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血脈の傀儡 フィオーレ王国戦記  作者: 御崎 仲太郎
はみ出しものの魔導士たち
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神など、いない

 軟禁が始まってから今までの三日間、気だるさで一切ベッドの上から動いていない。

 ずっと、ドロシーや孤児院のことを考えていた。家族や居場所を奪われたのだという憤怒と絶望、そして混乱が渦巻いていた。

 魔導士だという自分。魔導士の中でも、重い意味を持つというその血。そして、自身の紅い瞳に浮かんでいるらしい、聖痕という存在。頭で一旦の整理はついても、どこか他人事のようにすら感じるその事実が重く伸し掛かっている。

 ――一人黙ってじっとしていても、考えることなど多くはない。

 連れてこられた日の夜は、泣き疲れて寝てしまったように記憶している。とはいえ、ベッドに丸まってすすり泣く自分とは裏腹に、冷えていく自分も存在したのだった。

 何かを恨み続けるというのも体力を使う。ここ半日ほどは半ば諦めの境地になり、上体を起こしただけの姿勢でじっと膝を抱え込んで、ただただ時間がすぎるのを待っていた。

 昼の時折聞こえる音に耳を澄ましていると、屋外から聞こえる鳥の音色や木の葉擦れの音が心地よい。

 ふいに、オリヴィアの耳に忙しない軽い足音が飛び込んできた。足音はオリヴィアのいる部屋の前で止まる。

 威勢よく扉を叩く音が響く。

「ねえオリヴィア。そろそろ不貞腐れるの、やめない? 隊長に一言『協力する』って言ったら出られるんだよ。へそ曲げてても損だよ」

 鍵のかかった扉からアルフレッドの良く通る声がする。ドアには食事を入れるための隙間があるために、そこから響いてくるらしい。狭い部屋に反響して、オリヴィアの神経を逆撫でた。ぎり、と奥歯を噛みしめる。

 敢えて丁重に対応する気にはとてもなれないが、かといって無視するのも拗ねた子供のようで癪に思う。オリヴィアは、そのままの姿勢でぶっきらぼうに返事をした。

「断る」

「じゃあさ、せめてご飯くらい食べてよ」

 日に三度、きっちりと運ばれてくる食事には、今まで一切手をつけていない。ただの意地のようなものであるが、食べたいとは思えなかった。

「……断る」

 乱暴に同じ言葉を繰り返す。だが、アルフレッドにはどこ吹く風のようだった。

「そろそろ隊長も、無理矢理食べさせる手段とか考え始めてるんじゃないかなー。死なれるわけにはいかないからさあ」

 調子の良い声で語り続けるアルフレッドも、オリヴィアにとっては気味悪く感じるのみだった。

 力づくで自身を攫ってみせたときの、今とは別人のような冷酷な目が。耳にまとわりつくような声が。躊躇なくその力を振るってみせた手が。ただただ、恐ろしい。

 思い出して、オリヴィアの膝を抱え込む腕に力が篭もる。

「ふーん……これで結構僕も心配してるんだけどねえ。おんなじ直系同士だし、年も近いしー。……まあいいや。退屈してるでしょ、暇つぶしに本でも持ってこようか。ここ、結構色々あるんだよ。建物の元の持ち主がお金持ちだったみたいだねえ」

 ここまで気にも留めていなかったが、こんな山奥に建物がある事自体が不思議な話だ。

 だが、オリヴィアは複雑な気持ちになる。

「いや、……いい」

「退屈でしょ? 堅苦しいのばっかりじゃなくて、小説とかもあるし」

 尚も勧めるアルフレッドに、オリヴィアは唇を小さく噛んだ。

「私は文字が読めないんだ。だから、要らない」

「……えっ?」

 扉の奥には、驚きの張り付いた顔があることだろう。そんな声でアルフレッドに聞き返されて、憂鬱な気分になる。オリヴィアは軽くため息をついた。

「私みたいな育ちをしていれば、文字に触れる機会なんてない。珍しくもないと思うが」

「そっか。……また今度昔の話を聞かせてよ。掃除当番から逃げてきたから、そろそろ隊長に見つかる頃――」

「アルフレッド」

 遠くの方からあの男の低い声がした。続いてアルフレッドのぎゃっという悲鳴が聞こえてきたかと思うと、大慌てで走り去ってゆく。

 その代わりに近づいてくる控えめな足音に、オリヴィアは身構える。扉の目の前で止まった音に、内心で舌を打った。

 当然ながら、男――レナードに対して、良い印象など少しも持ち合わせてはいなかった。

 三日前と同じようにきっちりと扉を打つ音が聞こえてくる――オリヴィアの返事も待たずに、解錠音が響く。

 扉が軋みながら開いた。

 続いて現れたレナードは一瞥もくれずに、オリヴィアは目を伏せる。

「おい。こちらを向け」

 レナードは真っ直ぐにオリヴィアの元へ歩いてくると、その頭を乱暴に掴んで男の方へ向けさせる。突然首を予想しない方へと向けられて、オリヴィアは反射的に手を払った。

「放せ、触るな」

 鼻先で笑うようにレナードは吐き捨てる。

「三日も食事に手を付けていないと聞いたが。人を睨む元気はあるようだな」

 悔しさに唇を噛んだオリヴィアは、睨んで人を殺せるならばそうしていただろう、という程の力を込めてレナードをにらみあげていた。男の、オリヴィアよりもっと朱い瞳と目が合う。

 オリヴィアをまじまじと見下ろす男の視線が、彼女の心を一層刺激した。

「まあいい。……そろそろ昼飯の時間なんでな。その様子なら問題ないだろう、食堂へ行くぞ。気分転換にはちょうどいいだろう」

 二の腕を掴まれると、ベッドから強引に引きずり降ろされる。抵抗しようにも、レナードの鍛え上げられた太い腕は、オリヴィアの力程度ではびくともしない。

 歯向かっても身体に擦り傷を作るだけだと判断して、オリヴィアは早々に白旗を上げる。不本意ながら立ち上がると、引きずられるまま足を前に運んだ。

 丸三日飲食を一切しなかったせいか、身体が思うように動かない。元々不足なく食事を送れていたわけでもなかったために細身な方ではあったが、それを差し引いても少し痩けたように思う。自由な方の手でそっと頬に触れて、硬い骨を感じた。

「アルフレッドから聞いた。元々あれには違う仕事を任せてたから、お前を連れて帰ってきたときには驚いたが。お前のいた孤児院を巻き込んでしまった、と……俺の責任だ。すまない」

 背中しか見えないこの男は、どんな顔でこの言葉を口にしたのだろうか。

 孤児院のことを思い出して、胸がちくりと痛む。思わず呟いた。

「……皆は、無事なんだろうか」

「あのあと、すぐに別の人間に確認に行かせた。怪我をした人間は一人も居なかったそうだ。……建物の方は、半分ほど」

 男の言葉に、オリヴィアはほっと胸を撫で下ろした。家族が全員無事であるというだけで、肩の荷が降りた心地になる。

 わざわざ使いを出してまで気遣ってくれたのだという誠意のようなものが伝わってきて、レナードのの印象が少し変わった気がした。

「その、ありがとう」

 男はオリヴィアの言葉に驚いたように一瞬歩みを止めると、静かに首を横に振った。

 古さはあるが豪奢な建物。レナードに引っ張られるでなく長い廊下を歩くと、一際大きな扉が目に飛び込んできた。

 躊躇せずに扉を開いたレナードの後に続いて入ると、食堂という名前に違わぬ、長机が整列した広い部屋がそこにあった。この隠れ家には予想外なほど多くの魔導士が居たようで、至る所で談笑を繰り広げていた。思わず目を瞬く。

 ぼうっと眺め回して、ふと自身を突き刺す目線の数々に気がついた。食事の手を止めてオリヴィアを注目する魔導士の数々に、思わず一歩退く。

「な、なにこれ……」

「言ったろう。我々全員でお前のことを探していたんだ、無理もない」

 レナードに誘導されて、少し俯きがちになりながら席に着く。

 周りの目から逸らすように壁を眺める。週の当番と書かれた表が貼ってあった。寮にもこういう制度はあったために、どこもこんなもんなんだな、という感想だ。ここでは食事当番や掃除当番、買い出しを交代で回しているらしい。よく見ると食事当番の欄には女性に混じって"レナード"の名前もあって、少し驚かされる。隊長と呼ばれているからにはこういった雑務はやらないのだと勝手に想像していたからであるのだが、あの大男が料理などという意外さに、オリヴィアはふふっと笑った。

 目の前に、小さく音を立てて食事のトレーが置かれる。いつの間にか二人分の食事を運んできたレナードは、オリヴィアの正面に座った。

「何か面白いものでもあったのか」

 笑みを浮かべていたオリヴィアに、珍しいものを見たような目でレナードが尋ねる。何となく気恥ずかしくなって、目を逸らすと唇を結んだ。

「ほら、食え」

 レナードはオリヴィアの手元のトレーを指すように顎で促した。気は進まなかったが、半ば諦めのような気持ちでオリヴィアは座り直す。

 無言で食べ始めたレナードに思わず驚いて、少しの間じっと見つめてしまう。視線に気がついたレナードも、不思議そうな顔でオリヴィアを見る。

「……ん? どうしたんだ」

「お祈り……いや、なんでもない」

 教会育ちのために、食前の祈りだけは習慣で欠かしたことはなかった。だが、魔導士を魔族と呼ぶことを思えば、彼らにとってはそれをしないことのほうが当然のことなのかもしれなかった。

 合点が言ったように、男は重苦しい声で言う。

「ああ。……神など、いないさ」

「なんか、不思議な感覚だ」

 素直に感想を口にする。レナードは、そんなオリヴィアの様子に眉を顰めた。

「怒るかと思ったが。お前も、実際のところは大して信じてないんだな」

「……そうなのかもしれない」

 幼い頃から、違和感が拭いきれなかったのは事実である。

 神の名のもとに平等を語りながら、呪いのようだとオリヴィアを蔑む人々。

 人間は平等だと言いながら、魔導士を魔族と吐き捨てることに抵抗を持たない人々。

「ふん、ともかく、信仰もそれぞれということだ。好きにしたらいいだろう」

 それだけ言って視線を食事に戻したレナードを尻目に、オリヴィアもスプーンを手に取る。少し迷って、そのまま食べ始めた。

 スープには野菜がたっぷりと入っていて、パンの香ばしさが鼻腔をくすぐる。それらは、オリヴィアが普段食べていたような食事とは比べ物にならないほど豪華だった。物心ついた頃から僅かな肉の破片が浮いたスープと硬いパンで生きることを確約された世界にいたオリヴィアには、どうも理不尽に感じられる。

 迫害に対抗して作られた組織の人間のほうが、余程良い環境に居られるのか。

 そんな複雑な感情とは裏腹に、三日ぶりに口にした食事のやわらかな味はオリヴィアの身体に染み渡った。

「なかなか美味いもんだろう? ……カトレアの方だとこうはいかなくてな、子供が育たんのだ」

 レナードは、ぽつりと呟くように言った。オリヴィアの顔に疑問の色が刻まれる。

「……同じ魔導士なのに、助けないのか?」

「レジスタンスは魔導士の中でもはみ出し者の集団だからな。カトレアの連中からすれば、我々と下手に関わりたくないのだ。

 黙って耐えていればいつかは状況も良くなる、余計なことをして無闇に国王を刺激するよりはましだ、と……本気で信じているらしい」

 レナードはそう吐き捨てる。その顔には侮蔑のようなものが浮かんでいた。続ける言葉を失って、オリヴィアは黙り込む。

「まあ、確かに十六年前に起こった国王軍による侵略は、カトレアの食糧難を僅かに解消したがな」

 意味あり気な、自嘲するような表情を浮かべるレナードの言葉は、オリヴィアの眉間に皺を作るのに十分だった。

「……? 何故?」

「ふん、簡単なことだ。魔導士自体が大幅に減ったからだ」

 憎々し気な顔であっさりと吐き捨てたその声は、しかし憤怨に満ちている。

「俺は国王を絶対に許さない」

 無意識にごくりと喉が鳴る。背筋を冷たいものが流れた。

「食事中に悪かったな。……終わったら出掛けるぞ。さっさと食べてしまえ」

 見れば、レナードは既にその皿を空にしている。気まずさを誤魔化すように、慌てて再び食器を手に取った。

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