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セイロウ

 生かされた少女は、目を閉じたままだ。ルークは、オリヴィアが連れられていくと同時に魔物が吸い込まれていった地面をただ睨んでいた。

 同じく魔物が消え、呆然と立ち尽くしている騎士達の影が数個。やり場のない憤りをぶつけるように、かつて王都で目にした男――オーウェンに掴みかかった。

「……お前らは一体、何をしてたんだ!! 自分の部下くらい守れないのか!!」

 最悪の時に彼女は再会してしまった。幼少から共に過ごしてきたという、姉妹と呼ぶべき存在に。ドロシーがこの場にいなかったら、きっとオリヴィアは冷静で居られた。落ち着いていたようで、彼女は全く冷静とはほど遠かった。ドロシーさえ無事であったのなら、オリヴィアはああも先走ったことをしなかっただろう。

「すまない。あの娘は一体、どうなったのだ。教えてくれないか、青年」

 取り乱すことなく、オーウェンはただ申し訳なさそうにルークに尋ねる。そこには、魔族に躊躇無く刃を向けるかつての、自らの考えに絶対の自信を持った男はいなかった。

 少し勢いを削がれて、語調だけは強めたまま、ルークは言った。

「お前のとこの騎士を助けるために、ブライアンに自分から捕まったんだ! あいつに何かあったら、絶対に許さない」

「…………すまない。ドロシー・ウェイバリーを巻き込んだのは、この私だ」

「そんなのどうでもいい。俺はオリヴィアの話をしている。知っていることを話せ。ブライアンはどこに居る」

 オリヴィアには悪いが、ドロシーという少女のことに興味は無かった。ただ、オリヴィアを連れたブライアンの居場所を直ぐにでも知る必要があった。オリヴィアはドロシーやレナードの為に自らが犠牲になろうとしている。此方の気も知らないで、そんなのは身勝手だ。

「『約束の地』…………そこに、陛下がいらっしゃると言っていた。ブライアンも、あの少女も、おそらくはそこだ」

 オーウェンが発したのは、悔しさを滲ませた声だった。

「……聞き覚えがある。魔導士達が黄龍の封印を行うのに選んだ場所だ」

 魔導士であれば、一度は聞いたことがある話だろう。だが奇妙だ。ブライアンは、わざわざ黄龍の封印を解いたのだ。今更そんな場所に用があるというのか。

「場所が分かるか!?」

 オーウェンが、僅かに期待するような声を上げる。

「ああ。……だが、どうやって……」

 ルークは、今いるコルチから東に存在する山を見た。ウェステリアとコルチ、コルチとランタナをそれぞれ分断するヘルブラオ山脈と、ローゼ山脈。それらに囲まれし、不可侵の湖。四公爵領の丁度真ん中であるその場所を、魔導士は「約束の地」と呼んでいる。

 馬で飛ばしたとしても、一日やそこらでたどり着ける場所ではない。

「くそっ……。どうすれば……」

 悠長にしている時間は無い。ブライアンは必ず「何か」をする気だ。彼にとってオリヴィアは必要な部品に過ぎない。あの男の目的が達成されたとき、オリヴィアはどうなるというのだろう。

 不意に、猛禽類特有の甲高い鳴き声が響いた。セイロウだ。

「……お前も、飼い主が心配なんだな」

 セイロウはそれに答えず、天空に舞い上がる。翼が風を切る。光と混ざり合って見えなくなったかと思うと、その身体を大きく変化させた。

「セイロウ……?」

「何だ、この化物は……」

 ルークも、オーウェンも、目を疑った。何食わぬ表情で鳴くセイロウは、砂の大地に降り立つとルークの方に顔を向けた。鷹と呼べるかも怪しい、とオリヴィアが言っていた意味に納得する。青龍の魔力で生み出された鷹もどきは、先程までの数倍か、数十倍か。オリヴィアの肩になんとか収まる大きさだったセイロウは、背中に数人は載せられそうな程となった。

 セイロウの瞳を見た瞬間、ルークの脳裏に過去の記憶が蘇る。その姿に見覚えは無くとも、纏う空気が、気高き姿が、美しき瞳の光が、その記憶と強く強く結びついて離れない。

「フェリシア、様……?」

 あり得ない。あり得ない――そう理性が否定した。だが、その妄想が、驚くほど腑に落ちるのだ。ルークが思わず零した疑問を肯定するように、鷹は小さく鳴いた。

 オリヴィアの側で、オリヴィアを守ることに徹してきた美しい鷹は――ルークを、命を賭して守ってくれたその人なのだ。

 そして今、彼女の娘を助けたいと願っている。ルークが望むように。ルークが願う以上に。ブライアンの手から、解放したいと希っている。

「フェリシア様……。貴方も、オリヴィアを助けたいのですね」

 セイロウはまた、小さく鳴いた。

 ――そして、翼を大きく広げると、背をルークに向けた。乗れ、と言わんばかりに。

「……微力を尽くさせていただきます。必ずや、オリヴィアを」

 己を守ってくれた女性の為に。そして、その面差しを色濃く受け継いだ、人一倍不器用で、嘘がつけなくて、人の痛みに敏感で、愛に飢える少女の為に。ルークは、セイロウの背に乗ると、神の大地に繋がる山々を見た。

「私も、連れて行ってくれ。陛下を……リチャードを、ブライアンから救い出したいのだ。虫が良いと思う。図々しいとも思う。だが、リチャードの為にできることをしたい。…………頼む」

 美しき鷹もどきと、それに乗ったルークを見たオーウェンが、引き留める。彼もまた、守らねばならぬ人の居る者だった。魔導士を魔族と吐き捨て、人であることに傲慢な矜持を抱いていた男が、膝を突いてそう乞うた。セイロウは、ルークが何か言うよりも早く、彼を認めるように甲高く鳴く。ルークは彼を言及するのをやめた。

「待って!」

 振り向くと、そこにはオリヴィアの身と引き換えに解放された少女が立っていた。目を覚ましたのだ。オリヴィアが居ないことに気付き、ルーク達の行動の意図を汲んだのだろう。

「オリヴィアを……お願い。私の大事な、家族なの……」

 ドロシーは、今にも泣き出しそうな顔でそう言った。彼女は、自らの非力さを認識し、人に任せることしかできないと理解している。それはそれで、強さなのかもしれなかった。

 ルークは強く頷く。セイロウが、その翼で力強く舞い上がった。


 身体にぶつかっては砕けていく風は冷たい。セイロウが空を切る。沈んでいく太陽に背を向け、ただオリヴィアがいるはずの場所を目指す。大地を見下ろしながら、懺悔するようにオーウェンは言った。

「……あの娘は、私が巻き込んだのだ」

 ルークは、応えなかった。この手合いは、己の罪を口にすることで楽になりたいだけで、裁きや慰めを求めているわけではないと心得ている。

「魔族の処理は国が請け負う。ウェステリアの騎士団から通報を受けた私は、魔族の女を匿っていたとして、近しい立場にいた彼女を連行したのだ。……あの男は、そこに目をつけて彼女を逃げられなくした。恐らくは、今日に備えてだ」

 オリヴィアを探していたブライアンは、ほんの僅かにレジスタンスに及ばず、彼女を手に入れることができなかった。だが、代わりに――ドロシーを見つけた。

「生まれ育った孤児院を楯にとって、騎士となるよう迫られたと言っていた……」

 オーウェンの口から語られるブライアンの醜悪さに、ルークは憤りを覚えた。誰に向けるでもなく、怒りが口をついて出ていた。

「どこまでも下劣な男だ。人の弱点は人でしかないことを熟知してる。彼女は孤児院を守るために、あの男に従うしかなかった。彼女を助けるためにオリヴィアは自らを差し出した。そして……恐らくは隊長も……」

 ルークは、隠れ家を去る直前の彼を思い出す。

 ――側にいてやって欲しい。俺には出来ないことだから。そう寂しげに言ったレナードが、印象深かった。そしてセイロウにルークの道案内を頼んだのである。恐らく彼は気付いていたのだろう、セイロウの正体にも。断ち切る愛情などというものを認めるつもりは無かった。必ずオリヴィアを救い出して、今度こそ父娘として生きるべきなのだ。彼にも少しくらい、救いがあってもいいではないか。

「……隊長というのは、レナード殿のことか」

「そうだ」

 ルークは、内心で面倒だと思いながら返事をした。この男が嫌いなのだ。

「私の生家は代々王家に仕える一族でな。リチャードとは乳兄弟というやつだ。……レナード殿の存在は私も知らなかったが、母上はそうではなかった。忌み子として生まれたレナード殿をどうすべきか、王宮はかなり頭を悩ませたらしい」

 娘にも引き継がれた、朱い瞳。彼から譲り受けたオリヴィアのその目の色は、聖痕を隠すのに大いに役立ったことだろう。皮肉な話だ。

「存在しなかったことにすると決められたときに、母上には既に情が湧いてしまっていたと……。始末を任されて困って王宮の外に捨て置いたのだと聞いた。まさか他でもない魔導士に育てられるとは、母上も思っていなかったのだと思う。運命とは分からないものだ」

「……なら、あんたの母親には感謝しないとな」

 オーウェンには聞こえないように、そう呟いた。

 力を持つ者と、持たざる者。手を取り合うことなど不可能だ。持つ者は持たざる者に対し常に優越すると考えている。人知を超えた力だろうが、権力だろうが、それは同じことだ。両者を隔てる大きな壁を取り払うのは並大抵では無い。結局壁に小さな穴を空けたのは、運命の悪戯だ。その、罅のような僅かな穴を広げようと一人で立ち向かった、気高き少女の顔を思い浮かべた。

 東へとただ真っ直ぐに進むセイロウは、静かな瞳で未来を見つめていた。



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