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呪われた村(3)

 カトレアは小さな領土だ。そこへ向かうのに、大した時間は掛からなかった。暗く日が沈んだ闇に、静かに佇む建物。古く、荒廃した様子は他とは変わらない。だが、カトレアの苦しい状況なりに誠意を持って管理されているのが分かる外観に、オリヴィアは身構える。

 ――誰も出入りしていない方が、気は楽だった。

 オリヴィアの母の生家、リブラ家の屋敷。

 長くカトレアと対立が続いているレジスタンスの面々は、泊まるべき家を持たない――或いは、持っていても家族との関係で戻るに戻れない。魔導士以外立ち入らない土地故に、宿すら存在しないのである。だが、ここだけは別だった。リブラの家の者は、オリヴィアを除き既に亡い。オリヴィアは決心と共にその大きな扉を開いた。闇に包まれた室内に、手に持った明かりだけが空間を照らしている。

 真っ直ぐに伸びる絨毯の敷かれた廊下には蜘蛛の巣一つ無く、新鮮な空気が周囲に満ちていた。

「……凄い。ちゃんと、綺麗に保たれてる」

 思わずといったように、アルフレッドが声を漏らす。人が住まなくなった建物は瞬く間に朽ちてゆくというが、かなり美しいほうだろう。まだ鼻に残る蝋燭の煙は、間違いなく数刻前まで人が居た証だった。

 かつての持ち主との永い時を感じさせる床板は、歩く度に小さな悲鳴を上げる。点在する燭台に火を灯しながら歩くと、徐々に部屋の様子が明らかになってゆく。明かりをふんだんに取り込んでくれそうな硝子には厚い窓掛けが垂れ、家具の一つ一つも上等な木製。それらは丁寧に磨き上げられ、鈍い光沢を見せている。さすがに古くなった絨毯は至る所が擦り切れているが、品自体は良いものなのは断言できた。

「騒がしいと思ったら。……来てたのか」

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには青年の姿があった。――ルークだ。

「あら、ルーク。どうしたの」

 コーデリアは、少し気まずそうな顔でルークに尋ねる。オリヴィアは、ルークがレナード達を「信用できない」と言った日を思い出した。あの後、ルークは直ぐ隠れ家を発ったのである――

「別に……様子を見に来ただけだ」

「君の主君(オリヴィア)には、何も変わりないよ」

 もうそれ以上話すことは無い、とでも言いたげな様子のセオドアは、面倒臭そうに椅子へ腰掛けた。

「あんたら、これからどうするつもりなんだ。サイラスのことも未だ解決してないんだろう」

「それを、レジスタンスを去った君が聞くのかい?」

 問われて、ルークは黙り込む。そのまま、もどかしげにセオドアから目を逸らした。

「……家の使命まで、放棄したわけじゃない」

「へえ。じゃあ何で、その大事なオリヴィア君を」

 小馬鹿にするような素振りを見せたセオドアの声を、堪らずといった様子のレナードが遮る。

「……すまない。仲違いしないでくれ」

 挑発的な視線を送っていたセオドアは、勢いを削がれ、ばつが悪そうな顔をした。

「悪かったよ、ルーク」

「……別に」

 カトレアに来てからと言うもの、皆の空気が張り詰めているのを、オリヴィアは肌で感じていた。平常であれば笑顔を絶やさないアルフレッドも、普段冷静なレナードやセオドアですら。一触即発な雰囲気に、オリヴィアは苦い気持ちになる。

「不本意だけど、ブライアンを何とかするまで国王なんか追ってる場合じゃなくなったのは確かだよ」

 魔導士の力を以てして「強大すぎる」と言わしめるほどの力を得たという土の一族・サテュルヌの魔力とは、一体どれほどのものなのか。

「どうするつもりだ?」

 問いを続けるルークに、レナードは座るよう促す。何となしに、オリヴィアやアルフレッドも長椅子についた。レナードの方を一瞥すると、男は小さく頷いて言葉を紡ぐ。

「恐らく――伝え聞く封印の儀を再び行うことになる」

 レナードとリチャードの身体を依代とする黄龍。その龍を力の源とすることで魔力を得るという、サテュルヌとそれに連なる家々。ブライアンの目的を阻むなら、黄龍そのものを絶つ以外に無いのだろう。再び、封印という手段を用いて。

「……ということは、(すう)()(きよう)の連中も無関係ではなくなってくるんだな」

「憂鬱だね~。頭の凝り固まった人達だからなあ」

 同意するように頷いたセオドアに、オリヴィアは尋ねる。

「枢機卿って、何」

「あはは……もしかして、結構置いてけぼりになってる?」

 オリヴィアは、不満のため息を隠さずに頷いてみせる。

「さっぱり」

「だろうな」

 即座に同意してみせたレナードを恨めしげに見つめると、苦笑混じりに「悪かったよ」と返される。

「……ブライアンの件がなければ、カトレアへ来るつもりも無かったからな」

「そうよね。レナードは……優しいもの」

 コーデリアの意味ありげな言葉に、オリヴィアは彼女を見た。レナードの目を真っ直ぐに捉える、女の瞳。オリヴィアが眺めているのに気付くと、女は気まずそうに視線をレナードから外すのだ。

「はは……。まあせっかくここまで来たのだし、神殿に行ってみるのも良いんじゃないかな、オリヴィア君。リブラの血を引いた君に、無関係とは言えないわけだから」

 妙な沈黙を破るように提案するセオドアに、ルークが口を挟む。

「連中に何を言われるか、分かったもんじゃないぞ」

「そこを対処するのが君の仕事じゃないかな? 案内してあげなよ」

「……こいつが、望むなら」

 ルークに軽く小突かれて、何となく嬉しい気持ちになる。

「そこに行けば、何かが分かるなら。ルーク、頼む」

 自分の目で見て、ちゃんと考えたい。知らないまま、言われるままに行動したくない。

「……仰せのままに。行くならとっとと行くぞ」

 ルークはわざとらしくオリヴィアに一礼すると、くるりと背を向けて歩きはじめた。あまりの唐突さに呆気にとられていると、レナードに青年の方を顎で指されてしまう。

「ほら、行ってこい」

 頷いて、ルークの背中を追った。


「……そもそもだ。魔導士だって、身体に魔力を備えているというわけじゃないんだ」

 雪に覆われて歩きづらい地面に、時折足を取られながら必死で歩いている。流石に慣れた様子のルークは、オリヴィアの足取りに合わせてくれている。耳を傾け青年の言葉を追いながら、霧の掛かって全貌がよく見えない神殿の方角を眺めた。

「力の源流は全て四霊に遡る。四霊との結びつきの強さこそが、魔力を引き寄せる強さになる」

「四霊って?」

「……即ち、青龍・朱雀・白虎・玄武。これに黄龍を加えた五柱を、魔導士は神として祀り、神殿を建てた」

 訥々と語るルークの言葉に、オリヴィアは耳を傾ける。

「青龍、朱雀、白虎、玄武……。そして、黄龍……あの、王都で見た」

「そうだ。風の一族の直系たるリブラは、そのうちの一つ、青龍が力の根源。俺の生まれのゲヌビも同じ」

「へえ……」

 青龍。青龍。――青龍。どこか懐かしいような、惹かれるような、そんな響きを感じて、口の中でその単語を転がす。

「アルフレッドの生まれ、ハイドラは朱雀。イアンのタウルス家は白虎。それぞれの一族が、それぞれの霊と結びついてる」

「玄武は? カトレアに末裔が居るんだよな」

 気付けば間近に迫った神殿は、真っ直ぐにオリヴィア達を見下ろしている。灰色がかった石造りの、風が吹き抜けるだだっ広い空間がそこに広がっていた。神聖な空気が、オリヴィアの身体にぴりぴりと伝わってくる。空間に聳える円い柱が、正方形を描くように四本構えている。そして、中央には祭壇のようなものが覗いている――

「ああ……性格がな……俺は正直苦手だ」

 珍しい、ルークの歯切れの悪い物言いに目を丸くする。と、

「口を慎みなさい。身の程を知らない辺りは、畜生の従属らしいですわね」

 背中の奥から、棘のある女性の声がした。振り向けば、目映い金糸がまず目に入る。その美しい髪の持ち主の、深みのある青の瞳には見覚えがある。カトレアへ足を踏み入れようとしたとき、激しい拒絶を見せた女性の記憶が蘇ってきた。

「……ジャスミン、様」

 軽く頭を下げるルークの漆黒の瞳には、僅かに苛立ちが浮かんでいる。オリヴィアに向かってこっそり目配せしたルークに、妙に納得をする。

 ――この女性が、水の直系一族の末裔。オリヴィアに対する嘲弄も、同じ直系一族の者同士思うところがあるのだろう。オリヴィアは、女性へ諦めに近い理解を得ていた。

「無能な主を捨てて帰ってきたかと思えば、リブラの屋敷に入り浸って。ゲヌビは誇り高い一族だと思っておりましたけれど」

 瞬間、ルークの腹の内に怒りが満ちるのを、オリヴィアは感じた。冷静に努めようとしながらも、言葉を紡ぐその唇は、僅かに震えている。

「……訂正していただきたい。我が主に対する暴言を。使命を果たしてきたゲヌビに対する嘲りの言葉を」

「そこの小娘が無能なのは事実――」

 尚も言及しようとするジャスミンの声を、一際大きく力強いルークの言葉が遮る。

「訂正していただきたい」

「……ふん。長老様から小耳に挟みましてよ。気には食わないですけれど、封印の儀を行うのであれば、そこの小娘も関わってきますものね。精々今のうちに、身の程を知ればいいでしょう」

 美しい金の髪を揺らしながら、神殿の中へと歩いてゆくジャスミンを、ルークは隠しきれない憤りの表情のまま引き留めようとする。オリヴィアは首を振ると、ルークの追求を制止した。

「別に私は何を言われても良い。慣れてるから」

「腹、立たないのか」

「……慣れたのは主にあんたのお陰だけどな」

 態とらしくそう言うと、ばつが悪そうにルークは顔を逸らす。それでも、面と向かって嫌いと宣言されただけ、心理的にカトレアの魔導士達の態度よりは楽だった。

「悪かったよ。その……最初は、こんな拗ねた餓鬼がリブラの当主なのかと思って、嫌だったんだ」

 それだけ言うと、これでこの話は終わりだとでも示すように、ルークは足早にオリヴィアの前へ出た。――一度くらい仕返ししても許されるだろう。思わず口元がにやりと歪む。

「なんだ。私なんかが元婚約者なのが、純粋なルーク君の心を傷つけたのかと思ってたよ」

「お前、それどこで」

 知った、と言いながら鬼の形相で振り返ったルークに、意地の悪い笑みで返す。

「あんたが寝てる間に、アーノルドさんにな」

「あの野郎……!」

 ルークの反応に一頻り笑って、オリヴィアは深呼吸した。ふと、ジャスミンが言っていたことを思い出す。

「もしかして、あの屋敷を綺麗にしてくれてたの、ルークなのか」

「……まあな」

「使うかも分からなかったのに」

 いつの間にか顔が見えない程暗くなった視界に、雪明かりがぼんやりと進むべき先を照らしている。

「……レジスタンスだってこの先どうなるか分からない。もし、そうなったとき――お前には、帰る場所が必要だ」

 ――ルークは今、私の場所を守ってくれている。

「……ありがとう」

 面倒そうに手を振ってオリヴィアに応えたルークは、入り口の段に差し掛かったところで足を止めた。

「胸を張ってろ。お前は正真正銘、リブラの末裔だ」

 無言で頷いて、一歩踏み出す。


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