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戻らない場所

 翌日の、もうとうに昼も過ぎた時間。取れていない疲れを感じながら目を覚ましたオリヴィアは、頭で何かを踏んでいることに気がついた。片手で枕元をまさぐると、手の感触でそれが何かを思い出す。

「ああ、あの髪飾り……」

 隣の寝台では、エレノアが物音一つ立てずに眠っている。彼女も長旅で疲れ果てていたのだ、ゆっくり休んで欲しい。起こさないように静かに寝床を這い出る。適当に身だしなみを整えると、何となく髪飾りは手に持ったまま寝室を後にした。おそらく、ルークも寝ているのだろう。ならば、一人で行くか。そう思って、目的の部屋へと足を運ぶ。

 重傷を負ったコーデリアが、奥の部屋で寝かされている筈だ。深い傷と、それに伴う高熱が彼女を苦しめている。多少医学の心得のある者が、代わる代わる看病をしている状況だ。見舞いというほどのものでもないが、様子を見に行くべきだろう。

 癒やしの力を持つクロエは、金の一族出身。直系一族であるタウルス家の血が永遠に失われた今、彼女の力も同時に消え去ったことになる。彼女の力があれば、と思わずには居られない。今は不在のクロエはどうしているだろう。魔力が消えたことで、平静を欠いてはいないだろうか。

 病人を刺激しないように、控えめに戸を叩く。扉が開くと、あまり話したことのない魔導士が迎え入れてくれた。適当に礼を言って、オリヴィアはコーデリアの近くに寄った。レナードやセオドアが不在なのが意外だったが、彼らは殆ど休む事なく今後について検討を重ねているはずだ。おおよそ取り得る選択肢など、一つしかないだろう。その作戦を詰めているのだと思う。

「……レナード?」

 掠れた女の声が寝台から聞こえた。身体に重ねられた毛布の山が、コーデリアの様子を覗き込むことを妨げている。じろじろと眺めるのも失礼だろうと横に座る程度に留めたが、それは彼女からも来訪者の姿が見づらいことと同義だ。

「私。期待外れで悪いな」

「……そう、ね。足音、にてるのよ……あなたたち」

 余裕は無さそうだが、命の心配はしなくて良いのだろう。そういう声だった。

「でも、ちょっと、安心した……いま、レナードに……会いたく、ないの。合わせる顔、ないもの。私は、使命を果たせなかった」

 コーデリアの気持ちは痛いくらいわかる。彼女とは蟠りも多いが、今はそんな複雑な感情抜きにして、元気になって貰いたいと願う。どうしたら良いのか悩んで、持ったままにしていた髪飾りを手で弄ぶ。

「隊長は、そんなこと考えてないと思う。大丈夫」

「……魔力も、消えちゃった。もう、ただの人と変わらないわ……」

 熱で上手く動かないであろうコーデリアの喉から、自嘲気味な笑いが飛び出した。

「私も隊長も、魔導士ですらない。でもあなたは拒まなかった。同じ、だろ」

 身分を偽っていたレナードは兎も角、オリヴィアの存在を嫌がる魔導士は多かった。今コーデリアの看病に当たっている彼もそうだ。リブラの末裔として表面上は丁寧に接してくれているが、実際のところオリヴィアの存在を疎ましく思っているのは見ればわかる。多く数を減らしたとはいえ、今レジスタンスに残っている魔導士達も大抵は変わらない。その点、彼女はレナードの正体を知っていたとはいえ、オリヴィアに対して本音でぶつかってきてくれる数少ない人だった。だから、オリヴィアはコーデリアが苦手ではない。

「……あなた、慰めるの下手ねえ。でも……ありがとう」

 コーデリアは、それだけ言うと、疲れ果てたように息を吐いた。

「邪魔して悪かった。もう、出てくよ」

 少しだけ表情を窺うと、コーデリアは小さく唇で弧を描いた。そのまま背を向けたとき、コーデリアが不意に声を上げた。

「……それ」

 彼女の視線は、オリヴィアの手元に向けられていた。翠の石の嵌めこまれた、繊細な装飾の髪飾りだ。

「フェリシアのもの、ね。懐かしいわ」

「そうなのか? セイロウが持ってきたから、てっきり……」

 言いかけて、彼女にはセイロウの話をしていないと思い出す。そう思って説明を付け足そうとすると、

「あの鷹? ……変な名前!」

 熱で苦しそうなのにそこまで笑うのか、というくらい笑われた後、

「朝方にレナードが、いちどだけ来てくれたの。ずうっと、肩に乗ってたわ」

 そう言われてみれば、昨晩からセイロウの姿を見ていない。妙にレナードに懐いているようだ。

「フェリシア、結構がさつ……というか、大雑把だったのよ。その髪飾りも、しょっちゅう落っことしてた。けっこう傷、あるでしょ」

 そう言われてみれば、確かにへこんだところがある。想像とは違う母の一面を垣間見た気がして、オリヴィアはその傷を指先で優しく撫でた。

「引き留めちゃって、ごめんね。……気が紛れたわ」

 少し声色が軽くなった感じがする。それが嬉しくて、オリヴィアも軽やかな気分で手を振った。

 一旦部屋に戻って、何となく髪飾りを頭に刺してみた。母の形見だとわかると、何故だかそれが勇気をくれる気がするのだ。母は、どうしてレナードと結ばれようと思ったのだろう。人間だと分かっていて。産んだ子が魔力をかけらも持たないことも知っていて。

 今オリヴィアがどれだけそんなことに考えを巡らせても、とうに答えを知る方法は失われている。これ以上考えるのは、よそう。それよりももっと、せねばならぬことがある。

 レナードはきっと、ブライアンを倒す方策を練っているはずだ。その作戦から外してもらう。ブライアンが魔物を操っているのならば、彼を倒せば魔物は消える。それまでに襲われる人を一人でも減らしたいというのが、オリヴィアの望みだった。レジスタンスを離れることになるが、レナードは送り出してくれるだろう。ただ、それを告げるのには、少しだけ勇気がいるような気がした。

 少し主張を始めた鼓動を抑えるように、オリヴィアは深呼吸する。レナードの私室の前に立つと、控えめに声を掛けた。

「……隊長。話があるんだ」

 レナードの返事を待って、オリヴィアは扉を開ける。場所を移しても彼の部屋の様子は大して変わらないらしく、荷物が所狭しと積み重ねられている。全ての荷物を運んできてくれた者に、この男は感謝すべきである。そんな風に考えながら、緊張を解そうとした。オリヴィアの来訪を喜ぶように、彼の部屋に今もいたらしいセイロウが、レナードの肩で翼を大きく踊らせた。

 ふと、ここに居るとばかり思っていたセオドアが不在であることに気がつく。そうであるならば好都合である。二人を前にあれこれ喋るのは、一人を相手取るよりも難しいだろう。

「何の用だ?」

 レナードは、いつも通りの様子で机に向かっていた。相変わらず机の大きさに身体の大きさが合っていない。一ついつもと違うことと言えば、その顔にくっきりと隈が刻まれていることだろう。彼とて、心も身体も削り続けているはずなのだ。どうせ、昨日も碌に寝ていないのだろう。

 昨日とは打って変わって、隠れ家の中は普段通りの時間が流れている。悲しむのは昨日限りで終わりなのだと、皆が皆意識しているのだろうと思う。だから、オリヴィアもこれ以上普段通りでないところを探すのは止めにした。

「……レジスタンスは、これからブライアンを探すんだよな?」

 あくまでも、確認のつもりだった。オリヴィアの問いに、しかしレナードは「違う」と短く答えた。そして、こう続けた。

「これから俺達は国王を追う。ブライアンはその次だな」

 思わず耳を疑う。そんなオリヴィアを知ってか知らずか、レナードは続ける。

「国王が単身で放浪しているというのなら、またとない好機だ。どういうわけかは、わからんがな」

「……意味が、わからない。今はそんなことをしている場合じゃないよな。魔物に襲われてる人が沢山いるっていうのに」

 国王を倒しても、フィオーレ全体を襲う異常事態に変化が起こるわけではない。彼は只の人間なのだ。黄龍をこの世に留める依代であるという、その一点を除けば。

 どこからともなく現れた魔物達を放っておけば、失われる命も増えていくばかりだ。ブライアンが元凶だというのならば、早く彼を止めなければならない。

 魔導士を含め、身を守る能力のある者は生き延びられるかもしれない。しかし、そうでない者の方が圧倒的に多いのだ。子供が箒や鍬を振り回したところで、何になる。魔物への対処を知っているのは我々だけなのだから、これ以上の被害を食い止めることができるのも、レジスタンスの者だけなのだ。

 思わぬ方向に、会話が進行している。オリヴィアの頭の中に、「なんで」と「どうして」を繰り返し問う自分がいる。

「何か勘違いしているようだな。レジスタンスの狙いは何だ? 人助けか? 奴の始末は傀儡の王が居なくなった後でも遅くない。あれは国王の権威無しには動けん」

 ブライアンが実権を握れているのは、国王の存在あってこそ。だが、黄龍の力を手にし存分に振るっているあの男は、国王が居らずとも今度こそ「力」で国の頂点に君臨するかもしれない。それならば、ブライアンを叩くのは早いほうが良いではないか。

「今こうしてる間にも、襲われてる人がいるかもしれない」

 レナードは、小馬鹿にしたようにオリヴィアを見下ろしている。

「ああ、そうだろうな。――問うが。そのことと魔導士に何の関係があるというのだ?」

 レナードの答えに、オリヴィアは目を瞠った。無意識に唇が震える。人間なら誰が襲われても構わないと言うのか、この男は。口をついて飛び出した声は、自分でも分かるほどはっきりと乾いていた。

「……見損なったよ、隊長」

「ふん。自分の都合のいいように俺を誤解していただけだろう? とにかく、国王の捜索が先決だ」

「断る。私はブライアンを探しに行く」

 オリヴィアは今、明らかに冷静さを欠いている。自覚はしていても、そう言わずにはいられなかった。レジスタンスがそれをしないというなら、オリヴィア一人でもやるしかない。

「探してどうする? お前が一人で倒せる相手だとでも言うのか。……もう少し聡い子だと思っていたがな」

 嘲弄を隠しもしないレナードに、オリヴィアは腹の奥から沸き立つような憤りを覚えていた。

「……策がないわけじゃない。どちらにせよ、国王を優先するのならあんたに従う訳にはいかない」

 虚勢を張ったのではない。オリヴィアは一つだけ、対抗しうる手段に考えが至っている。

「ほう?」

 せせら笑うような声。おまえに何ができる、魔力も無ければ剣の才も無いおまえに。そう言わんばかりだった。自分の無力さなど、オリヴィアが一番理解している。悔しいと思っている。レナードにこんな感覚は分からないだろう。無力感など、味わったこともないのだろう。

「……っ、ならあんたは生き別れの兄と悲劇を演じてくればいい。私は舞台を降りる」

 頭に血が上っていた。言い過ぎた、と思ったときには手遅れだった。

「そうだな」

 レナードの声が一段と低くなる。獅子に狙いを定められたように、立ち尽くしたま怯えることしかできない。

「では、役を退いた演者には早々に退場してもらわねばな。直系の血が一つ途絶え封印が解かれた今、レジスタンスが態々お前を保護する理由も薄い」

 男の刺すような目が、オリヴィアには苦しかった。温度のない顔だった。まるでオリヴィアなどどうでもよく、重要だったのは血筋のみとでもいうような台詞だった。それがとてつもなく、苦しい。息が詰まる。レナードだけは、一つの個としてオリヴィアを扱ってくれていると信じたかったのに。

 ――それでも、今ここで折れたら一生後悔する、と思った。悪いことをしているわけではない。描く未来が違うだけのことなのだ。意思を曲げる訳にはいかない。

 しばし、互いに黙っていた。レナードの真意は分からない。オリヴィアにとっては、吐きつけたい言葉を――口に出してしまえば取り返しがつかなくなるであろう台詞を――飲み込むべきか、吐いてしまうか、悩む時間だった。そして、言うと決めた。開きかけた唇はとうに乾いている。

「……分かった。出て行くよ」

 先程までレナードの肩に止まっていたセイロウは、迷うように二人の間を数度、行ったり来たりしている。セイロウが妙にレナードに懐いていることすら気に食わなくて、半ば八つ当たりのように突き放した。

「お前は、隊長のところにいたら良いだろ」

 後戻りはできないのだとオリヴィア自身を戒めるように、

「もう、戻らないから」

 と、言った。相対する男の顔は、怖くて見られない。決意が揺らぐ前に行かないといけないと思った。レナードは、何も言わなかった。

 ――ああ、今私は、一番大事なものを失ってしまったのだ。

 どこか客観的に、そう感じた。静かにレナードに背を向ける。ここにいたいという気持ちを断ち切るように、迷わないように、振り返りもせず部屋の扉を力一杯開いた。

 オリヴィアとレナードのやり取りが不穏であることに気がついたのか、レジスタンスの

者達が様子を窺っていたらしい。邪魔だ。放っておいてくれ。俯いたまま、すり抜けるように隠れ家を出た。

「えっ、本当に行く気……、オリヴィア君! レナード!」

 セオドアの声が背後から聞こえてくる。意思が揺らがないように、自分の決断を守り通すために、耳を塞いだ。立ち止まったら、泣いてしまいそうだった。



 セオドアは、残酷な速度で落ちてしまった日を眺めながら、オリヴィアの無事を祈っていた。そして、たった今娘を手放したばかりの親友に、何か言ってやらねばと思った。

「……大根役者め」

 そう声をかければ、レナードは苦痛がにじんだ汗を流しながら、寂しそうに笑ってみせる。

「あんな演技で通用するの、フィオーレ中探してもオリヴィア君くらいだよ。馬鹿だなあ、君も、あの子も……」

「もう……行った、か?」

 セオドアの言葉には答えずに、レナードはオリヴィアの所在を尋ねた。今の彼には余裕がない。

「うん、山道を下っていった」

「そう、か…………うっ……」

 レナードが、心臓を抑えながら膝をつく。身体への異変を感じさせぬよう、限界まで耐えていたのだ。少し休ませてやろうと、腕を差し出した。素直にセオドアの手を掴んだレナードは、支えにして何とか立ち上がる。肩を貸して、慎重に休める部屋まで足を運んでゆく。

「身体が……中から、焼ける、ようだ」

 病ではない。だから、対処のしようもない。このどうしようもなく甘え下手な親友にできることといえば、精々いつも通り接してやるくらいだ。

 本当に馬鹿なやつ。いつ別れが訪れるか分からないこんなときに、あんな別れ方をして。後悔したときには遅いというのに。

「あとどのくらい持ちそうなの」

 セオドアは、敢えて言葉を取り繕わずに聞いた。友は汗ばんだ顔で片頬に笑みさえ浮かべながら、

「……死なんさ」

 と言った。

 数多の死をくぐり抜けてきた戦士の勘なのか。死期が近いことを、彼は既に覚悟している。諦めの悪さが取り柄だった男が、とうに生き延びることを放棄している。だてに長年付き合ってきたわけではない。そのくらい、見ていれば分かる。

 異変の理由など分かりきっていた。セオドアに出来ることは、原因――ブライアンを取り除く努力をすることだけだ。はるか昔に死ねない理由を失っているのだ。ならば、生きるべき理由がある彼が済ませた死の覚悟を、見届けることに命を使い切ったっていい。

「セオドア。……すまない。最後まで付き合わせて。すまない」

「何を今更」

「もう何もかも無くしてしまった。ここからは、俺個人の問題だ」

「……そうでもないよ」

 理由を敢えて並べる必要もなかろう。短く答えると、セオドアはレナードを支えたままの腕に力を込め直した。全てを懸けたのだ。懸けただけの意味があったのだと、思いたいではないか。


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