表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/63

四霊への道

 寒い。掛けられた毛布を引き寄せると、オリヴィアは膝を抱き締めるように丸まった。

 ――誰も居なくなった途端、こんなにも心細く感じるのか。

 ドロシーに会いたい。たとえ、どんなに嫌われ、憎まれていたとしても。オリヴィアは身体を寝台に投げ出すと、頭を支えている枕に力一杯顔を埋めた。目を閉じると、暗く深い絶望に落ちていく気がした。

 どれだけの時間が経っただろうか。不意に響く乾いた木の叩かれる音が、オリヴィアを現実に引き戻す。返事をする間もなく戸の蝶番が悲鳴を上げた。握りしめていた敷布から手を離すと、首だけ音の方へと向ける。戸の叩き方で、その人物がレナードでないのは分かっていた。

「広間まで来なさい。枢機卿の連中が来たわ、長老やあの女も一緒」

 コーデリアの吐き捨てるような声は、彼女に罵倒された記憶を蘇らせる。女の顔に明らかに浮かんだ怒りの表情は、確かにオリヴィアに向けられていた。

「……少ししたら行く」

 一人になりたい気持ちと、心細さを埋めたい気持ちが、せめぎ合っている。重い身体を起こして寝台に腰掛けると、諦めの息を吐いた。

「何よ……何がそんなに不満なのよ」

 女の眉がきっとつり上がる。オリヴィアは一瞬身構えるが、直ぐにコーデリアをにらみ返した。

「私は何もしてない。そんな顔で呼びに来たのはそっちだ」

()()()()()()……? あなた、レナードに何か言ったでしょう!」

 コーデリアは怒りにまかせて床を踏みつけながら歩いてくると、オリヴィアに掴みかかる。それを振り払って、力強い声で言い返す。

「私が隊長に、何かを言ったとして」

 一呼吸置く。

「そのことで、あんたに何の関係があるっていうんだ」

 これは、二人の――レナードとオリヴィアの問題に過ぎないのだ。コーデリアに罵られる謂われは無い。返す言葉を失って、コーデリアが黙り込む。女から奥歯をもどかしげに噛みしめる音がしたかと思うと、頬を鋭い痛みが走った。

「……痛い」

 平手で打たれたのだと気づき、熱を持つ頬に手で触れる。怒り任せに瞳に力を込めると、女を見つめた。

「あなたには理解できないんだわ。レナードの苦しみさえ、何一つ知らないくせに。何であなたなんかが……っ」

 なんで、レナードが、を呻くように繰り返す女に、オリヴィアは漸く悟った。

 ――ああ。この人は、隊長のことが。

 途端にコーデリアの、自身に対する行動の全てが理解できたような気がして、オリヴィアは女の瞳を静かに見ていた。女の双眸に溜まる小さな光が、哀れにすら感じる。扱いに困って、オリヴィアはそっと立ち上がった。

「……これ以上は、不毛だよな」

 これで話は終わりだと、目を逸らした。コーデリアは唇を小さく噛む。

「……そうね」

 コーデリアはゆっくりと首を振ると、新しい空気を大きく吸い込んで、吐いた。

「さっさと身支度しなさい。着替えなきゃいけないし、髪もだらしないわ。……手伝ってあげるから」

 洗い替えを手にしたコーデリアに促されるまま、オリヴィアは服を裏返しにしながら引っ張って脱ぎ捨てる。着替えが終わる頃には、先程まで着ていた服が既に綺麗に畳まれていた。半ば強引に「持っていて」と小さな飾りのついた髪留めを渡されると、導かれるように鏡台の前に座らされる。窘めるように頭を撫でられると、コーデリアにされるがまま、徐々に整えられてゆく髪をぼんやりと眺めた。

「あなた、見てて危なっかしいのよね。強がってみせるけど、本当は泣きたいって顔してる」

「……似たようなことを、誰かから言われたことがあるような気がする」

「あら? 今日はいつもみたいに否定しないのね。……ほら、それ貸して」

 髪留めを渡すと、コーデリアは慣れた手つきでオリヴィアの髪を束ねる。身支度を手伝ってもらう感覚がどこか新鮮で、髪留めを差し込むコーデリアの手をじっと見つめていた。

「なあに。ひょっとして、まだ寝ぼけてる?」

 不名誉な烙印を押されかけて、慌てて否定する。

「寝ぼけてない。……こういうのをしてもらったこと、なかったなと思った」

「ふうん。でも、孤児院にも家族は居たんでしょう?」

 コーデリアの問いに頷いて、オリヴィアは身支度を終えた自身の姿をきっちりと確認する。事実上オリヴィアの所有物だという屋敷の廊下に出れば、心地よい静けさがそこにはあった。

「一番仲の良い、姉妹みたいな女の子がいたんだ。どっちが姉とか妹とかじゃないけど、何となく身支度なんかは私が面倒を見てた」

 オリヴィアは不意に王都での彼女の豹変ぶりを思い出して、心臓に爪を立てたような痛みを感じた。

「それが、ドロシー?」

 話したことが無いのにとコーデリアの顔を振り返れば、

「ほら、一緒にブライアンに捕まってたとき。……すごく辛そうな顔、してたもの」

 肩にそっと手を回されて、オリヴィアは俯く。困ったように笑うコーデリアの声は、今は優しい。

「全部終わったら。きっと会えるわよ」

「……会えるかな。会えたら、いいな」

 そっと、魔導士達の待つ広間への扉に手をかけた。


 朝日が差し込む部屋へ入ると、オリヴィアはぐるりと見渡した。レジスタンスの顔ぶれに変わりはない。アルフレッドやイアンが心配そうにこちらを窺ってくるのを、苦笑いで返す。次に目に飛び込んでくるのは鋭い眼差しを向ける皺だらけの長老、待ちくたびれたと言わんばかりに指をしきりに動かしているジャスミン。そして――顔まで覆う奇妙な黒衣を身に纏う、二人組の男女がそこにいた。円卓を挟んで座る両陣営の間を、冷ややかな空気が支配している。それよりも、心配を掛けたであろうルークがこの場にいないことが、少し残念に思えた。

「お早い登場ですこと。流石、リブラの末裔様は違いますわね」

 ジャスミンは、苛立ちを隠そうともしない声でオリヴィアを出迎える。オリヴィアは内心で舌を出すと、居心地の悪さを感じながら手頃な椅子に腰掛けた。

「あら、こーんな時間に押しかけておいて、嫌味に精が出るわね」

 せせら笑いでも聞こえてきそうなコーデリアの言葉に、ジャスミンの眉間に皺が刻まれる。カトレアに来てからと言うもの、大小の差はあれど繰り返される衝突に、オリヴィアは辟易していた。

「……喧嘩しに来たんじゃないだろ。お互いのためにも、とっとと要件を済ますべきだ」

 長く寝ていたからか、頭の奥が鈍い痛みを放っている。目尻の辺りを軽く手で押さえていると、セオドアから温かい紅茶を差し出された。

「楽にしてていいからね」

 小さく礼をして受け取ると、掌の内で揺れる紅色を眺める。

「ふん……。勿論、出向いたのは今後のことですわ。――エレノアさん」

 部屋に響くジャスミンの凜とした声が、場の空気を瞬時に転換させる。後方で不気味なほど静かに佇んでいた黒衣が僅かに動いた。静かな衣擦れの音にそちらを向くと、全身が黒尽くめの外套から顔を出した少女が目に映った。少女はオリヴィアの方を見て、含みの無い笑顔で小さく礼をした。

「お初にお目にかかります、オリヴィア様。枢機卿の位を賜っております、エレノア・ディオネ・ティティスと申します」

 純粋に、顔を覆ってしまうのが勿体ないと感じる。それほどに美しい容姿を持つ少女の瞳は黄金。床まで垂れた、濡れたように深い艶を持つ髪は漆黒。ふと、オリヴィアより後に生まれた魔導士はいないと、ルークがかつて言っていたことを思いだす。そうであるならば年上のはずだが、殆ど年齢の差は無いように感じた。だが、そんな容姿よりもオリヴィアが興味を持ったのは、その瞳が持つ光だった。カトレアに来てから見た大人達の目とは違う、強い力。そんな風に考えていたオリヴィアは、エレノアが発した言葉に僅かな落胆を覚えたのだった。

「……魔導士として、ブライアンの暴走といえる行為は止めねばなりません。幸いサテュルヌ家にはまだご令弟がいらっしゃいますから、彼に関しては()()しても問題は無いでしょう。そして――解き放たれてしまった黄龍を、一刻も早く元の形へ封印しなければならない」

 エレノアは、横に立つ同じような出で立ちの男に指示を出す。男は手で抱えていた古めかしい紙束を円卓に広げると、一言も発しないままに元の位置に納まった。覗き込むように円卓を見れば、そこにはフィオーレ王国全域を記した地図が置かれていた。

「かつての記録に拠ると、四人の魔導士達――直系の末裔にあたる方々ですね――そして、青龍、朱雀、白虎、玄武の四柱。各々方が協力する形で、黄龍を封じ込めたといいます」

 歴史を慈しむかのようにしっとりとした声で、少女は続ける。

「先ずは、フィオーレの各地に()()すという四霊の御許へ。末裔の皆様には、各霊へ()()()をしていただきたいのです」

「どういうこと?」

 アルフレッドは、誰もが抱えていた疑問を臆することなく口にする。エレノアの白い指が、円卓に広げられた地図に触れる。地図の四隅を順番になぞるように、指は紙面を滑っていった。

「アルフレッド様の生家であるハイドラは、南方を司る朱雀神を力の源流としていらっしゃいますね。南方にいらっしゃるという朱雀神に、協力を仰いでいただきたいのです」

「ふうん……? で、どこにいるのさ」

 少女は地図に再び目を落とすと、ある場所にそっと手を置いた。

「国の南にあるランタナ領のどこかに、朱雀神を祀った祠があるはずなのですが……」

「どこか、って……ランタナ広いよ、公爵領だよ?」

 黒衣の少女は、呆れ気味の目を向けるアルフレッドを涼しい顔でやり過ごすと、オリヴィアの顔をちらりと見た。

「オリヴィア様のリブラ家に(ゆかり)のある青龍神は、東のウェステリアに。イアン様のタウルス家に結びついた白虎神は、西のコルチに。そして――ジャスミン様の生家、アクアリウス家の力の源流である玄武神は、ここカトレアに。それぞれに、四霊を祀った祠があるはずなのです」

 少女の言葉を、オリヴィアは心の中で反芻する。フィオーレ王国の公爵領は四つ。東のウェステリア、南のランタナ、西のコルチ、北のカトレア。その四つの地域に()()四霊のいる祠が存在するというのは、些かの違和感がある。

「お待ちになって、エレノアさん。カトレアにそのようなものがあるとは――わたくしは、存じませんわ。広くはない土地ですし、把握できていないのは不可解です。本当にそんなものがあるのかしら」

 疑う素振りを隠しもしないジャスミンの言葉に、エレノアは困り顔で頷いた。

「……そうなのです。カトレアは勿論、他の霊のおられる場所にも、皆目見当がつかなくて。こちらで色々調べては見たのですが……そもそも、唯一あるこの地図すら魔導士がカトレアに追い立てられる数百年前のもので、当時とは地形も違うはずですし」

 手を腰に当てて考え込む様子を見せたジャスミンは、小さくため息を吐いた。

「お手上げですわね」

「ですが、これも儀式の一つですから……。直系の皆様方が、『かの地で待つ』と、各霊と約束を交わしていただく必要があるのです。黄龍の封印が解けた今も、黄龍の力と土の一族を繋ぐ糸は直系の方々によって封じられていますから、現状ではブライアンが力を振るうことはできませんが――彼が直系の()()()()を狙うのは時間の問題でしょう」

 エレノアの視線がオリヴィアを捉える。魔力を持たない自身が真っ先に狙われるであろうことが、安易に予想できるからだろう。実際、王都でブライアンに見逃されていなければ、オリヴィアはこの場に居ることができなかった。

 土の一族の持ちうる力――ことこの話題になると、魔導士達は途端に口を噤んでしまうように思う。暗黙の了解のように触れられないまま、オリヴィアだけが取り残されている。

「そうなれば、国中を巻き込む悲劇を生み出すことにもなりかねない……か」

 じっと耳を傾けていたレナードが、沈黙を裂くように重い口を開く。

「貴様は慣れているのであろう? 全ての魔導士を巻き込んだ先の革命、忘れたとは言わせんよ」

 身体が小さく丸まった長老は、嗄れた、だがその身体からは想像もつかないほど力強い声でレナードを(なじ)る。

「……一日たりとも、忘れたことなどあるものか」

 レナードの表情を窺うのは憚られた。無念が滲む言葉だけで、男の心情が痛いほど伝わってくる。再び訪れる静寂に、エレノアは小さな咳払いをした。

「私達カトレアの者は、数百年近くこの土地から離れておりませんから。レジスタンスの皆さんであれば、きっと四霊にもたどり着けると思います」

「事態は一刻を争う。本来であれば直系の者を危険に晒すべきではないが――手分けして探すしかあるまいな」

 長老が言うと、アルフレッドがせせら笑う。――ああ、まただ。アルフレッドが時折見せる、ぎょっとするほど冷たい瞳には見覚えがあった。

「あれ、心配してくれるんだね、()()? 僕の代わりは産まれてないみたいだもんね」

 先日の、震えるように長老を窺うアルフレッドの姿はどこにもない。僅かに眉を顰めた長老に、アルフレッドは続ける。

「今度は誰に産ませる気なの? 自分の娘? それとも孫?」

「……アルフレッド。今は、落ち着いてくれ」

 レナードの制止に、アルフレッドは片頬を持ち上げるような笑みを殺した。瞳には、憎々しげな色を湛えたままで。

 老人の、奇妙なほど曲がった背骨。四本しか存在しない指。長老の屋敷で見た、アルフレッドと寸分違わぬ顔立ちで佇む肖像の男達。歪んだハイドラの事情を垣間見たオリヴィアは、静かに息を飲んでいた。長老はアルフレッドの言葉を完璧に無視すると、粘着質な音とともに口を開く。

「出立は二日後。直系の者達は、各々の霊を探し出し、目的を果たしてくるがよい。その他の者も護衛にあたってもらう。――それでよいな」

 一様に頷いた魔導士達は、この瞬間だけは、皆同じ決意を胸にしていたことだろう。



 出立の日は、あっという間にやってくる。生まれたばかりの太陽が、窓から覗く暁の空を薄ぼんやりと照らしていた。起きるにはまだ些か早い上に、昨晩は寝付きが悪く疲れが取れたとは言いがたかったが、もう一度眠りにつくにも微妙な時間だ。あっさりと寝台に別れを告げると、オリヴィアは身支度を済ませて部屋を出た。皆はまだ眠っている頃だろうと予想していたオリヴィアは、広間に佇んでいた一つの影に不意を突かれる。

「……早いな」

 何かを考え込むように目を閉じ腕を組み、椅子に腰掛けていたレナードは、オリヴィアの足音に気がつくと顔を上げた。

「隊長こそ」

「俺は、準備が色々とあったからな」

 オリヴィアは、セオドアを護衛にウェステリアに発つこととなっている。レナードはアルフレッドと共にランタナへ向かうため、当分この男と会うこともなくなるのだな、と不意に思った。

 レナードが、ふと窓を見遣る。深い明け方の空と朝日の照らす空が混じり合い、大地に積もる雪を青白く染め上げている。

「皆が起きてくるまでまだ時間があるな。暫く振りだが……折角だ、稽古にしよう」

 王都へ行くまでは毎日のように行われていた剣の稽古も、一件以降久しく行っていない。レナードの有無を言わさない雰囲気に渋々頷くと、オリヴィアは白い雪の積もる外へ出た。


 軽く手足を屈伸して、まだ青白い空を見上げて深呼吸する。生命の息吹を感じないこの場所も、朝の神聖な空気を借りて、美しい銀世界に見えた。魔導士の為だけに存在するというのが、勿体ないと感じるほどに。肺一杯の空気を入れ替え、気持ちを切り替える。

 手渡された稽古用の竹刀を両手でしっかりと握ると、目の前で静かに構えるレナードを見た。ウェステリアに居た頃も、王都で剣を抜いたときも、これ程に隙が無いと思わされる者は居なかった――否、唯一王都にてオーウェンと名乗った騎士団長だけは互角と見えたが、とにかくそれ以上の形容の言葉を持たないほど、レナードには「隙が無い」。威圧するような朱く鋭い眼差しが、力強くオリヴィアを捕らえている。

「――さあ、来い」

 踏みしめられて固まった白い地面を蹴ると、竹刀を構えたまま微動だにしないレナードへと一気に距離を詰める。腰を低く保つ姿勢から、顎に向けて一直線に腕を突き出す。第一撃が呆気なく男に弾かれると、間髪を入れずに次の攻撃へと移り、数度打ち合う。たった数度で、手加減されている筈の男の攻撃を受ける手が、既に痺れているのを感じた。

 と、防御一方だったレナードから、不意に一撃が放たれる。気付いたときには防ぐ術も無く、オリヴィアの横腹を殴打した。あまりの衝撃に、倒れ込むと同時に腹を抱え込む。影が視界を覆ったかと思うと、レナードの見下ろす顔がそこにあった。

「直ぐに立て。実戦ならこの隙を逃す敵はいない――即ち、待つのは死だ」

 オリヴィアは片腕で脇腹を抑えたまま、残った腕で持つ竹刀を支えにして立ち上がる。上がった息を整えながら、レナードの言葉を待った。

「お前の腕力で打ち合うのは無謀だ。思い切って敵の懐まで飛び込め。距離を詰めるんだ」

 それだけ言って再び掛かってくるよう促すレナードに、深呼吸をするとまた地面を蹴った。

 斬りかかれば弾き返され、飛びかかっては地面に叩きつけられる。瞬く間に身体の痛む箇所が増えていく。何度目か地面に倒れ込んだときには、全身が悲鳴を上げていた。確認せずとも、打たれたところがどうなっているか分かる。

「何度目だ? お前の細腕で正面からぶつかれば勝ち目は無い。力を逃すように踏み込め「……分かって、る」

 厳しすぎる師に内心で唇を噛みしめると、叱咤が飛んでくる前に慌てて立ち上がった。頭で思うように出来れば苦労は無い。やるかたない気持ちが、動作の一つ一つを雑にする。そんな様子を前に顔が険しくなったレナードは、それを咎めるようにオリヴィアの竹刀を一振りで弾き飛ばした。

 手首を伝う鈍い衝撃と共に、手から離れた竹刀の落下音が耳に届く。予想外の男の行動に暫し呆然としていると、レナードから胴に、脚にと間を置かず打撃を受ける。思わず身体を庇う動作を取ったが、レナードは容赦なく竹刀を振り続けた。耐えきれなくなって、尻から地面についてしまう。

「敵からすればいい的だな。今日だけで、お前は何度死んだ?」

 あまりの理不尽さと悔しさに拳をつくる。こんな一方的な攻撃が、稽古と呼べるものか。

「立て。隙を見せるな」

 レナードは、座り込んだままのオリヴィアにも躊躇なく剣を振るい続けた。転がるように逃れると、そのまま仰向けに身体を投げ出す。額を流れる汗を拭うと、乱れた息を整えようと深呼吸した。

「休んでいいとは言っていないが」

 腕を組んで鋭い目を向けるレナードに、オリヴィアも負けじと睨み返す。

「出発前に、これ以上疲れたくない」

「……わかった。終わりにしよう」

 レナードに手を取られ、優しく引き起こされる。――だから、わからない。稽古になると途端に峻烈になるこの男が、一体何を考えているのか。理解できる日はきっと来ないのだろう、と漠然とオリヴィアは思った。

「一つだけ覚えておけ。お前が魔力を持たないと知っているのは、魔導士だけだ」

 付け足すように言ったレナードの意図をはかりかねて、オリヴィアは思わず聞き返した。

「どういう意味だ?」

「自分で考えろ。……戻るぞ」

 柔らかな雪に刻まれた男の大きな足跡を追うように、屋敷への道を辿った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ