中編
この話で終わる予定だったんですが、さらに思った以上に
長くなってしまったので、前編・中編・後編に分けました
気が付いた時、目の前には知らない人が沢山いた。仕事帰りの疲れた一瞬目を閉じた間の出来事。
「は?」
思わず間抜けな声が零れ、そこから実際自分が勇者として、
あの世界で旅を続けるに至るまでを実はあまり覚えていない。
ただ言われるがまま、そうしないことには元の世界に返れないのだという事実だけ
は今も覚えている。
勇者と言えば男性が大体で、それでいて若くして……が多いだろう。
もう三十路も過ぎた、しかもそんな特別な何かを持っていたわけでもない平凡な私
がどうして呼ばれたのか?そんな疑問も持つ事さえ許されなかった。
『貴女には魔王を倒していただきたい』
偉そうなお爺さんがそう口にする。ゲームや映画などでよく見る絢爛豪華な椅子
に座ってマントを羽織っていた人物が王様で、人類を救うために頼む、と言われて
しまえば無碍にもできない。
今となってはあの世界がどうなったのか、私は知る事は出来ず……正直人間の国、
と呼ばれていたあの最初の場所から追い立てられるように追い出された時には途方
に暮れるしかなかったのが心情だ。
漠然と魔王を倒せと言われ、最低限の資金を与えられ国を追い出されたとしか言
いようのないあの仕打ちはもう二度とあの世界に戻りたくないと思わせるのには十
分だった。
街を回り、村を訪れ……その度に交流も持ち、信頼できる仲間もようやく得て、
私が受けた仕打ちに自分のように怒ってくれた頼もしかった仲間に逢いたい、と
いう気持ちはなくもない。
そう、私があの世界に呼ばれ、勇者として国を出て……それから漸く馴染んだ
ところで私は彼に出会ったのだ。
今から思えば出会いは良かった、とは決して言えない。どこかの商業都市に仲間
と共に立ち寄った時に偶然出会った彼は、黒の衣装に身を纏い、その尊大な話し
方、見せてくれる魔法から魔術師であることは察せられ、何度か私たちの仲間に
なってほしい、そう言葉にしたものの……結局彼は一度も首を縦に振らなかった。
実際に私が勇者としてあの世界を旅していたのはきっと一年程で、それだって
まともに日数は計算していたわけではないのだが、随分と弾丸な進行具合だった
に違いない。現実世界でRPGをするなら一か月もかからず、さらに言えば一日
でクリアしてしまう強者さえいる。
けれど実際の冒険はそんな簡単な物じゃなかった。流行りのラノベ的な物を読
み漁っていた自分でさえ一年という期間はとても短いと思う。
それがその名前も知らない彼のお陰だったのだと気付く事が出来たのは……
半年以上たった後だった。
訪れた町や村に必ずと言っていいほど現れた彼の存在……――やはり彼は名の
通った魔術師だった。
時折ふらりと訪れては問題を解決したり、その魔力で人々を助けているのだと
どこかの街で彼に助けられたという人から話を聞く事が出来たのだ。
尤もだから仲間にしたい、と思ったわけではなったのだけど。常に先回りをして
露払いしてくれていたのだと……正確には私達の一行が無事に魔王が住んでいる
と言われていた居城へ行くための最短に導いてくれた。
思えば逢えば口喧嘩ばかりをしていてそんな彼の気遣いに、優しさに気付く事
も出来なかった……何時も傍にいた仲間達が居る時には決して姿を現さなかった
彼を不審に思った仲間がいた事も今ではもう随分前の事の様に思う。
「乗らないでよ……お願い、だから……っ」
彼の服を掴んだ手によほど力を入れていたのか服に皺が出来ているのを見て、
はぁ、と盛大に溜息を吐いた彼を思わず睨み返す。煩かった汽笛は鳴りやんで
離せ、と言わんばかりに服を掴んでいた私の手を取り離そうとするのを逆に掴
んでこちらに引き寄せた。
それと丁度同じタイミングだったのか、乗り口だった扉が閉まりそれを見た
彼が眉を顰めてしまうのも構わずに良かった、と呟く。
「マリナは何をしたか判ってるのか?」
「あれに乗ったら本当にもう二度と逢えないじゃない」
車体が軋む音がしてゆっくりと汽車が動き出すのが見えて思わず顔を上げる
と、先程まで一緒に待ち人を待っていたおじさんが汽車の中からこちらを見て
いて優しく笑っているのを見つけた。
不思議と耳に届いたおじさんの声に目をみはり、それからおじさんがずっと
探してた、と口にしていた女性と目が合えば、頑張ってね、と唇が動くのが見
える。それも速度を上げ始めた汽車にだんだんと見えなくなって見つめながら
存在感を放っていた蒸気機関車が無くなると、静寂と共に簡素なホームと私と
それから彼だけが残された。
「……次が来るのが何時になるのか分からないのに」
不満そうにそう告げる彼の手を叩くときつく唇を噛みしめた。なんでそんな
事を言うの、私は貴方に逢えて嬉しかったのに、と言葉にしようとしたものの
上手く言葉に出来ず、口から零れたのは嗚咽だった。
泣き始めてしまった私を仕方なし、と言わんばかりに頭に手を置いて撫でる。
出会った最初の頃にもこうされて、子供扱いされたことを怒った記憶が甦り思
わず笑ってしまった。
「マリナはそうして笑っている方がいい……私の事は忘れるように言ったはず
だが」
「忘れられる訳、無いでしょ!……私は……っ貴方が!」
あの時、あの場所で伝えられなかった言葉を勢いで口にし様として言葉が詰
まった。最後のあの日……魔王が住むという居城の一番奥で、わざわざ殺され
る為だけに待っていた彼の心情を、私には計る事が出来なかった。
ただ、どうしてここに居るの?ここは危ない所で……
きっと迷い込んでしまっただけなのだと自分に言い聞かせたあの日。
『よく来たな、愚かな人間共よ……褒めてやろう、褒美は何がいい?』
そういって微笑んだ彼の姿は今でも忘れていない。
戦士に僧侶に魔法使い……私の仲間達は皆強かった。けれど一年余りしか旅
をしてない私達がどう頑張っても長く時を生きてきた彼に勝てるはずがないと
思っていたのも事実で、それは確かに真実だった。
彼が本気を出していれば……の話だが。真剣に向き合う私達に彼も本気で応
えてくれていたことは途中まで……途中、というより最後の最後でわざと私が
持っていた剣に胸を貫かれ、口から零れた鮮血を私は忘れる事が出来ない。
『見事だ勇者よ……誇るがいい……其方は私を倒したのだから……』
そうして私にだけ聞こえる声色で、別れを告げた。さらばだ、と小さく呟い
た彼が最後の力を振り絞り私に向けた呪文は忘却の言葉。
「随分と酷い仕打ちだった……」
「死んでいくものを覚えておくのはつらかろうと思ったし、
マリナは人を殺したことなかっただろう」
思い出したら腹が立ってきた、と呟いた私に当たり前のように言葉を返す彼
に、それは誰のお陰だと思っているのだと睨みつける。
魔物と戦うのが最低限で済んだのも、人間同士のいざこざに巻き込まれなかっ
たのも全部彼のお陰だと、私だけが知っている。
人間と魔物の領域がきちんと線引きされていて、最初は不可侵条約を破って
領域に踏み込んできた人を威嚇するだけで済んだ。
それが争いになり、埋まらない溝が出来……果ては違う世界の住人を巻き込
むという騒動まで起こした人間サイド……彼は彼で魔物を統べる王としてそこ
まで関係が拗れてしまうまで何もできなかった自分を責めた。
だから勇者として呼ばれた私を陰ながら助け、少しでも早くにこちらの世界
に帰ってこれるように、と尽力してくれたのを私だけが、知ってる。
「損な役目ね……」
「それはお互い様だろう…」
「なんで魔王だったのよ……ほんと、せめてもうちょっと偉くなかったらよか
ったのに」
「酷い言われようだな……私が魔王だったからこそ、そなたを帰してやれたと
いうのに」
頭を撫でる彼の手はいつの間にか止まっていて、顔を上げると困ったように
笑みを浮かべている彼を見て胸が詰まる。憎まれ口を叩きたい訳ではない、
ずっと後悔していた言葉を今ここで口にしよう。
「帰らなくても良かったの……私は……っ」
「マリナ……私は其方を……ずっと愛しいと思っていたとも」
言葉を遮るように告げられた言葉に思わず息を呑み込んで彼を見つめた。
優しく笑みを浮かべる彼は何時も旅先で逢った時と同じように、少しだけ唇の
端を持ち上げて……それからその優しい眼差しは最初よりもずっと暖かだった。
な、なるべく早くに……(以下略)