なもので、かつ重要度の低い仕事。他人に受けが良さそうな笑顔を貼り付け、接待し、得られた情報を上から下へと流すような、そんな誰にでもできる仕事であった。
もっとも、楽な仕事が楽であるという保証はない。
むしろ、楽ではあれどただただ厄介だけなケースというのはいくらでも存在する。
それが、彼女の目の前――山のように積まれた中から厳選されたように数枚の報告書となって広げられていた。
ソフィアは、目を細めるようにその報告書の数々を見ると、諦めるようにまたため息をついた。
「折衝、になるのでしょうが――これは最早貧乏籤の類だと思います」
ソフィアに与えられた仕事。
それは検証実験の指揮及び結果報告とその後の過程報告及び成果物の掌握で、誰でも可能で、簡単な仕事。
当然彼女は、前者を多少の問題程度で無難にこなし、後者を一定以上求められた成果を挙げている。問題という問題は何一つとしてないが、しかしそんな仕事でも彼女が気疲れするほどの誤算はあった。
検証実験。
膨大な魔力の塊たる触媒を使って、漂流物を無理やり召喚するという大規模魔術の試運転。
色々な条件と様々な微調整がなされたその実験は、想定通り『人』という漂流物を掴んで引っこ抜き、指定の場所に召喚としてみせた。様々な微調整や条件は及第点レベルの成果を上げ、検証実験としては問題はなかったのだが、しかしそれでも想定外の事は起こり得るものであった。
強度。
年齢。
人数。
知識。
前者はある程度条件付けしていたため、多少の不具合は強要範囲内である。
だが、後者は少々想定外過ぎた。
人数は男女合わせて三十一名であり、知識は齢と職の割には有用なモノはほぼなかった。それゆえ、検証実験において期待されていたモノを得られなかったせいで此度の実験は割の合わない失敗と評価されている。彼ら彼女らが身に付けていた携帯電話やアクセサリ、菓子の類や雑貨等で多少は評価を取り戻せたものの、それでも実験の概要と結果を鑑みれば微々たるものである。上の判断は妥当である。割に合わない検証実験をそのまま凍結されなかっただけマシで、御の字というモノであった。
もっとも、ソフィア個人としては微妙な顔つきにならざるを得なかったが。
男女合わせて三十一名。
彼ら彼女らは齢十七の学徒であり、親に扶養される立場にある『子供』であった。
それゆえ、精神は未熟で、発展途上。
大人の考え方が出来ず、浅慮な言動をしがちである。
正直、満十五歳で成人となるこの世界では信じられない事である。
何よりも二十二や二十四になっても勉学に身をやつし、扶養される立場を維持しているとの事。そしてそれらの勉学は社会に出たとしてもあまり意味をなさないという事である。それらの情報を聞いた時、ソフィアはとても困惑したものだった。
まあ、彼ら彼女らの文化や文化水準を知るにつれて多少理解を深めはしたものの、文化的には大きく隔たりをみせ、呆れるモノばかりであったのは言うまでもないが。
兎角、そのような事もあり、彼ら彼女らの知識は穴開きだらけであまり役に立たず、浅慮な言動が目立つ『子供』であった。彼ら彼女を指導する『大人』である教師も多少の教養と処世術はあれど、知識面では『子供』達と変わらない。少なくとも求められていた専門的な知識は期待できるものではなかった。彼ら彼女らの価値観や文化風習、科学技術、世界はとても興味深くはあれど、利益に適わなければ意味がない。科学の結晶を再現できなければ、説明できなければ意味がないのである。
勿論、彼らの世界観は大いに益のある情報であった。
魔法を介さない科学技術は国を豊かにするであろうが、しかし原理があやふやで、かつ現状でも可能な科学技術とやらは魔導具等で代替可能――いや、すでに日常的に溶け込んでいるモノばかりでもある。彼ら彼女らの言う利便性と発想は既にこちらの世界でも通っていたし、ある程度改善していた。彼ら彼女らの言う文化等の向上は、『敵』を排除してこそ生まれる余裕である。
少なくとも、敵性生物がいる以上、兵器の技術に重きをおくのは仕方なく、生活面が二の次にはなるのは致し方ない。そして、この世界は、漂流物が落ちる世界――彼ら彼女らの技術が『最上』というわけではないのである。
だからこそ、失敗であり、貧乏籤。
少なくとも我儘を言ったり問題を起こし続けたりする『子供』の対応など誰も進んでしたがる者はいない。酔狂な者でさえ三日として飽きるレベルである。失敗だから返品したい、そう願う者は少なからずいるに違いない。
ソフィアは、深くため息をついた。
「……実験は、検証結果を緻密に考察し、さらなる想定をして条件付けしなくてはなりませんね」
人型の大きさ程度、知性体、勇者級以下の強さ、意思翻訳の刻印魔術――検証実験の条件付けは以上であった。それらは全て必須の条件で、それ以上はさらに複雑になり、実験そのもの失敗と条件破綻に繋がる。ある程度シンプルにしなければ成功が見込めなくなる。
だが、あまりにもシンプル過ぎるというのも良くないのかもしれない。
少なくとも運要素を排除できる程度に至らなければ技術として成り立たず、また割には合わないだろう。魔力とは、それだけ貴重な資源だから。
「…………」
ソフィアは、報告書をぺらりぺらりと捲りながら目を通す。
思えば検証実験より一月ほど経っている。
三十一名の漂流物――いや、ここでは彼ら彼女らの言葉を使うのであれば『召喚者』だの『勇者』だのになるのだが、あの時と比べれば多少の落ち着きを見せ始めてもいるのかもしれない。少なくとも、文化風習や『理解し難い言葉』の擦り合わせはそれなりにしている。こちらの風習や法についても相互理解を深めたと言ってもいいぐらいだろう。おかげで新たな問題も出てきてはいるものの、『勇者派』や『即帰りたい派』といったグループも落ち着いてきている。きっとこれは彼ら彼女らを漂流物ではなく、『召喚者』という客人扱いにしたことが徐々に功を奏してきたに違いない。あの頃の自分――純粋で無垢で、王族としての初仕事で期待と不安に満ち溢れていた自分の我儘(無理やり引っ張てきたという引け目に駆られての待遇要請)の最大の功績である。
もっとも、許可が下りたのは、それなりの理由はあるだろうが。
少なくとも彼ら彼女らの中に準勇者級や銀等級の冒険者並が半数以上いるのである、友好的な関係を築くのは当たり前だろう。それに、秘密裏の実験を大々的に公表するのもどうかというものだ。そういう意味では、漂流物扱いするのも憚れるだろう。
兎角、これからも色々と付き合わなくてはならない。
敵対よりも友好を。
それが価値があまりない彼ら彼女らだとしても、実験を行ったのはこちらなのである。少なからず独り立ちできる程度の保護はしなくてはならない。
ソフィアは、頭痛がしたかのように悩まし気にため息をつく。
「……彼らの言う魔王退治とやらを実践させてみせましょうか? 特に必要はありませんが、実験等には魔石――魔力が必要ですし」
実験にはお金がかかります。
大きく必要なのは魔力です。
それはとても価値ある資源で、彼ら彼女らが集めなくてはいけない資源。
すでに魔石集めは焚き付けてはいるものの、我儘な『子供』達にはそれをあまり理解していない。
無い袖は振れないように、問題を起こし続けている彼ら彼女らを優先的に配慮することは出来ない。
彼ら彼女らも『帰りたい』と願うのであれば、結局のところ協力するしかないのである。何より、これ以上軟禁のような生活していても不平不満しか溜まらないでしょうから。
「働かざる者食うべからずと言いますし、そろそろ穀潰しにならぬよう頑張って――いえ、遊んでもらいましょうか」
ふう、と息をつく。
ソフィアは自然と天井を仰ぎ見て『年上の子供達』について思いを寄せた。






