水よりも濃い
白い吐息が出る口元を覆うように、外套に顔を埋める。そっと来た道を振り返れば、点々と続く二つの足音の先にすっかり小さくなった集落が目に入った。
「はは、もうレナード達が恋しくなっちゃったかい?」
横を歩くセオドアに黙って首を振ると、小さな微笑が聞こえてくる。
数刻前に出発したオリヴィアとセオドアの二人は、雪の降りしきる土地を東へと歩いている。この先にあるヘルブラオ山脈をこのまま抜ければ、かつての革命の際に形式上はウェステリア領となった地域――旧カトレア領がある。ブライアンが裏切ったとき、真っ先に攻め込んで見せた場所。セオドアの妻子が、そしてオリヴィアの母が、命を散らした場所。そこから南下すれば、安全に且つ早く、「本来の」ウェステリアへたどり着くことができる。だがオリヴィアは、溜まらない気持ちだった。よりにもよってセオドアと、その場所を通過せねばならないなんて。始終笑みを崩さないセオドアの心中がわからない。
「君は本当にレナードに似てるよねえ……」
オリヴィアの内心を知ってか知らずか、しみじみとしたセオドアの声が届く。少しむっとして、オリヴィアはセオドアを見た。
「何が」
「うーん、いろいろさ。意地っ張りだし素直じゃないし、そのくせ人一倍他人の痛みに敏感で――それでいて、絶っ望的に不器用ときた」
「隊長はともかく私は意地っ張りじゃないし、素直だし、普通だし、不器用でもない」
レナードは、アルフレッドと南へ向かっている。一度隠れ家を経由して、馬を一気にランタナまで走らせる計画だった。西へ向かうイアンとコーデリアも同様に一旦隠れ家へ向かう手筈となっていたから、今頃は四人で来た道を戻っているはずだ。
「そうかい? まあ、いいや」
否定も肯定もしないセオドアに居心地の悪さを感じながら、ただ足を前へと運んだ。
そこからの旅路は順調だった。寒さに凍え、手頃な場所がなければ休む事もままならなかったが、二日も歩けば、ウェステリア領――旧カトレア領にあたる場所である――の目前までたどり着いてしまった。かつて山を挟んで東西に位置した旧カトレア領とは、多少の人の行き来が存在したらしく、古い道が残っていたのも大きい。山奥の寒さからも解放されて、いつしか不毛の地は多少の草花が彩る大地へと変化していた。進めば進むほど互いに無言となっていったオリヴィアとセオドアは、どちらともなくはたと足を止めた。
「……この辺りなんだよな、その――」
意を決して、オリヴィアは重い口を開く。だが、最後まで言うのはどうにも憚られて、濁すように言葉を切った。
「そうだね。ウェステリアのものって言っても、この辺は見張りの兵くらいしかいないはずだ。魔導士の土地ってことで気味悪がって誰も寄り付かないし、街を開こうとした計画も頓挫したらしいからね。……気になるかい? 君の、お母さんのこととか」
「……気になる」
「『余計なことをするな』とか言って、あとでレナードに叱られちゃいそうだけど……良い機会なのかもね。知りたいかい? あの日、何が起こったのか」
オリヴィアは首を振って、セオドアの言葉を遮る。
「そういうのじゃない。亡くなった人のお墓、とか……」
誰の墓、とは言えなかった。互いに話すのを躊躇うように、具体性を欠いた会話が続いている。
「……お母さんのお墓なら、君はもうとっくに行ったことがあるはずだよ」
えっ、と思わず声が出た。思わずセオドアの方を向くと、優しく微笑む顔がそこにあった。
「襲われた方の隠れ家の近くさ。レナードと墓参りに行ったろう?」
驚きのあまり、オリヴィアは息を飲んだ。レナード達に出会ったばかりの頃だ。彼に連れられて見た、小さな岩のようなあの墓石。
「どうしても、君を連れて行きたかったんだってさ。十六年も探してた娘が帰ってきたんだって、報告にね」
「知らな、かった……」
痛いほどに真剣に祈っていたレナードの姿が、脳裏に浮かぶ。きゅっと胸を掴まれたような気持ちになって、オリヴィアは俯く。
「……他にも気になる場所があるんでしょう」
オリヴィアの言葉を待つように、セオドアは尋ねる。言わなければならないこと――震える唇を噛んで、大きく呼吸した。
「貴方の……家族のお墓は、どこですか」
言い切ると、頭にそっと手が置かれる。子供にするように優しく撫でられて、目がかっと熱くなった。
「うん。……ないんだ、お墓。全部焼かれちゃったからね。君のお母さんだってそうさ、墓の下は、からっぽ」
セオドアは、乾いた声で言った。ぞくりと背筋を駆け抜けるものを感じて、オリヴィアは立ち尽くす。
「レナードみたいに、形だけ作っても良かったんだ。でもね、大切なのはここに居るかどうかだから」
寂しげな顔の中に笑みを浮かべてみせるセオドアは、とんと彼自身の胸を叩くように指した。ぽつりと口をついて言葉が漏れる。
「……貴方は、強いな」
素直にそう思う。自分だったら――縋らずには居られないのだろう。家族という偶像に。神などという遠くて掴みがたい何かよりも、もっと近くにあったはずのものに。
「はは、君ってばレナードと同じことを言うんだもんなあ。違うんだよ。僕はね、整理がつく大人になっちゃったんだ。でもね、過去に向き合える大人のほうが――きっと強いんだよ。オリヴィア君にも、そういう大人になってほしいと思うよ」
それだけ言うと、セオドアはオリヴィアの一歩前に出る。背中だけしか見えなくなってしまったセオドアは、心を読ませない声でオリヴィアに問いかけた。
「さあ、何処に行こうか。オリヴィア君? 僕にはよく分かんないけど、四霊が居そうな場所とかないのかい」
セオドアの様子は、何時になく無理をしているように見える。だからこそオリヴィアは、いつも通りを意識して振る舞わなければならないと思った。
「そんな、無茶な……」
不意に、カトレアの神殿で見た、青い龍を象った柱を思い出した。――目に入れた瞬間吸い寄せられるように手を伸ばして――夢を見たのだ。
夢……不思議な夢。何者かに語りかけられるような、見透かされるような。そこまで記憶を辿って、オリヴィアは口を開いた。
「渓谷……。風の吹き抜ける、静かで綺麗な場所。谷底には川が流れていて」
「……? どうしてそう思うの?」
「そこに行く夢を見たんだ。誰かに心の中に踏み込まれる、不愉快な夢だったけれど……神殿で倒れたときなんだ」
もし、それが「青龍」なのだとしたら――
「そういう話は、もっと早く聞きたかったかな。ひょっとしたら他の霊を探す手がかりにもなったかもしれないのに……」
セオドアに指摘されて、確かにそうだとオリヴィアは肩を落とす。身体よりも、心の方に余裕がなかった。それに――余計なことまで言ってしまいそうで、話したくなかったのは事実である。
「まあ、青龍が本当にそこにいるとすればだけど、僕としては助かるかな。人里離れた土地にあるなら、街中で魔導士なのがばれて追われる心配も少ないし。騎士には警戒しないといけないけどね」
「……足手纏いにならないようにする」
「ねえ、オリヴィア君。ここから先は、ウェステリアだから――どこに敵が居るか分からない。約束してほしいんだ。いざとなったら、一人でも逃げること」
不意に、オリヴィアを守って倒れたルークの、血に塗れた姿が頭を過った。――もう二度と、あんな思いはしたくない。させたくない。思い出して、背筋が震えた。
「――いやだ」
首を強く振って、拒絶する。セオドアは、聞き分けの悪い子供を相手にしているように、疲れ混じりの息を吐いた。セオドアの呆れたような声が降ってくる前にと、まくし立てるようにオリヴィアは言葉を紡ぐ。
「……宿題。王都から帰るまでにって、言ってた宿題。これが、私の譲れないもの。これが宿題の答え」
だが、セオドアはオリヴィアの言葉などまるで聞かなかったかのように振る舞う。
「……僕はねこれでも、ルークの件は怒ってるんだよ。結果的に無事に帰ってこられたとはいえ、余りに無謀すぎた。君はルークを見捨ててコーデリア達と合流すべきだったんだ。自分の肩に、魔導士全ての……ひいては、国中の人達の命が掛かってることを、いい加減自覚してくれないか」
強い口調で言い切ったセオドアの瞳には、いつになく温度が感じられない。
「僕の家族の死を、無駄にしないでほしい」
オリヴィアの喉が、ひくっと音を立てた。突如襲った突風が、オリヴィアの髪を絡めて巻き上げる。身体にぶつかって砕ける酷く冷たい空気に、震えが止まらない。
「ごめんね、オリヴィア君。大人って、ずるいんだ」
自嘲するように笑うセオドアの姿から、思わず目を逸らした。




