巡る記憶
もう昼頃だろうか。わずかな蝋燭の灯りでは、時間の感覚が痺れてくる。
洞穴のようなこの場所は、静けさに満ちていた。ひんやりとする気温を肌で感じながら、ただただじっと青年のその揺れる睫毛を眺めた。
青年の熱っぽい吐息と共に上下する胸は、徐々に安らかなものとなっている。
隠れ家についてすぐ、クロエによる手当を受けた。後の容態は落ち着きつつあるものの、熱にうなされるのを見る度に胸が締め付けられる感覚になる。
ふと聞こえてくる足音に顔を上げると、そこにはコーデリアの姿があった。一瞥してすぐルークの方へと視線を戻すと、苦笑いが聞こえてくる。
「オリヴィア、まだそこにいたの。病人の顔を見てたって、治りが早くなるわけじゃないのよ」
そうだとしても落ち着かなかった。自分のせいで怪我を負ったルークを放っておくことが、どうしてもできないのだ。
「看病は私が代わるから、あなた洗濯当番してきなさい」
「でも」
手招きするコーデリアに曖昧な返事を返すと、呆れたような声が返ってくる。
「集団で生活してる以上、当番はこなしてもらわないと困るのよね。……気分転換にも丁度いいと思うわ。ずっと気が張り詰めっぱなしでしょう」
近づいてきたコーデリアは、自身の肩にそっと手を置く。諦めて頷くと、視線をオリヴィアに合わせて優しげな笑みを浮かべる女性の顔があった。
――レナードとセオドアはまだ帰ってこない。
オリヴィア達を王城から逃がした後、敵地で完全に孤立した二人の安否はわからないままだ。オリヴィアとルークが何とか王都から抜け出せたのは、二人が背後の敵を抑え続けていてくれたからに他ならない。
――だからこそ、怖い。レナード達は無事に帰ってくるのか、それとも。
聞きたいことも沢山あった。できることなら、すぐにでも問い詰めいことばかりだった。
コーデリアは、そんな彼らのことを全く心配していないように振る舞っている。信頼しているから、心配しないのだ――と気丈に言う彼女は、今は不在の二人を埋めるように皆を励ましていた。
そして、オリヴィアの心境を気遣ってくれていることも、痛いほど伝わってきていた。
「暫くみんな居なかったから、溜まっちゃってて大変よ。頑張って」
「……えっと」
頭に浮かんだ様々なことに気を取られて、一瞬何を話していたか思い出せなかった。
「だから、洗濯当番。……あなた、大丈夫? どっちが病人だかわからない顔してるわ。もし体調が悪いんだったら――」
「いや、平気だから。行ってくる」
ベッドの傍の椅子から立ち上がった瞬間、激しい振動が身体を襲った。がたがたと音を立てて揺れる蝋燭が一本、燭台から落下して小さな煙の柱を作る。僅かに闇が深まった空間に大きく体勢を崩しかけて、コーデリアに支えられた。そのままじっとしていると、振動はゆっくりと収まっていく。
「また地震……最近、多いわね」
コーデリアの言葉に、オリヴィアはそっと頷いた。
王都での出来事があって以来、よく地震が起こっているのだ。何度考え直しても、あのとき見た金色の龍が頭をよぎる。頻発する地震と王都の一件、この二つの出来事が重なって感じるのは、きっと偶然ではない。
「……もう大丈夫ね。今度こそ、いってらっしゃい」
そう言って自身を優しく抱きしめたコーデリアに気恥ずかしさを覚えながら、部屋を後にした。
ひんやりと心地よい風を感じながら、洗濯板を使って汚れを落としていく。
外の空気を久々に吸って、冬の澄んだ匂いを感じていた。知らない間に雪まで降ったのか、視界の隅に見える山々の頂上付近は白く覆われている。
最初は気こそ乗らなかったが、確かにコーデリアが言っていたように良い気分転換になった。とはいえ、作業的に洗うようになり始めると、すぐ考えることはここ数日と同じものに戻る。
――隊長の正体のこと、安否のこと。ルークの身体のこと。金色の龍のこと。ブライアンの目的。国王の意図。これらがぐるぐると頭の中を駆け巡って、いつしか指先が凍るような水の冷たさも気にならなくなっていた。
知らないことだらけだ。わからないことだらけで放り出されて、結局何一つ変わっていない。セオドアとの約束だと大見得を切った割に、一人では間違いなくルークをここまで運んでこられなかった。自分の無力さを痛感するたび、悔しさに心を苛まれる。
「リヴィ、そっちは終わったの?」
少女特有の透き通るような声に顔を上げると、洗濯物を目一杯積んだ籠を抱えるクロエと目が合った。あまりに洗濯物が多かったので、手伝いを申し出てくれていたのだ。分担したものをもう洗い終えたらしく、干しに行くところなのだろう。
盥に入れた、未洗濯の物の山を見る。気がつかないうちに、残り二、三枚のところまで減っていた。
「もう少しで終わる」
「ああもう、またぼうっとしてたでしょ。……悩みすぎは身体にも良くないよ」
クロエやアルフレッドには言えなかった。自身の半分を形成する血が隊長のものだとは、どうしても言えなかった。
だから、二人はレナードやセオドア、そしてルークの安否を気にしてのものだと思っているのだ。だが、自分の中を廻る悩みは、出来事のあった半月ほど前から変わっていない。
「わかってる。すぐ終わらせるから、少し待っててくれ」
「うん。全部終わったら、フランの村に行きたいな。そろそろ、アンナさんの様子が気になるの」
初めてオリヴィアが同行して村に顔を出したときから、既に三ヶ月ほどが経過している。クロエはその間も、妊婦であった女性の様子を確認するために定期的に顔を出していた。もう目に分かるほどお腹が大きくなってきているのだ、とクロエは嬉しそうに話してくれた。
「あとどのくらいで産まれそうなんだ?」
「何事もなければ、あと三ヶ月くらいかな。ただ、少し成長が早いみたいだから、もう少し前になるかもしれない」
笑顔でクロエが言ったとき、不意にまばらな足音が森の中から聞こえてきた。洗濯板を持ったまま反射的にクロエを背中に庇って、視線を凝らす。
それがレナード達だと気付いて、手からするりと板が抜ける感覚がした。雑に巻かれた包帯が痛々しく、だがレナードとセオドアのどちらにも晴れやかな表情が浮かんでいる。
「隊長! セオドアさんっ!」
洗濯籠を置いて走り出すクロエの姿が目の端に映った。
だが、地面に縛り付けられたように、オリヴィアの足は動かなかった。一気に襲ってきたのは、何故か戸惑いだった。
込み上げてくるものを堪えるように、唇を噛んだ。




