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血脈の傀儡 フィオーレ王国戦記  作者: 御崎 仲太郎
家族と呼べた人達
2/63

かけがえのない

 翌日、いつも通りの時間を知らせる鐘に目を覚ましたオリヴィアは、ベッドの縁に人影を感じた。まだはっきりとしない頭をなんとか動かすと、すっかりと着替えを済まして彼女を待つドロシーの姿を捕らえる。思わず目をしばたたく。

「……あれ? おはよう……珍しく早いな」

 言いながら目を擦って身体を起こすと、

「そりゃもう、やっと休みの日なんだよ。楽しみで楽しみで。オリヴィアも早く支度してよ、遅いよ」

 腰に手を当ててふんぞり返るドロシーに、オリヴィアから思わず笑いが漏れた。

「ははは、それをドロシーが言うのか」

「それ、どういう意味。私だって年がら年中寝坊助な訳じゃありません」

「嘘。前の非番の日から数えただけでも、多分十回は私が起こしただろ」

 勿論その間私は一度も寝坊していない、と言外に付け加える。

「うっ……。まあそれは感謝してるけどさ……」

「全く……ほら、そこ、寝癖取りきれてない」

 言いながら歯の欠けた櫛を取り出すと、ドロシーの栗色の髪の毛をゆっくりと梳いてやる。

 幼い頃から、幾度となく繰り返した光景。

「へへ、ありがと。オリヴィア」

「いい加減自分で出来るようになってくれ。二年後には成人なのに」

 返ってくるのは、ドロシーの間の抜けた声だ。

「別にできなくていいよー。大人になっても、オリヴィアがずっとやってくれるでしょ?」

 オリヴィアは呆れ交じりの苦い笑みを零すと、鏡の前に立った。見慣れた自身のプラチナの髪をぐしぐしと梳く。ドロシー曰く、彼女にしてやるときとは比較にならないほど雑な動作らしいが、こればかりは癖である。

 仕事用とは違うまだ小綺麗な方の服――それでも綻びが目立つのだが――を引っ張り出して、寝衣を着替える。自身の好みの、動きやすい服装だ。

 すっかりと身支度を終えると、防具で覆われた普段とは違う十六の少女相応の姿が、古いひび割れた鏡に映っていた。久しく見ていなかった気のする姿。護ってくれるものが無いと、途端にその身体は貧相で頼りないものに感じてしまう。

 オリヴィアの支度を待っていたドロシーは、視線をオリヴィアの頭からつま先まで流して、盛大なため息をついた。

「オリヴィアってさぁ、ほんっと勿体ないと思う」

「何が」

「もうちょっと格好に気使いなよ。まあ、それはそれで似合ってるんだけどさ。……髪の毛も真っ直ぐでさらさらだし、鼻もしゅーっとしてるし、目だって綺麗だし。なんかこう、ふーん……妬けるなぁ」

 自身の栗色の癖毛を弄びながら言うと、半ばふくれっ面で、ドロシーはオリヴィアの両肩に手を置いて向かい合った。

 彼女の青い瞳と目が合って、オリヴィアは顔を反射的に逸らす。

 目を見られるのは苦手だった。

「綺麗って言ってくれるの、ドロシーだけだ。その、差別とか。しないでくれて。

 ……私の親だって本当はわからない。戦争で死んだんじゃなくて、目がこうだったから捨てたのかも」

 オリヴィアは、鏡に向き直って手を置いた。自身の双眸の紅玉を覗き込む。

 赤い目。血を吸ったようだ、不浄の色だと形容されるその目。

「周りがどう言ってるかなんて関係ないよ、本当に綺麗だもん。

 こんなこと言ったら院長先生にめちゃめちゃ怒られちゃうだろうけど、私は魔導士だってみんながみんな悪い人達だとは思ってない。実際に会って話してみないと、そんなの分かんないよ」

「……そうだな」

 オリヴィアは、ぽつりと呟くように言った。

 孤児院の保護下から抜けて、世間により一層晒されるようになって痛感した、周囲の侮蔑するような目。

 一人だったら、きっと耐えられなかっただろう。

 ――ドロシーが一緒で良かった。

 そう、強く思った。

「痛っ」

 額に鋭い刺激が走る。思わず手で擦りながら視線を上げる。

 中指と親指をすり合わせてにやにやとするドロシーの姿を認めて、指で弾かれたのだと気づく。

「ドロシー……?」

「ほれほれ。そんな顔しない、しない。オリヴィアお姉ちゃん? 可愛い妹や弟達が心配しちゃうぞ」

 そう言って屈託なく笑うドロシーに、どれだけ助けられてきたのだろう。

 気遣いに応えたい。だから、それ以上考えるのをやめた。

「……ああ。もう、行こうか」

 オリヴィアは、軽く息を吐いて立ち上がった。気がつけば、仕事のある他の同僚たちは既に部屋にいない。非番の日は朝食が出ないため、のんびりとしたものである。

 部屋を出て、少し軋む床板を鳴らしながら歩く。

 横についたドロシーの足取りはいつになく軽い。久々に仕事を離れられた開放感に満ちている。

 オリヴィアはそんなドロシーの様子を見て微笑した。ふと、廊下や階段のあちこちに貼られた、指名手配されている魔導士の張り紙を一瞥する。

 先の革命で首謀者として名指しされた、レナードという男。自身の両親が死ぬ原因となった――かもしれない男。その似顔絵が描かれた張り紙は一段と古く、色褪せている。

 だが、その男の朱く鋭い瞳が、どことなくオリヴィアの心を揺さぶるのだった。


 いつもは剣を携えて歩く道。嵐がやってくれば崩れてしまいそうな程心許ない建物がまばらにある他は、取り立てて特徴もない街並み。

 領土が非常に広いウェステリア公爵領の中でも、領主の居城のある街から少し離れるだけで、どこもたちまち荒れ果ててしまう。

 そんな、ウェステリアでは珍しくもなんともない場所。

 凹凸だらけで均されていない道を踏み分けながら、オリヴィアとドロシーは歩いていた。向かうのは、二人の育った孤児院である。

 土を巻き上げて乱暴に走る沢山の荷馬車から逃げるように、時折うろつく騎士をすり抜けるように、真っ直ぐに目的地を目指していた。

「うーん……? オリヴィア、何かあったのかな」

 先に声を上げたのはドロシーの方だった。オリヴィア自身も薄々覚えていた違和感。

 やけに、多いのだ。騎士の数が。防具や馬具に刻まれた、煌びやかなウェステリア公爵の紋章がとにかく目につく。

 公爵自身が持て余して様々な小貴族に統治を任せているこの近辺において、一人二人ならまだしも、これだけの騎士がいるのは妙だ。

「……この数だったら、魔導士が出たっていうのも有り得るな。戻ったほうが良いのかも」

 通り過ぎる人々の目もぎらついている。オリヴィア達にも突き刺さる目線の数々。

 オリヴィアの目を見て、その視線はより一層強くなる。

 不浄の赤い目を持つ者は怪しい。そう視線で語る人々。

 ――探しているのだ。魔導士の証拠である、その印を。

 悪魔の印。魔導士の身体のどこかに浮かび上がるという、不気味な紋。

 身元確認が厳しい貴族の元で兵士として働いているというのは、ある意味では魔導士()()()ことの証明にもなるが、今は生憎私服である。

「優等生だなあ、オリヴィアは。非番の間は知らぬ存ぜぬで良いんだよ、こんなの。……魔導士だったら騎士が出るまでもないんじゃないかな。せっかく報奨金を出すって話なんだし。っていうか、魔導士ももう、こんなところにはいないでしょ。未だにカトレアに帰ってないなんて、ただの間抜けさんだよ」

 カトレア領。魔導士に与えられた僅かな領土。十六年前「レジスタンス」と名乗る魔導士たちが起こした革命は失敗に終わり、かつてカトレア領であった大部分はウェステリア領に吸収された。今残されたのは北の山の奥の奥、寒冷故に草木もほぼ生えない土地らしいと聞いている。

「うーん……」

 首を傾げて他の理由を思索したオリヴィアがちらりとドロシーの方を窺うと、既に興味を失ったようだった。

 何かあったのかと尋ねたのはドロシーだったにも関わらず、当の本人の頭には別の話題が上っているらしい。妙に浮ついた顔をしている彼女を見て、飽きっぽいのは相変わらずだなと思う。

「あっ、そうだ、オリヴィア。騎士と言えばさ。近々うちから公爵様に推薦で、騎士見習いが出るかもって話聞いた?」

「いや」

 短く、首を横に振る。噂好きのドロシーは、いかにも話したくて仕方がない様子だ。

 こういう時は聞き役に徹してやるのが良いというのが、オリヴィアが十年以上ドロシーと共に生活してきて思い知った結論である。黙って続きを待つ。

「優秀な兵士は時々推薦が出るじゃない。あれ、成績だけだったら実はオリヴィアも有り得た話らしいの」

「……まあ、私は女だから。目のことも、あるし」

 騎士というのは、貴族出身で、剣技と馬術が共に優秀な男に許された地位である。時折才能だけで背景の無い人間が拾い上げられることはあるが、それも当然男に限った話だ。

 ましてや、『忌み子』。今なんとか下働きで生活できているのも、オリヴィアが仕えているラッセル男爵が、不浄の赤い目を持つ人間や双子として生を受けた人間のような、忌み子と呼ばれるような者達に対しても寛容であるおかげである。

 ――どちらにせよ、公爵家へ出せる類の人間ではない。

 期待はしていない。あるのはただ諦めに似た感覚だが、それでも自然とため息が出てしまう。

 オリヴィアの心の中を透かしたように、ドロシーの顔にも僅かに陰りが現れる。

「うん、……残念だけど、そうみたい。あのね、私はこんないい加減な人間だから良いんだけど。オリヴィアみたいに優秀でも、こうやって生きるのが精いっぱいだなんて……私は、悔しいよ。赤目とか、孤児とか、関係ないのに」

「私は平気だから。そんな顔しないでくれ」

「へへ……さっき暗い顔しないでって言ったの、私の方なのにね。楽しい話しよっか。

 …………あぁ、だめだ、何も思いつかないや。何か話して」

 くるくると表情が変わる。ドロシーは明るくて、そして強かだ。希望を持って、確かに生きている。

 私はそうはなれない。同じような出自で、同じように育ってきたのに。

 オリヴィアはまたため息が出そうになるのを堪えると、僅かに首を横に振った。慌てて、会話を取り繕う。

「私が話下手なの、知ってるだろ。

 うーん……そうだ、三年位前かな。私の知り合いなんだが、『孤児院を出るのが怖い』って言って出立の前日におねしょをした女の子を知っ」

「あー! あー! その話止めて! 私じゃんか!」

 今度は頬を染めながら怒るドロシー。思わず、腹からの笑いが飛び出した。

「あははは!」

 ドロシーも釣られて吹き出す。二人で、子供のように笑い合う。

 まだ朝早い空気に、その声が響き渡った。

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