分岐点
すっかり短くなってしまった蝋燭に、ふと時間の経過を感じた。眠る青年以外誰も居ない、この薄暗い空間でただ過ごすのも、既に日課になりつつある。
「でさあ、もう駄目だ! って思った瞬間、壁が動いてね……なんと、古い隠し通路があったのさ。城の連中すら把握してなかったんだろうね、……」
隣の部屋からは、威勢の良いセオドアの声が聞こえてくる。王都での出来事を語る彼の様子は、いつもと少し違うように思えた。
自ら出来事を語って相手の好奇心を満たすことで、一番重要な出来事を隠すように――聞かれてはいけない部分を意図的に隠しているように感じるのは、気のせいではないのだろう。
ふいに、青年のうめくような声に視線を落とした。眉間に力の籠もったルークの顔があったかと思うと、固く瞑られた目が大きく開く。
ルークの黒い瞳と目が合った。突然意識を取り戻したルークに、息が一瞬詰まる。
「……ル、ルーク」
思わずまじまじと見つめてしまう。
「ここは?」
長く聞いていなかった青年の声に、オリヴィアは胸をなで下ろした。
「コルチの隠れ家。戻ってきたんだ」
「俺はどのくらい寝てた」
そう問われて、少し考え込む。指を折って数えると、
「一週間と少しだな」
ルークはオリヴィアの答えに舌打ちをすると、緩慢な動作で上体を起こした。
「……隊長達は」
「無事だった。私たちに遅れて戻ってきた。……その」
オリヴィアは、数瞬迷って、言葉を続ける。
「ごめんなさい。私のせいで、こんな怪我を」
ドロシーに気を取られて戦場の真ん中で呆けていたオリヴィアを、ルークは身を挺して庇ったのだ。
「お前を守るのが、俺の使命だ。だから、別に良い」
ルークは何でもないというように首を振ると、意地の悪い笑みを浮かべる。
「謝るよりも、そこは礼でも言っておくべきじゃないのか」
ルークが笑ったのを初めて見た気がして、オリヴィアは思わず目を瞬いた。
「あ、ありがとう……」
「ふん。――俺も、助けられたからな。礼は言っておく。
……正直、驚いたんだ。お前が、あんな事を言うとはな」
あのときは必死だった。自身の過失で誰かが死ぬなど、耐えられなかった。
だが、一人では結局何もできなかった――
「……大口を叩いたけど、私一人じゃ帰ってこれなかった。院長先生と、アーノルドさんが居なかったら」
「人に頼るのは悪いことじゃない」
ルークの真剣な顔に、オリヴィアは続く言葉を飲み込んだ。
「甘えるのと頼るのは、違うぞ」
「……それは」
ルークは、自身のことを励ましてくれているのかもしれない。だから、それ以上は何も言わなかった。
少しの間を置いて、ルークは呟く。
「隊長は――人間なんだよな」
ルークは、身体に掛けていた毛布をそっと握ってみせる。避けては通れない話題に、オリヴィアは重いため息をついた。
「間違いない、私の……」
「……話したのか? 隊長とは」
「帰ってきてからは、一言も。どうすればいいのかわからなかった」
レナードとセオドアが隠れ家へと戻ってきた日、レナードはオリヴィアに目を合わせることすらしなかったのだ。気まずいものを感じたからか、それとも。
――話すことなど、何もなかったか。
どちらにせよ、そこに落胆があったのは事実だった。何を期待していたのか、自分ですら分からないにも関わらず――。
「そうか。……俺も、王都から戻る最中色々考えていたんだが」
オリヴィアの顔色を察したのか、ルークは特にそれ以上の追求をしてこない。
「俺は――レジスタンスを抜ける」
続いた言葉に、オリヴィアは息を飲んだ。
「抜ける……?」
「……ああ。最悪だ、隊長がまさか人間だったなんてな。隊長だけじゃない。セオドアやコーデリアも――全部知ってて、隠してたんだ。もう、この不信感は拭えない。信頼できない……」
ルークはそう吐き捨てる。そう考えるのも、無理はないのだろう。
命が掛かっているのだ。この組織に身を置く限り、何が起こるか分からない。
ルークには戻る場所があるのだな、と思う。ウェステリアにも、カトレアにも――自身には、他に居場所がないのだ。
「隊長のこと自体は嫌いじゃない、と思う。でも、それとこれは別なんだ」
「……そう」
「だが……一つだけ、言っておく」
オリヴィアは、ルークの言葉に首を傾げる。
「何だ」
「レジスタンスには……隊長達にはもう従わない。でも、お前を守るのは俺の使命だ」
真剣な目でルークに見つめられて、思わず後込みする。
「それはどういう……」
「そのままの意味だが。……隊長と話をしてくる」
ルークは身体に掛けられていた毛布をオリヴィアに投げて寄越すと、先ほどまで怪我で意識すらなかったとは思えない早さで部屋を立ち去った。
何だったのだ、一体。
熱は既に引いていたように思ったが、黒髪に紛れたルークの耳の裏が少し赤かった気がするのは、何故なのだ。




