セオドア、過去の記憶(2)
レナードの看病の甲斐もあり、数日でアルフレッドは一応の回復を見せた。元々身体が強くないことも衰弱に拍車を掛けていたようで、現状歩くこともままならないが、完全に回復するのも時間の問題だろう。少なくとも顔色は間違いなく良くなったし、僅かだが肉もついた。そして何より、周囲の環境の変化に興味を持つ余裕ができたようだった。レナードのように常に面倒を見ていたわけではないが、セオドアもできるだけ顔を出して様子を見ている。長く口を開かなかったアルフレッドは、呟くように、
「……おじさん、何ていうの」
と言った。むろんこれはセオドアではなく、レナードに向けられたものである。熱心に看病してくれるレナードは、状況が飲み込めないなりに信頼できる存在であったのだろう。尋ねられたレナードは少し驚いたように目を見開くと、嬉しさを滲ませた声で言った。
「レナードだ。よろしくな」
アルフレッドは数回瞬きをして、部屋中を見渡す。レナードに支えてもらってなんとか上半身を起こすことができたようだ。今更見知らぬところにいることを悟ったらしく、小さく首を傾げていた。
「なんで僕はここにいるの」
「それは……」
どこから話せばいいものなのか、と悩んでいるであろう友人に助け船を出そうと思ったとき、アルフレッドが泣きそうな顔になっていることに気がついた。
「僕、捨てられちゃったの?」
レナードが言葉につまった。こういう役回りは自身のものだと、セオドアは心得ている。
「違うよ。僕達が君をさらってきたのさ」
壁に寄りかかって腕を組んでいるセオドアを認識していなかったようで、アルフレッドは予想外の方向から飛んできた声に背筋を強ばらせた。
「……僕、誘拐されたの?」
「まあ、そうなるね」
保護者から引き剥がしてきたのだから、事実誘拐だろう。レナードが抗議するような目を向けてくるが、下手な嘘を吐くよりはよっぽどましだ。
「でも、父上は僕を探さなかったでしょう」
アルフレッドの瞳が、途端に子供らしさを失う。まるで全てを諦めた大人のような、そういう表情だった。
「そうだね」
少し考えたが、事実をそのまま伝える。ここで取り繕っても仕方がない。全てを諦めたのなら、時間がかかっても受け入れて生きていけるはずなのだ。
「帰りたいなら、帰してあげるよ」
レナードが、信じられないといったようにセオドアを見る。唇に指を当てて、少し黙っておけと目配せした。レナードが少年の味方という立ち位置を崩す必要は無い。敢えて別の者が敵に回ってやるのが良いのだと思う。
「……いやだ」
アルフレッドの声が震える。レナードが、アルフレッドの手を握ってやっていた。
「だろうね。君は、どうしたい?」
恐らく少年はあのどうしようもない親をどうしようもなく愛しているし、親から愛情を貰うことを心から欲しているのだろう。たとえそれが、どれだけ薄い望みだとしても。
そして、少年が望む愛情を、望む者から望むだけ注がれることは無い。けして、無い。その悲しい事実を、少年はとうに知っている。
「僕を、ここにおいて。捨てないで……」
最後の方は殆ど掠れていた。熱の所為なのか、感情の昂ぶりの所為なのかはわからないが、その目は真っ赤になっている。たった十かそこらの子供に求める決断ではなかったのかもしれない。それでも、アルフレッドは選んだ。だからこそ、それを強いた大人は全力で応えてあげなければならないのだ。
「……アルフレッド。頑張って、生きような」
恐ろしく不器用なレナードの言葉は愚直だが、少年には十分だったことだろう。
アルフレッドが組織に馴染むには相当時間がかかった。軟禁され、人との関わりを遮断されていた状態だったのだから、突然それをしろという方が無理だったのだろうが、こればかりは時間のみが解決することだ。今はレナードの後ろをついて様子を窺いながらではあるが、徐々に人と話そうと努力しているようだ。頭に絡まった木の葉一枚取るために手を持ち上げてみせただけで怯えられたと、レナードですら言っていたのだ。その頃よりは、随分セオドアとも話してくれるようになった。
「……ねえ、隊長。この間言ってた探してる女の子の話、もっと教えて」
アルフレッドは、身長に合っていない椅子に座って足をばたばたと動かしている。部屋の主の巨躯に合わせた仕様なので、こればかりは仕方がない。椅子を提供してしまったレナードは、窓枠に腰掛けて少年の話を聞く体勢をとっている。
レナードの部屋は、アルフレッドにとって一番安心できる場所のようだった。食堂のように人が大勢居る場所では、やはり恐怖が先に存在するのだろう。だからこうして、セオドアも自然とここに居る時間が長くなった。換気もまめな掃除もされていない部屋だが、少なくとも物は整理されているので座る場所くらいはある。
「もう全部話したと思うぞ」
レナードの顔に、一瞬陰りが見える。だが、今のアルフレッドにその理由を察するほどの力は無い。
「そんなことないよ。だって僕、どんな見た目なのかとか知らないもの」
「……何でそんなことが知りたいんだい?」
セオドアが尋ねると、アルフレッドの表情が明るくなる。
「そしたら僕、その子を探すの手伝えるでしょ」
レナードが少し驚いた顔をする。どちらかというと、アルフレッドがレナードの力になりたいと思ってくれる自体が純粋に嬉しいようだった。
「そうだねえ。君は良い子だねえ……」
それとなく話題を逸らそうとしたとき、不意に扉が開く。
「隊長ー」
五冊ほど纏めて両手に持っているためか、足で器用に取っ手を回してサイラスが入ってくる。
「……サイラス」
レナードが説教するときは、いつも僅かだが声が低くなる。サイラスもよく分っているようで、
「手え塞がってるから扉叩くのが無理なのは仕方ねえだろ。今日は走ってこなかったんだからそっち褒めて欲しいわ」
などとのたまう。生意気だが、それはそれで子供らしくて微笑ましい。レナードも同じのようで、それ以上叱る気も削がれたようだ。
「……で、何だ」
「いつも通りだろ。この間読めって言われた本全部読んだからよ、次もらいに来た」
言葉遣いから受ける印象の割に勉強熱心なサイラスには、よくレナードが課題を出しているようだった。おおよそ、サイラスが読み終わるまでに新しい本を選んでおくという習慣がレナードにも出来上がっているらしい。サイラスは迷わず部屋に入ってくると、レナードの机に返す本を置いた。レナードの椅子で足を忙しなく動かしているアルフレッドは、顔だけは笑顔のまま、サイラスの動きに僅かに怯んでいた。
「すまん。用意する時間が無かったから、今晩までには見繕っておく」
「……珍しいな、隊長」
僅かに落胆が混じる声だったように思う。レナードがここのところ身動きの取れない理由は明白だ。アルフレッドを放っておくことができなかったからである。一連の流れを捉えどころのない笑顔で見ていたアルフレッドが、邪気のない声で言う。
「ねえ、この人はだれ」
厳密には初めて顔を合わせたわけではないが、アルフレッドは意識がなかったのだから疑問を持つのも当然である。セオドアが、軽く紹介してやる。
「サイラスだよ。君の五つ年上のお兄さんさ」
「サイラス・アルファルド。よろしくな」
机を挟んで向かい合っていたサイラスは、アルフレッドに何気なく手を差し出す。握手を求めるサイラスには応えず、アルフレッドは不思議そうにレナードを見た。
「アルファルドって、ハイドラ家の従属だよね?」
サイラスが硬直するのが、後ろから見ていたセオドアにもはっきりとわかった。
「魔力も大したこと無さそうだし」
アルフレッドが、値踏みするようにサイラスを眺め回す。僅かに呆気にとられていたレナードが、「アルフレッド!」と一喝する。聞いたことのないレナードの大声に、アルフレッドの肩が跳ねる。
「……そういうことを言うな。レジスタンスに出身は関係ない」
明らかに怯えたアルフレッドにいたたまれなくなったのか、レナードは落ち着いた声で諭す。
「でも、隊長だってずっと僕の面倒見てくれるじゃない。直系の生まれの方が大事だからでしょ?」
レナードの声が幾分か穏やかになったためなのか、それとも何が間違っているのか理解できていないからなのか。アルフレッドは、それが当然なのだとばかりに言い切る。
「……俺、行くわ」
サイラスの声は震えていた。アルフレッドに背を向けると、扉も閉めずに走って行ってしまう。
「なんでサイラスは出て行っちゃったの?」
アルフレッドは不思議な顔をする。一方のレナードは、どう行動するのが最善か考えているようだった。
「サイラスのところにいってやって。アルフには僕が言っておく」
レナードが部屋から出て行くのを見送ると、セオドアはこの少年にどう諭せば分かってもらえるのだろうか、と思案する。アルフレッドに対しては正直、面倒な子だと思う。人との付き合い方が分からない、親から見捨てられた可哀想な子。だが、それはアルフレッドが悪い訳ではないのだ。
そして、サイラスを無意識のうちに傷つけてしまっていたであろうレナードも、悪い訳ではなかったのだ。
月は未だ高く、朝が当分やってこないことを示している。少し離れた位置から規則的に聞こえる寝息は、オリヴィアがしっかりと身体を休めている証拠だ。カトレアまではまだ遠い。きっと、これからは休まるときも無くなるのだろう――どうか、今くらいゆっくりと眠って欲しい。
なぜ今になってこれを夢に見たのだろう。遠い昔というには近い、確かに記憶に残っている出来事。時は流れ、サイラスはレジスタンスを去ってしまった。
――あんたにはわかんねえよ。あんたらにはわかんねえんだよ!!
あのときのサイラスの言葉が、今になって理解できてしまった。理解すべきではなかった。今やただの敵なのだから。
懐から酒を取り出すと、ただ煽った。近くの木に括り付けてある馬が、小さく嘶いていた。




