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呪われた村(1)

 吐いた息すら凍りそうな外気に晒されながら、白金に輝く大地を見下ろす。峠を越えた瞬間に広がっていたのは、谷に隠れるように存在する里だった。カトレアへと続く道なき道を進んで早三日。北へ北へと進んだ道程も、ようやく終わりを迎えようとしていた。振り返れば、人数分の足跡が綺麗に残っている。

「う~、寒い。この歳になると、この辺の気候は身体に堪えるよ」

 セオドアが、何度目か分からない愚痴を零す。一方で、平然とした様子で歩くアルフレッドの姿があった。普段であれば一番文句を言いそうな少年は、自身の魔力で生み出した火で暖をとっているのであった。

「アルフ、おじさんはもう限界。僕もあっためて」

 情けない声で縋り付くセオドアに、アルフレッドは苦笑を漏らす。

「僕を懐炉代わりにしないでよね」

「使い勝手が良い能力だよな」

 縮こまりながら身体を擦るオリヴィアも、その恩恵に(あずか)っている。育ったウェステリアではここまで冷え込むことがなかったため、慣れない寒さが肌に染みる。厚着をしているが、それでも指先から冷えてゆく。

「オリヴィアまで……。勝手に火種にされたり懐炉にされたり、勘弁して欲しいんだけどな」

「その割には満更でもない顔をしているがな」

 斜め後ろからやり取りを見ていたレナードは、呆れたように微笑した。全くだ、と言うように頷くイアンとレナードの後方には、コーデリアの姿がある。

「ほら、二人とも、ちょっと位置がずれてる。風、冷たいわ」

 レジスタンスでも一、二の巨躯を持つ二人を風除けに、コーデリアは進んでいるのである。コーデリアの剣幕に、二人は半ば諦めたように壁役を引き受けていた。

「ここへ来るのも、何年ぶりだったか――」

 レナードは、自身のその言葉を噛みしめるように言った。

「最後にきたのは、アルフ君を連れ出したときだっけ? いやぁ、偉い人に何言われるか分かったもんじゃないな」

 セオドアは肩を竦める。言葉の印象とは裏腹に、その顔には侮蔑の表情のようなものが浮かんでいた。

「ううん、僕が何も言わせないよ。だいたい、直系の人間が三人もこっち(レジスタンス)側についてることの意味を、長老達はいい加減理解した方が良いんじゃない」

 自身の艶やかな黒髪を指で弄ぶアルフレッドは、イアンに「ね」と目配せした。渋い顔をするイアンが、ゆっくりと首を振った。

「俺は親父の世代からレジスタンスに居たから、今更なんだろうが……アルフは面倒なんじゃないか。親との確執も、まだ何も解決はしてないんだろう」

「先に僕を異物扱いしたのはあっちなんだから、文句なんか言わせないよ」

 アルフレッドの言葉に、オリヴィアはぼんやりと少年がかつて語った家族関係について思い出していた。強すぎる魔力が原因で、家族ですらアルフレッドを恐れ――禄な世話もされず、見かねた隊長がレジスタンスへ連れだしたと。

 家族――か。

 オリヴィアは、口の中でその単語を転がすように、自分の内で反芻していた。

 無意識的に俯いていた首を、周りの足音が止まるにつられ持ち上げる。行く手を阻む堀と、跳ね上げられた橋が目に映る。

 外敵の一切がカトレアへ侵入するのを阻むような、深い――深い溝。訪問者の姿を認めたように、痛んだ橋が軋む音を立てながらゆっくりと降りてくる。その橋がついにこちらとカトレアを繋いだとき目に映ったのは、どこか不気味とすら思えるほど異様な顔でオリヴィアを見つめる数十名の魔導士達だった。そっと息を飲むと、レナードは庇うように前に立ちふさがる。

「――異端の者達が、神聖な魔導士の地に何の用があると言うのです」

 全ての音を吸い込みそうなほど強く雪の舞う大気に、一際透き通る女性の声が響く。眩い金の髪を緩やかに束ねた女性は、雪の女王と言われれば信じてしまいそうな程美しく、だがその顔は嫌悪に歪んでいた。

「俺たちは、長老と話に来た」

 レナードが言い放つのを鼻で嗤って見せると、女は艶やかな唇をねっとりと開く。

「異端と言えど魔導士は魔導士――ですわね。良いでしょう、通行を許可します」

 警戒心を漂わせていたレジスタンスの面々の表情が、僅かに和らぐ。躊躇せずに、みしみしと悲鳴を上げる橋に足を踏み出した。

 最後尾を行くレナードの歩みに並ぶように、オリヴィアが橋に足を掛けようとした。

「お待ちなさい」

 けして叫ぶのではなく、静かに――だが、力強い女の牽制が耳に届く。オリヴィアは、思わず足を引いた。

「わたくしは、魔導士を通すと言ったのですわ。どこかの人間と――そこの女。ふん、上面こそリブラの人間の顔付きと似ているようですけれど。紛い物かも知れませんわね」

「この娘は間違いなくフェリシアの子……リブラの末裔だよ、ジャスミン嬢。聖痕だって左目にある」

 橋の中程で足を止めたセオドアが、鋭い瞳で女――ジャスミンを見る。

「何の力もない小娘が『リブラの末裔』なんて、冗談じゃありませんわ。生家の義務も果たさず家を飛び出し、あまつさえ卑賤な人間との間に不純物まで(こしら)えて……リブラの者共は、畜生と同じですわね」

 レナードは、拳を力強く握り込んで静かに震えていた。自分を貶されたから怒っているのではない。妻を、そして娘を貶されたことへの怒りなのだ、この男はそういう人間だ、と――直感的に理解する。

 だが、男は何も言わない。否、言えないのだ。僅かでも反論すれば、レナードの怒りを煽るジャスミンの思惑通りになると、腹の内で怒りを収めようとしている。

「何とでも言えばいい。思考をやめて、ただ滅びるのを待つだけのあんたらより、『人』として余程真っ当だ」

 気がついたときには、言葉が口をついて出ていた。レナードの顔が、僅かに驚きに塗り替えられる。対照的に、憎々しげなジャスミンがあった。オリヴィアを睨みつけるジャスミンへ、ため息混じりにセオドアが口を開く。

「別に僕達は喧嘩しにきた訳じゃないんだ。通してもらえないかな」

「魔導士なら、通しても構わないと言っているのですわ」

 ジャスミンは、オリヴィアやレナードを穢らわしいとでも言わんばかりに見下ろしている。

「……議論の無駄だね。僕は、力ずくで通ってもいいんだよ」

 好戦的に言ったアルフレッドに、ジャスミンは全く理解できないという素振りを見せる。

「歴としたハイドラ家の嫡男である貴方が――何故、その者達に手を貸すのです?」

「僕は、僕をきちんと『人』として扱ってくれる方を選んだだけだよ」

 反論をとジャスミンが口を開きかけた瞬間、老いた男の嗄れ声が耳に届く。

「――何事かと思えば、お前達か」

 背骨が異様なほど曲がった老人は、杖をつき足を引きずるように、一歩一歩と進み出る。一見しただけで相当な年齢と解るその老人の皺だらけの指は、何かが妙に感じた。

「ええ……長老様、ご無理をなさらずに。ここはわたくしにお任せを。あの者共には、お引き取り願いますわ」

「いや。儂も丁度聞きたいことがあった」

 長老と呼ばれた男は、真っ直ぐにレナードを見ていた。

「……ギデオン」

 レナードの声が、一段と低くなる。皺だらけの老人――ギデオンの顔が、冷笑に歪む。

「ふん。――久しいな、国王の弟とやら」

 オリヴィアは、レナードの喉仏が僅かに動くのを見た。


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