金色の龍
レナードはオリヴィアをちらりと窺うと、真っ直ぐにリチャードを捉え直した。絨毯をあえて踏みしめるように、リチャードへ向かって歩き始める。
「黒い瞳……。なるほど、そういうことか」
レナードの朱い目は、血を吸ったように妖しく光を湛えている。その表情は複雑で、読めない。途端にこの男が知らない者になった気がして、オリヴィアは俯いた。
「忌み子と呼ばれるもの――即ち双子と、赤い目か。哀れだな、我が弟よ」
リチャードの声は冷ややかで、やはりレナードのものとは違う。だが、レナードの様子がおかしい。
「ふ、くく……」
片頬を引きつらせるように笑うレナードの赤い目は、ぎらついていた。
「何がおかしい?」
眉を顰めたブライアンに、レナードは心底愉快そうな声を放つ。
「十六年前――俺は実の父親を、この手で殺したのだな。ふ……」
現国王の弟がレナードであるならば、その実の父は先代の王、ロナルド。
愚王として有名だったとレナードが忌々しげに語るのを聞いたのは、いつだったか。
オリヴィアは、いつか目にしたレナードの聖痕――いや、聖痕のようなものを思い出していた。
床に描かれたこの龍の環と、レナードの肩に刻まれた痣。とぐろを巻いた龍の半身のようだ、と感じたかつての記憶が蘇ってくる。
半身……? もう半分は、まさか……。
足音が近づいてくる。レナードが丁度龍の環に足を掛けたところで、ブライアンは制するように手を掲げた。
「そこだ。そこにいろ」
ブライアンが顎でまた指示すると、オリヴィアはサイラスの小さな舌打ちと共に解放される。
「ほらよ」
肩を強く押されて、二、三歩よろけてしまう。と、レナードの力強い腕にひかれた。
「本当に解放するとはな」
レナードの感心したような声に、ブライアンは鼻で嗤ってみせる。
「友との約束を、破るわけがなかろう?」
「よく言う」
レナードはオリヴィアを引き寄せる。そのままそっと髪を撫でると、背中の方へと押しやる。
「ルーク。頼んだ」
レナードはオリヴィアが危害を加えられない位置に居ることを確信すると、懐から隠し持っていた小刀を取り出す。流れるような動作で、レナードはリチャードに向けてそれを真っ直ぐに構えた。
「俺も、友との約束は守る質なんだがな」
「ふん、まあいい――始める」
オリヴィアは、駆け寄ったルークに抱え込まれる。
息のような妙な声が聞こえて振り向くと、ブライアンの唇が不気味に動いている。何かを唱えているようにも聞こえるその声は聞き取れないが、酷く恐ろしいもののように感じて、思わず身震いした。
呪いのような音が止まるその刹那――謎の光が部屋を包む。
レナードとリチャードは、それぞれ自身の肩を押さえて膝をついた。謎の光はそこからあふれ出すように、徐々に強さを増してゆく。
あまりの眩しさに目を強く閉じる。轟音があたりにこだました。
「ぐあああッ!」
次に聞こえてくるのは、レナードとリチャード、どちらとも取れぬ呻くような声。
耐えきれないほどの突風が吹き荒れる。大きな地響きと共に空間が揺れる。
立っていられないほどの衝撃によろめくと、ルークが何とか支えてくれているを感じた。
轟音、そして突風――どちらも激しさを増してゆく。徐々に大きくなってゆく振動に耐えきれずに、石造りの柱が悲鳴を上げる。誰とも知れない慌てふためく声が、激しい音に紛れて僅かに聞こえていた。
強く瞑った目に、無意識に一層の力が籠もる。ただただ、震える唇を噛み込んでいた。
音が収まった室内は、隙間風のように微かな空気が流れ込んできている。
「レナード!?」「陛下!」
重なる二つの声にはっとして目を開くと、室の隅に倒れているレナードの姿があった。駆け寄ったレナードに抱き起こされて、弱々しく首を振っている。――反対側には、騎士に介抱されるリチャードの姿もある。国王の口元には笑みが浮かんでいた。ふと、リチャードの視線が一点に釘付けになっているのを感じて、釣られてそちらを見る。
「ほお。これが、ね」
口笛混じりに感嘆するサイラスが目に飛び込んでくる。次に瞳に映り込んだのは、にわかには信じがたい光景だった。
あれは、一体何なのだ。
室の中央で腹の底から笑い狂うブライアンの前には、ぎらぎらと金の光を放つ、巨大な何かがあった。
「これは……一体」
肩を未だ押さえながら、呻くように声を上げたのはレナードだった。レナードは乱れる息を整えることもせず、壁に沿って立ち上がる。セオドアは、ただ呆気にとられるようにそこに立ち尽くしていた。
神の化身と錯覚するほど美しく、だが獰猛さを内包した目。一つ一つが宝石のように光を放つ鱗は、何者にも汚せない神秘さを放っていた。
――そこにいたのは、金色の光を放つ龍。
レナードの身体に刻まれていた痣と寸分違わぬ形をしたそれは、静かにブライアンだけを見つめている。高笑いするブライアンの声だけが、石造りの壁に反響して鼓膜を揺らす。
「神は私に味方した!」
金色の龍はブライアンを主と認めるように――いや、僕とするように、その長い尾で静かにブライアンを取り囲む。
人の言語とは思えない、だが明確に意図を持って発せられているのであろう龍の声らしきものが、風邪を着る音のように聞こえている。
「私が――私こそが、この国を統べるに相応しい者。神は私を選んだのだ! レナード、貴様ではない!」
ブライアンの瞳は、睨むように力強くレナードを捉えている。息を荒げながら、ブライアンを見つめ返すレナードの声は同様に満ちていた。
「何を言っている……」
「ふん、ここで父娘共々葬ってやろうと思ったが。伝え聞く黄龍と言えども、この程度か。封印を解いたばかりでは、流石に身体に馴染まんな」
黄龍。これが、光り輝く龍の名なのか。
オリヴィアを庇うルークからも、ある種の興奮のような息遣いが聞こえてくる。
「時間をやる。死ぬまでの時間を――精々、足掻くがいい。行くぞ、サイラス」
ブライアンは、慈しむように黄龍の鱗を撫でる。瞬間、黄金の光がぼんやりと辺りを照らし始めた――一閃、強い衝撃に腕で目を覆う。
瞼を透過する光が収まったときには、静寂が空間を包み込んでいた。
「き、消えてる……!」
セオドアの驚きに満ちた声が耳に届く。そこに立っていたはずの黄龍は、ブライアンやサイラスと共に忽然と姿を消していた。呆気にとられるレナードの、国王の、そしてそれを庇う騎士の顔がそこにはあった。
我に返ったように、レナードは声を張り上げる。
「――リチャード、覚悟ッ!」
強く握り直した小刀を向けると、脇目も振らずに走り出す。だが、その攻撃は大きな音と共に弾かれてしまった。
「私を忘れてもらっては困る」
剣を抜いた騎士は、レナードの小刀による一撃を易々とはじき返した。二つの刀は金属が擦れる音を激しく立てながら震えている。
「ブルーメ騎士団騎士団長、オーウェン……お相手願おうか」
そう名乗りを上げた男は、鍔で競り合う腕に力を込めた。
「相手に取って不足無いな」
対抗するレナードの額には、汗の粒が浮かんでいる。歯を食い縛る音が、耳に届いた。
「そんな得物で、私に勝てると? 舐められたものだ」
「レナード!」
思わず助けに入ろうとしたセオドアを、レナードは制す。
「周りを見ろ、セオドア。……囲まれている」
「……!」
見れば、先程の人数とは比べものにならないほどの数の騎士がいつの間にか部屋をぐるりと取り囲んでいる。形勢は不利そのものと言って良い。
「当然だ。ここは城だぞ」
あざ笑うように吐き捨てたオーウェンの剣を、レナードは隙を見て蹴り上げた。が、オーウェンはあっさりと受け流すと、思い切りレナードに斬りかかる。すんでの所で身を翻したレナードには、普段のような余裕は見られない。
「セオドア、周りの兵は頼んだ。二人を逃がすぞ」
レナードは、オーウェンの剣を避けることに徹している。
武器が。武器さえ有れば。
オリヴィアは、ふと足元にレナードの剣が落ちたままになっていることに気がついた。周りの兵士達はこちらの出方を不気味なほど静かに窺っている。
「――やれ」
オーウェンの地を這いずるような声に、一斉に騎士達は動き出す。ルークはオリヴィアを庇うように立つと、地獄の底から呼び出したような雷を四方へと放つ。視界の端にいるセオドアも、何らかの力で対抗している――僅かに出来た退路に、セオドアは声を張り上げた。
「二人とも、逃げろ!」
ルークはオリヴィアの手首を掴む。走り出そうとする寸前、オリヴィアは思いきり足元の剣を蹴った。得物は、真っ直ぐにレナードの方へと地面を滑っていく。
「隊長!」
オリヴィアの声に振り向いたレナードは、即座の判断で地面に転がるように剣を掴んだ。
激しい金属音が響く。振り向いてレナードの無事を確認する間もなく、ルークに引きずられるように王の間を後にした。




