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黄龍

 ――寒い。冷たい。

 ここは、どこなのだろう。土のにおいがする。地面に倒れ込んでいるのだろう。冷え切った大地が、身体の熱を奪ってゆく。何処かはっきりしない頭で、オリヴィアは目をじっと閉じていた。瞼を持ち上げるのも億劫だ。自身がどうなろうとも良いと思った。目の前で大切な人が失われるのを見るくらいなら、この身などくれてやると。ブライアンはオリヴィアを殺さないと言った。だが、ブライアンに囚われたまま一生を終えるのなら、もはや死んだも同然だろう。微睡む頭で、そんなことを考えていた。現実に引き戻したのは、聞き覚えのある声だった。

「なあ、リチャードっ。おい、しっかりしろ!!」

 サイラスだ。彼は必死にリチャードの名を呼んでいる。

「……執心のようだな。サイラスよ」

 険しい、ブライアンの声。――彼らは手を組んでいたのではなかったか。明らかにブライアンの語調には怒気が混じっている。聴覚のみを頼りに、オリヴィアは状況を掴もうとした。ただの、好奇心だ。

「――当たり前だ。あんたのことなんか最初から眼中にゃねえんだよ!!」

 サイラスが吐き捨てた。レナードとよく似た呻き声が聞こえるが、これはリチャードのものなのだろう。苦しんでいるリチャードと、側にいるサイラス。それを見つめるブライアン。そういう構図だ。オリヴィアは少し離れた位置に転がされている。

「……ほう?」

「俺の主は初めっからリチャード一人だ」

 ――成程。サイラスとブライアンの行動が食い違っているとは思っていたが、そういう理由かと納得する。

「まあ、良い。材料は既にここに揃っているからな」

「『今』、あんたはリチャードを殺せない。だから迂闊に魔力を使うわけにもいかねえ。そうだろ?」

 サイラスの声が少し遠のく。立ち上がったのだ。足音は好戦的に跳ねる。リチャードを殺せないから、魔力を使えないとサイラスは言った。リチャードの命とブライアンの魔力が関係しているというのか。ならば、レナードの身体に起きているのは――そう理解して、オリヴィアは息を飲んだ。

 今、リチャードを殺されてはならない。レナードの命まで縮めることになってしまう。

 意識があるのを悟られてはいけない。息を殺して、やはり瞼は閉じたまま、二人の様子を窺う。

「そうだな。ならば如何する?」

「二択だ。あんたを()るか、そこの餓鬼を()るか。どっちにしろ、あんたはリチャードに手出しできなくなる」

「……ふん、流石は優等生。模範解答だな」

 ブライアンはサイラスの魔力を封じる手段を持っている。だが一方でブライアンは魔力を使うことができない。結局今始まろうとしているのは、魔導士と魔導士の戦いではなく、人と人の争いだ。

 サイラスとオリヴィアの利害は一致している。サイラスに二つの選択肢が用意されているように、オリヴィアが願いを叶える方法も、今此処に二つ存在する。ブライアンを倒すか、オリヴィア自身が自害するか――だ。無論、命を捨てる気は無い。どれだけ己が苦しもうとも構わない。身を賭して守ってくれた人を裏切ることだけはできないから。

 ――ルークは、ずっと呼んでくれていたな。オリヴィアの身を案じて、ずっと。それを思うと、胸が温かくなる。オリヴィアがルークを大切に思っているのと同様に、ルークもそう思ってくれているだろうか。――生きなければならない。ブライアンの野望を砕いて。

 オリヴィアはそっと目を開けると、辺りを見渡した。全員の位置関係を確認して、ばれぬように隙を窺う。オリヴィアの剣はまだ腰にある。ブライアンは油断している。――今だ。座り込むリチャードの元に駆け寄ると、腕を掴んだ。

「……貴様!」

 ブライアンが剣を抜く。追いかける素振りを見せた彼に、サイラスが立ち塞がる。

「立て、リチャード! 逃げろ!!」

 サイラスの声に反応するように、息も絶え絶えという様子でリチャードが立ち上がった。

「こっちだ!」

「お前はっ、確か……っ」

 走りながら、リチャードが声を上げる。応えている余裕は無かった。ブライアンから舌打ちが聞こえたかと思うと、地面が揺れる。

「あまり使いたくはないのだがな……!」

 ブライアンの声が届いたかと思うと、目の前が闇に覆われた。――魔物だ。

「ぐっ……ああああああああああッ!!」

 リチャードが苦しそうに叫ぶ。血を吐きながら崩れ落ちたリチャードと、目の前を覆う巨大な土塊。爪が降ってくる。

「リチャード! 行け!!」

「立って! 早く!!」

 サイラスが怒鳴り、オリヴィアが喚く。腕を引っ張るが、リチャードは苦しみに悶え蹲っている。気だけが急く。鋭い腕がオリヴィア目がけて、真っ直ぐに振り下ろされた。死が迫っている。竦んでしまった足が動かない。ただ必死で、半ば狂ったように、その名前を呼んだ。

「…………隊長! ルーク――っ!」

 ぎん、と鋭い音がした。目の前に見えた剣の切っ先は、それが裏から化物を真っ直ぐに貫いたからだ。砂と化していく魔物の先に見えたのは、レナードだった。

「間に合っ……」

 言い切らないうちに、レナードは膝を突いた。同じように血を吐いて、心臓を抑え込んでいる。

「隊長!」「レナード!!」

 駆け寄ってきたのは、アルフレッドとセオドアだった。セオドアが、レナードの肩を叩いて意識を呼び戻す。それを嘲笑うように、ブライアンは芝居がかった声を上げた。

「まだ其処まで動けるとは、褒めてやろう。レナード」

「ブラ、イ……アン…………」

「自分の命で出来た木偶を斬るのは、さぞ苦しいだろう? ……貴様らに動かれると面倒だ。これで遊んでいろ」

 レナードとリチャードが、耳を塞ぎたくなるような声で悶える。殆どのたうち回るように叫ぶリチャードと、血を吐きながら剣を支えに何とか立ったまま耐えるレナード。二人の魂を抉り取って出来た魔物が夥しい数、逃げ場を奪うように立ち塞がっていた。オリヴィアは何も出来ないまま、ただ魔物がレナードによって刈り取られてゆく姿をぼんやりと眺めていた。

「もう、嫌だ……隊長……」

 ――彼は自らの命を削りながらここに立っている。髪が乱れ、顔が脂汗に濡れ、その刃が欠けようとも。まともな意識があるのかすらも怪しい。苦しむのを見たくない。嫌だ。何故、自身は呼んでしまったのだろう。何故、助けを願ってしまったのだろう。

 セオドアすら、慣れない武器を片手に魔物を相手取っている。

「オリヴィア、聞いて。僕達がここは何とかする。だからっ――」

 アルフレッドが、そう言ったときだった。背後で人が死ぬのを聞いた。

「リチャード――!」

 サイラスの声だった。声に思わず振り向いた。そこには、不気味な小刀を胸に受け絶命する、国王がいた。

 ――その亡骸から、黒い影が一筋抜け出す。ブライアンの手に吸い込まれていく黄金の龍を、オリヴィアは見た。

「ふん。……最初からこうすれば良かったか」

 役目を終えた骨と肉の塊が、地面に落ちていた。龍の半身を、ブライアンは得たのだ。もう一つ動いた影は、絶望に崩れ落ちたサイラスだった。

「悪いな、親友。私の為に死ね」

 今や、ブライアンはレナードの命を掌握している。オリヴィアさえ手元にあれば、レードはいつだって殺していいのだ。

「……許さねえ」

 立ち上がったのは、サイラスだった。

「許さねえよ」

 焦点の定まっていない目だった。サイラスは、アルフレッドだけを見ていた。

「俺の隊長を返せよ。俺のリチャードを返せ。なあ!」

「……僕は何もしてないでしょう。レジスタンスを裏切った報いだよ」

 アルフレッドは間違っていない。だが、間違っていないことが正解とは限らない。怒りと悲しみの遣り場を失ったサイラスは、ただ叫んでいた。

「ふん。……始めようではないか。真の王の誕生を」

「ふっ……ざ、けるなッ!!殺す、お前だけは絶対に、殺す!!」

 サイラスが、感情のままにブライアンに魔力を放つ。冷静さを欠いた攻撃が、一、二。それらが届く前に、サイラスの魔力は封じ込められた。サイラスは、ブライアンに傷一つつけることなく、立ち尽くした。

 ブライアンはそれを満足げに見ると、オリヴィアに突然指を刺した。黄龍が、オリヴィアへ吸い込まれるように突き進んでくる。それは左目。オリヴィアの頭に、突然激しい痛みが走り出した。

「いっ……ああああああっ!!」

 龍がオリヴィアの中に入ってくる。激しい力の渦に飲まれる。溺れる。現と夢の境目で、オリヴィアは悶える。

「行け……黄龍」

 オリヴィアの内側に「何か」が入ってくる。オリヴィアが内側から壊されていく。そう思ったとき、銀の翼を見た。銀の風は黄龍を追うように、一閃。

 そして、オリヴィアは意識を手放した。


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