3.雨……憂鬱な日
気鬱な日が始まります。
雨。ここ数日、止むことなく降り続いている。
ドンヨリと重い空模様が続く梅雨、あるいは秋雨と呼ばれる雨季。この様な日に此処に詣でる者は減る。……数は減る。
ここに来て縁切りを望む――つまり、負の事柄との決別を望む。それはおそらく、明るい未来を希求するために。……ならば、気が重くなる様な、こんな雨の日など選ぶ気になれないことだろう。
それは凡そ間違いないことらしい。
参拝者が減っても、この様な重苦しい雰囲気だからこそ、それはそれは絶体絶命だの、悲壮、物悲しい決意を抱いて来ることが多い。
なぜだろう。
天候の悪条件を乗り越えてやって来たからか、願いがヒドイから重苦しい日に来るのか、あるいは出来る限り人に見つかることないよう密やかに参拝するほど後ろめたい望みからなのか……。
ともかく、こういう日に奉じられる願いは凡そ、やるせなく、憂鬱で、重苦しい。切る対象の縁は重く、硬く、普通なら切ることを望むはずがないモノが多い。
かつて、私がそうだった。……自らが抱えた願いと近いモノを見なければならない。だから、天気が悪い日は嫌だ。
そんな憂鬱を予測できていたから、先日までタヌキ寝入り、居留守、ふて寝を決め込んでいた。だから一日の分が少ないとはいえ未処理の絵馬を溜め込みすぎた。
とりあえず、諦めて仕事をしよう。
さて……と。
『兄との縁を切ってください』
そら来た。早速だ。
晴れの日に来るようなものならば、読み取った内容に"茶々を入れる"というべきか、"余計な世話を焼く"という様な独り言をたれる気に成れる。願いが前を向いているからだろう。
だが、前を向くためとはいえ、重要な縁である身内を切る願いに対して、どのように差し挟めるだろう。どうすればいいか。未だ答えは出ない。
気鬱だ。
そんな言葉くらいしか出ない。ともかく端末を操作して、送信する。
今の私が映る鏡が在るならば、どの様な表情をしているだろうか?
きっと、険しく凄みを帯びていることだろう。眼には安らぎだの、温かさなどというものはまったくなく、陰鬱な色を持っているはずだ。
私は今、目をそらしたい願いを見せつけられて腹を立ててしまっている。
遣る瀬無い。
わかっている。追い詰められて、最後に縋るとばかりに此処に来た者達に悪い。同じ様な願いから此処に居ることに成った私には何か言う資格など、無い。
こういったモノを願う者にも、ここに縛られてる読むことになる私にも、救いがない。
生者に聞こえることは無いのだが、少し愚痴ろう。
神社には鏡が奉じられている。カガミからガ……"我"を取り去れば"カミ"になる。
こじつけだ。だが、そういうものだと思う。写った己自身が醜ければ"神"も似たような表情を返す。ここはそういう場所。
死んで此処でこの仕事に就いてから暫くして、そんな考えを持つように成った。
だから、私が不機嫌でも許せ。私の心持ちの言い訳になってる……か。だが、そういうものだと、やはり思う。
そういえば、どこぞの哲学者が近い事を言ってた気がする。『深遠を覗けば、逆に覗かれる』……だったか……。
ともかく、最初に取った絵馬の様に、親、兄弟、姉妹、恋人……。より強い結びつき、あるいは血縁と呼ぶべき領域の縁切りを望む事が、こういう天気の日に多い。
理解できて、慣れているが、さぞ嫌悪感がにじみ出ていることだろう。しかし、仕事そのものは淡々と進めていく。
『親との縁を切ってください』
この程度なら、まだ許せるだろう。やはり好ましいとは思わないが……。身内の悪縁で文字通り悪い影響を受けてるのだ。切りたくもなるだろう。
しかし、コレは……。
あんまりの話なので手が止まってしまった。
『アイツとアノ子の縁を切れ、別れさせろ』
……まったく、なんなんだコレは。嫉妬心はわかるが、それだけ惚れてるのはわかるが、此処でそれを願うのがつくづく解せない。
コレに似たようなモノはそれなりの頻度で来る。来るのがわかってはいても、来る度にやはり不機嫌になり、眉間にシワが寄ったのを自覚する。そのエゴの垂れ流しに腹が立つ。とりあえず、指を額に当てほぐしつつ、もう一度、絵馬を見る。
――却下だ。
出来ることなら、してるだろうが、私の仕事は、願いを受け付けて、奏上するのが役割だから出来ない。
だが、所見をアレコレ書くことは出来るから、書いておくとしよう。望みが叶わないように……。
そもそも、此処では他人の縁は結びつきが強ければ、どうあがいても切るなど出来ない。ここでの縁切りは基本、本人と親しい者に関する繋がりだ。他所はどうしているかは知らない。
他人の縁を切ることが"出来る"と言う神社の担当の者に会ったことがあるが、それと等価に何か悪縁が憑くらしい。
ウチでも、成否に関わらず他人の関係の縁切りを望むと、望んだ者自身の縁が悪くなる。そういう因果が生まれる。ましてや他人をモノ扱いしてるのだから、そのような扱いが己に帰る。これらを仕事として知ってるから、こういう願いはやはり見たくない。
……それに、仮に願いが別れにつながっても、対象の心が絆され、竿され、靡くかわからぬだろう。大概、此処で願っただけ、上手くいかぬものだ。
現し世ではわからないだろう。わからんよなぁ。悪くなった縁を自覚して、切りたくなったら、コイツはそのうちに来るのだろう。……などとと、考えながら、本殿に内容を送信する。
しかし、まぁ……こういうのは此処に居着いて100年を超える時が経っても、いつも来る。
身も蓋もないが、人なんて、1000年以上前に書かれた百人一首や万葉集、古今集。アレらに書かれている恋歌の様に、恋しい。愛しい。などと、それは犬の遠吠えか、発情期の猫がゴロゴロにゃーにゃー言うか……それとあまり変わりがないのだろう。
そもそも人に惚れるってのは、何よりもの暴力で、無敵の行為だ。ただ、それを変な形で実行しようとすれば、それはそれで、こちらに縁切りの願いとして来る。または、現し世の警吏……今は警察……に捕まる。
それを理解っているのだから諦観でもしてしまえば楽なのだろうが、死んでも何かしらの感情を持たずにはいられないようだ。つくづく度し難い。
そうこうと溜まった絵馬を処理していき、いよいよ最後となる絵馬に手を伸ばす。
これは昨夜……それとも今日、私が起きる前か……いずれにせよ私が寝てる時間に書き置かれたのだろう。
――ッ。
久しぶりに背筋に氷柱を差し込まれた様な感覚を味わった。その恐ろしさから、触る直前に思わず手を引っ込めた。これは幾度となく体験しても慣れない。
絵馬に生霊が憑いている。
これは間違いなく半年、頻度が多ければ季節ごとくらいで来るような、絶望的に危険な願いだ。気は乗らないが、それでも仕事だ。恐る恐る絵馬を手に取る。
とりあえず願いを書かれた文面を見て、(――ああ、やはり)と、ため息をつく。
詳しく話を知るために、絵馬に憑いている生霊を呼び起こす。生霊は未だ妙齢と呼ぶべきだろう女性だった。
次は、もっとメランコリになります。
それでも"すっ"っと読ませる様な、文章はどっかに無いものか……。




