表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/63

逡巡の果て

 重苦しい空気が部屋中を包んでいる。暖炉の熱を逃がさないよう、窓や戸を締め切っているせいではなかった。寒さを極めるカトレアだが、今はどれだけ寒くても屋外に逃げたい気分だ。ルークは、空気をひりつかせる原因を生み出す女性をちらりと見遣った。

「何が一体、どうなっているというのです!」

 女性――ジャスミンが苛立ちに任せて勢いよく床を踏みつけると、老朽化の進んだ床板が悲鳴を上げる。ここに居る皆、気持ちは彼女と同じだろう。だが、それを表に出すか出さないかには大きな隔たりがある。ジャスミンより十も年下のエレノアのほうが、余程冷静に事実と向き合っているように思う。

「少し、落ち着かれては」

 どうしても声に非難の色が混じるのを自覚しながら、ルークが言った。とはいえ、彼女が取り乱す理由もわかる。こんな状況であるというのに、頼るべきギデオンが数日前から臥しているのだから。自分の頭で考えて動くということをしてこなかったのだろう、無理もない。今カトレアを治めるべき立ち位置にいるのが、ジャスミンなのだ。

「わたくしは落ち着いています! 何故です!? 先程の揺れは何なのです!」

 ――空が割れた。そう錯覚するほど大きな、大きな地震だった。痛んだ建物が悲鳴を上げ、落下した花瓶が割れ、踏ん張りがつかずに転倒した。

 黄龍の封印が解除されてから、原因不明の地震は何度も起こっている。おそらくは土を司る黄龍が目覚めたことによる影響であろうし、言い方は少々雑になるが、それ自体は些末な問題だった。もっとずっと、根本的に魔導士の社会に震撼をもたらす出来事が起こっている。


 地震の直後から――()()()()()()()()()()()のである。


 魔導士の力は直系一族の存在によって成り立っている。裏を返せば、直系の血が潰えれば魔力が失われるということである。金の一族――直系の血を引くものの名は、イアン・タウルス。彼の身に、何かが起こったというのか。

 長年の友人であるイアンの顔が脳裏に浮かんで、ルーク自身も焦慮に駆られている。身動きの取れない現状に苛立ち、今にも飛び出したい気分だった。それらの感情を抑え込んで、ルークは今ここにいるのだ。

「ルーク様。ルーク様は、今も魔力を使えるのですよね?」

 エレノア・ディオネ・ティティス――魔導士の中でも特殊な立ち位置の彼女は、確認するように問いかける。考えれば考えるほど希望を失いそうになる今は、事実と感情を切り離して状況を整理すべきである。そういった意味で、年相応以上に大人びたエレノアの冷静さに、年上のはずのルークが助けられている。

「……はい。我が主は無事のようです」

 全身に迸る力は、今もなお健在だ。それが、オリヴィアが無事であることの何よりの証左。考えるのも厭になるが、彼女が命を落とせば直系の血が絶えることになる。そうなれば、青龍の力を得る者皆が魔力を失うだろう。

 とはいえ、心配はしていなかった。セオドアは命に代えてもオリヴィアを守ってみせるだろう。護衛についたのが彼でなければ、屋敷の窓から抜け出してでもオリヴィアを追いかけているところだ。

「申し訳ありません。あの男(ブライアン)に狙われるとすれば、オリヴィア様だと思っておりましたから」

「それは……」

 エレノアの言っていることは理解できる。力を生まれつき持たないオリヴィアは、いざというときに自分の身を守ることができないだろう、と。実際、オリヴィアを送り出す前に護衛を増やそうと躍起になっていたのはエレノアだった。特に元レジスタンスの者達であれば多少腕も立つだろうと言って、随分熱心に募っていたようである。魔導士の危機に立ち上がる者が居なかったことは、流石に予想外だったが。王都の一件で分裂したレジスタンスのように、カトレアの内部とて一枚岩ではないのだ。

 火の一族の末裔であり、長老であるギデオンに従う者をギデオン派とすれば、彼らにとっては伝統を守り続けることこそが最重要だった。五つの直系一族達の血脈を確実に残し、「かつてのフィオーレ」――即ち、魔導士が治める世界こそを夢見ている。魔導士は神によって愛された者であるという、選民思考が強いのが彼らだった。

 エレノアを始めとする枢機卿――魔力封印を司る役割の者達である――と、それに追随する者達も理想こそギデオン派に近いが、決定的に違う面がある。生きるのにもやっとの魔導士の立場を憂い、ただ魔導士の安寧を望んでいるのが彼らだ。その点においてギデオン派とは大きく一線を画し、血統主義の強いギデオン達を激しく嫌う者もいる。

 ――どちらにも共通しているのは、十六年前の革命で大敗し、魔導士を窮地に追いやったレジスタンスを酷く憎んでいるということだけか。そしてそこに加わった第三の立ち位置が――レジスタンスと理想を同じくしながら、レナードを見限った者達の集団。様々な思惑が入り混じる中で、今、魔導士達の世界は変化の最中にある。

「ルーク様は、セオドア様のことを信頼されているのですね」

 エレノアは花が綻ぶような笑顔を見せる。彼女の声色は、どこかその関係性を羨むようでもあった。

「リブラの家など、最早あってないようなものでしょう。不純物が生き残って、何故……」

 言いかけるジャスミンの言葉を、ルークが遮る。

「……ジャスミン様」

 彼女への侮辱は看過できない。ルークが静かにジャスミンを見据えると、彼女は気分を酷く害したような顔で黙った。

 セオドアの生家は、ゲヌビがリブラの守護を役目とするように、水の一族を守る使命を持っていた。「レジスタンスに加担しているのが気に入らない」という理由でセオドアの護衛を断ったのはジャスミン本人であり、挙げ句オリヴィアを護衛するのが()であるはずのルーク自身をむりやりここに留まらせたのだから、この女は本当にたちが悪い。ルークとてほんの少し前まではレジスタンスの一員だったのだから、理屈が通らないのだ。大方、気に食わないリブラの末裔からお気に入りを奪ってやるくらいのつもりだったのだろう、そういう思考が透けて見える。

 ルークとジャスミンの間に流れていた冷ややかな空気を気にも留めず、エレノアが考え込むように言う。

「オリヴィア様は無事に青龍神の御許へたどり着けたようですから、じきにお戻りになるかと。ランタナ領は距離がありますし、アルフレッド様の帰還は今しばらくかかるかもしれませんね」

 オリヴィアの使いとして飛んできた魔力の鷹からは、青龍の力を感じることができた。それは紛れもなく、オリヴィアが無事に役目を果たした証。

「私は……私は、どうすればよいのでしょう。どうすればよかったのでしょうか」

 それは、彼女の責任感からのものだった。彼女は、四霊の意思を感じ取ることができる。封印の儀には、神々と深く同調することのできる彼女が不可欠だ。希有な能力を得たあまりに、幼い頃から枢機卿として封印を監視し続けてきたのである。そうして課される使命を全うしてきた彼女の、黄金の瞳が迷いに揺れる。

「……これまで私は、与えられた役割を精一杯こなしてきたつもりです。望まれたとおりの役目を果たすことに全力を尽くしてきました。でも、それは間違いだったのでしょうか」

 エレノアは、魔導士のために尽力してきた。カトレアの狭い世界しか知らない彼女は、その小さな箱庭の中で、ずっと。ルークには、その内心が痛いほど分かってしまう。一番近いところで、そういう生き方を見てきたのだから。

 存在を求められるのが嬉しくて、言いつけ通りに過ごしていくうちに、自分の気持ちを抑え込んで――そして、気がつけば大人として振る舞うことを自分に課している。それは、まさしくルークの母が歩んだ生き方だった。そして彼女は、憧憬を抱いたまま散った。今のエレノアと、全く同じ道を辿って。実に馬鹿らしいことだ。

「ご自分で、考えられては」

 ルークは、ルーク自身にも向けるように言った。内心で自嘲する。ああはなるまいと誓ってレジスタンスに身を置いて、結局何も変わらないままだった。「ルーク」が望む生き方と、「ゲヌビ」が理想とする生き方の狭間で。今この場にいることこそが、どちらを取るのかを決めかねた結果だ。

「……そうですよね」

 エレノアは、納得したように頷く。

「もし、もし、不吉な予想が現実だとしたら。きっとそれは、魔導士にとって大きな転換期が来てしまったということです。自分で考えて、選んで、生きなければならないのですよね」

「で、ですが、まだイアン様の身に何かがあったとは限りませんわ。ブライアンがまた奇怪な術でも使ったのかもしれませんし……」

 こればかりは、ジャスミンの言ったとおりであれば良いと思う。同年代の友人と呼べる存在など、今やイアンくらいのものなのだから。無事であって欲しい、どうか。それに、同行したコーデリアの安否も気になる。

「……ルーク様、先程から少しだけ……その」

 言いにくそうな声で、エレノアが言う。

「何か」

「そわそわ……と言いますか、珍しく落ち着いていらっしゃらないので」

 ふと、組んだ腕に視線を落とす。指先が忙しなく、二の腕を叩いていた。無意識だった。

「……失礼」

 きまりが悪くて、咳払いした。

「待っていることしか、できないのでしょうか。今の我々には」

 エレノアが、逡巡するように言葉を漏らす。決心がつかないという意味で、きっとルークと同じなのだ。言外に見え隠れするその気持ちを後押しするように、ルークはエレノアの求めているであろう言葉を返してやる。

「合流を急ぐなら、我々が移動するのも有効かと。カトレアに戻る前に、彼らはほぼ確実にレジスタンスの拠点を通過するでしょうから」

 オリヴィアやアルフレッドも、当然この異変を感じ取っていることだろう。どのみち全員が揃わぬことには状況の整理もできないのだから、身の安全を取って一度隠れ家へ行くはずである。

「……そうですよね! そうすれば数日は早く合流できますし、」

「あり得ませんわ」

 ジャスミンは言いかけるエレノアをばっさりと遮り、ルークを刺すような目で見た。

「巫女がカトレアの地を離れるなど、聞いたことがありませんわ」

 エレノアが俯きがちになる。黄龍の封印の要である巫女には、常にそれを監視する役目がある。このカトレア領から出れば、その責務を放り出すことになる――責任感が強い彼女は、そう考えてしまうのだろう。

 しかし。

「お言葉ですが。封印が消失した可能性が……金の一族の血が失われた可能性がある今、それが真実かどうか確かめるのは、巫女の役目を果たしていると言えるのでは?」

 自身は、何故こうもこの少女に肩を入れてしまうのだろう。そんな風にぼんやりと頭の片隅で考えながら、ルークが言った。途端にエレノアの顔が明るくなる。対照的に怪訝になるジャスミンの表情を意図的に見ないようにするためなのか、ルークの目をしっかりと見ながらエレノアが言う。

「……決めました。ルーク様……私を、レジスタンスの元まで連れて行って下さいませんか」

 冷静であろうとする一方で、内心では気持ちを燻らせている。その辺りがオリヴィアと同じだ。とはいえ一見素直な反応を示す分、エレノアの方がいくぶんか扱いやすいのだが。

 焚きつけたのはルーク自身なのだから、それを引き受けるのは当然だった。そして、それに乗じてもう一度――今度こそ。

 使命ではなく自分の意思で、自分が正しいと思う「自分の役目」を果たそう。

「御意に。ゲヌビの名に……いえ。未来の自分自身に恥じぬよう、必ずエレノア様を無事にお連れしてみせましょう」

 これは、誰かのためではない。自分のための道なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ