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オリヴィアとルーク(2)

「……お前は、生き方に迷ったことがあるか?」

 少し掠れた、青年の声。オリヴィアは過去を振り返って、首を横に振った。

「あんまり、無いかな」

 迷ったことがない――というよりは、迷える選択肢が用意されていたことが無かったように思う。迷うことが出来るというのは、ある種の贅沢だ。物心ついた頃には孤児院で生きる以外の道は存在せず、そこを出ても行く先は一つしか無く、平坦ではないにしろ真っ直ぐな道をただ歩いてきただけだ。唯一許された選択肢が存在したとすれば、レナードに食ってかかったとき位だろうか。そのときには、こうして飛び出す以外の選択肢は無いと思っていた。実際には見えていなかっただけで、レジスタンスに留まるという道もあったのだろうが、そんなものは無いのと同じだ。たとえ今後どれだけ苦しい思いをしたとして、やり直すことが出来たとしても、迷いなく同じ道に進むと言い切れる。

「そうか。俺にはある」

 オリヴィアの考えていたことなど知る由もないルークは、自嘲するように小さく笑った。選べる道が存在するなら、迷えば良いのだ。そう思うが、彼にそんなことを言っても栓無いことのような気がした。

「俺は、子供の頃からリブラの家を守るのが使命だと教え込まれてきた。そのために魔導の腕も磨いたし、剣だって覚えた。それに疑いを持つことはなかった。使命を果たすためなら命も懸けられる。投げ出せる。俺の親だってそうしたし、俺もそうすべきだって思ってた」

 オリヴィアは、ルークの言葉に少し悲しくなった。多分、オリヴィアはもっと、ルークと対等な関係で居たいのだ。守るとか、守られるとかではなく。

「……そう」

「もうそろそろ、十七年前になるんだな。革命が終わって、東カトレアが国王軍に攻め込まれたとき、俺は丁度その場に居た。生まれたばかりのお前とフェリシア様を守るために何人も死んで、俺の母もそれで斃れた」

 オリヴィアは、ルークから目を逸らした。一体、何人の命の上に、今のオリヴィアはいるというのだろう。

「……話は最後まで聞け。俺の母は、フェリシア様を逃がすときに俺を連れて行くように頼んだんだ。俺と、お前と、フェリシア様の三人で、街から走って逃げた。でも見つかってしまった。追っ手に追いつかれて、俺はフェリシア様を守らないといけなかった。でもあの方は咄嗟に俺達を隠して、庇ってくれた……。……分からなくなってしまった。ゲヌビがリブラを守る使命を持つのなら、リブラは魔導士として、ゲヌビに守られる義務があるはずだ。たくさんの犠牲を払ってでも、俺達はリブラを守らねばならない。たくさんの犠牲を目前にしても、リブラは生きねばならない。そうだろう? それが、守られる責任だと俺は思う。フェリシア様も、そんなことは百も承知してた。正義感が強くて、守られるだけの立場を嘆いていたが、それでも守られる責任を果たそうとしてた」

 オリヴィアは、初めて聞く話に胸がちりちりと痛むのを感じた。守られる責任――か。そう心の中で呟くと、言葉を紡ぐルークを待った。

「……でも、無理だったんだ。あの方には。たぶん、本当に反射的に、俺を庇ったんだ。理性とかそんなんじゃなく。それが、魔導士としてではなくて――人として正しいと感じたんだと、思う」

 オリヴィアは、フェリシアという人を彼の言葉の中に見た気がして、見知らぬ母に思いを馳せた。――もしオリヴィアがフェリシアの立場であれば、どうしただろう。

「俺には、あの方の行動の善し悪しを語る資格は無い。だが絶対に、リブラの次の当主を守らないといけないと思った。それがゲヌビに生まれた俺の義務で、フェリシア様のためにも為さなければならないことなのだと」

 火が、彼の鼻筋をくっきりと照らしている。これはルークの迷いでは無く、迷った結果出した答えを突き合わせる時間だ。そう思わせるような、迷いの無い目だった。オリヴィアは、ルークの「答え」を待った。

「……正直、お前を見たときはがっかりした。元々、父親が人間だというので嫌で仕方なかったが、それでもフェリシア様の子だからな。成長したお前に会ってみれば姿こそ良く似ていたが、芯も無ければ周りに当たり散らして拗ねて、捻くれて、喚いて。……今思えば、突然元の環境から引き剥がされて、魔導士としても人間としても異質な存在だと一線を引かれて孤立して。平静でいろという方が難しかったんだろう。でも、あのときは本当にそう思ってた。フェリシア様とは中身がまるで違うってな」

 ルークは、オリヴィアの赤い目を真っ直ぐに見た。あまり目を見られるのは得意ではない。青年の視線から逃げるように、小さく顔を逸らす。

「目、合わせてくれないんだな」

「すまない。……悪気は無いんだ。血を吸って赤くなるんだとか、不浄の色だとか、よく言われてたから。苦手なんだ。見られたくない」

 ドロシーや院長相手であっても、それは同じだった。彼らも口にしないだけで、そう思っているのかもしれないと思うと怖い。

「……俺は、綺麗だと思うぞ。澄んだ紅玉の色だ」

 本当に心から言ってくれたのだろう。ぽつりと呟いたルークの声に、オリヴィアは心臓が一度、高く跳ねるのを感じた。少し間を置いてから恥ずかしいことを言ったのに気付いたようで、今度は彼の方から目を逸らされてしまう。

「とにかく。だから、王都から脱出したときのお前は……あの方の御子だ、と思った。お前は一人で逃げるべきだった。でも……無理だったんだよな。――自分に自信がなくなった。フェリシア様も、お前も、自分の信じる正しさを選んでる。俺は……使命を果たすことに躍起になっていたが、ただ義務感で行動していただけだ。レジスタンスを離れてみても、それは変わらなかった。『魔導士である前に人なんだ。人として正しく生きたい』――一言一句耳に残ってるんだ、お前の言葉が。俺も、そうありたいと思った……心から、思った」

 ルークは、そこで一呼吸置いた。オリヴィアの両肩へと、二本の腕が伸びてくる。彼の手が力強く肩を掴むと、逸らしようもないくらい真剣な瞳で、オリヴィアの目を射貫いた。

「これは俺の意思で、俺の出した結論で、俺の選んだ道だ。使命じゃない。義務感でもない。恩返しでも償いでもない。オリヴィア……お前を守りたいんだ。お前の見た未来は、俺が守る。絶対に、お前の希望を壊させやしない」

 ルークの漆黒の瞳だけが、オリヴィアの目に映っていた。夜の闇よりも深い、静かな黒。それを彩る繊細で長い睫毛も、見事な黒。その余りの美しさに、オリヴィアは喉を小さく鳴らす。息をするのも憚るほど密やかな、二人だけの閉じた世界だった。見つめ合うだけの、贅沢で甘美な時間。ただ、目が離せなかった。徐々に視界が暗くなっていくのは、きっと火が消えようとしているからだ。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 いつしか視界が完全に暗くなったとき。

「…………いつまで見てるつもりだ」

 不意に青年の声が現実に引き戻した。オリヴィアは、小さく首を傾げた。

「駄目だったか?」

 長く瞬きを忘れていたことに気付いて数度、乾いた目を閉じたり開いたりした。ルークもそれは同じだったようで、呆れたような顔をしたと思うと、数度瞬いていた。

「こういうときは普通、目を瞑って待つものだろうが」

「……何を」

 互いに同じことを考えていると思っていたが、ルークはそうではなかったようだ。少し寂しい気がする。

「もういい。お前に期待した俺が馬鹿だった」

 急に頭を押さえ込まれる。完全に動けなくなったオリヴィアに、ルークの顔が近づいてきた。瞳で射貫かれたかと思うと――

 力強く、押しつけるように、じっくりと、唇を重ねられた。

 青年の乾いた唇は、あっさりと離れてゆく。音の無い、接吻だった。


 そのまま、ルークはそっぽを向いた。照れを隠すようにオリヴィアを剥がすと、あっという間に片肘を突いて地面に身体を預けた。

「俺は、寝るからな」

「…………えっと、……わかった」

 互いに火の番などできる状態ではなかった。セイロウが見張っているから、急襲の心配は無い。村でアーノルドから譲って貰った毛布に包まって、ルークを背に横になる。心臓がうるさいくらいに鳴っている。胸が苦しい。

 彼の言っていたとおり、ウェステリアやカトレアより余程過ごしやすい。これなら直ぐに寝られそうだ。早く寝てしまおう。顔が熱いのも、きっと寝れば治る。そう自らに言い聞かせて、何度も何度も息を吸ったり吐いたりした。

 ルークは既に、一定の緩急をつけて呼吸を繰り返していた。ひょっとしたら、オリヴィアが意識している程緊張もしておらず、とうに眠ってしまったのかもしれない。

「……ルーク、もう寝たか?」

 返事はない。

「私を守ってくれ。私も…………ルークを守るから……」

 瞼を閉じると、意識がすうっと遠のいていく。

「…………俺が寝てないときに、言え」

 微睡む意識のどこかで、ルークの声が聞こえた気がした。


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