錯綜する少女の世界
いったい、どれだけ歩いたのだろうか。
月が昇っていた夜空はいつしか朝となり、昼となり、気がつけば夕暮れの空となって辺りを包み込んでいる。残酷なほど照りつける日差しは、瞬く間にオリヴィアの体力を奪っていく。
王都を抜け、ウェステリアへ続く街道に沿うように、森の中を歩き続けていた。
王宮の地下を抜け、二人で命からがら抜け出した。それから先は、ただ騎士団から逃げ続けていたのである。道中何度も見つかったが、その度間一髪のところで対処してきた。
オリヴィアの手には、騎士から奪い取った剣が握られていた。震える手で剣を握り直すと、荒い息を整える間もなく、ぬかるんだ地面を踏みしめる足で前へ前へと進む。ルークの横顔をそっと窺うと、その目にいつもの鋭い光は無い。殆どの追っ手を倒してきたのはルークの魔導の力であって、オリヴィアに出来るのは精々自分の身を守る程度だったのだから、当然のことだった。疲労が溜まりきった今、いつ見つかるかという恐怖が二人を包み込んでいた。
足手纏いにしかならないのがもどかしい。唇を噛みしめると、乾燥してかさついた皮が歯に触れる。
ふと、王都での出来事が頭の中を支配する。
レナードに瓜二つの顔を持つ国王、リチャード。レナードの身体に刻まれていた龍の半身のようなものと、何らかの関係があるのであろう金色の輝きを放つ龍。
そして、レナードの正体が。国王と双子だというのが事実であるとすれば――彼は魔導士ではないということだ。自身の半分を作る血は人間のもので、男は自身のものとよく似た赤い瞳を持っていた。考えれば考えるほど、その想像は頭の中で、鎖のように一つの答えを縛り付けて放さない。
レナードが、自身の父親であるのだと。
何度も崩した情報の欠片を、組み上げるたびに導き出される答え。その答えに行き着く度に覚える妙な興奮が、頻繁にオリヴィアの頭を駆け巡っていた。何度目か、心が掻きむしられる感覚を覚えたとき、不意にルークから声が届く。
「おい、小娘。周りに集中しろ、死にたいのか」
はっとして、即座に謝った。追っ手の存在にいち早く気付けなければ、死は逃れられない。
「すまない、その」
「――聞こえるだろう?」
ルークの声が妙に浮ついているのを感じて、オリヴィアは首を傾げる。言われたとおりに耳を澄ますと、僅かにその音が聞こえる気がした。
「川……?」
「油断は出来ないが……見張りしながらなら、少しくらい休めるだろう。もうウェステリアも近いからな」
ルークはそう言った瞬間、剣を腰から引き抜いて構える。
「くそっ……! またか!」
馬のいななきが数頭分。――騎士達だ。
遅れてオリヴィアも剣を構える。せめて、自分の身くらいは守らなければ。音がする方を向くと、次に来るであろう出方に備える。
「また会えたね、オリヴィア」
その声にぎょっとして、オリヴィアは剣を持つ手を下ろしそうになる。
「集中しろ、馬鹿!」
言うなりルークはオリヴィアの前に剣を突き出す。弓矢が地面に叩き落とされたのに気付いて、オリヴィアは息をのんだ。弓兵が数人、こちらを狙っているのだ。ルークは剣に雷を宿す。そのまま弓矢が飛んできた方へと走り出すと、鋭い金属音が辺りへと響き渡った。
オリヴィアも、慌てて前を向き直す。そこには、剣を手にするドロシーの姿があった。数人の騎乗した兵達に紛れて小柄な少女が剣を構えている姿は、どこか異様とすら思える。
「この先、ウェステリアでしょう。孤児院の皆のためにも、ここを通すわけにはいかないんだ」
「ドロシー……」
呟いて、そっと剣を握りしめた。それを合図とするように、靴で地面を擦る音が鳴る。
「だから――私と戦って、オリヴィア」
そう言って容赦なく叩きつけられるドロシーの剣を受け止めると、流すように兜の覆うこめかみへと切っ先を突き出す。ドロシーの首は、驚くほど大きく振れる。よろめくドロシーに対して、好機を逃さず、剣を持つ手を思い切り蹴り上げた。呆気なく剣を落としたドロシーは、そのまま地面に崩れ込む。そのまま、意識を手放したようだった。
「……ドロシーが、私に敵うわけないだろ。ずっと、私の方が優秀だったのに」
追撃をすることがどうしてもできずに、立ち尽くしていた。泣きそうな顔で気を失ったドロシーが目に入って、思わず逸らす。
瞬間、大きな衝撃が身体を襲った。
地面に思い切り尻餅をつく。思わず腕で顔を覆って、迫り来るものから逃げるように目を瞑った。
ドッ、という音に顔を上げる。目に入ったのは、苦しみに歪んだルークの顔だった。
「ぐ、うッ……!」
腹に刺さった剣から滴る赤い液体に、思わず血の気が引くのを感じる。すぐ引き抜かれるその刃にルークは歯を食い縛ると、後ろ手に込めた魔力を思い切り放つ。
ルークの背中越しに、何者かが倒れる音がした。その音が響いた直後、彼の身体がオリヴィアに倒れ込んでくる。麻痺する頭で、抱きかかえるように支えた。自らの服に、じわじわと赤い模様が広がってゆく。
訪れた静寂に、全身から力が抜ける。起こった出来事への整理がつかず、息のような声が独りでに口から飛び出した。
「……ルー、ク?」
恐る恐る見ると、絶えそうな息で何とか意識を保っている彼の顔があった。
「無事、……か」
「……何で、こんな」
呟く自分とは裏腹に、冷えてゆく心があった。――考えるまでもないことだ。戦場の真っ只中でぼうっとしていたのは自分なのだから。
ルークは、自らを守るための楯になったのだ。
「……小、娘」
「喋っちゃだめだ。傷が……!」
血は、止めどなく流れ続けている。傷口を確認しようと手でそっと破れた衣服をまさぐると、青年の低い呻き声がした。思わず手を引くと、その平はべったりと着いた血で染まっていた。
「聞け……お、俺を、置いて……一人で、戻るんだ」
「何を言って」
「聞けと、言って……る。……なんと、してでも、コ、コーデリア達と……合流、するんだ。そうすれば、無事に……隠れ家まで、戻れる」
掠れた青年の声を聞き漏らさないように、すぐに反論したくなる気持ちを抑えていた。
「じゃあ、あんたはどうするんだ」
オリヴィアは泣きそうになるのを堪えると、自身の外套の裾を剣で引きちぎる。ブライアンに捕らわれたときに、傷薬や包帯といったものも全て奪われてしまっているのだ。即席だが、何もしないよりは良いだろう。ルークの傷口にぐっと巻き付けると、しっかりと結んだ。
「俺、は……。ともかく、このままでは……共倒れ、だからな。お前に死なれては、困るんだ……ま、魔導士、全てのため、なんだ」
「いやだ、あんたも連れて帰る」
オリヴィアは立ち上がると、ルークの腕を肩に回してゆっくりと歩き始めた。殆ど身動きのとれないルークの身体は、少女の身体に重くのしかかる。それでも、放すことはできなかった。
自分のせいで、死なせてしまうわけにはいかないのだ。無事に連れて帰って、謝らなければ――それが、謝って許されることでないとしても。
「子供みたいな、我が儘を、言うなッ……! 遊びじゃ、ないんだ、ぞ……!」
振り絞る声に怒りを滲ませたルークは、オリヴィアを振り払おうとする。だが、今の彼にはそれをする力すら残っていなかった。
オリヴィアに半ば引きずられるように、ルークはゆっくりと足を前に運んだ。
「私は子供だっ! 我が儘……そうだ、我が儘だ。――セオドアが」
ふと、数日前のセオドアの言葉を思い出す。
「もっと我が儘を言っていい、譲れないものを一つ見つけなさい、って、言ってたんだ……。だから、我が儘言ってやる。
あんたも一緒に帰るんだ。これだけは、絶対に譲らない」
「好きに、しろ……」
力無く言うと、ルークは力なく首を垂れた。
ゆっくりと、音のする方へと移動する。なんとか川辺にたどり着くと、澄んだ水がさらさらと流れている。ここならば、とルークにそっと水を飲ませた。だが、容態が深刻なのは間違いない。
これから、どうすれば安全に戻れるのだろう。
逡巡して、そっとドロシーの方へ近寄る。ためらいがちに、眠り続ける彼女からブルーメ騎士団の紋章が入った外套を剥ぎ取って羽織った。返り血を浴びた服を隠すように覆うと、頭巾を目深に被った。ルークにも同様にすると、彼の腕を肩に乗せてまた立ち上がる。
進まなければ。
一刻も早く、安全なところへ。
「もう少しだ、ルーク。だから……しっかり……っ」
返事は無い。夕暮れに紛れるように森を進んでいた。
肩で支えているルークの身体が、どんどん重くのし掛かるのを感じる。
身を寄せられる場所があるとすれば、ここしかない。木々の中に紛れるように静かに佇む小さな教会からは、子供達の笑い声が聞こえてくる。
ウェイバリー教会。ウェステリアの端、街外れに位置するこの教会は、今も変わらずそこにある。ただ、記憶と違うのは――。
木々にそっと身を隠すようにして様子を伺う。焼け残った孤児院の建物を見て、オリヴィアは俯いた。
――合わせる顔など、あるものか。
ドロシーの顔が脳裏にちらつく。
魔導士である自分を、孤児院が戦火に巻き込まれる原因を作った自分を。
今院長にまで拒絶されれば、心が折れてしまいそうだった。
――ルーク一人を休ませる場所くらい、他にもあるはずだ。
ルークを抱える腕に力を込めなおして、オリヴィアはゆっくりと振り向いた。
「久しぶりですね。オリヴィア」
予想外に頭上から降ってきたその言葉に、オリヴィアははっと頭を上げた。
老年の男性。その優しい笑みを浮かべる顔は、オリヴィアの記憶のそれと寸分違わない。
「い、院長、先生」
無意識に唇が震える。思わずこみ上げてくるものを堪えるのに必死で、目を真っ直ぐに向けられなかった。
「……大変でしたね」
老人から掛けられた労いのような、哀れみのような声に、堪えきれなくなったものが頬を流れていく。
「院長先生、助けて……」
しゃくり上げながら、縋るように声を絞り出す。
だが、次に届いたのは残酷なほどにはっきりとした拒絶だった。
「……それは、できません」
刃に刺されたように胸をかきむしられる。頭の血がざあっと音を立てて引いていく。
「あなたのことは、今でも――魔導士だと知った今でも、変わらず大切に思っています。
ですが、ここには子供達が沢山いる。私が今守るべき子供達を危険に晒すことは、できないんです」
ここにオリヴィア達がいるとわかれば、今度こそ騎士達は容赦しないだろう。また孤児院を巻き込みかねないのだ。
オリヴィアは震える頭で何とか頷いてみせる。唇を噛みしめて、袖口で強く目を擦った。
「……すぐ、出て行きます」
さっきよりもぐったりとしたルークの身体は、鉛のように重い。自分の身体ごと引きずるように一歩、また一歩と踏みしめる。
不意に、院長の息遣いが耳に届く。
「夜明けまで。……夜明けまでなら、匿いましょう」
ゆっくりと近寄った院長は、オリヴィアの返事も聞かずにルークに近寄ると、反対側から肩を支える。
「何をしているんです、早く運びますよ。彼の様子では、一刻を争う」
厳しさの中に優しさの滲んだ院長の声が、また堪えていた涙を誘う。
「院長先生……っ」
もう我慢することはしなかった。
子供のように嗚咽しながら、少し軽くなった身体で教会までの僅かな道を歩いた。
高く上った月明かりが、硝子の窓から入り込んでいる。古いベッドに横たえたルークは、手当を終えた今も眠ったままだ。
孤児院が焼けてしまった今、子供達は皆教会の床で身を寄せ合って眠っているようだった。子供達の毛布を掛け直しに行った院長が戻ってきたとき、手には湯気の立ち上る暖かい紅茶があった。
手渡された紅茶からは、懐かしい香りがする。器を持つ指にそっと力を込めると、重い頭で礼をした。
「ドロシーは、あの日。あなたが浚われた日、一晩中泣いていたんですよ」
突然そう切り出した院長に、オリヴィアの睫毛が僅かに震えた。
「オリヴィア。愛しい家族を突然失ったのは、あなただけではないということです」
「でも、ドロシーは。私が、魔導士の私が、敵だと」
ルークが呻き声を上げる。顔を覗き込むと、熱に魘された苦しげな表情がそこにある。
何かを掴むように伸ばされたルークの手を、少し迷って取った。
巻き込んでばかりだ。孤児院の家族たちも、ルークも。自身の存在一つのせいだった。
「彼女の考えていることは分かりません。でも、きっと、あなたの事を大切に思う気持ちは変わっていないのだと、私は信じています」
「院長先生は……魔族の私が、嫌いではないのですか」
「……今の私は、神父としては失格かもしれませんね。これまでずっと、聖典の通り、魔族は悪だと信じ込んで生きていました。それが神の思し召しなのだと――でも、私には、魔導士だと知った今でも……あなたをどうしても憎む気持ちになれません。
ずっと弟妹を守ってきてくれたあなたを、どうして憎めましょうか」
そう言って微笑む院長に、救われた気がした。ルークの手を取る指を、そっと握りしめる。
「……ありがとうございます。院長先生」
「さて……私に一つ心当たりがあります。少し教会を空けるので、子供達は頼みましたよ」
その言葉に、無意識に身体が反応する。
「まさか。騎士団に通報するんじゃないか……なんて、考えてませんよね」
オリヴィアの心を見透かしたように、院長は微笑した。
「あなた達を安全にウェステリアから運び出す方法を、思いついたのですよ」
片瞬きしてみせる院長の顔には、いたずらっぽく笑う皺が浮かんでいた。




