花言葉
「カトレアへ行く」
男の一言に、誰かの動揺が聞こえた。数日前までからは考えられないほど少なくなった仲間にレナードは告げると、優しい瞳で全員を見回す。だがその眼差しがオリヴィアを捉えるかと思った瞬間、逸らされてしまう。
「隊長、なんでまた?」
雑に手を挙げながら言うアルフレッドに、レナードは言葉を続ける。
「ブライアンは――間違いなく、何かを企んでいる。魔導士にとって不利益になる何かを、だ。……長老達なら、何か知っているかもしれない。王都で見た、あの金色の龍のことも」
魔導士の土地であるカトレアであれば、確かに分かることもあるだろう。だが、いつかのルークの言葉が蘇ってくる。
――俺はお前が嫌いだ。だが、カトレアの連中は、間違いなくもっとお前が嫌いだ。直系の血を汚し、絶やした者として。
レナードに対するレジスタンスの者達の言動を見て、魔導士の人間に対する嫌悪を肌で実感したのだ――
「アルフレッド、イアン。お前達にも辛いことを強いることになると思うが……頼む」
「水くさいなあ、隊長。それに、隊長やオリヴィアのこと考えたら――辛いなんて言ってられないや」
アルフレッドがレナードに言うと、イアンもそっと頷いた。
「今はオリヴィアがいるから、直系一族の末裔が三人揃ってるんだな。俺、アルフ、オリヴィア……レジスタンスをいくら長老達が嫌っていようと、俺たちの存在を無視はできんだろう」
「ああ。知っていることがあるなら、全て吐かせるつもりだ。――明日、ここを発つ」
オリヴィアと同じ朱の鋭い瞳は、意志の強さを感じさせた。
――隊長が人間だった。
レナード自らが皆の前で事実を告げたとき、多くの者が組織を去った。憎らしげに暴言を吐く者達の言葉を、レナードは黙って受け止めていた。その背中は、どこか寂しそうだった――
あんな顔をするレナードを見たのは、初めてだった。激しい拒絶を全て受け入れ、一切の弁明をしない姿が、オリヴィアの心すら抉っていくようだった。
だがその瞳は今、決意に満ちている。
「君にはぴんとこないだろうね。でも、あの革命から十六年……たった十六年だ。人間に親を殺された、兄弟を殺された――そんな生々しい記憶が残っているからこそ、危険を犯してまで戦いたがる魔導士が多かった。人間が僕達を魔族と忌み嫌うように、僕達だって人間が憎いんだ。いつかはこうなるとわかっていたけれど――それでも、レナードが否定されるのはつらいね」
殆どの者が寝静まった夜。焚き火のそばで酒の入った器を傾けながらぽつぽつと語るセオドアの言葉が、オリヴィアを苛んだ。
「私も、どうすればいいのかわからない。でも、隊長を拒絶しても、私には帰る場所がない」
縮こまるように座った地面は、ひんやりとした温度を身体に伝えた。オリヴィアがそう言ったとき、セオドアは寂しげに笑った。
「あのあと一度も喋ってないんだよね、君たち。本当はレナードが言うべきことであって、僕が口を挟む場面じゃないんだけど」
セオドアは、酒を持つ手を止める。深呼吸のような息遣いが耳に届いたと思うと、真剣なセオドアの瞳がオリヴィアを捉えていた。
「レナードは、君を愛しているよ」
「…………」
「レナードはね、ずっと魔導士として育ってきたんだ。レナード自身が人間だっていう事実を知ったのだって、大人になってからだった――そういう意味では、境遇は君と似ているのかもしれないね。でもまさか、自分が殺した王の息子だなんて知らなかった……。あいつだって動揺してるし、苦しんでるんだ。それは、分かってあげてほしいと思うよ」
セオドアは、残っていた酒を一気に胃に流し込む。酒に弱いのか、耳の先が若干赤くなっていた。
「さあ、もう遅い……僕達も、そろそろ寝ようか。明日はカトレアに行くんだったね」
焚き火の後始末を始めたセオドアに就寝の挨拶をする。寝室までの道を歩くと、ふと明かりが漏れている部屋があることに気がついた。
レナードの部屋だ。――彼はまだ、起きているのか。少し迷って、オリヴィアは扉を叩いた。
だが、返事がない。もう一度叩いても男の声は聞こえず、内心で首を傾げつつ遠慮がちに扉を開いた。
「……隊長?」
部屋の奥の、簡素な机に突っ伏す男を目で捕らえる。寝ているのだろうか――そう思った瞬間、男の頭がゆっくりと持ち上がった。
「フェリ……いや、オリヴィア」
頭に手を当ててのったりと首を振ると、レナードは数回瞬きした。
「……何か、あったか」
レナードはオリヴィアに尋ねる。ここに居るのが不思議だとでも言いたがっている顔だった。
「もう、寝るから…………おやすみなさいって、言おうと思っただけだ」
意外そうに開かれるレナードの朱い瞳から目を逸らした。声を掛けたのは気まぐれに近い。だが、酒を煽るセオドアの、自身やレナードを心配する気持ちに少しでも応えたかった。
気まずい沈黙が空間を支配する。もう行こうと足を動かしたとき、不意に男が静寂を裂いた。
「……お前は」
立ち止まって振り返ると、レナードは躊躇うように唇を結んでいた。
「お前は、俺が憎いか?」
オリヴィアは無意識に唾を飲み込む。
「――何で嘘ついてたんだ」
父親が自分だなんて、この男は一言も言わなかった。
「嘘はついてない。隠していただけだ」
「なおさら、腹が立つ」
オリヴィアは吐き捨てる。レナードの瞳が一瞬揺れる。だが、
「腹は立つけど、……憎いとかじゃ、ない」
自分でも分からない気持ちが、言葉できちんと伝えられるとは思わなかった。それでも、レナードには十分のようだった。
「――そう、か」
レナードは目を細めると、少しだけ口角を上げてみせる。
「オリーブの花言葉、覚えているか?」
唐突な質問に、オリヴィアが記憶を探る。
「え、クロエがいつか言ってた――知恵と……」
「平和、だ。カトレアの連中はきっとお前のことを嫌悪しているし、酷い扱いを受けるかもしれない」
無言で頷く。だが、何故レナードは今花言葉を持ち出したのか、内心で首を傾げる。
「勿論、俺やセオドアや――守れる限り、手出しはさせない。元はといえば悪いのは俺だからな。だが、覚えていてほしい」
レナードは、自身と同じ朱い瞳でしっかりとオリヴィアの目を見る。
「お前に『オリヴィア』と付けた、俺やフェリシアの願いを。オリヴィア、俺は――自分の存在に、誇りを持ってほしいと、思う」
人間と魔導士の間に生まれたことを。民族の壁を越えた存在であることを。
――誇りに、思おう。いつだったか見た、過酷な環境で真っ直ぐに佇むオリーブの木のように。素直に、そう考えることができた。
オリヴィアは、ゆっくりと、だが力強く頷く。
「怒るのも、憎むのも、全部後で聞く。だから今は協力してくれ。――謝りたいことも、話したいことも、沢山あるんだ」
レナードは立ち上がると、足音すら殆ど立てずにそっとオリヴィアに近寄る。その行動の意図が読めずに、オリヴィアはただ立っていた。遠慮がちに腕が伸びてきたかと思うと、そっと頭に手が置かれる。男の剣だこが目立つ節くれ立った手は、意外にも優しく髪を撫でた。
「……引き留めてしまったな、明日は早いぞ。――おやすみ」
それだけ言うと、レナードは明かりを消すために燭台の方へと向かっていった。
「おやすみ、隊長」
蝋燭が消える香りを感じながら、きしむ木の扉をそっと開いた。




