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青き龍(1)

 気がつけば、河の流れは穏やかと言えなくなっていた。湿った足元の岩々は苔に覆われていて滑りそうだが、転んでしまえばただでは済まないだろう。過酷な道だが、木々の間から溢れ出す光の雨が、絵画として切り取った一枚一枚のように幻想的な風景を浮かび上げている。転ばぬように注意しながら、オリヴィアは後方を着いてくるセオドアを見遣った。

「本当に大丈夫か……?」

 冬の気候に似合わぬ汗の粒が額に浮かんだセオドアは、肩で息をしながら頷いてみせる。

「平気、平気……。君を一人で行かせて、何かあったら大変、だからね……レナードに殺されちゃうや」

 どちらかというと、足を滑らせて川下へ流されたり、滝壺へ落ちたりしそうなのはセオドアの方なのだが。オリヴィアの後ろにいるので気付いていないと思っているのだろうが、平衡を崩してよろめいている姿を、既に何度か目撃している。見られていると気付いていないほどに、彼には余裕が無いのである。

 青龍を探してやってきたのは、ウェステリアを流れる河の一つ――ヘレスブラオ河の中流付近。険しい谷のせいで人が寄り付かない、秘境のような場所だった。聞こえてくるのはオリヴィア達が地を踏みしめる音と川のせせらぎ、時折幾重にも重なるように響く鳥の鳴き声。とても静かで、穏やかな空間だ。

「せめてルークが居たら、君が言うとおり僕は大人しくしてるのだけど……」

 オリヴィアは、カトレアの集落を発つ際のやり取りを思い出す。ルークはオリヴィアの護衛につくと最後まで主張し続けたのだが、水の一族たるアクアリウス家の当主、ジャスミンに退けられてしまった。

 彼女も、カトレア領の何処かに御座すはずの玄武神を探し出す必要があった。長く山奥に隠れ住んでいた魔導士達では体力に不安があるのだと、護衛にルークを指名したのである。敢えて自身を選ぶ理由がないとルークが反論しても、ジャスミンは頑なだった。背後から攻撃する形になると分かってはいたのだが、結局オリヴィアがジャスミンにつくように促したのである。申し訳ないことをしたと思うが、ああしなければきっと――ルークの立場が危うかった。只でさえ、レジスタンスに身を置いていた者として快くは思われていなかったようである。

「そういえば」

 足を止めて、少しセオドアを待つ。いつの間にやら適当な木の枝を拾ったらしく、杖にすることでいくらか楽になったようである。

「なんだい」

「玄武の居場所……。ひょっとしたら、山の東側なんじゃないかと思って」

 そう遠くない昔まではカトレア領であった、現在はウェステリアに統合された土地。カトレアの何処かだとしか考えなかったために、ジャスミンは集落の周辺から順に探す計画を立てていた。

「旧カトレア領、か。確かに、今の地図は魔導士が引いた境界線とずれがあるからねえ。流石にカトレアの誰かが気付いてると思うけれど……僕らが早く戻れたら、答え合わせできるかな」

「寧ろ、戻ってもろくに捜索が進んでいなかったりして」

 元より、あのごく狭い領内を把握し切れていないこと自体がおかしいのである。あの集落の外界嫌いはいやというほど感じたが、それにしても限度があるように思う。

「それ、笑えないな……。それよりさ、なんだか霧が深くなってきたような気がしないかい」

「あ……」

 セオドアにつられて、オリヴィアも辺りをぐるりと見渡す。水辺とは言え、昼間と思えないほどの霧だった。それも、先程までは無かった者。余りにも不自然なその景色に、何かがあると確信する。

「なんだか気味が悪いな。うう、やっぱりルークが来てくれていれば……」

 ぶるりと身体を震わせたセオドアの顔には、隠しもしない不快感が浮かんでいる。よくわからない男だとは常々感じているが、これほど何かを拒絶してみせるのも珍しいように思う。オリヴィア自身はさほど嫌だと思わないどころか、懐かしさのような感情すら覚えるのである。――文句こそ言うセオドアだが、引き返すつもりはないようだ。その割には、徐々に小さくなっていく歩幅が妙だった。嫌だという主張にしては、どうにも子供じみている。

「そんなに苦手なら、ここで……」

 思わず言うと、セオドアの

「ごめん、なんていうのかな。この先に来るなって、言われてるような気分なんだ」

 ますます濃くなる霧と、噎せ返る程感じる水の臭い。どちらともなく歩みが止まる。

「この先、だと思う。呼ばれているような気がする……」

 言葉として伝えられない感覚。カトレアで見た夢で出会ったときと、同じような。

「つまり、僕は招かれざる客ってことかな。僕は水の一族に縁がある家の出だから、さ」

 それならば、先程からの現象にも納得がいく。オリヴィアが頷くと、セオドアは少し考えるような動作をした。

「これ以上、僕がついて行くのは難しそうだ。足が重くて敵わないよ」

 程近くに居ても表情を窺い知ることのできない濃霧だが、セオドアの顔色はきっと真っ青か真っ白であろうと想像がつく。それほどに、余裕のない声色だった。

「風の一族以外が拒まれるのなら、敵意がある人もこちらに来られないはず。私は大丈夫だから、待っていてくれ」

「お言葉に甘えさせて貰うよ……。でも、何かあったらすぐに引き返すんだ。……気を付けて」

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