表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/63

「……もう、大丈夫かな」

 オリヴィアの背中が徐々に小さくなってゆくのを確認して、セオドアは僅かに緊張が解ける身体を感じた。

 彼女は一人逃げることに酷く心を痛めていたが、少なくとも自身がサイラスに後れを取ることはあり得ない。なるべく短時間で片をつけて、オリヴィアと合流しなければ。

 ――正直なところ、油断していた。魔導士としてはるかに格下と言える相手に、ここまでしてやられるとは思っていなかったのである。この聡明なところこそ、あの友が可愛がっていた部分だというのに、サイラスはあっさりと友を――レナードを裏切ってみせたのだった。

 仕事は残っている。確実にサイラスを仕留めないことには、またオリヴィアの命を危険に晒してしまう。ここで下手な情を見せればもっと大きなものを失うのだと、十六年前に身が裂けるような痛みを以て学んでいる。

 自らの意思で、サイラスの行く手を阻んでいた壁を消し去る。氷の壁が砕け散る鋭い音と共に、重力に従い落ちてゆく氷の粒子が輝かんばかりだった。

「ちっ。逃がしたか」

 氷の壁を溶かし尽くさんと魔力を振るっていたサイラスは、突如砕けたそれの奥にオリヴィアの姿が無いことに気がついたようだ。

「なあ、セオドア。あんた何でそこまでするんだよ」

「……何がだい」

 互いに荒れる息を整える僅かな間。言葉にはしない休戦の時。とうにサイラスはオリヴィアを追うことを諦めたらしく、まるで談笑でもするような顔つきだった。

「自分の嫁子供が死ぬ切っ掛けになった親子が憎くねえのか」

 無為に自身の心情を揺さぶる問いに、きちんとした答えを返す必要もない。それでも、知ったような顔をする青年へセオドアは口を開いた。

「僕はね――仇を履き違えるほど、愚かではないつもりだよ」

 悲しみに囚われて、友への怨恨が沸いた日が無かったわけではなかった。自分の娘を切り捨ててでも友人の娘を戦渦から逃がさねばならなかった宿命にどうしようもなく腸が煮えくりかえり、その友に当たり散らしたことも。その行為が如何に愚劣であるか、頭の片隅では理解していた。それでも、抑えようのない感情の波だった。

 だからこそ、忘れはしない。自身の醜く歪みきった罵倒の言葉を、全て黙って受け止めた友の瞳を。ただ耐えて、最後に一言謝罪を口にした友の、苦しみに歪んだ顔を。

「……じゃあ、こちらも質問。サイラス君、君は何故レジスタンスを――レナードを裏切った?」

 感傷に飲まれそうになる前に、話題を変える。機会があれば聞こうと思っていたことだ。――最も、本当にその機会に恵まれるとは予想していなかったが。捕らえて隠れ家まで引き摺っていけばいくらでも聞けるだろうが、得られるものより払う代償の方が大きいだろう。

「答える義理はねえな」

 即答するサイラスの顔に浮かんだ表情がまるで子供が癇癪をおこしたときのそれで、僅かに気味の悪さを覚える。

「あんたにゃ、わかんねえよ」

「別に、裏切り者の心情なんて微塵も理解したいと思わないよ。僕が君に感じるべきは同情じゃない。魔導士に害をなす者への殺意だからね」

 僅かに、サイラスの瞳が揺れた気がした。

「さあ――もう、茶番は良いかい? 僕もね、ずっと可愛がっていた子に手を掛けるのは流石に心が痛むんだよ。だから待ってあげていたのだけど」

 レナードには無理だろうな、と内心で溜息をついた。妻が死に、娘の行方も知れず、その心の隙間を埋めるように組織の子供を愛した彼には。だからこそレナードにあれほど懐いていたサイラスがブライアンの側についたのは不可解だったが、それも今はどうでも良いことだ。考えすぎれば、それこそ自分自身の決心が揺らぎそうだった。

 精神を研ぎ澄ます。周囲の空気を凝縮させ、生み出すのは氷の刃。小刀を模した氷はセオドアを囲うように無数に生み出され、その一本一本が敵に狙いを定める。確実に息の根を止めるべく。

「くそ――くそっ。あんたにはわかんねえよ。あんたらにはわかんねえんだよ!!」

 サイラスの叫びが、空間に響く。最後まで聞き届けたのは、優しさのつもりだった。

 逃げる隙も、庇う余裕も与えない。死の縁で彼女もこんな顔をしたのだろうか、とぼんやり考えながら、止めを刺そうとした。

 突如襲ったのは、身体を突き上げるような大きな衝撃。みしみしという地鳴りが次いでやってくる。――地震だった。山が悲鳴を上げ、空が割れる。上下左右に激しく揺さぶられ平衡を崩し、思わず手を地面についてしまった。長い、長い揺れ。

 相対していた敵の方を見遣れば、既に木々の合間に姿を消していた。仕留め損ねたが、オリヴィアとは逆に向かったようで、追う必要性は感じない。それよりも、早く合流しなければならなかった。

 ――王都の一件以来、頻発する地震。その中でもひときわ大きな今回の揺れは、不吉を予感せずにいられなかった。こびりつくように、その予想は心を支配した。

 急がねば。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ