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血脈の傀儡 フィオーレ王国戦記  作者: 御崎 仲太郎
二つの血を引く少女
15/63

前夜

 夜が更けた山の中には、虫の音が響き渡っていた。肌を包むひんやりとした空気は澄んで、月明かりを余すところなく地上へ届けている。洞穴の中にまで秋の匂いは広がっていて、外に出なくとも季節を感じられた。

 洞穴の奥へ続く道の至る所に設置された蝋燭は、最低限の明かりだけを残して消してある。殆どの者が就寝してしまい、その場にいるのは大した数ではない。中央に置かれた焚き火が、幾らかの人間の影を柔らかく生み出していた。

「オリヴィアもさ、すっかりここに馴染んだよね。連れてきてから二月も経ってないのに」

 アルフレッドは、彼の艶のある長い黒髪を手で弄んでいる。壁に声が反響するので、少し抑え気味の声だ。

 夜も遅く、眠い目を擦りながら就寝の支度をしていたオリヴィアは、ふと髪を梳かす手を止めた。逆の手で持っていた手鏡をそっと地面に置いて、視線を外へと投げる。

 視界を塗りつぶす木々の隙間から僅かに見えているのは、静かに、だが確かに輝く星の粒。

「……色々ありすぎたから。戻りたいって考えることも多いけど――今は、魔導士のことを知れて良かったと思うんだ」

 ウェステリアに暮らしていた頃では知り得なかった現実に、今はいる。

 何が正しいかは分からない。だが、分からないのに分かっているような気分になっていた過去よりは、ずっと進んでいるのだと思う。

 レナードは、自身を「人間と魔導士を繋ぐ架け橋」だと言った。短い期間とはいえ生活を共にし、既に家族同然といえる存在になった魔導士達。そして、最も古い記憶にも存在する、かけがえのない孤児院の人達。どちらも大切で、断ち切りたくなくて、だが世界はそれを許さない。

 ――だから、変えたいと願った。その為に、私はここで生きている。

 手鏡を持ち直して、鏡に映る顔を見つめる。

 見慣れた自分の顔に嵌まった、赤い一対の瞳。そしてその左の紅玉に浮かぶ、見慣れない聖痕の模様。そこに存在すると知ってしまえば、とても薄いその紋がはっきりと浮かび上がるようにも見える。

「なに、鏡ばっかり見てるの。……そういえば、こっちに来てからのオリヴィアって結構変わったよね。肉付きが良くなったというか、身長もちょっとは伸びたんじゃない?」

 言われてみれば、僅かな明かりに照らされた頬は血色良く鏡に映っている。自分の顔なのにどこか不思議と他人のように思えて、オリヴィアは頬から唇へと指で撫でながら、そっとため息をついた。

「本当、自分じゃないみたいだ」

「これまでが痩せすぎだったんだよ。あんまりご飯食べられてなかったんじゃないの?」

「どちらかというと、今が恵まれすぎてる気がする。清貧に甘んじよ、って常々言われて育ってきたから」

 アルフレッドは難しそうな顔をして腕を組むと、首を左右に傾けてみせる。

「うーん、わかんないなあ。人間様の考える事って本当にわかんない。皆お腹いっぱい、皆幸せ! ……これじゃだめなの?」

 言葉は実に稚拙だが、少年の言いたいことは分かる。どう説明したものか――と思案を巡らせていると、突然視界が黒い影に覆われる。顔を上げた先にレナードの姿を認めて、

「隊長」

「二人とも、まだ起きていたのか。何を話し込んでる」

 レナードの言葉に焚き火を一瞥すると、燃料の一部がすっかり灰へと変わり果てている。時間の経過を感じて、また明日になれば日が昇りきらないうちから「訓練」の名目で男に竹刀を叩き込まれるという事実を思い出し、辟易する。

「人間達の考えが理解できないって話」

 アルフレッドの乱暴な説明と、先に聞こえていた話の前後関係から、レナードは話題を巧みに読み取ったらしい。片膝を立てて、二人の前に座り込んでみせる。

「……神、か」

 含みのある声で、男は呟く。オリヴィアは静かに頷いた。

「俺も、詳しくはないがな」

「えっと……『人知を超え天地を支配する神は、人々を全て愛し、これを治めるための存在として王を作った。王は神の啓示を受け取ることのできる唯一の存在であるから、敬い、崇めなければならない。可能な限りを捧げ、清く質素に生きよ』……少し言葉が足りない部分もあるけど、こういう考えで生きてる」

 孤児院で暮らしていた日々の、牧師としての院長の言葉を思い出す。その意味を自分なりに咀嚼することができない程幼い頃から、何度も言い含められてきたものである。

 ――噛み砕いた上で、オリヴィアとて(えん)()していた訳ではなかった。魔導士を人と扱わぬ粗暴さに対し、疑問を抱き続けている。

 しかし、理解できないということは、ある種の罪のようにすら感じてしまう。

「ますます分かんないや」

 考えるのを放棄したアルフレッドの姿は、魔導士という立場でこそあれ、魔導士を理解しようとしない人々と何一つ変わらないのではないか――不意に、そう思い至る。だが、それを口にするのはどうも憚られる気がして、オリヴィアは複雑な面持ちのまま黙り込む。

「そういうものだ。同じ魔導士であるカトレアの連中の信仰ですら、我々は理解していないのだからな。だが、それを一蹴するのではなく――理解できないなりに、認める姿勢は持つべきなのだ。……いいな、アルフレッド」

 レナードは、子供を窘めるような声でアルフレッドに言う。だが、少年に向けられたその言葉が、オリヴィアの中の言語化できない違和感を拭ってくれたように感じた。

 無理に理解しようなどと考えることの方が、横暴なのかもしれない。

「ふうん……」

 つまらなさそうな顔をしていたアルフレッドは、何かを見つけたように目を丸くする。少年の視線につられて、オリヴィアも身体を捻って洞穴の外を見た。

 そこに大きな人影の存在を認めて、オリヴィアは人物を特定しようと目を凝らす。体格からして男のようだが、顔がはっきりとわからない。その影の持ち主を認識したアルフレッドが、そちらの方へ向かって声を投げた。

「あれ、イアンじゃん。遅かったねえ、無事でよかった」

 イアンと呼ばれた男は、アルフレッドに声を掛けられたとほぼ同時にこちらへと歩きだしながら、三人の顔を順番に眺めた。そしてオリヴィアの顔をまじまじと観察すると、眉をひそめながら歩みを止める。

「そこの娘……リブラの」

 低くかすれたような声のその持ち主は、レナードに負けず劣らずの巨躯を持つ青年だった。オリヴィアより四つか五つは年上だろうか。無骨で気難しそうなその顔に、オリヴィアは少し身じろぎする。

「ああ、お前は王都にずっと居たから、初対面だったな。オリヴィアだ」

 失念していたようにレナードは言った。イアンは納得したように力強く、ゆっくりと首を縦に振った。

「母親によく似ている」

「やっぱそうなんだねえ。僕はフェリシア様のこと、間接的にも知らないからぴんとこないんだけど」

 アルフレッドはまじまじとオリヴィアの顔を見た。少しの間を置いて、思い出したかのようにイアンが切り出す。

「……そんなことを話している場合ではないのだ。隊長、至急報告したい」

「ああ。――俺の部屋で聞こう」

 洞穴が奥へ進むにつれて幾つか枝分かれしたうち、一つの空間が簡易な扉で区切られてレナードの部屋となっている。膝を抱えながら立ち上がったレナードは、少し考えるように顎の無精髭を撫でた。

「お前達も来い。説明の手間が省ける」


 無言で部屋へと入ってゆく三人に続いて、オリヴィアも扉を通る。闇に包まれた部屋に蝋燭の明かりが灯ると、中央に置かれた粗末な木の机が目に飛び込んできた。

 部屋の持ち主は、上に乱雑に置かれた数冊の本を腕で押しのけると、軋む椅子に腰掛けた。男の動作に遅れて、僅かに埃が宙へと舞う。

「さて――イアン、ご苦労だった。無事で何よりだが、些か予定より遅れているな」

 座ったまま腕を組んでイアンを見上げたレナードに、イアンは目を閉じながらゆっくりと頷いた。

「サイラスとの連絡に手間取った」

 イアンに与えられた任務は、連絡の途絶えたサイラスという男の安否と、状況を確認することのようだった。

 サイラスという男は、魔導士という素性を隠して国王リチャードの保有する軍に潜りこんでおり、現在は王都内部――主に、リチャードとその参謀であるブライアンに関する諜報行為をしていたのだという。

 しかし、ある日を境に連絡が途切れてしまう。しばらくは様子を見ていたレナードも痺れを切らし、こうしてイアンを送り込んでいたのである。

「それと、……隠れ家が消えていた」

 真面目な顔で言い放ったイアンに、アルフレッドは思い切り吹き出した。

「ぶっ……うん、王都の方にも噂になってなかった? 襲われたんだよ、あそこ。情報が漏れてもまずいから、僕が纏めて全部燃やしてきちゃった……ていうかこれ、いつも話し合ってたことじゃない」

「こちらへ通じる道も崩れていた……」

 最後は消え入りそうな声で項垂れるイアンに、アルフレッドは呆れ半分で肩を落とす。

「うん、それも普段から確認してたことだよね……。追跡されないように、最後にきっちり隊長と崩してからこっちに逃げてきたよ。あっちの隠れ家が無くなった以上、道も必要ないわけだし」

 つまり、イアンは一度ウェステリア西にある隠れ家に向かった後、大きく山を迂回してコルチ東に位置するこの隠れ家までやってきたということである。壮絶な旅路に思わず引きつる顔を押さえながら、オリヴィアは続きを待つ。

「それは、大変だったな……。それで、サイラスはどうしたのだ」

 同じく頭を抱えるような様子をみせたレナードは、ため息混じりに言う。

「――捕まった」

 イアンの声が、狭い空間に響き渡る。オリヴィアは、レナードやアルフレッドの喉が音を立てるのを聞いた。

「サイラスの従者を通じて連絡を取った。ブライアンに存在が見つかったらしい。一月後には、処刑されると」

「……知らせを受けたのはいつだ!」

 レナードは、机に自らの拳を叩きつけながら声を張り上げた。額には、僅かに汗が流れている――オリヴィアは、普段では考えられない男の挙動に息を飲む。

「二週間前だ。従者との連絡にも時間差があるから、期日は一週間と半分ほど先になる」

「……ここから王都まで、平野を馬で飛ばせば五日かからないはずだ。なんとか間に合うか」

 焦りや苛立ちの中に少し安堵の表情を見せたレナードに、イアンやアルフレッドも頷いた。

 現在の王都は、ウェステリアに対してリラ川を挟んだ南に位置している。今オリヴィア達のいるヘルブラオ山脈を抜けてウェステリアの平野を南下すれば、山道を走るよりは早くたどり着けるだろう。道中、魔導士であることが露見する可能性を孕んでいるが、時間が無い以上苦肉の策と言わざるを得ない。

 ――だが、問題なのはその先である。王都にたどり着いたとして、レナードは一体どうやってサイラスの救出に向かうつもりなのか。

 王都に囚われたというその男を救け出すということは、王都に攻め込むということと同義である。先日一公爵であるウェステリアが動かしてみせた兵力を思うと、魔導士といえども王の率いる騎士団や兵団相手に勝ち目があるようには思えなかった。

「……一刻を争う、朝には出立するぞ。お前達二人はもう休め。イアンはここに残ってくれ。準備する」

「了解」

 素早く指示を出すレナードに、三人は疎らな返事をする。即座に真剣な表情で話し込み始めたレナードとイアンに背を向けると、静かに部屋を出る。重苦しい部屋の雰囲気から解放されて、オリヴィアは僅かに安堵の息を吐いた。

 足音を抑えず追いかけてきたアルフレッドに後ろから肩を叩かれ、振り向く。

「ははは、その顔。オリヴィアってばいつも堅い顔してるよねえ。かちんこちんなの」

「……アルフは楽観的だな。隊長がなにを考えてるのか、私にはわからない」

 ――レナードは、一切臆する様子無く即断して見せた。

 自身には出来ないことだ、と思う。例えばそう、家族が――ドロシーが同じ状況に陥ったとして、躊躇せずに助けに行けるだろうか。

 そこが、男と自身の――組織を束ね上げるだけの男と、只の力無い子供に過ぎない自身の――大きな差なのだろう。

 目前の少年が意地の悪い笑みを浮かべながら見つめているのに気付いて、オリヴィアは思わず顔を逸らした。だが、そんなオリヴィアに、アルフレッドは回り込むような動作で再び顔を覗き込んでくる。少年から不意に伸びてくる二本の腕に反応するよりも前に、その両手はオリヴィアの頬を強く挟んでいた。

「なにするんだ」

 鏡を見ずとも、相当妙な顔をさせられているのだと分かる。アルフレッドの腕を掴んでそのまま剥がすと、そこには得意そうに笑う少年があった。

「オリヴィアは真面目すぎなんだよ。仲間だから助けに行く、それじゃ駄目なの?」

「そういうわけじゃない。でも、仲間を助けるために仲間を失ったら本末転倒だ」

「そこをどうにかするのが隊長の仕事。僕達の今の仕事は、ゆっくり休むことだよ」

 アルフレッドは片瞬きしながら手を振り「おやすみ」と言うと、寝床のある方へと消えていった。


 オリヴィアは、就寝部屋に着くと既に寝ている女性達の間を縫って、自身の寝床へと収まった。生活の拠点になっているとはいえ、ベッドのような立派な寝具は存在しない。

 薄い敷布越しに伝わる冷気には辛いものがある。毛布に包まれるように眠る体勢をとると、吐息と共に目を閉じた。

 ウェステリアから離れて、既に二月以上の時間が流れている。瞼の裏に浮かぶのは、ドロシーや、孤児院の院長や――

 もう、自分は戻れないところまで来てしまったのかもしれない。魔導士である自分と、人間であった自分に、あの日を境に境界線を引かれてしまったように。

 選びたくて選んだ道ではない。それでも、選んだのは紛れもなく自分なのだ。

 暗く静まりかえった空間で、眠れない時間を過ごした。


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