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ブライアンという男

 領地の境界に差し掛かっている。ここから先は、国王の領地――王都カルーナ。美しい白色の煉瓦造りの家屋が建ち並ぶ町は、夕日に照らされて淡い橙に染まっている。だが、ここへ来たのは生憎観光目的ではない。

 当然、管轄は騎士団を含む国王直々の軍となる。もし万が一戦闘にでもなれば、相当な苦戦を強いられることになるだろう。

 ウェステリアとの境界に近いの小さな山、木々の生い茂るここは人目に付きづらい。カルーナの町並みと、王の居城が見下ろせるこの場所を、予めコーデリア率いる班と合流する地点と定めてあった。先に到着したレナード達は、合流前に最後の休憩をと、各自馬を降り休んでいる。

 どう転ぶにしろ、休息がとれるのは今しかない。見張りを続けていたレナードは、付近に何者もいないことを確認すると、ひとまず安心したように戻ってきた。

 だが、どこか違和感が拭えない。

「……妙だな」

 レナードは、軽く荷物を放り投げると、どかりと座り込む。町の様子を凝らして見ても、どうも妙だ。

「警備が、あまりにも」

 思わず呟いたオリヴィアに、レナードは深くため息をついた。

「ああ。薄すぎる」

 同意するように瞬きをしたセオドアは、乾いた声で言う。

「ブライアンは分かっているはずだ。レナードがサイラスを見捨てず、ここに必ず来ることを。たとえサイラスが、僕達を欺いていたとしても……ね」

 セオドアのその言葉に、オリヴィアは眉を顰める。静かに頷いたルークも、異論は無いようだった。

「欺く……? その、サイラスって男が?」

「ああ、うん。オリヴィア君は知らないよね。……ずっときな臭い動きをしてたから、みんな妖しいとは思ってるんだよ」

 言葉を足したセオドアに、レナードは瞼を閉じて弱々しく首を横に振る。

「まだ決まったわけじゃないんだ。助けに行かないわけには」

 レナードの言葉には、苦悩の色が混じっている。サイラスの思惑がどうであれ、この作戦が危険を伴う行為なのは間違いない。仲間の命は全て彼の肩に掛かっている――その心情は、察するに余りあった。いつものことだと言わんばかりの呆れ顔で、セオドアはしみじみと呟く。

「罠だとしても、突っ込むのが君だよねえ」

「……甘いと思うか?」

「まあね。でも、君のそういうところは嫌いじゃないよ」

 穏やかな微笑を浮かべたセオドアに、レナードも苦い顔で力なく笑い返した。

「これだけは忠告しとくけど。君には守るべきものがあるってこと、忘れないように」

「……わかっている」

 レナードの低く重苦しい声が空気を震わせた。

 不意に、数人の足音が聞こえてくる。続く馬のいななきに、レナードは剣を持ち出すと柄に手を当てて様子を窺う。

「あら、物騒ね。私よ」

 馬を引きながら歩いてくるコーデリア達の姿に、レナードは安堵の表情をみせる。

「何事もなさそうだな。無事なのは良いことなんだが……」

「そうね。まるで、攻めてきてくれと言わんばかりの静けさだわ」

 コーデリアは、皮肉めいた笑みを浮かべた。

「……とにかく、全員揃ったな。日が沈むのを待って、行動を開始する」

 静かな、だが力強いレナードの言葉が、オリヴィアの鼓膜を揺らす。

 激動の予感がした。


「敵兵がいないかどうか、常に目を光らせておきなさい。ここが崩されれば、全員の退路を失う――レナード達の命も無いわ」

「……了解」

 オリヴィアは唾を飲み込んだ。緊張感が身体を走る。

 今オリヴィア達がいるのは、先程までと変わらない、領地境界付近の山中であった。コーデリアを筆頭にルーク、オリヴィアの三人が待機しているこの場所に、全員の馬や荷物を纏めてある。この場所が襲われれば、逃げ戻る手段を失うのだ。レナードをはじめに、アルフレッド、イアン、そしてセオドアの四人が王都へと侵入を試みる間、常に監視しておくのがこの三人の役目とされた。

 ――罪人や魔導士を収容しておく施設は殆どがウェステリアとの領地境界付近にある、とレナードは言った。捕らえた魔導士を処刑するともなれば、レジスタンスの襲撃も視野に入れ、厳重な警備網が敷かれるはずである。

 疲れの色の浮かぶオリヴィアに、ルークも注意を促す。

「ここはまだ安全なはずだが、安心はできない。こんなに静かな方がおかしいんだ。……気を抜くなよ」

「とはいえ、見張りって真剣にやると気力も体力も結構使うのよね。お話でもしてないと参っちゃう。……ねえ、オリヴィア」

 コーデリアの言葉に遠慮がちな動作で顔を上げると、オリヴィアの目に飛び込んできたのは優しげな女性の微笑みだった。

「この間の話。……私が、悪かったわ。あんなこと言うつもりじゃなかったの。本当にごめんなさい」

 この間の話というのは、出立した日の夜の話で間違いない。コーデリアは、オリヴィアのせいで家族が死んだのだ、と言った。

「……別に、気にしてないから」

 オリヴィアは目を伏せると、小さく首を縦に振った。

 ――胸に刺さる棘のようなものは、まだ胸に残っている。

 だが、オリヴィア自身がそれを言及する資格は無い。

「嘘が下手ね。……そういうところ、あいつにそっくりだわ」

 ぽつりと呟くように、コーデリアが言った。オリヴィアは、その言葉に目を瞬かせる。

「母のこと?」

「……あなたの顔はフェリシアの生き写しのようだけど。目だけは違う。あの人の目は、若草のような緑だったから。……お父さんに似たのね」

 コーデリアは、質問に答えるようで、はぐらかすような言葉をオリヴィアに渡す。

 自身の目を覆うように、オリヴィアは左手をそっと瞼に置いた。

 疎まれ続けた、血を吸っているようだと恐れられ続けた、自身の朱い目。母とは違うというその色が見知らぬ父と繋がっているのなら、少しだけ悪くない気もする。

 不意に、地が揺れた。静寂を割るように聞こえてきたのは、地を蹴る馬の蹄、大きないななき。そして続く、雄叫びのような音――。遠くに見える嵐のような砂煙に、オリヴィアは目を見開いた。

「……! まさか、見つかったのか……!?」

 焦燥感を隠しもしない声で、ルークが声を上げる。響く音の大きさは、集団の大きさをありありと示している。

「……まずい、場所を変えるわよ! 早く馬に乗って! 残りは捨てる!」

 コーデリアの叫ぶような声に、オリヴィアは馬によじ登る。間髪入れずに走らせた馬にしがみつくように、必死でオリヴィアは手綱を引いた。垂らした銀の髪が暴れ回る。砂埃が舞い上がる。

 山を駆け上がった三人の目に飛び込んでくるのは、既に騎士団によって包囲された周辺の様子。王国の紋章を掲げた旗が、視界を覆う。

「な……んですって……!?」

 コーデリアが思わず声を漏らした。

 容赦なく距離は詰められてゆく。三人は、瞬く間に逃げ場を失っていった。背を向かい合わせたオリヴィア達は、それぞれが息を飲んだ。

 線上において包囲は、即ち死を意味する。オリヴィアの背筋を、氷のようなものが流れた。手綱を握る手が汗で滑りそうになる。

「ふふ……魔導士の諸君」

 奇妙なほど芝居がかった声を上げた土気色の男は、仰々しく手を大きく広げながら高らかに言い放った。

「ブライアン……!」

 コーデリアは、震える声で男の名前を口にする。

 この男が、ブライアン。魔導士であり、レジスタンスを裏切った――オリヴィアの目が、男の挙動に釘付けになる。

「誰かと思えば、コーデリアか。ふふ……友よ。久しいな、十六年振りか?」

 頬に浮かぶ皺をより深く刻みながら、ブライアンは心底懐かしそうな声を上げた。コーデリアの目が、怒りに揺れる。

「あなただけは絶対に許せない……絶、対に……!」

 レジスタンスを裏切りカトレアを襲わせ、あまつさえ家族までも奪った男――コーデリアの頭を、怒りと憎しみのみが支配している。冷静さを欠いた彼女の声には、掠れた音が混じっていた。

「思い出話でもしたいところだが、生憎私には用事があってな。そこの小娘をこちらに寄越せ。昔の友に免じてこの場は見逃してやろう」

 魔導士を見逃す――正気とは思えない提案も、この男の不気味さを一層に引き立てる。ブライアンに顎に指されて、オリヴィアは思わず鞍の上で後ずさった。だが、完全に包囲されている今、その行為も空しい。

「魔力を封じられたお前ごときに、俺達が従うと?」

 ルークは言うなり、手をブライアンの方へと投げ出した。途端、辺りを轟音と共に眩しい光が覆い尽くす。オリヴィアは、思わず目を強く閉じた。

 ブライアン目がけて放たれたその一筋の雷は、男に届くと思われた瞬間――吸い込まれるように音が消えてゆく。一瞬を置いて目を開いたオリヴィアが認識したその男は、傷一つ追っていなかった。

「ふん、傍系の血など所詮その程度のものよ」

 腹を震わせるように嘲笑を浮かべてみせたブライアンに、ルークの顔が驚愕で歪む。

「今、何を……ッ!」

「魔力の欠片も持たない混血の小娘ですら、この忌まわしい魔力封印の人柱となり得るのだ。一魔導士の力を封じ込める程度、サテュルヌの末裔たる私には造作もないのだよ」

「――!」

 ルークが、声にならない声を上げた。

「考えたこともなかったろうな。魔導士を敵に回したことなど、無かったのだろう? 魔導が使えなければ、貴様らも只の人間ということだ」

 額に脂汗を浮かべたコーデリアは、背に装備していた槍に静かに手を回すと、勢いよく引き抜き真っ直ぐにブライアンの前に構えた。周囲を取り囲む騎士達に緊張が走る。続いたルークが剣を構えると、オリヴィアにも続くよう促した。

 二人は、突破することを諦めていない。双方がオリヴィアを庇うように、ブライアンの前に立ち塞がる。

 オリヴィアは震える手で剣を構えると、歯を食い縛って周囲を見渡した。手綱を放した身体は不安定で、僅かに信用できる鐙を強く意識する。

「やれ。……殺すなよ」

 短い男の指示に飛び出した一陣の風が、ルークに襲いかかる。疾風のようなその男は、息をつく暇も与えずあっさりとルークの剣を弾き飛ばすと、逆手に持ち替えた剣の柄をルークの横腹に叩きつける。 抵抗も出来ずに重い一撃を受けたルークは、小さな呻き声と共に落馬した。

 隙を見て放たれるコーデリアの突きを難なく翻すと、男は一気にオリヴィアの方へと距離を詰めてくる。

 男から素早く突き出された剣を、かろうじて受け止める。腕に走る激しい振動に、オリヴィアは剣を取り落とした。大きく平衡を崩して、足から鐙がすり抜ける。

 ――地面が逆さまに視界に映ったかと思うと、衝撃と共に頭から地面に叩きつけられる。思わず頭を抱えて地面に蹲ると、視界を黒い影が覆った。

「動くな」

 短い、だが有無を言わせない口調にひやりとする。視線だけを僅かに向けると、数人の騎士達がオリヴィアを取り囲んでいた。背中から乱暴に両手を捻り上げられ、襟を引っ張られる。いとも簡単に、オリヴィアは自由を奪われてしまった。

 唯一許された自由である視線が、ルークを追う。同様に身動きを封じられたルークは、抵抗する素振りを見せている。

 不意に、鈍い音がした。目を見開いたルークは、そのまま前に倒れ込む。

 後ろに立っていたのは、棍棒のようなものを抱えた騎士だった。ルークは、動かなくなった。

 ぐんと血の気が引くのを感じる。コーデリアを見ると、男の剣相手に間合いを取りながら善戦していた。周囲を取り囲む騎士達は、不気味なほど静かに佇んでいる。

 ――魔導が使えなければ、貴様らも只の人間ということだ。

 そう言い切ったブライアンの、勝ち誇った笑みが見える。たった一人の騎士相手に、こうも苦戦を強いられるのか――

 不意に、鉄同士が擦れ合う鋭い音が耳に届く。

 はっとして見れば、激戦の末とうとう槍を取り落としたコーデリアが、男を力強く睨みつけていた。武器を失ったコーデリアに、男は容赦なく剣を振りかぶる。

 次に見えるであろう光景を想像して、オリヴィアは瞼を強く閉じる。しかし、届いたのは鉄と鉄のぶつかり合う音――

 恐る恐る目を開ける。見れば、コーデリアの露出した腕は、金属になったような鈍い光沢を持っていた。

 精巧な像であるかのように、つややかな金属の塊へと変化していた女の腕は、見事に男の剣を受け止めている。

 ――あれが、コーデリアの魔力。

 魔力? ブライアンは、ルークの魔力を封じてみせたはずだが――男を視線で追うと、奇妙な唇の動きが目に入った。

 次の瞬間、女のくぐもった呻き声が耳に飛び込んでくる。コーデリアの腕に、斬撃の赤い道筋がくっきりと刻まれていた。飛び散った鮮血は、赤い染みを地面に作る。咄嗟に腕を庇ったコーデリアに、男は隙を見逃さず、手綱を思い切り引き馬ごと体当たりをしてみせた。

 コーデリアの力なく落下する音が、オリヴィアの肌を粟立たせる。

 思わず身体に力が入っているのに気がつく。僅かに身じろぎすると、顎に避けるような痛みが走る。何者かに、掴み上げられているのだ。

「ふ……案ずるな。利用価値が有るうちは殺しはしない――特にお前は、な」

 ねとつくような男の声が耳元で放たれる。仲間に気を取られていたオリヴィアの前には、不気味な笑みを張り付けたブライアンがそこに立っていた。

「い、一体何をする気……っ」

 咄嗟に声を上げたオリヴィアに返されるのは、せせら笑うような男の声。

「答えると思うのか? ふん、忌々しい目をしおって」

 オリヴィアの顎を捕らえる男の指に、徐々に力が込められていく。頬骨が、みしみしと悲鳴を上げた。

「いっ……いた……」

 食い込む男の爪は、オリヴィアの頬に小さな傷を残してその場を離れた。傷口から、僅かに血が滴っているのがわかる。

「まあいい。役割さえ果たしてもらえば、すぐにでも消えてもらう。ふふ……では、な」

 謎めいた挨拶を残した男の手は、真っ直ぐにオリヴィアの首へと狙いを定める。触れるが早いか、皺が刻まれた土気色の醜い手からはおおよそ想像出来ないほどの力がオリヴィアを襲った。

「ぐ、うっ……」

 息が、出来ない――遠のく意識を感じる。

 暗転していく視界に、戦場に似つかわしくない少女の声が届いたような気がした。

「ブラ……様。この者……の……はどの……に」

 聞き覚えのある、声。誰だろう。とても、懐かしい――

 答えは出せないまま、オリヴィアはあっさりと意識を手放した。

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