終章(2)
◇
「……魔物の厄災から救った英雄は誰だって、街はその話で持ちきりなんだ。ね、エレノアちゃん」
ドロシーの言葉に、エレノアが気張らない顔で笑った。
「そうですよ。友達として、鼻が高いです」
誰にでも人懐こい性格だからか。ドロシーは、エレノアともクロエとも、あっという間に仲良くなった。――カトレアの人々は変わらない。閉じ籠もって、人間を憎み続けている。逆もしかりだ。それでもいい。いきなり考え方を変えろという方が難しいのだと思う。
「クロエ、私はいつになったら動いて良いんだ? 治ったら、行きたいところがあるんだ」
積み重なった怪我のせいで、厳しい主治医からは外出を禁じられている。クロエは傷の様子を眺めて、
「当分はだーめ。……そうそう、フランのアンナさん……覚えてる?」
「……勿論」
あのときの記憶は、まだ思い出すとちりちりと胸が痛む。
「この間生まれたの。成長が早いと思ってたんだけど、違ったの。男女の双子だったんだ」
「それは、おめでたいな」
――忌み子、か。こんな言葉も、なくなってしまえば良いと思った。
「……そう言ってくれたら、アンナさんも喜ぶと思うな。名前ね、『オリバー』と『シルヴィア』にするんだって。あのとき救ってくれた人の名前を貰うんだって」
「……そっか」
◇
オリヴィアは、数ヶ月ぶりに、そこに立っていた。無理を言って、ルークとセオドアに連れてきてもらったのだ。
「これで良かったのかなって、ずっと思ってるんだ」
傷が癒えた頃にはすっかり春になり、オリヴィアは十七歳になった。心地よい日差しと、木々から感じる命の臭い。せせらぎの音。――ウェステリアにある、フェリシアの墓である。レナードの遺品も幾つか持ってきた。地面の下は、空っぽだ。
「隊長は……父さんは、あれで良かったと、思ってくれてるのかなって」
「……レナードは、自分がオリヴィア君の立場でもそうしたと思うよ。だから、良いんだ」
セオドアは、言いながら小さな花を手向けた。道の途中に咲いていた雑草だ。
「そろそろ戻らないと、アルフレッドが拗ねるぞ。子供の相手も嫌いじゃないみたいだが、その子供がオリヴィアの方が良いって騒ぐからな」
ルークが、太陽を見て言った。確かに、かなりゆっくりしてしまったようだ。
レジスタンスはその役目を終え、隠れ家も潰してしまった。組織の者の大半はひとまず身を寄せる場所として、ウェイバリー孤児院にお世話になっている。アルフレッドは彼が燃やした孤児院を自力で修理しながら、子供の面倒もよく見ている。「厄災を止めた英雄」が人間と魔導士の混血だった――という噂が、幾分か魔導士を受け入れる下地を作ってくれたらしい。あとは魔導士の人柄次第だ。アルフレッドなら、大丈夫だろう。
不意に、馬蹄の音が耳に響く。遅れて現れたのは、オーウェン率いるブルーメ騎士団だった。
「――オリヴィア様。こちらにおられましたか」
オーウェンが、恭しく片膝を突いた。ルークは怪訝な顔を隠さずに疑問を投げかける。
「……今、何て言った?」
「ですから、オリヴィア様と。前国王には、お子様がおられませんでした。先々代まで遡れば、王族の方がいらっしゃいます。本来であればそちらが次代の王になる規則ですが――厄災を止めた英雄は、王家の血を引く者であり、魔導士との間に生まれた和平の証。そういう筋書きで、オリヴィア様を望む声が王宮で高まっています。お連れせよとの命を受け、参上しました」
「……それは、絶対か」
ルークの声色が、少し低くなる。オーウェンも同じだ。オリヴィアを向いてではなく、ルークのみを威嚇するように、
「これは命令だ」
「行ったら、どうなるんだい」
セオドアも、少し険しい声を上げる。レナード亡き今、オリヴィアを見守るのは己の役割なのだと、よく気をかけてくれている。
「……場合によっては、即位なさることになるかと」
「隊長はそんなことを望んだんじゃない。帰れ」
ルークが声を張り上げる。オーウェンは迷わず剣を抜いた。
「命令は、絶対だ。オリヴィア様には来ていただく。邪魔するなら、いくらお前達でも斬ることになる」
オーウェンの語調に二人が反応する。セオドアは一旦抑えようとしているが短気なルークも、既に剣を抜いている。――だめだ。これでは、何も変わっていない。
「……ルーク、セオドアさん。待ってくれ」
前に出て、オーウェンの目を真っ直ぐに見た。
「行くよ。私は、魔導士と人間の架け橋になれる。私に出来ることがあるのなら、行こうと思う」
かつて、父がそう言った。
オリヴィアは知っている。魔導士と知ってなお、愛してくれた人の優しさを。人間の血を引いていると聞いても、顔色一つ変えずに接してくれた人の優しさを。
オリヴィアだけが、知っているのだ。




