人と魔族
村人が皆避難していたのは、少し離れたところにある丘だった。オリーブの花言葉を、かつてクロエに教わった場所である。魔導士として歓迎はされずとも、休む場所くらい与えてくれるだろうと思っていたオリヴィアを待っていたのは、「現実」だった。
「……なんで、あんたが生きてるのよ! なんでもっと早く来てくれなかったのよ!!」
その女性の顔は、憎しみに歪められていた。クロエと共に逃がした、妊婦の女性だった。突如向けられた憎悪に頭が真っ白になったオリヴィアには、何も言うことができない。彼女の大切な人を、救えなかった負い目がある。
「アンナさん! リヴィが何をしたっていうんですかっ。恨むべきは魔物であって、リヴィにあたるのは筋が違います!」
クロエが、頬を朱に染めて言った。何処か他人事のように、怒ってくれているのだなと思う。
「じゃあ、あの化物は何。前は居なかったじゃない! 魔族が、どっかから出してきたんじゃないの!? だから殺し方も知っていたんでしょう!?」
何も言わないが、アンナの言葉に同調している村人は多いのだろう。黙ってオリヴィア達を見ている数多の目は鋭い。家は燃え、畑は踏み荒らされ、全てを破壊し尽くされた彼らには、怒りをぶつける先が無いのだ。だから、恨み言も受け入れてやるのが優しさなのかもしれない。
頭ではそう分かっている。だが、投げられる言葉の刃が痛い。
「私もその『魔族』なんだけどな……」
クロエは手で顔を隠しているが、震える唇を噛んで涙を流している。ルークは何も言わないが、腹で据えかねているのが横で見ていて分かる。
「魔法でぱって治してよ! 私の夫を! ねえ!! 貴方の得意技なんでしょう!?」
アンナは、標的をクロエに変えたように掴みかかる。妊婦である彼女をずっと気遣ってきたクロエに。
「もう、使えないんです!! ……私だって、悔しいと思ってる! 目の前で、助けられない人が居るんだから……!」
魔法で怪我は治せても、病気は治せないから。そう言って努力を重ね、医者代わりとして頑張ってきた彼女が、誰より一番辛いはずなのだ。そんなことも知らずに、この女は。
「何で、肝心なときに役立たずなのよ!!」
「……っ、ふざけるな! いい加減にしろ!!」
口をついて出た台詞は、オリヴィアが思っていたよりもずっと低く響いていた。腸が煮えくりかえっている。村に留まってアンナの面倒を見続けたクロエが、何故こんな扱いを受けねばならないのだ。何故魔導士だというだけで、怒りの矛先にならねばならぬのだ。
続ける言葉が見当たらない程に、頭に血が上りきっていた。周りが見えていなかったのだ。知っている声が間近で響いて、やっとその存在を認識するほどに。
「何の騒ぎだ」
はっとしてみると、騎士然とした者達がそこにいた。先頭にいるのはあの男――ブルーメ騎士団騎士団長、オーウェンである。怒りは警戒に塗り替えられ、オリヴィアは一歩退いた。恐らく、村の者が近くの駐屯地に助けを呼んでいたのだ。魔物退治のために。
「……魔族。そこで何をしている」
オーウェンは迷わず剣を抜くと、オリヴィア達に切っ先を突き出す。人間と魔導士が口論をしているという状況が、彼にとっては不可解なのだろう。
「魔物が現れたと通報を受けたが、それはお前達のことか?」
「違う。遅かったな、俺達が先に片付けた」
ルークが、わざと挑発するような声色で言った。クロエはオリヴィアの手を握って、オーウェンの様子を窺っている。オーウェンは顔色一つ変えず、
「それは、真か?」
オーウェンの視線は、近くに居たアンナに向けられる。国王の抱える騎士団の者である。機嫌を損ねでもすれば村一つ潰されかねない。そういう類の怯えが、彼女の顔からは見て取れた。
「………………はい」
殆ど掠れた声で、アンナは問いに答える。「そうか」と短く言うと、オーウェンは少し考え込むような素振りをした。
「何が目的だ? 金か? それとも、恩でも売る気だったのか?」
どちらにせよ関係ない、魔族は斬ってしかるべきだ。考えているとすればそんなところだろう、彼はオリヴィア達に武器を構えたままだ。
「……目の前で人が襲われてるんだ。助けに行くのに、そんな理由が必要なのか?」
「ふん。魔族のお前が、か。見え透いた嘘を」
オリヴィアは、オーウェンの目を見た。蔑むような顔だ。どういう意図にしろ、多少でも聞く耳を持ってくれている今なら。オリヴィアは、決意と共に口を開いた。
「私たちだって人間なんだ。特殊な力を持ってる以外、あんたらと変わらない人間なんだ。同じ血が流れてる。心だってある」
陳腐な言葉を並べたてても、彼には響かないかもしれない。それでも、オリヴィアは言った。乾燥した風が吹き抜けて、丘の上の木を揺らした。アンナの方をちらりと見れば、彼女は気まずそうに顔を逸らした。
「魔導士である前に人なんだ。人として正しく生きたいと思って、何が悪い」
不思議なくらい、するすると思いが口から出てくる。下手に飾り立てはしなかった。彼に、オリヴィアの心が届くことだけを願った。
「……魔族は魔族だ。人間に仇なす者。それが人を騙ろうなど、笑わせる。心は、人間のみに許された特権だ」
どこまでも傲慢で、どこまでも人間としての矜持に満ちた男。だからこそ、彼は強いのだ。迷いのない剣を振るうことができるのだ。そういう意味で、レナードと通じるものがある。
「隊長が人間なの、知ってるよな。……あの人、人間に捨てられて、魔導士に育てられたんだ」
彼はレジスタンスの前隊長が、人間だと知っていて保護し、愛したのだ。当時のレジスタンスの者達が、皆で育てたのだ。
「私は、その人間と魔導士の子供だ。私の存在は、人間と魔導士が心を通わせた証拠。理解し合える証拠。大切な人がいるんだ。守りたい人もいるんだ。……好きなように言ったら良いよ。私は私が守りたいものを、壊されないために戦うから。分かって、もらえないかもしれないけど」
人間からも魔導士からも、忌み嫌われるはみ出し者。だが、父である男は、かつて言ったのだ。オリヴィアの目は、二つの側面から物事を考えられる目だと。対立する人間と魔導士の、架け橋になれる存在なのだと。
目を逸らすことはしなかった。オーウェンのその目を、負けない力で見つめ続けていた。先に逸らしたのは、オーウェンだった。
「……今回は、魔物を退治したことに免じて見逃してやる。だが、次会ったときはそう甘くないぞ。――撤退する」
呆れられたか、何を言っても無駄だと思ったのか。それとも、少しは心に響くものがあったのか。彼は、「魔族」を衆人の前で堂々と見逃し、去って行った。
気まずそうにいる村人達をよそに、オリヴィアは地面に座り込んだ。やっと人心地が付いた気分だ。流石にこんな場所で寝る気にもならないが、気を抜いたら意識を失ってしまいそうだ。気がつけば、太陽はすっかりと顔を出して柔らかな光を放っている。騎士が去って、危険は去ったとばかりにセイロウがオリヴィアの肩に戻ってくる。
「……お前、強くなったな」
出し抜けにルークにそう言われて、オリヴィアは目を瞬いた。
「そうかな? 私は、変わってないと思うぞ」
「まあ、自分では分からないだろうがな」
手を頭に置かれて、少し撫でられた。
「……また、子供扱いだ」
「まだまだ伸びしろのある、子供だ」
「私、褒められてるのか?」
「……褒めてる」
そんなやり取りをして、笑い合った。
「リヴィとルークさん、仲良くなりましたねえ……」
クロエが、意外そうに言う。確かに彼女には、ルークがオリヴィアを毛嫌いする構図が印象深いだろう。
「そうだな。私の心が広いから、全部水に流してあげた」
オリヴィアは、自信満々に答えた。
「お前な……。もういい、手当てしてくれ」
不利を悟ったルークは、火傷を負った腕を差し出す。クロエは塗り薬を用意しながら、驚いたような声を上げた。
「あれ? ルークさん、足の怪我、どうされたんですか?」
オリヴィアも、つられてルークを見た。服にべったりと血が付いていて、痛々しい。
「ああ……。エレノア様と隠れ家に向かっている最中にな。動いたせいで、傷が開いたのか」
何でもないようにルークは言ったが、クロエは顔を曇らせていた。
「治療道具も、今はあんまりなくて。とりあえず、血だけでも止めないと……」
ついこの間までは頼れた奇跡も、今は存在しない。服を膝までまくり上げて、怪我を見たクロエは顔を顰めた。僅かに彼女が持っていた包帯だけでは、一、二周巻いて留めるだけが精一杯だった。
「本当はもっと、休んでないといけなかったんだよな」
ルークは、無理して駆けつけてくれたのだ。その優しさに、オリヴィアは報いなければならない。
「俺がしたくてやったことだから、気にするな。お前を一人にしておくと碌なことにならないことがよく分かった。子守は引き受けてやる」
「……あんたは、素直についていくって言えないのか」
孤独の旅の辛さをたった一晩で思い知っていたオリヴィアは、そう言ってくれて心から嬉しいと思っている。が、オリヴィアも素直ではない。
ふと、クロエが何かを見つけたように、
「――――あら?」
朝の日と逆の方から、馬車を引く一団がやってきていることに気がつく。また騎士かと警戒したが、その予想は外れていた。近づくにつれて、それが隊商であることを悟る。それも、かつてオリヴィアとルークを助けてくれた、アーノルド達だ。丘の下に馬車を止めると、彼らは荷物を抱えてやってくる。
「よう、お嬢ちゃん達。元気してたか? そこの坊主は……怪我してんのか」
場の空気とは対照的に、アーノルドは明るい。周囲の雰囲気を見てぼりぼりと頭を掻くと、荷物を入れた袋からごそごそと何かを探し始める。
「……魔物の対処方法が、徐々に伝わりはじめてる。せっかく旅の商人してんだ、俺らは西から順番に、それを伝えて回ってた。この村には、間に合わなかったみたいだが……」
アーノルドは、無念を滲ませた声をしていた。清潔な包帯を引っ張り出してルークに投げた。ルークは片手でそれを掴むと、足りなかった分を補うように怪我にぐるぐると巻き始める。
「おし、使ったな。じゃ、金払えや」
「怪我人に押し売りとは、良い度胸だな」
舌打ちすると、ルークは小銭を弾いて男に渡した。アーノルドはきっちり数えて、それを懐にしまい込んだ。
「……間に合わなかったのは残念だが、そこでくじけちゃ商人失格よ。生活に必要なもんは俺達が全部積んできた。俺らにも生活があるから、安くはしてやれねえんだけどな。これが俺達の戦い方ってもんよ」
アーノルドが言うと、ルークが感心したように頷いた。オリヴィアの方を親指で差して、
「……こいつの剣を新調したいんだが」
「これなんか、どうだ?」
手渡された剣を受け取って、その軽さに驚く。
「あ、良い感じかもしれない」
しっくりと手に馴染む感じがする。これなら、今までより扱いやすそうだ。
「これにするよ」
「請求は兄ちゃんでいいな? ほらよ」
「あ、いや、私が……って」
値札を見て、オリヴィアは脱力しそうになった。気まずいが手持ちでは心許ない。覗き込んだクロエも、苦笑いする。ルークにおずおずと差し出すと、彼はアーノルドを非難するように見た。
「……ふっかけてるだろう」
「取れるところからは取るんだよ、俺は。ま、いいさ、あんたらの隊長につけといてやるよ」
へっへっへ。そんな風に笑いながら、アーノルドは言った。
「私もルークも、レジスタンスを離れたんだ。だから、隊長には頼めない」
だが、剣は絶対に必要だった。戦うために、守るために、必要なものだ。
「なんだ、家出少女か?」
「…………そんなところ。これ、足りるかな」
少し迷って、頭の髪飾りを外した。セイロウが渡してくれた、母の持ち物だったというものだ。翠の石の嵌まった繊細な銀細工。傷があるが、それでも良いものなのだと思う。
謂わば母の形見だ。だが、今しなければならないことの為にどうしても必要なら、手放しても仕方ないと思った。このくらいしか、ないのだ。肩で佇んでいるセイロウも、別に怒りはしないようだ。
「嬢ちゃん、これ……フェリシア嬢の」
アーノルドは、オリヴィアの差し出した髪飾りに覚えがあったようだ。
「……だめかな」
「そりゃ、十分すぎるくらいだけどよ。そこまで……」
「たぶんブライアンが、魔物を操ってる。私はそれを止めなきゃならない。だったら、大事なのはどっちかなんて明白だろ?」
オリヴィアがそう言うと、アーノルドは考え込むように顎に手を当てた。
「……なら、それはとっとけ」
「そういうわけにもいかない」
「――俺達は、魔物にうようよされてて正直困ってる。何度か危ない目にも遭ってるし、その度に経路変更を強いられる。どうにもならずに売り物でぶん殴ったこともある。……それは、やるよ。だから嬢ちゃんは、原因のブライアンをぶっ叩いてくれや。これは取引だ。悪い話じゃないだろ?」
商人らしく口の恐ろしく回る男は、いかにも理屈っぽくそれを言い切った。
――ああ、ここにも、素直でない男が一人。
「……ありがとう」
「ふん。あいつら、どうも西から流れてきてるみたいなんだよ。騎士団も妙に西に集まってる」
ブライアンがまだ西にいるのではないかというオリヴィアの予想は、ほぼ確信に変わる。こんな小さな村に騎士団長であるオーウェンがやってきたことも、普通では考えられないことだ。彼には彼の目的があるはずなのだ。
「私も、西に向かおうと思う」
「そっち側はきっつい砂漠だ。この時期は気温も高くないし、どっちかっていうと過ごしやすいくらいだが、水はきっちり持って行けよ」




