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帰路

 乾いた木の扉が叩かれる音で目を覚ます。

 いつの間に眠ってしまっていたのだろう、ベッドに突っ伏すように寝ていたことに気付いて、窓を見上げる。月はまだ高く上がっていて、それほど時間が経ったわけではないようだった。ルークの手を握ったままだったことに妙な気恥ずかしさを覚えて、そっと放す。

「入るぜ、嬢ちゃん――おや、寝てたのかい」

 はっきりしない頭で、この男は誰だろう――と考え込む。五十近いであろうその男は、記憶の中には存在しない。

 オリヴィアの顔を眺めて、男は目を丸くする。意外そうな顔で少しの間頷くと、人当たりの良い笑顔を作って見せた。

「おぉーっと、……自己紹介しないとな。俺はアーノルド、嬢ちゃんらの救世主さ。

 ここの院長さんとは個人的な知り合いでな。嬢ちゃんの正体は知ってるから、心配しなくて良いぞ」

「救世主……魔導士なのか?」

 隠れ家でもこんな男を見た記憶は無い。とはいえ、魔導士の自身に対して「救世主」と言うからにはそうであるのだろうと予想する。

 だが、返ってくる反応はそれとは違っていた。

「いや、俺は人間だ。――だが、まあ、何だ。心配しなくて良い、嬢ちゃんらはちゃあんと馬車で隠れ家まで連れて行ってやるよ」

「じゃあ、どうして」

「ん~……そうだな、どっから説明したもんか。隊商って、知ってるか?」

 隊商とは、フランの村に来ていたあの隊商で間違いないのだろう。村から村を廻って商売をしてるという商人の一団。

 頷くと、おっ、とでも言うように男の顔が緩む。

「……俺は人間だが、むかーしの祖先に魔導士が居てな。そんだけで、気にくわないって連中は多いんだ。俺だけじゃない、多くのそういうはみ出し者にとってはな、隊商って仕事は都合が良いのさ。村から村を廻って、商売するって性質がな。んで、この身軽さを生かして――レジスタンスにも、一枚噛んでる。

 嬢ちゃん、オリヴィアだろ? ルークの坊主と一緒ってことは、レジスタンスの連中……またなんかやらかしたんだな」

 オリヴィアは俯くと、ルークの顔を窺う。時折うなされる青年の呻き声を聞く度、悔恨が襲ってきた。

 私が躊躇したせいで。私を守ったせいで。

 拳を強く握りしめると、食い込んだ爪が掌に小さな傷をつけた。

「おいおい、なんちゅう顔してるんだよ、嬢ちゃん。坊主が心配なのも分かるがな、今は考えても仕方がねえ」

「私のせいだから。私が、油断しなければ――ルークは」

「……なるほどな。無理もねえが、後悔ばっかりしてたって何も始まらねえぞ。

 さて、これからの話だが――馬車は近場の宿に泊めてある。すぐにでも出発したいところだが、準備の時間が要るんだ。

 大方はここの院長さんから聞いてるが、ずっと歩き詰めだったんだろ。嬢ちゃんも少し休んでると良いさ。夜が明ける前には、迎えに来る」

 オリヴィアの頭を励ますように撫でると、アーノルドは豪快に部屋を後にする。子供達が起きてこないか心配になるほどの足音がやっと聞こえなくなった頃、入れ替わるように院長がやってきた。

「院長先生。……ありがとうございます。私一人だったら、どうなっていたか」

「親として、当然のことをしたまでです。

 ――さあ、毛布を用意しましたから。少しでもきちんと横にならないと、身体は休まりませんよ」

 そう言ってオリヴィアを呼ぶ院長に曖昧な返事をすると、続いて聞こえてきたのは院長の呆れるようなため息。

「……なんて顔をしているんですか、オリヴィア。まるで、今にも倒れてしまいそうな」

「少し疲れただけです、平気です」

「そうは、見えません」

 院長は近づいてくると、オリヴィアを諭すように肩に手を置いた。見透かすような目でオリヴィアの赤い瞳を覗き込む院長の顔は、ただただ優しい。

「オリヴィア。年老いた父を、あまり困らせないで下さい」

 『父』という単語に身体が反応する。

 それでも、ルークから離れたくなかった。自身のせいで負った怪我で苦しんでいる青年を置いて休みたいとは、どうしても思えない。

「……何を言っても無駄そうですね。毛布はここに運びますから、好きになさい」

 言葉こそ厳しいが、その声は優しいままだ。小さく扉の閉じる音がすると、オリヴィアは目をそっと伏せた。



 高く積まれた果実たちに、崩れて押しつぶされるのではないかという不安さえ感じる薄暗い空間で、ひたすら息を殺していた。

 アーノルドの、商人特有のよく通る声で談笑を繰り広げる様子が耳に届いている。とはいえ長引いていることを思えば、かなり面倒なことになっているのかもしれない。

 そうこう考えているうちに、激しい振動が身体を走る。

「嬢ちゃん、もう良いぜ。関所は無事に抜けた」

 御者台に座るアーノルドの合図に、そっと隠れていた荷物の山から抜け出す。ルークの身体もなんとか引っ張り出して適当に場所を確保すると、ようやく生きた心地になってくる。

 二頭立ての、機能性のみを重視した幌の荷馬車。贅沢は言えないが、この調子で揺られ続ければ胃の中身が全部ひっくり返ってしまいそうだ。

 まだまだウェステリアの南端である。ここからコルチ領にある隠れ家に戻るには、馬車でも一週間はかかってしまうだろう。

 往路とは違い堂々と整備された道を走れるだけましだが、それでも既に身体中が悲鳴を上げている。

「年頃の嬢ちゃんにはちょっとばかしきついだろうが、ま、耐えてくれや」

「……私は平気だ。それよりもルークの方が」

 ルークは未だ目を覚まさない。

 徐々に回復の兆しを見せてはいるが、こうして振動に晒されていれば傷口が開かないかと心配になってしまう。

「まあ、大丈夫さ。魔導士ってのは結構身体も丈夫にできてるらしいしな」

 そう言って男が手綱を引くと、馬の嘶きと共に速度が上がる。

「あんた、妙に魔導士に詳しいんだな」

 魔導士の血を僅かに引いているというだけでは、こんなに詳しくはないだろう。レジスタンスに一枚噛んでいるという男の言葉も、信憑性を益々帯びてくる。

「まあ、レジスタンスとは嬢ちゃんらの隊長さんがガキの頃からの付き合いだからな。俺の親父によく連れて行かれたもんだ」

「ふぅん……?」

「だから、ルークの坊主が嬢ちゃんと居るのは驚いたさ。こいつ、嬢ちゃんのこと嫌ってただろう」

「出会ってすぐに『嫌い』って言ってたな。混血だから」

 コルチの隠れ家に至っては、唾まで吐きつけられている。

 だが、ここ最近は少し態度が軟化してきている気もする。少しは、仲間だと認めてくれたのだろうか。

「ま、嬢ちゃんはな……特殊というか何というか、うーん……別の理由もあるとは思うがな」

 含みのある言い方に、オリヴィアは首を傾げる。アーノルドは頭を捻ると、馬を操る手綱を握り直した。

「ルークの家は魔導士の中でも、結構な家柄でな」

「なんか、名前が長かったのは覚えてるな。一回しか聞いたことないけど」

 確か、ブライアンに捕らえられていたときにコーデリアが言ったのだったか。よく覚えていないが、コーデリアの一言で冷静になるルークの姿は印象に残っている。それだけ、家名を誇りに思っているのだろうか。

「ルーク・ズベン・エル・ゲヌビ。……まあなんだ、ゲヌビは嬢ちゃんのリブラ家と縁が深くてなぁ……。リブラを守るのが使命って家なのさ」

「それで、私を守って……」

 ルークの堅く閉ざされた瞼からは、長い睫毛が垂れている。時折苦しそうに息を吐くたび、オリヴィアの胸も激しく痛んだ。

 気を紛らわせようとしてくれているのか、少し慌て気味にアーノルドは続ける。

「まあ、坊主が嬢ちゃんのことを気に食わないのは、多分……聞きたいか?」

 口元にいやな笑みを浮かべるアーノルドに、オリヴィアは眉を顰めた。

「そんな言い方をされたら、気にならないものも気になると思うが」

 商人のさがかと思ったが、この男は元来がおしゃべりな性格なのかもしれない。

「へっへっへ。ルークが生まれた時点でな、嬢ちゃんの母ちゃん……フェリシア嬢の親が『次生まれたリブラの子が女ならルークを婚約者に』って決めたのさ。年齢的にもフェリシア嬢が子供を生むにはちょうどいい頃だったし、徹底した口減らしのせいで他にリブラの家に相応しい相手が居なかったのもある」

 オリヴィアは、自らの眉間に無意識に力が籠もったのを感じた。

 嫌な予感がする。

「はぁ」

「その直後にフェリシア嬢は、レジスタンスに参加する! ってカトレアを出てる。カトレアの両親からしてみれば、勝手に出て行った娘が暫くしたら勝手に人間と子供を作ってきて、あらびっくり」

「……つまり?」

「リブラもゲヌビもフェリシアに大激怒したわけだ、もちろん両家の婚約も解消」

「……」

 頬が引きつる感覚は、気のせいではない。

「お、なんだその顔は」

「勝手に婚約されて、勝手に婚約破棄されたのを聞かされたときの顔だが」

「……いや、いいもん見れたぜ」

 それだけ言うと、男は笑いを堪えるように背を向けて馬を操り始める。しばらくして、ぼそりと呟くような声が聞こえてきた。

「そういうところ、親父さんによく似てる」

「――――隊長のこと」

「知ってたのか。……レナードの野郎は、絶対に口を割るなって俺に言ってきやがったのにな」

 その言葉に、抑えていた感情がわき上がってくる。

 レナードは、自身を娘だと知りながら、名乗り出るつもりはなかったのだ。どういう理由であれ、それがもどかしく感じる。

 腹立たしさと言い表せない寂しさが合わさって飛び出した声は、自分でも驚く程乾いていた。

「私に嘘をついてまで隠してたんだから、別にどうでも良かったんだろ。隊長は隊長、それ以上でも以下でも」

「嬢ちゃん。それ、レナードの野郎には言ってやるんじゃねえぞ」

 怒りを滲ませた声でオリヴィアの言葉を遮ったアーノルドに、ささくれ立った感情をまた刺激される。

 男はそれ以上は何も言わなかった。ただ道を走る馬車の音と、熱っぽい青年の吐息だけが耳に残った。

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