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海の青、空の青

 ――そろそろか。魔導士達が動き始めるのは。

 国王を失った城。空席となったはずの玉座に腰掛けて、ブライアンは満足げに顔を歪める。自由を求めてやまなかった哀れな国王・リチャード。「呪縛を解いてやる」という甘い言葉に、あの男はあっさりと玉座を手放した。

 いや、真の王へ座を返した――と言うべきか。ブライアンは片頬でくつと嗤う。不意に届く耳障りな音に顔を上げれば、見慣れた粗暴な男が窓枠に足を掛けて侵入するところだった。

「よお、ブライアンのおっさん」

 男――サイラスは躊躇することなく窓枠を蹴ると、深紅の絨毯へ降り立つ。土埃が僅かに舞い上がって、ブライアンは眉を顰めた。

「その小汚い格好は何だ、サイラス」

 髪に絡まる埃、靴にこびりついた泥汚れ、そしてそれに頓着する様子のないこの青年本人に対しても、多少の苛立ちを覚える。――それでも、手駒としては優秀という評価を下さざるを得ない。

「ひっでえ。こっちは敬愛するブライアン様の為に頑張って働いてきたっていうのにな」

「……まあいい。今このときに限れば、正面から入ってこなかったのは正解だ」

 取るに足らないと高を括っていた騎士団長が、ああも面倒な手を使うとは。人を払ってあるとはいえ、この王の間であっても油断は出来ない。

「あ? オーウェンの野郎はどこに行ったんだ?」

 ようやく気付いたサイラスは、訝しむような声を上げる。騎士団長であるあの男は、生真面目そのものの働きぶりだけが特徴で――王や、王の不在を取り仕切るブライアンの命以外で城から離れることは考えられないと思っていたが。

「リチャードを探しに、な。団長自ら出て行ったよ。あの男のリチャードに対する忠誠心には少々厄介なものがあるな。……城を出る前に、鼠を置いていった」

「……鼠?」

 怪訝な顔をするサイラスに、察しが悪い奴だと内心で毒づく。だが、今はこの男を罵るよりもすべきことがあった。

「それよりも、レナードはどうした? 確認は取れたのだろうな」

「あー、まだだ。カトレアに行ったとこまでは間違いないと思うんだが――隠れ家に残してた連中に後始末を頼んどいたんだろうな。密偵に行かせたが、足取りを掴めそうな手掛かり一つ残っちゃいなかった。流石、元隊長殿だぜ。ただ、俺が思うに――」

 開け放ったままだった窓から、突風が吹き込んでくる。天鵞絨の重い窓掛けが、激しい音を立てて舞い上がった。

「レナードの野郎はアルフレッドと一緒に南に向かったんじゃねえか。多分、元隊長の可愛いお姫様はセオドアと一緒……てところじゃねえかと、俺は思うぞ」

「何故だ? 私は、父娘仲良く東に向かっていると予想していたがな」

「直系の末裔がもうあいつらしか居ねえからな。おたく(サテユルヌ)みたいに代わりがいねえってなると、あいつらには後がない。出来損ない跡取り様の護衛が只の人間のおっさん一人ってのは悪手極まりねえだろ」

 それならば、魔導を使える者は分散した方が好都合、ということか。

「他の者が護衛についている可能性は? ゲヌビの長男、ルークと言ったか。他にも、戦える者は居るはずだ」

「流石にそこまでは、俺には分からねえけどよ。ま、人間の土地を踏むってのに、大人数で行動しても目立ちすぎるからな。他に護衛を付けてても一人かそこらだと思うぜ」

 どちらにせよ、狙いを定めるは西(コルチ)ということ。

 ――小娘には、もう暫く踊って貰おうではないか。



 旧カトレア領を抜け、更に数日。オリヴィアとセオドアは、ウェステリアの境界付近までたどり着いていた。選んだのは海沿いの道。オリヴィアの見た夢が青龍と関係するものであれば、海沿いに歩いて出会う河川を上るのが一番だろうと、予測を立てたからである。カトレアを発つときに描き写した地図によれば、ウェステリアに存在する河は二つ。そのどちらも、河沿いに遡ればウェステリア西部にあるヘルブラオ山脈にぶつかるはずだ。道中の何処かに、きっと青龍がいる。

 頭上に高く昇る日は、季節のわりにあたたかで心地よい。視界の先に広がる丘の頂上を目指し、夢中で歩いていた。ここを登り切れば、海が広がっているはずだ。海を見たことがないオリヴィアは、その風景を頭で思い描いては、自覚するほどに浮かれていた。ずっと、海とは縁遠い地で暮らしてきたのだ。木々の合間に佇む教会の風景も、仄白い雪に峰が覆われた、重なり合う山々も。馴染み深く好きだったが、だからこそ、未だ見ぬ海というものに心が躍っていた。

「てっぺんで休憩しようか。おじさん、朝から歩き通しで疲れちゃったよ」

 ふわあ、と欠伸混じりに言ったセオドアの先には、誂え向きに木が一本。もたれかかって休みたいのだろう。目元に浮かんだ隈が、蓄積した疲労を物語っている。

 カトレアの集落を発ってから、一度も寝台に身体を預けていないのだ。ここまで、大小幾つかの領土を越えてきたが、どれもが田畑や領主の小さな屋敷――城と言うにも憚られるような――ばかりだった。そのような場所で、オリヴィアの容姿は目立ちすぎる。只でさえ赤の瞳は疎まれる上に、銀の髪というのもあまり見られない特徴だった。ひとたび住人が奇妙な旅人を見かければ、瞬く間に噂となって村々を駆け巡るだろう。

 いつブライアンの手の者が嗅ぎつけてくるかも分からないのだ。彼の目的が分からない以上、どこにオリヴィアを追う者がいるかも予想できない。だからこそ、ここまで徹底的に人目につく場所を避けて歩いてきたのである。オリヴィアの護衛という役割のせいで、セオドアに随分無理を強いているのだろうと思う。

「ん……? なんだか、変わったにおいがする」

 ふと、生暖かい風が吹き抜けた。独特のかおりだ。

「潮のにおいだねえ。もう見えてくるよ――ほら」

 足は丘の頂上に掛かっていた。風で張り付いた前髪を横に流す。開けた視界に飛び込んでくるのは青。海の青と、空の青。水面から零れる光の粒が眩しかった。視界の奥の奥まで、そして端の端まで、途切れることなく広がっている。白い雲や砂浜との対照が美しく、いつまでも眺めていられそうだ。

「気に入ったみたいだね」

 セオドアは木陰に入ると、膝を庇いながらゆっくりと木に腰掛けた。

「院長先生から、聞いたことがあって――それで想像してたものより、ずっと綺麗だ」

 目に映る世界の先に、一体何があるというのだろう。それを知る術は、少なくとも今のオリヴィアにはないように思われた。

 孤児院の皆は元気だろうか。ふとそんなことを思って、振り払うように首を振った。今感傷に襲われたら、前に進めなくなる気がした。楽しい思い出だけ、考えよう。

 ふと疑問が頭を(よぎ)る。

「その。海の水が塩辛いって、本当なんだろうか」

 院長から、そんな話を聞いたことがある。大真面目に聞いたのだが、セオドアに笑われてしまった。

「ふっ、あっはっは……そうだね。口を開けて息を吸ってごらんよ。海風もしょっぱいから」

 セオドアの言うとおりにすると、確かに味を感じた。

「院長先生は、時々酷い冗談を言うんだ。本当に騙されたこともあるし、面白がって訂正もしてくれなかったから、てっきりその類いかと思って……」

 他愛ない冗談に過ぎないのだろうが、そんなことが数度はあったのである。孤児院を出るまで、オリヴィアもドロシーも、赤ん坊は野菜畑から生えてくるのだと信じて疑わなかった。

「へえ。まあ、愉快なそうな人だったけどね」

 オリヴィアは、セオドアの言葉に少し考え込んだ。院長にオリヴィアを預けたのがセオドアなのだから、知っていて当然なのか、と遅れて納得する。だが、あまり突っ込んで語りたい話題でもないだろう――互いに。

「この国……フィオーレの外にね。何があるか、知る人はいないのさ」

 流れを変えるように呟いたセオドアに、オリヴィアは眉を顰めた。言い表せない違和感のようなものがあった。

「……なんかそれ、おかしくないか」

「何がだい」

 反射的に呟いた言葉から遅れて、「違和感」の正体について考える。何故だろう、何故こうも妙な感じがするのだろう。

「えっと」

 フィオーレ王国は、周囲をぐるりと海で囲まれた、一つの大陸国だ。それは子供でも知っている当たり前の知識である。だが、この引っかかりのようなものは――その()()に気付いて、オリヴィアは愕然とした。

 ただ自分が無知なだけなら、それで良い。文字も知らぬ孤児の、只の無知ならばそれで。だが、セオドアの言葉はそれを否定していた。

「国よりももっと広い範囲を表す言葉……そう、海や、視界の先すべてを含めた『この世界』」

 セオドアは、オリヴィアの話を聞きながら黙っていた。

「『この世界』に、名前なんて要らない。だって、世界は一つしかないのだから。少なくとも、私たちが知る限りにおいては」

「……そうだね」

「この国しか存在しないと私たちが()()()思っているのなら、『国』なんてものに名前がついているのは――やっぱり、妙だ」

 フィオーレ王国に生きる人全てがこの国しか存在しないと思っているのなら。王の治める国、という空間の認識がまずおかしいのである。何で今まで気付かなかったのだろう、十六年も生きてきたというのに。

 鏡を見ずとも、自分がどんな顔をしているかわかる。セオドアはそんなオリヴィアの様子にふっと笑って、海を見た。

「お話をしよう。魔導士の子供は皆、これを語り聞かされるものなのさ。そういうの、人間にもあるだろう?」

 長話を予感して、オリヴィアも地面に座り込んだ。

「むかしむかし。人間も魔導士も関係なく、手を取り合って暮らせた時代がありました。魔導士が――サテュルヌが国を治めていた時代だ。この国の他にも、陸続きで幾つか国があってね」

 セオドアは、まるで歴史を語るような目で語り始める。

「……昔話、なんだよな」

「そうだよ。王国の歴史を振り返っても内乱が何度も起こっているように、国と国だっていがみ合うときはある。……ひとたび戦争が起これば、魔導士はとても頼もしい。人間が持たない力を持つ魔導士達は、頻繁に戦争に駆り出されました」

 先の内乱でたった数十名のレジスタンスが国を追い詰めたのも、その圧倒的な力があってこそ。人間にとっては頼もしい能力であろう。真っ先に前線に投入されるであろうことは、想像に難くない。

「僕は、氷を生み出して操ることができる。槍を作って飛ばすこともできるし、盾を作って矢を防ぐことだってできる」

 そういって、セオドアは氷塊を掌で生み出した。その様子に見入っていると、できた塊を額に押しつけられる。

「わっ」

 その冷たさに思わず声を上げると、おかしそうにセオドアが笑った。

「でも、それだけさ。僕一人が頑張ったって、()()人を沢山殺すくらいしかできないね。アルフレッドくらい力があっても、それは同じことだ」

 ――精々、か。オリヴィアは、心の中でそっと呟いた。

土の一族(サテユルヌ)と、その傍系にあたる家々の持つ力は違った。彼らの力はある意味では特殊だった。ひとたびその魔力を振るえば空が揺れ、大地は割れた……そう、言い伝えられてる」

 オリヴィアは王都の一件以降頻発する地震を思い出していた。土の一族の源流たる黄龍。その封印が解かれたことと地震は、けして無関係ではないはずだ。

「そう、強すぎたのさ。守るべきフィオーレ以外を、破壊し尽くすほどにはね。いつの間にか、フィオーレに敵は居なくなった――いや、()()()()()()()()()()()()。当時は、フィオーレ王国なんて名前じゃなかったらしいけれど。……皮肉なことでね。ここまで魔導士を頼ってきた人々は、その魔導士を恐れるようになった」

「魔導士の力が、いつ此方に向かうようになるか分からない……、か」

 理解できないわけではない。オリヴィアとて、魔力を欠片も持たぬ身なのだから。だが、自分がその魔導士達の立場であったなら、激昂しないと言い切れるだろうか。

「そう。それに怒ったサテュルヌはね、うっかりこの国にも力を振るいかねなかった。おかしいでしょ、だって、彼らにとっても自分の国だったんだよ。……そんなことになれば、人間も魔導士も困ることになる」

 この先セオドアが何を話すのか察して、オリヴィアは目を伏せた。

「それで、立ち上がったのが直系一族の魔導士達と四霊。そして――ある、人間の一族がね」

 予想通りの言葉に続いた、予想外の台詞に首を傾げる。

「ある、一族……?」

「君にもその血は流れていることになるんだね。今の王族のことさ」

 レナードと瓜二つの顔を持つ国王――リチャードを思い出す。考えもしなかったが、リチャードにとってオリヴィアは姪ということになるのか。その事実自体はどうでも良いことだが、途方もない話にも感じる。

「やっぱり知らないよね。魔導士と協力していた過去、そして今の国になったこと、全部今の王政には不都合な事実だから。じゃなきゃ、おかしな話だと思わない? 今探してる青龍の居場所はウェステリア公爵領のどこかだけど、他の四霊も含めた全て、国に四つしかない公爵領に御座すんだよ。国中に、大小いろんな貴族がいるのにさ。これ全部、魔導士が国を治めていた頃の名残。……ほら見てごらん、あそこ」

 セオドアが指したのは、ウェステリアとコルチを分断するヘルブラオ山脈のはるか先、ローゼ山脈とぶつかる辺りだ。霧で覆われていて、その全貌はよく見えない。

「……魔導士が『約束の地』と呼んでいる場所。そこを中央としたときに、北がカトレア。東がウェステリア。南がランタナ。西が、コルチ……四霊が御座す場所が、公爵領になったの。だから、順序が逆なんだねえ」

 セオドアの説明に納得して、オリヴィアはこくこくと頷いた。ウェステリアの何処かには、青龍がいる。見上げた碧空に風を感じ、オリヴィアはその山をいつまでも眺めていた。


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