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血脈の傀儡 フィオーレ王国戦記  作者: 御崎 仲太郎
家族と呼べた人達
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レジスタンスの隊長

 不規則な振動が身体に響く。

 泣き疲れて寝てしまったらしい。目を覚まして、()()出来事が夢でなかったことに、オリヴィアは静かに絶望した。

 相当な悪路を走っているらしく、時折身体が跳ねたかと思うと、腰から床板に叩き付けられる。どこへ向かっているのかもわからず、身動きも取れない現状に、オリヴィアはただじっと時が過ぎるのを待った。手足は縛られ、視界いっぱいに広がるのは荷馬車の天蓋だけだ。

 食い込んで痛む手足の拘束が、憎らしかった。

 オリヴィアの、十六歳の少女という印象からはかけ離れた痩せて骨ばった身体に、振動が起こるたびに和らぐことのない衝撃が直に襲う。抵抗したときに負った火傷が何かと触れると、その痛みは耐え難いほどだった。よく綺麗だと褒められた長い銀髪も、先ほどの出来事で一部が焦げてちりちりと絡まっている。

 じっと見つめても、うす汚れた幌の天蓋はそれ以上何も語らない。身体がわずかに傾いているように感じるので、山を駆け上がっているのかもしれない。そうだとすれば、酷いこの揺れにも納得がいく。

 ふいに大きく馬車が跳ねて、同時にオリヴィアの身体も跳ね上がった。受け身も取れないまま思い切り硬い床板に落下する。床板は、ぎしりと大きな音を立てた。

「いっ、つ……」

 予想もしない大きな衝撃に、オリヴィアは思わずうめき声を上げた。理不尽な痛みが、理解の追い付かない状況とともに、少女の瞳に小さな涙を浮かべさせた。

「あはは、大丈夫? 逃げないって誓えるなら、その拘束具。解いてあげてもいいんだけど」

 おどけた顔で自身を覗き込む少年を思い切り睨み上げるが、どこ吹く風という様子である。――逃げようにも、帰る場所は既に彼に潰されている。

 観念して、オリヴィアは降参を告げた。

「外して、くれ」

 少年は鼻歌でも歌いそうな顔でオリヴィアの手枷、そして足枷を解いてゆく。

「……はい、取れたよ」

 自由になった手をさすって、オリヴィアはのろのろと上体を起こした。数時間ぶりに開放された安心感でほっと息をついたが、すぐに孤児院の事が過ぎって、胸を刺されたような痛みを覚える。

 理解が追いつかない出来事。魔導士に内通していたという疑いも、こうして少年に捕らえられては晴らすことはできないのだろう。家族と呼べた人たちへ、顔向けすることもできない。

 それは、絶望だった。

 逃げ出す気力はとうに無い。

「そんな顔しないで。……ごめんね」

 少年の物腰の柔らかさも、オリヴィアにすれば一層の不気味さを感じずにはいられなかった。つい数時間前の少年は、まるで音楽を奏でるように軽やかな手つきで炎を自在に操ってみせた。魔導士というものの恐ろしさを、彼女は確かに肌で感じていた。炎がかすめた頬がちりちりと痛む。

 数時間前の惨事を思い出して、オリヴィアは無意識に自身の身体を抱き締める。

 ふと目を少年の顔から逸らすと、少年の左手の甲が目に映った。魔導士である証である模様がはっきりと刻まれたそれは、不気味にも、どこか神秘的にも見える。じっと見つめると、吸い込まれそうな錯覚すら覚えるほどだ。

 オリヴィアの目線を感じたらしい少年は、少しの沈黙のあと、合点がいったように口を開く。

「ああ、これ? 聖痕。まあ、珍しいよね、そりゃあ……」

「――セイコン」

「君たちが『悪魔の印』って言ってるやつ。魔導士には、神聖なものなんだよねえ。だから、()痕」

「……」

「そんな怖い顔しないでよ。おっかないなあ……。

 ああ、そういえば自己紹介してなかったよね。僕はアルフレッド。アルフでいいよ」

 アルフレッドと名乗った少年は、オリヴィアの気を紛らわそうとしているのか、しきりに調子のいい声で話しかける。だが、オリヴィアにとっては、そんな少年がただただ不気味に感じられた。

「ねえ、ちょっとは返事してくれてもいいんじゃない? 僕は人形に話しかけてるわけじゃないんだけど」

 口を聞く気にはなれない。オリヴィアの内は、ただただ絶望で満たされている。

 未だ酷く揺れる馬車。壁にもたれかかると、オリヴィアは再び目を閉じた。


 もたれ掛かっていた馬車の動きが急に止まって、また背中が壁に叩きつけられた。馬のいななきが辺りに響き渡る。

「ついたよ、オリヴィア」

 しばらくぶりに少年に話しかけられて、オリヴィアははっと我に返った。感覚では馬車に詰め込まれてから数刻しか経っていないので、カトレアまで運ばれたわけではないらしい。

アルフレッドに促されるまま馬車をはい出ると、視界いっぱいを鬱蒼とした木々が覆った。山の中か、森の中か。少なくとも、人里離れた場所であることは間違いなかった。

「あっち、あっち」

 アルフレッドに指された方を見ると、そこには予想外のものがあった。それなりの大きさのある、立派な木造の建物である。ずっと馬車馬を操っていたらしい青年がそちらへと足早に向かっていた。

 少年に手を引かれて、不本意ながらオリヴィアもその建物へと歩みを進める。

 少年に連れられて恐る恐る出入り口に立つ。その建物の中は、思わず山奥にあるであろうことを忘れそうになるほど小奇麗だった。こんな場所になぜこんな建物があるのかを必死に考えてみても納得のいく解答は見当たらない。だが、少年に口を聞くのも癪だったので、尋ねてみようとは思わないのだった。

「あれ。顔色が悪いよ、オリヴィア。酔っちゃったかな? まあ、あんな道を走ってたわけだし、無理もないけどさ」

「別に大――」

 癖で反射的にオリヴィアが言いかけた言葉は、呆れ顔のアルフレッドにあっさりと遮られた。

「大丈夫って言葉は、大丈夫じゃないときに言う言葉だよ。……ルーク、悪いけど隊長にオリヴィアのこと伝えてきてよ。僕は休める場所に連れて行くからさ」

 ルークと呼ばれた、先ほどまで馬を引いていた男は、ぶっきらぼうに「了解」と答えてさっさと奥の方へと進んでいってしまった。

 導かれるままにアルフレッドに小部屋に通される。

 部屋の隅に置いてあるベッドを指さし「座ってて」とだけ言い残して、彼は部屋から出て行ってしまった。だが、オリヴィアはアルフレッドが出かけに抜け目なく施錠したのを聞き逃さなかった。

 どこか丁重に扱われているようであるのに、逃がす気はないという意思を確かに感じられる。

 オリヴィアは腰かけたベッドにそのまま倒れこんだ。思いのほかマットレスは柔らかく、彼女の体をいやに包み込む。街に居れば考えられないほど静まった空気は、オリヴィアの心を妙に急き立てた。

 一連の出来事の記憶が無意識に反芻する。

 目に焼き付いているのは、じわじわと勢力を上げながら燃える孤児院。そして、自身を乗せた馬車を呆然とした様子で見つめる家族。

 アルフレッドと名乗ったあの少年は一体何者なのだ。わかっているのは、彼が魔導士であるということだけ。

 絶望感の中に、少年に対する怨情がふつふつと湧いてくる。少年は何故私を無理矢理攫ってみせたのか。そもそも、騎士団に狙われるようになった原因とは? 頭の中を疑問が埋め尽くしてゆく。

 少年は、私の目を見たとき何と言ったのだったか。


 ――そうだ。あの時アルフレッドは――。

 ――『セイコン』と言ったのだ。

 その時の唇の動きが、馬車での記憶と一本に繋がる。


 聖痕――?


 ざあっと血の気が引く音がした。だがその想像は恐ろしいほどに、この状況を説明するに足る理屈を伴っていた。

 不意に、扉の叩かれる音が部屋に響いた。静寂を割る乾いた木の音は、オリヴィアを現実へと急に引き戻す。額にいつの間にか流れていた汗を乱暴に拭って、腕を放り投げた。

「入るぞ」

 聞き覚えの無い、重々しい男の声が響く。オリヴィアは慌てて上体を起こして座りなおした。

 きぃと音を立てながら開いた扉に続いて現れたのは、岩のような大男だった。

 男と目が合って、瞬間オリヴィアは、謎の引力に吸い込まれるような錯覚に陥る。男の瞳は、剣にこびりついた血のような朱殷しゅあんで、獲物を前に神経を研ぎ澄ます獅子のように鋭かった。オリヴィアの腿ほどもありそうな彼の太い腕にかかれば、彼女を手に掛けるくらいわけもないだろう。歴戦の戦士という称号がぴたりと嵌りそうな、壮年の大男。

 男は、静かにこちらを見つめている。男の全身を眺め回していた自身と、同じように。

 その巨躯からは驚くほど静かな足音で、男がこちらにやってくる。思わず身構えた。

 そのままオリヴィアの目の前で立ち止まった男は、片膝をついてしゃがみ込む――ベッドに座ったままのオリヴィアの目線に、合わせるように。そして伸びてくる太い腕は、オリヴィアの顎を捕らえる。

 ――心臓が跳ねる。

 相対している男の喉もごくりと鳴った。

 顎を掴む男の指先に、僅かに力が篭もる。

「……オリ、ヴィア。オリヴィア、なのだな」

 掠れの混じった、重苦しいほど低い声。だが、その声には少なからず驚愕か、そういった類の何かの感情を内包していた。

 男の目ははっきりと自身の左目を捉えている。薄々存在を自身でも確信し始めている、その()()を探すように。

 目を凝視されるのは苦手だ。逸したくなるが、がっしりとした腕がそれを阻む。

 男の手が離れる。その指は微かに震えているようにも見えた。男の静かな呼吸音が聞こえてくる。

「顔色が悪いが。具合が悪いのか?」

 問いには答えない。

 この男も妙な気を使う。何となく、先のアルフレッドと似た部分がある。――それが、腹立たしい。

「ですよねー。さっきから口、聞いてくれなくて」

 聞き覚えのある、明るい少年の声が扉の奥から聞こえる。視線の先に立っているアルフレッドに、恨みの色を隠さず睨みつけた。

 すぐさま、少年の苦笑する声が聞こえてくる。

「……無理もない。お前のことだから大方、無理矢理ここまで連れてきたんだろう」

「成り行きで、仕方なく……へへ」

 男が、ため息混じりに少年を一瞥した。アルフレッドは頬を掻きながら照れ臭そうに笑う。

「内の者が失礼した。話を聞いてくれないか。

 ……申し遅れた、俺の名はレナード。この組織――レジスタンスの隊長だ」

 男はこちらの目を真っ直ぐ見て言う。朱いその目は、強い光を湛えているようにも感じる。

「レジスタンス……」

 予想外のような、予想がついていたような複雑な気持ちになって、思わず呟いた。

 レジスタンス。十六年前に国を揺るがす革命を起こした、魔導士を束ねる組織の名。

 レナードという名前も、もちろん知っている。革命の首謀者として指名手配されている男――寮に張り巡らされていた手配書が脳裏に浮かんだ。

「知っているか」

「当然だ。この国で知らないものなど居ない……」

 自身の喉から放たれた声は、引きずるように重かった。

「……それもそうだな、ならば話は早い。我々はお前のことを、長く探してきた」

 何故、と問うのは愚問に思えた。喉まで出掛かったその言葉は唇で噛み殺し、代わりに沈黙で返事をする。

 静寂が流れて、互いの呼吸音まで聞こえるほどに重苦しい空気がオリヴィアを包んだ。背中には、冷たい汗が流れる感覚があった。

 ――この左目に、答えはあるのだろう。

 そっと顔を伏せる。

 レナードは手近な椅子に座り込んだ。音は殆ど立てない。

 少しの間を置いて、その静けさは男の声にゆっくりと割られる。

「教えて欲しい――お前が今まで、どうやって生きてきたのかを」

 その声は、思わず耳を疑うほどに穏やかな色を含んだ色だった。彼の瞳は、変わらずオリヴィアの目を真っ直ぐに見ている。

 真剣な眼差しを向ける男に、オリヴィアは警戒心が薄れていくような感覚を覚えた。

 そして、考え込む。真摯なレナードの目に、それ相応の態度を取ろうと思わされたのだった。

「……ウェステリアにいた。ラッセル男爵の私兵部隊。それまでは、孤児院で暮らしてた」

 ちらりとレナードの方を見やると、目を閉じ眉を潜めて、遣る瀬無さを滲ませた表情をしている。

 続ける言葉を探すように、男はゆっくりと首を振った。

「もう一つ、聞きたい。

 お前は――――その左目の()()()()()()()()()()?」

 レナードの声にびくりと体を震わせる。

 オリヴィアは、思わず左目を手で覆った。


 ――決定的だった。

 頭の中がしびれる感覚に陥る。

 目を覆う指は無意識に震えている。その隙間を通して、焦点の合わない男の顔が瞳に映されていた。


「……そうか。急に飲み込めと言われる方が無理だろう。だが――事実だ。お前は、魔導士なんだ」

 男の声は無慈悲にもオリヴィアの心を抉る。

 肺から抜ける息は開いた唇を戦慄かせた。

「なんで、そんな。私は、……私は」

 戦争孤児で。ただの人間で。

 だが、男の無慈悲な声はオリヴィアの思いを否定する。

「理由は話そう。どちらにせよ――お前は受け入れるしか無いのだから。それがお前にとってどれだけ残酷なことであったとしても」

 ゆっくりと息を吐いたレナードの肩から、ふと痣のようなものが覗く。

 龍の尾のような、不気味な紋がとぐろを巻いている。

 ――聖痕。

 それを見つめるオリヴィアの視線に気づいたのか、男はそっと襟元を正す。

 この男も、間違いなく魔導士なのだ。その事実に、何故か落ち着いていく心を感じた。敵なのか味方なのか、それすらもわからない男であるというのに。

「十六年前の、我々が起こした革命のことは知っているな。そして、その直後に国王軍によるカトレアへの遠征があったことも」

 出し抜けに尋ねられて、肩が反応する。

「……知って、る」

 誰もが知っているこのフィオーレ王国の歴史。

 十六年前。魔導士が突如起こした革命は失敗に終わり、国王軍による粛清が行われた。記憶は今を生きる大人たちに色濃く残っている。

 院長にも、何度も語られたその出来事。

「お前の生まれたばかりの頃だ。当時カトレアに居たお前はその戦禍を被ることになった。他の魔導士の尽力でなんとか死だけは免れたお前も、魔導士の手からは離れてしまった」

 レナードはとつとつと、だが淡々と事実のみを語る。

「お前は魔導士の中でも、直系と呼ばれる五つの家系のうちの一つ――リブラ家最後の末裔。魔導士にとってその血は重い意味を持つ。だから、我々はお前を探し続けていたんだ」

 男の声が途切れ、僅かな呼吸音が聞こえてくる。

 やっと思考がその言葉に追いついて、腸が煮えくり返るような感覚を覚える。

 たった今唇が震えているのは、恐怖のせいではない。

「そんな理由で、あんたらは! 私の場所を、奪ったのか!」

 馬車の中で見た最後の光景。

 音を立てながら燃え上がる、かつて家と呼べた唯一の場所。呆然とそこに立ち尽くす家族達。

 感情の昂ぶりが、瞳からも小さく溢れ出した。

「すまない。俺もまだ、何があったのか知らんのだ。アルフ、お前は一体何を……いや、今はいい」

 レナードはオリヴィアの顔を伺うように覗き込む。

 目が合った瞬間に強く睨みあげると、男の眉が一瞬動いた。

 だが、レナードのその唇は再び開かれる。

「我々レジスタンスはその魔導士の中で、国王を倒そうという意思を持つ者の集まりだ。

 カトレアの連中がどう思っているか知らんが、どちらにせよ……お前の存在はカトレアに有効に働くんでな。協力してもらう」

 有無を言わせぬようなレナードの態度に、オリヴィアは少し身じろぎする。ただ、黙ってこの男の希望を叶えるなど、まっぴらだった。

「……、嫌だと、言ったら?」

 威圧的な顔をした男を目の前に、絞り出すように言った。

 男の眉がまた、僅かに顰められる。

「悪いが、帰すつもりは無い。嫌なら縛り付けるまでだな」

「……なんで!」

「言ったはずだ。お前の存在自体が我々にとって――魔導士にとって重要な意味を持つと。

 そして生憎俺は、隠れ家の場所を知った者を安易に逃してやるほど優しくはないんでな」

 狭苦しい空間に響く、男の冷酷な声。

 オリヴィアの握り込んだ拳は、静かに戦慄いた。

「私の、意志じゃない」

 急に騎士団から追われていると告げられた。そして、何故か騎士団ではなく魔導士の少年が無理矢理自身を攫ってみせた。

 今自身を取り巻くこの状況全てに、オリヴィアの意志はひとかけらも反映されていない。

 無意識に震え続ける拳を、爪が食い込む程に力を込める。オリヴィアは渾身の力でレナードを睨みつけた。

 だが、睨み付けた顔は、面を引っ掛けたように、少しも動きはしない。

「お前の意志は関係ない。二度も同じことを言わせるな。――アルフレッド」

「はい」

 少年の凛とした声が耳に届く。ついで響くのは、冷淡な男の言葉。

「閉じ込めておけ」

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