愛猫のしろね
愛猫のしろねが死んだ。
老衰だった。
しろねと出会ったのは今から10年前のこと、まだ俺が高校1年の時のことだった。
両親に捨てられ、施設を経て養子となった俺は、義理の父と母に愛情を注がれて育った。
しかし、このままいつまでも甘えるわけには行かないと思い中卒で働き始め一人暮らしを始めたのはいいものの、仕事先でうまくいかずもう辞めようかと思っていた時だった。
その日俺はいつものように上司に怒鳴られ、有能な同期には嫌味を言われ、客にも怒られてボロボロになりながらも、なんとか仕事を終え帰路についていた。
夕日を眺めながら河原を歩いていると、何かが視界に入って俺は足を止めた。
「・・・ダンボール?」
直径1メートル程のダンボールが河原のふもとに置いてあった。
周囲の人は見向きもせず通り過ぎていく。
気になった俺はそのダンボールの元へといき開けてみた。
するとそこにはまだ生まれてから間もない猫が5匹横たわっていた。
「うっ・・・」
そこで俺はひどい異臭に思わず顔を背ける。
既に息絶えてから時間が経っていたのか、腐敗していたのだ。
夏の暑さも極まってその臭いは凄まじかった。
俺は鼻を抑えながら、何か書いていないか探してみる。
ダンボールに入れられてることから、野良猫ではないことは明らかだ。
親猫が子猫を産み、飼いきれなくなったことで捨てたのだろう。ひどい話だ。
「この分だと、もう手遅れか・・・」
業者に電話をして引き取ってもらうよう伝えると、俺は合掌して箱を閉じようとする。
そこで俺は信じられないものを見た。
5匹いるうちの1匹の足が動いたのだ。
間もなくしてやってきた業者に一匹が生きていることを伝えると、丁重に保護された。
そして後日、何処か俺と似た境遇の持つ子猫に親近感を覚え子猫を飼うことにした。
真っ白な毛なみをしていたことから、しろねと名付けることにした。
ネットで捨て猫の飼い方を見ながら奮闘していると、間もなくして子猫はみるみるうちに元気になっていった。
2週間経つ頃にはしろねはもう完璧に元気になっていた。
仕事中は動物好きな知人に預け、仕事終わりに家に連れ帰るということを続けた。
最初は単なる親近感からしろねを飼っていたのだが、俺はしろねと触れ合っているうちにいつしか段々と心が晴れていった。家に帰るのが楽しみになり、どれだけ怒られようが、嫌味を言われようが俺は耐えられた。
帰るとしろねが待っていてくれる。
猫なのにまるで犬のように懐いてきたしろね。
まぐろとかつおが大好きで、何故かアイスも好きという変わった猫・・・。
そしていつしか仕事でミスをすることもなくなり、仕事も順調に行き始めた頃、その不幸は起きた。
「え・・・義母さんが・・・?」
泣きながら義父が電話してきたのは突然だった。
交通事故だという。
最初は実感がなかった。お通夜に出ても葬式をあげる時も、俺は泣けなかった。しかししばらく経ってから義母さんが亡くなったという事実に俺は崩れ落ちた。
そんな時、しろねはいつも俺のそばにいた。
まるで俺をあやしてくれるかのように頭を撫でてくれた。
俺はなんとか悲しみに打ち勝ち、再び仕事に精を出した。
そしてますますしろねに依存するようになった。
そんな俺をしろねは嫌がることはなかった。
だが、日に日に衰えていくしろねを見て、俺は見て見ぬふりをした。というよりも見たくなかったのかもしれない。
しかしついにその日はやってきた。
201X年8月2日午前7時50分。
しろねは俺のひざの上で静かに息を引き取った。
10歳だった。
その後葬式をあげて火葬し、お墓を立ててもらったが、それ以後俺の心にはポッカリと穴があいてしまった。
しろねが死んだ。
その事実は俺の心を徐々に蝕んだ。
「・・・」
ボーっとすることが多くなり、以前ならミスをしないことでも再びミスをするようになった。
家に帰っても誰もいない。
真っ先に迎えてくれるしろねがいない。
俺は家に帰る度胸が締め付けられた。
食事も喉を通らずやつれていき、疲れも見え始めた。
そんな生活が続いたある日。
その日、雨だった俺は買い物の帰りにあの川原を歩いていると、目の前を一匹の白い猫が横切った。
思わず目で追ってしまうが白猫は俺には目もくれず去って行った。
その瞬間、ついに我慢できなくなり俺はうずくまって嗚咽を漏らした。だが、どれだけ悲しい気持ちに襲われようが涙は出てこない。
そんな自分に腹が立ち俺は地面を叩いた。
どうして俺はこんなにも非情なのか。両親に捨てられた時も、義母が亡くなった時も、そしてしろねが亡くなった時も、どんなに悲しくなっても涙が出てこない。
周囲の人たちは俺のことを怪訝そうに見て通り過ぎていくだろう。しかし構わずにはいられなかった。
何度も拳を地面に叩きつけ、血がではじめたころ、ふと目の前に誰かが立っていることに気づいた。
顔を上げるとそこには一人の少女がいた。
白いワンピースに麦わら帽子をかぶった少女は、俺が濡れないように傘をさしながら、心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫?
何かあったの・・・?」
そう言って少女はタオルで体を拭いてくれる。
「あ、ありがとう」
かすれた声でお礼を述べる。
今まで人の厚意というものにほとんど触れてこなかった俺は、少女の厚意が嬉しかった。
「とりあえず、立てる?
ここだと濡れるから近くの喫茶店に行こう・・・?」
そう言って少女は手を差し伸べてくれる。
一瞬ためらったのち、少女の手を取った。
喫茶店に入り席に案内される。
俺は、少女に全てを話した。どうして初対面の少女に悩みを吐露したのかは定かではない。ただ、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
すべてを話し終えると、少女はしんみりと頷いて俺の頭を撫でてくれた。
「辛かったんだね・・・。
でも、大丈夫。あなたは非情な人なんかではないよ。私が保証する。
だから、自分を傷つけるのはやめてね・・・」
励ましで言ってくれたのだろうが、それでも嬉しかった。
何度も少女に慰められた後、俺達は喫茶店をあとにした。
「ねえ、今から時間はある?」
少女からの突然の問いに、俺は頷く。
「良かった。じゃあ今から私とデートしよう!」
そう言うと少女は俺の手を取り、あちこちに連れ回した。
俺は少女に振り回されながらも、段々と心が晴れていく気がした。
途中でアイスクリームを半分ずつ分けて食べたりもした。
そうして少女とのデートはあっという間に終わりを迎えた。
ベンチに腰掛けると少女はこう言った。
「今まで私に付き合ってくれてありがとう。
すごく楽しかったよ」
「俺も、君とのデートはすごく楽しかった。まるで初めてじゃないみたいだ」
「・・・」
不意に少女は黙った。
そして微笑むと俺にキスをした。
「今までずっと・・・だよ」
そう言うと少女は離れ、そのまま走り去っていった。
俺はただ、だんだんと遠くなる少女の背中を呆然と見ていることしかできなかった。
その時不意に 突風が吹き少女の麦わら帽子が飛んでいった。
「__っ!!」
少女の頭には、俺がしろねにあげたリボンが付いていた。
「__しろ・・・ね・・・?」
そしていなくなってしまった少女。
俺はその日人生で初めて涙を流した___。