四つの朱い瞳
兵士達の持った僅かな明かりだけが、進む道を照らしている。狭苦しいその一本道を、ただ歩かされていた。
空気はむせ返りそうなほど澱み、冷たい。冷え切った足が独りでに歩みを止めようとするたび、身体の自由を奪う思い鎖を乱暴に引かれる。何度目かのその力に耐えきれずに、前につんのめった。
「……!」
大きな金属音と共に、そのまま地面に崩れ落ちる。頭上から、少女――ドロシーの声が降り注ぐ。
「可哀想に、オリヴィア。ふふ」
――私の知っているドロシーがそんな言葉を口にすることは、決して無かった。擦りむいた膝よりも、オリヴィアにはその言葉が作る胸の傷が痛かった。
起き上がる気力も無い。だが、地面を這う大蛇のような鎖に繋がれた自身の身体は、操り人形のように引きずり上げられる。
そのままどれだけ歩かされただろうか。突如現われた螺旋階段を抜けると、途端に明るい光が目に飛び込んできた。
目が眩む。思わず閉じた瞼をゆっくりと開けると、映るのは果てしなく続く長い廊下。視界の先まで伸びる絨毯は、狂おしいほどに赤い。――ここが、王宮の中なのか。
そこかしこに惜しげも無く使われた金の装飾が、厭らしい光を反射していた。
「おっと、床を汚すんじゃないぞ」
埃と土まみれのオリヴィアの様子を見て、ブライアンはせせら笑う。今オリヴィアに許される自由は、力を込めて睨みつけることだけだった。
「私を、どうするつもりだ」
魔族の娘、それもブライアンにとっては魔力封印の要となる存在。
それを殺しもせず、王の居城まで連れて行く意味が。
わからない。この男は、何を考えているというのか。
「ふん、またその目か。気に食わん――父親と同じ目だ」
ブライアンのその言葉に、不意に心臓が跳ねるのを感じた。
「私の、父……?」
――この男は、私の父を知っている……?
心の中を掻きむしられたような感覚だった。感じたことのなかった興奮が湧き上がる。
「ふん、あれは何も言っていないのか。ふふ、言えるわけがないのだろうな」
「それは、どういう……」
絞り出した声は、自分でも分かるほど高揚に震えていた。そっと唇を噛んで、深呼吸する。
「まあいい、私の知ったことではないからな。どちらにせよ、親子揃って仲良く死んでもらうことに変わりはない」
「……封印を、解くつもりなのか」
「そんなもの、過程に生じる些細な副産物に過ぎない」
「他に目的が――」
声をかき消す程大きな足音と共に、一人の兵士がやってくる。慌てた様子で息の上がったその兵は、ブライアンの斜め前で片膝をついて頭を垂れた。
「ブライアン様。魔族の一味が現われたとの報告が」
「ほう……役者が揃ったか」
レナード達だ、と確信する。彼なら必ず、この状況を打破してくれる。
その確信に、オリヴィアはほっと胸をなで下ろす。思わず口角が上がる頬を感じていた。
「嬉しそうだな」
土気色をした男の顔は、醜く歪んでいる。激しい嫌悪感を覚えて、唇を結び直す。
「そんな顔して良いの? 魔族のお友達、皆こちらの手にあるのに」
ブライアンの背後に控えているドロシーの声に、オリヴィアはぎょっとする。
――魔導士だって、みんながみんな悪い人だとは思わない。
そう言ってオリヴィアに笑いかけてくれた少女の顔は、今はオリヴィアの赤い目を蔑む人々と何一つ変わらない。魔導士を魔族と吐き捨てることに躊躇を覚えない人々と、同じだった。
「ドロシーは、変わった」
その声は、あっさりと黙殺されてしまう。空間には、まばらな足音だけが響き渡っていた。
長い階段を引きずるように歩かされ、たどり着いたのは、ひときわ豪奢な扉だった。人が五人は一度に通れそうなほど大きな扉を前に、オリヴィアは息を飲む。
両端に控えた騎士達は、ブライアンに美しい敬礼をする。そのままちらりとオリヴィアを見ると、表情一つ崩さずにまた正面を向き直っていた。
「騎士になった」と言っていたが、その中でもある程度の地位がないと入れない場所なのだろう。――だとすれば、自分は一体なんのためにここに連れてこられたというのか。「魔族」を入れて良い場所には到底見えない。一見しただけで、王や貴族が鎮座する空間が広がっていると想像がつく。
そんな風に思案を巡らしていると、大きな音と共に重い扉が開かれる。乱暴に鎖を引かれて、よろめきながら部屋に通される。恐る恐る顔を上げると、驚く程高い天井に硝子の照明が煌めいていた。部屋に敷かれた絨毯には、金糸の刺繍で謎の紋様が施されている。一匹の龍が環を描いたようなそれは、どこか懐かしさも感じさせる不思議な様相を呈していた。
奥まで真っ直ぐに伸びる赤い絨毯の先には、一段と高くなった間がある。御簾で遮られて、部屋の主の顔は見えない。
左に控えているのは、間違いなく高位の騎士。貴族を思わせる風貌で、見るからに上等だと分かる服装に身を包みながらも、その腰には剣を下げている。このような場所で帯剣を許されるだけの地位となれば、限られてくるのだろう。
しかし、右側に腕を組んで立っているのは、まるで場違いな男だった。
「お、こいつがオリヴィアか? へー、フェリシアにそっくりじゃん」
口を開いた男の声は粗暴そのもので、思わず眉間に力が籠もる。フェリシアを知っているということは、この男がサイラスなのかもしれない。
「ふ、そうだな。さて……」
そう言って、ブライアンは大きな足音と共に部屋の奥へと歩いてゆく。
――ここは王宮なのだ。御簾で区切られたそこに何者が佇んでいるのか、未だに悟らぬ程思慮が及ばないオリヴィアではなかった。
――この奥に、国王がいる。
――第十二代国王、リチャード・フリーデン・フィオーレ。
国王が民の前にその高貴な顔を晒すことは無いという。その国王は今、御簾越しに目の前に居る。
喉が独りでに鳴るのを感じた。未知に対する謎の高揚が脈打つ。
「陛下。オリヴィアを連れて参りましたぞ」
ブライアンの愉快そうな声に、御簾越しの主が僅かに反応を返す。
この男は陛下と呼んだ。やはり、この場にいるのは国王なのだ。呼吸の仕方を忘れたように、息が詰まるのを感じる。ぞくぞくと異からせり上がる緊張が肩を震わせた。
「――捨て置け。只の餌だ」
御簾の奥から響く、空気を震わせるようなその低い声に、オリヴィアははっと顔を上げる。
「聞き覚えがあるのだろう? この声に」
そこにはブライアンの血色の悪い顔があった。男はオリヴィアの胸倉を掴むと、部屋の中央に投げるように腕を振った。鎖が落ちる大きな音と共に、オリヴィアは受け身も取れず床に叩きつけられる。だが、床の絨毯はいやに柔らかく、痛みはさほどない。それよりも、絨毯に設えられた龍の環に、吸い込まれるような感覚だった。
ブライアンは、口の端を歪め、卑しい笑みを作ってみせる。
聞き覚えがある声?――いや、違う。
あの人の声には、もっと暖かい力がある。
だが、何故だろう。この、全身に満ち溢れるような高揚は。全ての謎が埋まりそうな、そんな感覚は。
「……そろそろだな」
遠くで響き渡る足音と共に聞こえてくる怒声は、異常な事態が起こっていることをありありと表現している。――レナード達だ。近づいてくるその声に、オリヴィアは扉のほうを見た。
と、肩を強く掴まれ、首筋に冷たいものが走る。黒光りする刃を喉元に当てたのはブライアンではなく、先程の粗暴な男だった。だが、レナード達が来るのも近いことを確信しているオリヴィアは怯まない。
「またこれか。あんたら、芸がないんだな」
喉元に当てられた、オリヴィアを人質に取る刃。この行為も二度目だ。薄く笑みを浮かべながら言い切ると、男は大きな舌打ちをする。肩を押さえる手に力を込められ、爪がオリヴィアの肌を抉った。
「ほざいとけ。元隊長さえおびき寄せたら、ゆっくり殺してやるからよ」
「元……やっぱり、あんたがサイラスか」
「ご名答。どうも、リブラの跡取り様」
サイラスは余裕の笑みすら浮かべながら、見せつけるように刃を押し当てる。
「サイラス。そのくらいにしておけ」
「はいはい」
男の手に込められた力が抜けると、遅れてじんじんという痛みが肩を襲った。
扉越しに、剣と剣のぶつかり合う音がする。耳に刺すような鋭いその音と共に、兵士の悲鳴がやってくる。
「隊長――」
思わず声を上げた瞬間、力強く扉を蹴り飛ばす男と目が合った。
「オリヴィア!」
たどり着いた男は、間違いなくレナードだった。剣を構えてオリヴィアを見る朱い瞳は、いまはただ心強い。
後ろにルークやセオドアの姿も確認して、目を合わせると無言で頷いた。
「些か遅かったようだが……必ず来ると信じていたぞ、レナードよ」
「ブライアン……やはり、お前か」
「城の兵は全て斃したのか? その腕は、流石と言うべきかな」
ブライアンの挑発するような声に反応したのは、セオドアだった。
「僕達もいること、忘れてもらっちゃ困るよ。そこにリチャードもいるんだろう? 謀が得意な君にしては、失策じゃないかな」
レジスタンスにとっては、国王ごと葬る良い機会だった。十六年前――オリヴィアが生まれる直前に起こした革命の雪辱を、果たすつもりなのかもしれない。
「ふ……だが、お前達は迂闊に動けん。そうだろう?」
ブライアンがオリヴィアを顎で指すと、サイラスはこれ見よがしに首筋の刃に力を込め直す。
「貴様……」
レナードの唇が、怒りに震えている。鼻で嗤ったブライアンは、芝居がかった気色の悪い笑みを浮かべる。
「この小娘をここまで生かしておいてやったのは、お前を呼び寄せる為に過ぎない」
「それにしては、大層な劇場だな」
歩くのを阻むほど分厚い絨毯に、贅沢に硝子の使われた照明、そして黄金で縁取られた御簾。そのどれもが、うるさいほどに視界に映り込んでいる。
「そうだな、茶番はいい。さっさと目的を果たさせてもらおう――陛下」
少しの間を置いて、空間を震わせるような低い声が響く。
「――大義であったな」
声を聞いたルークやセオドア、そしてレナードが、息を飲んだのを感じた。似ている。やはり、似ているのだ。
御簾の奥で衣擦れの音がする。左に控えていた騎士が駆け寄ると、国王はゆっくりと歩き出した。
部屋は緊張に満ちている。一定の間隔で歩く国王の足音だけが満ちた空間で、ただその男か現われるのを待っていた。
「ほう? 確かに、似ているな」
現われた男は――レナードと、瓜二つの顔をしていた。
否。目だけは、レナードの朱では無い。黒々とした瞳だけが、彼はレナードと違う人物だと語っていた。
ぎょっとしてレナードを見ると、その朱い目は見開かれている。
うるさいほど高鳴る自身の胸が苦しい。
――私は、気付いてしまったのだ。
この男が何者であるかに。
「その顔を見るに、お前も知らなかったようだな。――まあいい。
レナードに、リチャード。なるほど双子、とな」
ブライアンの声は、静まりかえった空間を満たす。
「な、に――」
聞き取るのがやっとのほど掠れたレナードの言葉は、その驚きようを存分に表している。その男の朱い目と、過去の記憶が、オリヴィアの中でぴんと張った糸のように繋がっていた。
――お前のその身体に流れる血は。人として、魔導士として、二つの側面から物事を見ることが出来る血だ。
そう言ったレナードの声は、優しかった。
――あなたの顔はフェリシアの生き写しのようだけれど。目だけは違う。あの人の目は、若草のような緑だった。……お父さんに似たのね。
コーデリアの言葉が脳裏に蘇る。
レナードを見つめると、自身と同じく呪いのように嵌まった朱い瞳と目が合った。その表情は複雑で、読めない。
意識を保ち直すように深呼吸すると、レナードは持っていた剣を構え直して、真っ直ぐにブライアンを見た。
「おっと、剣を下ろせ。床に、だぞ。……私は今、気分が良い。交換条件だ――娘は放してやろう。代わりに、お前はここに来い」
「レナード、罠だ。乗るんじゃない」
はっとしたように制止するセオドアに意味ありげな笑みを零すと、レナードは剣をそっと地面に落とした。
「隊長、どういうことだ。隊長の聖痕は、一体――!」
ルークが責める声も聞かずに、レナードは一歩ずつこちらへと近づいてくる。
「そうだ、そこでいい。陛下、位置へ」
何が始まるというのか。絨毯に刻まれた一匹の龍が、今は不気味に感じられる。
……龍? レナードの身体に刻まれていた聖痕は、丁度この龍を――




