フランの村
秋の深まった空の色は淡い。頭上を照らす日差しは柔らかく、見下ろす大地にも恵みのように降り注いでいる。草木を揺らす穏やかな風が、時折気まぐれのように前髪を攫っていく。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、ふっと力を抜いた。
オリヴィアは今、フランの村に向かっている。少し先を元気よく歩いているクロエの背中を追いながら、視界に広がる景色にそっと笑みを零した。
フランの村とは、洞穴の隠れ家から山を下ったところにある、コルチ領の小さな村である。クロエの仕事に付き合う形で、オリヴィアは道中を進んでいた。
「それにしても、アルフはともかくリヴィが来てくれるとは思わなかったな。いつも通り隊長に剣の稽古をつけてもらうんだとばっかり」
洞穴の隠れ家にたどり着いてから、すでに一月が経っている。愛称で呼ぶようになるほどオリヴィアと打ち解けたクロエは、花が零れるような笑顔と共に振り返った。
「その隊長がクロエについて行くって言うから。……でも、こういうのもたまには良いな」
振り向けばなんとか視界には入る程度に後方をゆっくりと歩いているレナードとアルフレッドも、何やら談笑しているような声がする。ゆったりとした時間を感じて、オリヴィアは日頃の疲れの混じった息を吐いた。
オリヴィアにとってもこの行程は良い気分転換になっている。それでも、背後にいる厳しすぎる師を思うと何とも複雑な気分になってしまう。
レナードを隊長と呼んだその翌日から、「戦力にはなってもらう」という男の言葉通りに厳しい剣の稽古が始まったのである。日が暮れるまで毎日徹底的に叩き上げられる生活――レナードの容赦ない打ち込みで、腕や足は色とりどりの痣が覆っていた。無論男がその気になれば少女の細腕など容易く折れるので、それでも手加減はされている。
オリヴィアは、ここしばらくのことを思い返して肩を落とした。だが、今腰に差している剣は稽古用の軽い竹刀ではない。その柄に手を当てて重量を感じると、引き締まる思いになる。
「ふっふっふ。リヴィ、護衛よろしくお願いしますね」
「分かってる。隊長とアルフがいれば、私の出る幕なんてなさそうだけどな」
「そんなことないよ。まあ、私が村に通うようになってからは一度も無かったんだけどね。野盗も獣も」
クロエはふっと足を止めて、後ろにいるレナードとアルフレッドに大きく手を振った。
「隊長ー! アルフー! 早く早くー!」
澄んだ空気に響きわたる少女の声が反響する。
「二人が早いんだって」
アルフレッドは文句を垂れながら、少し早歩きになる。呆れ顔のレナードもそれに続く。
追いついたアルフレッドの視線を追うと、いつの間にか遠くに小さく村のようなものが見え始めている。黄金の稲穂に混じって、深緑の芋の葉たちが視界にちらついていた。
「気がつけば秋も終わりって感じだねえ。コルチの冬は厳しいんだよなあ……ウェステリアの方の隠れ家は良かったんだけどねえ。元々貴族の別荘だった場所だから、快適だし」
アルフレッドが呟くと、レナードは小さく頷いてみせる。
「ああ。……もう、こんな時期か。さすがにサイラスが気掛かりだな」
サイラスという人物は、魔導士でありながら王宮に潜り込んでいて、レジスタンスの諜報係として影で動いている男だという。サイラスが所属しているのはリチャード国王が保有する軍で、レナードからは王宮内部、主にリチャード王とその参謀であるブライアンの情報を持ち帰る役目を任されていた。だが、ある日を境に連絡が取れていないのだという――
「ですよね。隠れ家襲撃なんて大事件、王都まで噂が行っていないなんてあり得ないし。あいつのことだから何もないと思いたいけど」
続けるアルフレッドの声色は暗い。そこには幾らかの憂いが混じっている。
「今は待つしか無いな。直接こちらには来るだろうが……」
クロエやアルフレッドが黙って頷くのを見て、オリヴィアも黙り込む。
さくさくと地面をまばらに踏みしめる音だけが響いていた。
広い畑に一面に広がっている濃い緑色が、どこか達観でもある。乾いた風が吹き抜けて、さあっという音と共に葉を撫でていく。
芋の収穫時期を迎えた村の男達は、そろって収穫に精を出していた。来訪に気付いたらしい村人の男の一人が、慌ててクロエに駆け寄ってくる。行きがけに、芋を目一杯積んだ籠を倒してしまったらしく、足元まで小さな芋が転がってくる。クロエはそれを見て「慌てなくて良いのに」と笑うと、照れ笑いしている男に向き直って軽く会釈した。オリヴィアが芋を拾い集めるのを一瞥すると、男は黙ってクロエに笑顔を見せた。
少し気を悪くしたオリヴィアに、クロエは寂しそうな顔で笑う。
「ご無沙汰してます、ジョージさん。今村は変わりないですか?」
クロエは慣れた様子で男に尋ねる。医師の居ないフランの村のために、クロエは定期的に赴いて診察を行っているのだ。
村の住人はもちろん魔導士ではないのだが、魔導士に対して一定の理解を置いてくれているのだという。
「それがさ、最近うちの女房の体調が優れなくてさ。食べてもすぐ吐くし、すぐ眠たがって横になることが増えて……悪い病気じゃないと良いんだが。それで、クロエちゃんを待ってたんだよ」
背後に控えるレナード達に目もくれず、男はクロエにまくし立てる。
「あら……じゃあ、今からアンナさんを診に行ってきますね」
クロエはジョージと呼ばれた男にまた会釈して、くるりとオリヴィア達の方を向いた。
「ということで、アンナさんの家に向かいまーす。よろしくお願いしますね、隊長。アルフに、リヴィも」
通り過ぎる人に挨拶をしながら、一列に建て並ぶ家々を慣れた様子で先導してくれるクロエに、オリヴィアは軽く舌を巻いた。土の煉瓦と僅かな木材で建てられた家が並んでいて、どれも見た目がまるで変わらないのだ。
「すごいな、クロエ」
目的の家にたどり着いてオリヴィアが声を掛けると、クロエは首を傾げた。
「へ、何が?」
「……村人みんなのこと、覚えてるんだな」
小さな村とはいえ、それなりの数の人々が暮らしているようである。名前だけでなく、その家族や家の場所まで把握しようとすれば相当な苦労があるように思う。
「これも私の仕事の一つだから。月に二回くらいこうして来るし、私にとってはいつものことだよ。……では、隊長達はまた帰りにお願いします」
そう言って、レナードに律儀に礼をすると、クロエはジョージの妻が居るというその家へと入っていった。
「ふぅ。僕らは何して待ちますかねえ」
アルフレッドは、至極面倒臭そうに伸びをする。あくびまで漏らしながら言う少年の様子に、レナードはため息交じりの笑みを零した。
「そうだな、広場の方に隊商が来ているらしいぞ。……あまりお前を連れて行きたくは無いが」
「隊商! やった、早く行こうよ隊長」
途端に元気よく声を弾ませるアルフレッドと、呆れ顔をするレナード。父子のような二人のやりとりに、不意に孤児院の院長のことを思い出して、胸が少し苦しくなる。
そんなオリヴィアの様子に気付いて不思議そうにこちらを窺う二人に、慌てて取り繕うように話を戻した。
「……タイショウって?」
聞き覚えが無い言葉なのは事実だった。ウェステリアを出てからというもの、違う世界に来たようにすら感じる。
――知らないことばかりだ。魔導士のことも、この国のことでさえも。
ああ、と納得したようなレナードが口を開く。
「お前は一応都会の方で暮らしてたわけだから、知らなくても不思議ではないのかもしれんな。隊商とは、村から村を廻って商売をしてる者のことだ。大きな街から離れた村に定期的に顔を出して、生活に必要なものを売ってくれるのだ」
「へえ……」
ここへ来る途中に山から見下ろしたコルチの景色には、小さな村が点々と存在するのみの広大な草原が広がっていた。確かにそのような組織が無いと、生活が不便だろう。
「僕達も結構お世話になってるんだよ。流石に自給自足って訳にもいかないし」
「お金はどうしてるんだ?」
レジスタンスが何かしらの手段で資金を得ていることには違いないのだろうが、皆目見当もつかない。
ともすれば忘れそうになるが、レジスタンスは立派な反政府勢力である。
「いろいろだけど、一番わかりやすいのは民芸品じゃないかな~。カトレアとレジスタンスの関係って言うのも結構複雑でねえ……カトレアは他地域からの輸入なしじゃ食料もままならないの。代わりに民芸品とかをちょこっと輸出してるんだけど、取り引きする商人とカトレアの間をレジスタンスが仲介してるらしいよ。……ああ、あと、そうやって得たお金を転がしたり? だからそんなに黒いことはしてないと、思う……うん」
レナードのわざとらしい咳払いが聞こえてきて、アルフレッドが肩を跳ね上げる。
「適当なことを言うんじゃない、全く……。後ろ暗いことはしていないぞ」
男の言葉に苦笑いする。親子ほどの歳の差がありながら気心が知れた二人の様子は、やはりどこか羨ましくあり、懐かしくもあった。
広場までの道は、歩くとでこぼことして細かい砂利が足を阻害した。裸足で元気良く駆ける子供達の姿がちらほらと見える。頭上を照らす太陽に目をすぼめたとき、背中に強い衝撃を感じた。
「いたっ……」
倒れ込みそうになるのを踏ん張って振り向くと、幼い少女がそこに居た。遊んでいて、勢い余ってぶつかったのか。
「ごめんなさ――あ」
反射的に謝ろうとした少女は、オリヴィアの顔を見て怯む。二、三歩後ずさると、くるりと背を向けて走り出した。
直感的に、それが自身の赤い目に対するものだと気付く。思わず、目を隠すように俯きがちになる。
「……全く、嫌になっちゃうな」
少し前を歩くアルフレッドは、腰に手を当ててため息をついた。
「ここの村の人――僕達が来ても何も言わないけど、関わり合いたくないっていう空気はこれでもかってくらい感じるよ。目の話も同じ」
「仕方あるまい。魔導士が堂々と出歩けるだけでもありがたい話だ」
レナードの持つ、オリヴィアよりも深い朱の瞳は、少なくとも諦めに似た何かを内包していた。
「クロエは歓迎するくせに、僕らは爪弾きにするってさあ……都合が良すぎない?」
「そうだな。俺は二十年以上前からこの村には時々出向いているが、これでもましになったほうさ」
懐かしむようなレナードの声に、オリヴィアは首を傾げる。
「二十年前? クロエが生まれるよりも前ってことか?」
「ああ。元々この村と交流があるのも、クロエの父親が村の子供を助けた事がきっかけでな。――当時から、俺もいろいろあった」
「僕達が仲良くしようとしてても、向こうがあれだもんねえ。結局、魔導士も人間も……本質は変わらないんだろうな。自分達にとって異端な者を嫌がるところは一緒」
含みのあるアルフレッドの言葉に、眉を顰める。
「……? それ、どういう」
「ん~……僕、自慢じゃないけど、魔導士の中じゃ飛び抜けて魔力が強いほうなんだ」
ウェステリアの隠れ家を追われたとき、ルークが同じことを言っていたのを思い出す。
「それのせいで、カトレアの皆……家族からも気味悪がられちゃって。勝手な話だよ」
「……アルフ、お前親に会う気はないのか」
躊躇いがちに口を開いたレナードに、アルフレッドが目をぱちぱちと瞬かせた。
「会わないよ。何でそんなこと言うの、隊長」
頭の上で手を組んだアルフレッドは、咎めるように吐き捨てる。
「いや、……悪かった」
レナードはオリヴィアの方を一瞥すると、広場への道へと足を運んだ。
広場につくと、そこは多くの村人でにぎわっていた。男の多くは畑仕事に出ているため、ほとんどが女性と子供で占めている。オリヴィアは、物珍しさにきょろきょろと辺りを見渡した。
数人の商人が、敷布の上に所狭しと商品を並べて、大きな声で各々の商売をしていた。女たちは生活に必要な鍋や干し肉などを品定めする一方、子供は駄賃を握りしめて珍しい玩具を一心不乱に眺めている。オリヴィアは初めて見る光景にすっかり心を奪われていた。いつの間にやら、既にその集団に混ざって品物を眺めるアルフレッドの後ろ姿がある。レナードが連れて行きたくないと言った理由を察せられる気がして、オリヴィアは苦笑した。
「――コルチはな」
レナードが、ひとりごつようにオリヴィアに語りかける。ちらりと見ると、男の瞳は村の外に広がる畑を映している。急に真面目な顔になったレナードに首を傾げると、、オリヴィアは男の視線を追った。
「見ての通り、痩せて乾燥した土地だ。この辺りはそれでも僅かに雨が降るが、この先には広大な砂漠が広がっている」
隊商の率いている駱駝の逞しい四肢が、環境の過酷さを物語るようだった。
「何故こんな不便な土地に人が住むようになったと思う?」
不意に尋ねられて、言葉に詰まる。
確かに、人が住むには不便な土地に違いない。食糧も水も入手が困難であることは想像に難くないからだ。
「……分からない」
オリヴィアは、少し考えて首を横に振った。腕を組んで先を見つめるレナードは、その答えに微笑する。
「コルチ領の東西に広がるヴァイス山脈……四、五十年前までは、金が良く採れたらしい。金だけじゃない、この土地は銅や鉄にも恵まれたのさ。
どれも、諸公が喉から手が出るほど欲しいものだった――故に、内乱の原因にもなった」
内乱と聞けば、真っ先に魔導士絡みのものを思い浮かべるが。当然、領地を争う問題もあるのだろう。
「でも、今はそういう話を聞かないな」
「簡単な話だ。無限に金が出続けるなんてことは有り得ない……。戦争には大量の食糧が必要だ。無理な焼畑や灌漑によって、枯れきった土地だけが残った。今でこそ持ち直しつつあるがな」
活気ある広場にも、野菜や果物といったものは並んでいない。ウェステリアに居た頃には想像もつかなかった世界が、目の前には広がっている。
乾燥した風が、いたずらにオリヴィアの前髪を攫っていった。
「……皮肉な話だな。豊かになろうとしたのに」
「ああ。だが、今語ったのは飽くまでも俺たち第三者目線の話だ。この地域の人間にしてみれば、土地の持つ金を無為に奪われそうになり、領土まで食い尽くされた……」
レナードの言葉に、オリヴィアは十六年前の革命を語る院長を思い出していた。
レジスタンスの革命が切っ掛けで、沢山の子供達が親を失った。路頭に迷った。そう言って、自身やドロシーがまさにその戦争孤児であるのだと――慰めるように、頭を撫でるのだ。
立場が違えば、受け取り方も随分変わってくるものだと思う。
「内乱を起こした貴族達からすれば、代償に見合う結果を得られなかった?」
オリヴィアが言うと、レナードは僅かに驚いたような顔をする。少し顔を緩めると、すぐに唇を結び直した。
「ああ、そういうことになる。……忘れるな。俺は、決してそれを躊躇うことはないが――我々の行為とて、同じなのだ。国の大多数の人間からすれば、どういう行為かなど明白だ」
レナードの真剣な表情に、オリヴィアは思わず唾を飲み込んだ。
――魔導士にとってどれだけ正しいことだと思ったとしても、レジスタンスの行おうとしていることは侵略行為に他ならない。その行為の重さが、心に重くのしかかる。
どちらかが正しく、どちらかが正しくない、ということではないと思う。きっとどちらも正しく、どちらも間違っている。その力を以て、血を流すことを厭わずに魔導士の権利を訴えるレジスタンスも、魔導士の気持ちに寄り添って耳を傾けることをしなかった人々も。
変化を望むレジスタンスと、安定を望む人間達。双方の立場を嫌と言うほど認識して、それがようやく分かった気がした。
何かが急に頭に置かれる。それが手だと気付いて思わずレナードの方を向くと、いたずらっぽく笑う男の顔があった。
「ふん。お子様には早かったか」
「子供じゃない」
「そうか? 難しそうな顔をしていたがな」
考えているうちに、硬い顔になっていたのかもしれない。意地の悪い顔をするレナードに、ため息で返事をした。レジスタンスに身を置くようになってからというもの、どうも子供扱いされることが多い気がする。
「……さて。俺は少し顔を出すところがあるのでな、お前も近くで見てくると良いさ」
駄賃だ、と言ってオリヴィアに小さな袋を手渡すと、レナードは人混みの中へと消えていった。誰か会う者が居るような雰囲気で、後をついて行くのも憚られる。
とはいえ、人通りの多い場所を一人で見て回る気にもなれず、賑やかな場所から離れるように歩いた。自身を肯定してくれる人が居ない状態で、多くの人に拒絶される勇気は無かったのだ。オリヴィアと同じような色の目を持ち、同じ魔導士でもあるレナードはそれを気にしている風では無かったが、自身はそこまで打たれ強くない。
似たような家がただ建ち並ぶ道を過ぎると、次に目に入るのは一面の畑だ。先に見たときには気付かなかったが、芋の大きな葉ばかりが傾きかけた日を反射して、視界に広がっていた。――乾燥しても十分に確保できる作物というのは、限られている。懸命に作業をする人々の姿がただ印象的で、オリヴィアはそこに立ち尽くしていた。
国王を倒す、とレナードは言った。それを成し遂げたとき、国の基盤は大きく揺らぐことになるだろう。そして――戦争には食糧が要る、ともレナードは言っていた。その結果、残ったのがこの大地だとも。
何が正しいのかは分からない。だが、自身は変化を望まずにはいられない――。
「リヴィ、ここに居たんだ」
振り返ると、手を振りながら歩いてくるクロエの姿があった。よく見ると、もう片方の手には大きな籠を下げている。
「お仕事終わったよ。ほら見て、お礼にもらっちゃった」
クロエがそう言って籠を両手に持ち替えると、誇らしそうな顔でオリヴィアに見せる。芋や雑穀といった食材が、大切そうに布で包まれていた。
「先に広場に行ったんだけど、リヴィだけ居なくて。呼びに来たの」
「……もう帰るのか。すまない」
気がつけば日は沈みかかって、目に眩しいほどの茜色を西の空から延ばしている。雲の欠片すらない、淡い空に徐々に浸食してゆく朱が鮮やかで、思わず見入ってしまう。
「それがね……隊長、まだ隊商の人と話し込んでるの。アルフもぜんっぜん動かないし。暇つぶしにちょっと行きたいところがあるから、付き合って欲しいんだ」
お願い、とクロエに笑顔で頼まれて、断る理由は無い。
「別に構わないが……どこへ?」
「ふふふ、まだ秘密です。着いてきて」
オリヴィアの反応も待たずに、クロエはくるりと背を向け歩き始める。早足で追いかけ、籠を預かろうと手を伸ばした。
「持つから、貸してくれ」
「ありがと、リヴィ。優しいね」
微笑むクロエから受け取ると、オリヴィアも少し照れるように笑い返した。
クロエに導かれるままにいつしか村をはずれ、乾燥した大地が視界中に広がっている。視線の奥に小さな丘を見つけて、オリヴィアは目を凝らした。
「ほら、あそこ」
指さす方を見ると、一本だけ生き残るように、頼りない細さで――だが、しっかりと根を張って佇む木がそこにあった。
たどり着いた木の根元から見上げると、くすんだ緑色をした葉の隙間から夕日の光が柔らかく零れていて、オリヴィア達を優しく照らしていた。小さな赤い実をつけたその木は、風が吹き抜ける度にその熟れた実を揺らす。乾いた風が、汗で張り付いた髪の毛を優しく剥がしていった。
「ここ、気持ちいいでしょう。私のお気に入りの場所……。リヴィにも、見せたいなって思ったの」
ふっとしたクロエの表情に、不意にドロシーが脳裏に浮かぶ。ドロシーとも、一緒にこの風を浴びたいと密かに思った。
「二人とも、探したよ」
不意に後ろから声を掛けられて振り向くと、レナードとアルフレッドが立っている。
「油を売っていると日が沈むぞ」
レナードの牽制に、クロエは気まずそうに「あはは……」と苦笑いした。
「リヴィにも見せたかったんです。この場所」
やれやれといった表情のレナードは、待つことに決めたらしい。ゆっくりと木にもたれかかると、黙って目を閉じていた。
「ねえ、リヴィ。この木、なんていう名前か知ってる?」
クロエの言葉に、オリヴィアは首を横に振る。ちらりと窺うと、アルフレッドも知らないというようにじっと赤い実を見つめていた。
「いや、住んでた辺りでは見たことがなかった」
「これね、オリーブの木なの。乾燥に強い木だから、この辺りにも良く生えてる。春と夏の変わり目くらいに花が咲いてね、」
黙ってクロエを見つめるオリヴィアとアルフレッドは、続きを今か今かと待っている。そんな様子がおかしかったのか、はにかみながらクロエは続ける。
「花言葉は……平和、知恵」
「へえ……詳しいんだねえ、クロエ」
アルフレッドは、感心した様子でふんふんと頷いている。
「へへへ。お父さんの受け売りだったんだ……初めて聞いたときから、素敵だなあって覚えてたの」
クロエは手を木漏れ日にかざしながら、風を気持ちよさそうに浴びている。平和、知恵――オリヴィアは、その言葉をゆっくりと噛みしめていた。
「……さて、もういいだろう。行くぞ、日が暮れてしまう」
レナードは、もたれかかった身体を起こす。見れば、既に日は半分ほどしか顔を出していなかった。一段と強い光を放つ夕日を背に、歩く。
帰り道で振り返ったときにも、オリーブの木は変わらず風に揺れながらそこで佇んでいた。




