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血脈の傀儡 フィオーレ王国戦記  作者: 御崎 仲太郎
はみ出しものの魔導士たち
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不思議な人

 二日がたった。目的地へ向かって殆ど休まず歩き続けていた。

 変化の激しい秋の山。昼は汗をかき夜は指先まで凍えることを繰り返している。そんな疲れも相まって、オリヴィアとルークの仲は非常に険悪だった。あれ以来、二人の会話は皆無と言っていいほどだ。

 体力も気力も底を尽きかけている現状で、残党による敵襲がなかったことは幸いだった。しかし、急襲から逃げ出したために、食料も水も一切持っていなかった。それまでも食事を殆ど摂っていなかったオリヴィアは、意地を張っていたことを後悔しつつあった。気持ちだけで前へ前へと運んでいた足は、どんどんその歩幅を小さくしていく。頭上で残酷なほど輝く太陽の、強烈に肌を刺す感覚のみがオリヴィアの頭を支配していた。

「その、……少し、休ませてくれないか」

 数日の静寂を裂き、思い切ってオリヴィアが口にした言葉は、蔑むような顔をした青年にあっさりと拒絶された。

「必要ない。この調子なら、日が沈む頃には着く」

「……了解」

 言葉とは裏腹に言うことを聞かなくなる足が、ついには進むことを止めてしまう。弱虫だとか、情けない奴とかいう烙印を押されるのだけが嫌で、オリヴィアは密かに唇を噛み締めていた。

 ふと、オリヴィアに少し遅れて足を止めたルークにつられて顔を上げる。

 前方を凝視するルークの様子が目に飛び込んできた。ルークは腰の剣に手を当てながら、じりりと一歩後ずさった。青年の頬を伝う汗が、彼のその切迫感を伝えていた。

 何者かが、ここにいる。

 がさりという音とともに目前に広がる茂みが揺れる。

 ごくりと喉が鳴った。

「あれ? ルーク?」

 気の抜けた声とともに現れたのは、線の細い男だった。レナードよりも十ほど年上だろうか、疲れのくっきりと浮かんだ顔はどこか頼りなさげに見える。

「――セオドア!」

 ルークは胸を撫で下ろしてセオドアに駆け寄った。見ると、服はボロボロに破れ肌は露出し、至る所から出血している。

「生きていたか」

「なんとかね。君に会えて良かったよ。一人だったら次敵に会った時に死んでたかも、ははは」

 セオドアの気の抜けた笑顔に、ルークは肩を竦めて軽くため息をついた。

 セオドアは、二人に木陰に来るように手招きした。先ほどまで休憩を嫌がっていたルークも渋々といったように従う。オリヴィアは木陰になだれ込むように座ると、殆ど倒れるように木にもたれ掛かった。

「そちらのお嬢さんがオリヴィア君か。はじめまして、セオドア・サダルメリクです」

「オリヴィア・ウェイバリー。……どうも」

 差し出された手に素直に応じたオリヴィアは咄嗟に名乗った。既に知っているようなので、必要なかったかもしれない。

 だが、返ってきた反応は、オリヴィアの予想とは違っていた。

「ウェイバリー? 君はリブラ家の人間だろう?」

「ああ、ええと……ウェイバリーというのは、育った孤児院の名前なんだ。ウェイバリー孤児院」

「なるほどねえ……ところで君たち、馬はどうしたのさ?」

 セオドアの疑問は当然のものだった。本来であれば、既に目的地に着いている頃合いだ。

「色々あったんだ」

 ルークはばつが悪そうに視線をそらす。オリヴィアも馬に揺すられ続けた時間を思い出すと、頷かずにはいられなかった。

「ふうん。まあ、オリヴィア君が無事ならいいんだけどね。僕も身体を張った意味があったってものだよ」

 オリヴィアが言葉の意味を図りかねていると、セオドアはつかみどころのない笑顔で続けた。

「ふふ、僕は君を逃がすための囮になってたのさ。おかげで馬もやられちゃってね。こうやって歩いてたんだけど……まさか君たちがまだここにいるとは思わなかった。肝心のオリヴィア君は疲労困憊って感じだし……」

「囮……。なんで、そこまで」

 私を守ろうとするのか、と聞こうとしたオリヴィアは、数日前のレナードの言葉を思い出していた。

「……私には、あんたらがそこまでするほどの何かがあるのか」

 オリヴィアは、苦い顔を隠しもせず、ため息交じりに洩らした。

「まあね。不服かい? 少なくともこちら側に居れば、君は丁重に扱われるのにさ」

 そう言ったセオドアの顔は、どこか冷ややかであざ笑うようにも見える。

 瞬間的に腹に据えかねていた怒りを刺激されて、オリヴィアは憤然と立ち上がった。

「……! あんたには家族がいないのか? 私にはそう呼べる人たちがいたんだ。あんた達がそれを」

 奪ったんだろうが、と吐きつけようとしたオリヴィアを、横で聞いていたルークが突然手で制した。

「もういいだろう。行くぞ」

 オリヴィアは急に目の前に差し込まれたルークの手に驚いて、そちらをを見る。ルークは僅かに首を横に振っていた。

 勢いを削がれて、それ以上言及するのをやめる。無意識に握り込んでいた手をそっと下ろした。

 セオドアが膝を支えながらゆっくりと立ち上がると、ルークもそれに続く。セオドアは、居心地の悪い沈黙を破るようにルークに話しかけた。

「しかし君もさあ、十も年の離れた女の子にちょっとは優しくできないわけ?」

 呆れ顔のセオドアの言葉に、ルークはあからさまにむっとした表情を作ってみせた。

「俺はこいつが嫌いだ」

「はっはっは、相変わらずだねえ。もうちょっと仲良くなってると思ったよ」

 セオドアはルークの肩を軽く叩くと、すすんでオリヴィアやルークの前を歩き始めた。

「……十六年か。ほんの小さな赤ん坊だった子が、こんなに大きく育つだけの時間が経っているんだねえ……。月日が経つのは、早い」

 引きずるような声で、セオドアが呟く。まるで、何かを思い出すように。その背中はどこか哀愁を纏っている。

「そう、だな」

 ルークはオリヴィアをちらりと見ると、小さく頷いた。

「……はは、君もだよ。()()()()君は十かそこらで、まだ可愛げがあったのにさあ。

 とはいえ年下の女の子を虐めてるところをみると、まだまだ子供みたいだね」

「虐めてないし、俺はもう大人だ」

「ふー、どの口が言うんだか。……女の子には優しくしなきゃだめだよ。お母さんに似て、とっても綺麗な子じゃないか」

 その言葉に、オリヴィアは歩む足をはたと止めた。

 木々を抜ける風が、オリヴィアの銀の髪を乱暴にさらう。そばの木からは、赤茶に染まった葉ががさがさと音を立てながら宙を舞った。

「オリヴィア君? どうしたの」

 顔をのぞき込むようにこちらを伺うセオドアと目が合って、わずかに顔を伏せる。

「……私の母を、知ってるんだな」

 その単語を口にするのは、なんだか不思議な気がした。孤児の自分にとって縁のないところにいると思っていたその存在が、今は手の届きそうな場所にある。

「もちろん知っているさ。レナードから何も聞いてないのかい?」

 不思議そうな声を上げるセオドアに、黙って首を横に振る。

「何も」

「あいつは……。後で、……聞いてみると良い」

 セオドアの顔にわずかに影が落ちる。直感的に、「母」はもうこの世にいないと悟った。そんな風に思わせる顔だった。

 悲しみはない。むしろ湧いたのは、自身を形作るものの一端が垣間見られることに対する期待のような、そんな感情だった。

 ――自分は冷たいのだろうか。

 オリヴィアは下を向いたまま、また歩き始めた。

 生まれた沈黙になんとなく気まずさを感じて、違う話題を切り出す。

「……あんたらの『隊長』、不思議な人だ。うまく言えないけど、頼りにしていい気がするような」

 思い出したのは、襲撃の直前の出来事。

 レナードの力強い光を湛えた目はまっすぐで、その信念を表しているようだった。魔導士の窮状に静かに憤る背中が、必ず国王を倒すと語っていた。

「ふふ、そうだね。レナードにはそういう魅力が確かにある。

 ま、僕なんかはレナードより年上だし、彼がそれこそ今のオリヴィア君より小さい頃から知ってるから。難しい顔してみんなを引っ張ってるのをみると、たまに笑っちゃうんだけど」

 いたずらっぽい声で言うセオドアに、ルークが耐えきれず口を挟む。

「隊長が小さい頃って、どんなだったんだ」

「そうだねえ、割と頼りなくて気の弱そうな感じだったよ。年上の僕らにずっとくっついてるような」

「……想像がつかない」

 思わずオリヴィアが呟く。ルークを一瞥すると、彼も深々と頷いている。

「人はきっかけ一つで案外簡単に変わるものさ。彼だって十六年前の革命がなければ分からない。正確には革命前後の出来事、かな。

 なんにせよ、レナードは本気で国を変えられると信じてる。がっちりした柱があるから、みんなレナードに安心してついていける」

 セオドアは力強く言い切る。心からレナードのことを信頼している、そう確かに伝わってくる響きだった。

 ルークは沈黙で肯定する。何度目か訪れる静寂に、まばらに土を踏む足音だけが響いている。

「……急ごう。日が暮れると面倒だ」

 独りごちるように言うセオドアに、オリヴィアは続く道の先を覗くように見た。また一段と強い風が吹き抜けて、思わず腕で顔を覆う。

 ゆっくりと手を離すと、いつの間にか弱まって優しく自身を照らしている太陽に澄んだ空が視界を満たす。深呼吸して、また歩き出した。

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