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殺言少年

作者: 天瀬 爽

「俺は犬派なんだけどさー、お前は犬派? 猫派?」

「……犬派(猫派)」


「理科の××先生って鬱陶しいよな。寝るとうるさいし」

「ああ、そうかもね。……(僕はそんなに嫌いじゃないけど。授業分かりやすいし)」


「今度さー皆一緒に俺の家で格闘ゲームやろうぜ」

「パズルゲームもたまにはやろうよ」

「ええー、俺あれ苦手だし嫌だな」

「そっか。じゃあ格闘ゲームにしようぜ。僕も(僕は格闘ゲームが苦手だから、あんまりやりたくないんだけどな)……格闘ゲーム、好きだし」


「思うんだけど、今度クラス別合唱祭なんてあるじゃん、この中学」

「そういやあったね」

「あれ本当に面倒だな。合唱なんてやりたい奴等だけでやって欲しい。歌わないで適当に過ごしていても教師に口うるさく注意されるし」

「確かに。正直言って面倒だよね。(もっとも、注意する度に反抗するお前みたいなヤツも面倒臭いけどね。大人しくそれなりに歌っておけば何事もなく済むのに)……僕はある程度歌うけど」

「真面目だな、さっすが学級委員長クン」

「でも委員長の割に熱血ではないよな。むしろ適度に手を抜くタイプ」

「はは、言えてる」


 会話を遮るチャイムが教室に鳴り響いた。

 気の抜けたその音は、休み時間中絶え間なく続いた雑談を中断させる。僕の席付近でちょくちょく僕を巻き込みながら駄弁っていた数人の男子は、慌てたように自分の席へと向かった。次の教科の先生が扉を開ける音や生徒達が机や椅子のゴトゴトという音が部屋いっぱいに充満していた。

 さっさと僕も授業の準備をしないと。

 教科書やノートを机の中から引っ張り出している時、なんとなく視線を感じた。ちらりとその視線の方向――右斜め後ろを振り返る。

 ある一人の女子と目が合った。

 別に、ただ目が合うだけなら問題はない。たまにはそういうこともあるさ。けれど、彼女が僕へと向る視線は普通とは違うものであるような気がした。

 なんだか僕を責めるような、冷たく単青色な視線。

 どきりと、心臓が跳ねる。

 理由の分からない罪悪感に駆られて、僕は慌てて顔を逸らすが、それでも背中にまだあの視線が突き刺さっているような気がした。肩よりも長い髪に、やや鋭い瞳が印象的な女子。彼女の名前は確か、宮野由紀。元々出席番号順の席では僕の隣であったし、席替えをした今でも近い距離に居る存在だが、まともに話したことはない。

 一体何だろう?

「おーい、ちゃんと話聞いているか?」

 先生の言葉に意識を教室に戻し、僕は慌てて黒板に向き合った。そうして急いで板書をしているうちに、彼女から感じた妙な視線なんて頭から追い出されてしまった。


  その日の放課後。教室に宿題用のワークを忘れていた事を帰宅してから思い出した僕は、慌てて学校まで戻る羽目となった。

 ああくそ、数学の先生は宿題忘れると面倒臭いんだよ。よりによって数学を忘れる僕のばか。

 自分に自分で悪態をつきながら、僕は学校の昇降口まで走って辿りついた。僕の家と中学は徒歩十分弱ほどの距離だが、全速力は当然しんどい。

 廊下を歩きながら腕時計を見ると最終下校時刻間際だ。早くしないと日直の先生が見回りに来て小言を言ってくるだろうな。

 駆け足で教室まで向かい勢いよく扉を開ければ、夕焼け色の教室には誰もいなかった。しんと静まり返った教室は、何だかいつも過ごしている馴染みのある空間とは異質なものに感じる。校舎内にいる生徒もほとんど抜け出てしまっているからだろう。疲れて頼りなく吐き出される僕の荒い呼吸が、やけにうるさい。

 さっさとワークを持って帰ろう。

 自分の机からワークを乱暴に取り出し、鞄に突っ込んだ。

 そうして教室を出ようとしたその時。扉の前にはいつの間にか一人のクラスメートが立っていた。肩よりも長い髪に、やや鋭い瞳が印象的な彼女。今日の授業前に感じたあの妙な視線が脳裏をかすめた。

 宮野由紀だ。

 宮野は何も言わずにじっと僕を見つめているだけだったが、目があった瞬間また先程のようにどきりと心臓が跳ねた。相も変わらず女子にしては目つきが悪い。ついでに居心地も悪くて、宮野と目を合わせたくなくて、そのまま僕は宮野の隣を素通りしようとする。しかし。

「ねえ」

 唐突に呼びとめられた。

「……何?」

 出した声は思ったりも小さくて、何を一人の女子相手にこんなに萎縮してしまっているのかと、情けなくなる。悲しいかな、僕はこう見えて気が小さいんだ。

 それにしても僕を呼びとめて、一体何だっていうんだ。彼女との会話らしい会話は、おそらくこの時が初めてだ。

「君さあ、言いたい事があるならはっきり言えば?」

「え?」

 脈絡なんてどこにもない、唐突な台詞。一体何を言っているんだ? 宮野の意図が読めずに眉をしかめる。

 言いたい事? 別に僕は君に言いたい事なんでないぞ。強いて言うなら「何で今日僕のこと見つめていたの?」というところだが、勘違いだったら恥ずかしい。

「ああ、別にね、今私にどうこう言えってことじゃないよ」

 僕の考えなどお見通しかのように、彼女は言葉を放つ。それに対して僕は、彼女の意図などちっとも分からない。そのせいだろうか。なんだか彼女がとても恐ろしく異質な何かに思えてしまった。

「ただ、君はいつも周りの奴にへらへらと笑いかけて、いつも当たり障りのない会話をして、頼まれた事は大抵何でも引き受けるよね? 自分がどう考えどう思って、どう感じているのかなんて本音は微塵も言わずにさ」

 ぺたぺたと、安っぽい学校指定のスリッパの音を響かせながら宮野は僕の方へとにじり寄る。僕はというと、その場から一歩も動けない。ぐっと胸の奥に何かがつかえるような感覚がして、ぼんやりとした不安を抱えながら無言で宮野を見つめることしかできない。

 一体、何だっていうんだ。

「私さ、人の心の声が聞こえるんだ。――って言ったら、どうする?」

 戸惑う僕に、彼女は口角を上げて微笑んでいた。宮野の言葉と共に、僕らの間に沈黙が訪れる。

 たっぷり五秒は経っただろうか。

「……は?」

 僕の口から漏れたのは、本日二度目の間抜けな声。見慣れない笑みを浮かべる宮野の顔を凝視する。その笑みは、いたずらっぽくなんて可愛いもんじゃなかった。人を食ったようで嫌味な笑みだった。

 人の心が聞こえる? 何だそれ? 幻聴か、それとも宮野の妄想か、どっちにしたってろくなもんじゃない。

 宮野に「お前、いわゆる電波系の人間だったのか」なんて言いかけて、言葉を飲み込む。流石にそれを言うのは憚られた。

「君、『お前、いわゆる電波系の人間だったのか』って言いかけたでしょ」

 じっとりとした非難がましい目線で宮野は僕を睨みつけた。

 え、嘘だろ。ばれてる。

 混乱する僕をよそに宮野はまた笑みを繕って話を続けた。

「とはいっても、人の考えている内容がいつも分かるんじゃないよ。私が分かるのは――飲み込まれた言葉、だよ」

 飲み込まれた言葉?

 宮野の発言のその部分が、やけに引っかかる。小骨が喉につっかえたような、居心地の悪さと息苦しさ。僕は宮野を見つめたまま、また押し黙る。

「よく『言葉を飲み込んだ』なんて表現があるでしょ? 本人が言おうとしたけど、伝えるのを止めてしまった言葉。それが私には分かるの」

 僕を逃がさないためだろうか、宮野に左腕を掴まれた 。そこに大した力はない。けれど、彼女から発せられる不思議な威圧感が、僕をこの場に縛り付けている。

「私はね、飲み込まれた言葉は何らかの形で吐き出さなきゃならないと思うの」

 宮野は淡々と続ける。

 ――何なんだ。

「でもね、もしも、飲み込まれた言葉が吐き出されなかったら。永遠にそのまま、本人の奥底に沈められたままだったら。飲み込まれた言葉は『死んだ』ということなんじゃないかな?」

 彼女は僕から視線を逸らさない。僕が視線を逸らすことさえ許さないような、まるでスポーツの試合でも挑むかのような、そんな真っすぐで鋭い視線を向けている。

「言葉ってのは人の意思を伝える役目を持つ存在。それなのに意思を与えられた言葉が飲み込まれることによって、役目を奪われ、存在意義を奪われ、それは殺されるんだよ」

 ――一体何が。

「言葉を飲み込んだ人間によって、ね」

 何を言いたいんだ、お前は。

「――――ねえ、学級委員長くん」

 宮野はゆっくりと目を細める。仮面のように完璧で、それでいて真意が読み取れない微笑みだった。

「君はどれだけ、君の言葉を殺せば気が済むの?」



 その後僕がどうしたかはハッキリとは覚えていない。がむしゃらに宮野の腕を払い、気が付いたら昇降口を飛び出していた。

 気持ち悪かった。走ったせいなのか、宮野の言葉のせいなのかは分からない。

 けれどその日は、頭の中に宮野の台詞と、あの仮面のような笑みがこびりついていた。



 翌朝なんとなくいつもより早く目が覚めてしまった僕は、なんとなくいつもより早い時間に学校へ行くことにした。

 登校途中のふとした瞬間に昨日の放課後のことがなんとなく思い浮かんで憂鬱になったが、僕は無理やりその感情を振り払う。

「大丈夫さ、あんな電波系女子の言葉を気にして何になるんだ(ああ、顔を合わせたくないなぁ)」

 自分に言い聞かせるように、僕は大きく独り言を漏らしたが、それは道路を走る自動車に轢き去られた。

 学校に到着したのは、大抵の運動部員は朝練に勤しんでいて、文化系部活や帰宅部の連中が来るには早すぎる時だ。教室には誰もいないだろう。

 がらりと教室の戸を開けると、僕の近くの席に座っている人影があった。へえ、珍しい人もいるもん、だ、な。

 人影が誰かを認識した瞬間、鉛を飲み込んだように体が重くなった。

「ああ、おはよう学級委員長くん」

 そこに居たのは宮野由紀だった。

「……お、おはよう」

 気にしないでいようと努力していた気分の悪さが一瞬にして呼び覚まされてしまった。

 これまでの毎朝を回顧すると、大抵宮野は僕より先に学校に来ていた気がする。しかし何もこんなに早くから来ているとは。

 昨日の意図が掴めない彼女の発言が頭を渦巻いて、僕は気まずさに自分の席へ向かう足がさらに重くなる。このまま何も言わずに座って知らん顔していれば、流れて消えるような話題なのだろうか。彼女は僕に挨拶をした後、手元にある文庫本に視線を移している。彼女の方からまたあの話に触れる気配は今の所はない。

 宮野が何を言いたかったのかは気になる。けれど、尋ねにくい。でも――だけど――。

 時間にして一分半くらいだろうか。散々悩んだ挙句意を決して絞り出した声は、少し掠れていた。

「あのさ……(昨日のあの言葉って、何だったの)」

 本当に言いたかった続きの言葉を飲み込んでしまう。何をやっているんだ僕は。

 けれど宮野は本から顔を上げ、僕を見つめた。彼女のやや鋭い目つきで目を合わせられるとやはり居心地が悪い。狭くて透明なガラスケースに自分は押し込められて、その外からじっくり眺められている気分だ。

「昨日のこと?」

 僕が小さく頷けば、ふふ、と笑い声を漏らして宮野はあの嫌な笑みを浮かべている。彼女の掌で僕は踊らされているようで酷く不快だ。

「だから、そのままの意味だよ。私は飲み込まれた言葉――『言おうとしたけれど言うのを止めた言葉』が分かるの」

「じゃあ僕の『飲み込まれた言葉』ってヤツも分かるのかよ?」

「そう。だから話しかけたのに、君が本題を聞く前に帰っちゃうからさあ」

「本題?」

「そう。君さ」

 開け放たれた窓から風が入ってカーテンが舞い上がる。運動部の朝練の声は、別世界のように遠い。

 何を言われるのか。思わず身構えた。

「うるさいんだよ」

 ずいっと顔を近づけて、宮野は眉をしかめてこう言った。

「……は?」

 心底迷惑そうなその言葉と表情に、僕はぽかんと口を開けてしまう。僕が? うるさい?

「昨日も言ったよね。言いたい事があるならはっきり言えば、って。あれはそのままの意味でさ、君が何かを言おうとしてその言葉を飲み込むと、私にはそれが聞こえてくるわけよ。その頻度が高すぎて、うるさいの」

「……ええと、その『飲み込まれた言葉』ってさ、普通の音と同じように聞こえてくるの?」

「んー、イヤホンを付けて音楽を聞いているのに近い感覚。ほとんど直接鼓膜から響いてくるみたいな」

「ああ、そう……ふーん……」

 気のない返事をする以外僕に術はなかった。

 正直な所、宮野の話は半信半疑というところだ。いや本音を言うならば若干引いているというか、むしろ実は相当引いている。僕の顔は引きつっていることだろう。

 なんだってそんな訳のわからない宮野の設定を僕が理解しなくちゃいけないんだ。彼女の持つ雰囲気に圧倒されてはいたものの、だからといって宮野の言葉を鵜呑みにするかと問われれば勿論ノーだ。ありえない。信じられない。

 宮野は僕の本音に気付いたのだろうか僕を睨みつけていたが、しばらくすると腕を組んで、何かを思い出すように視線を彷徨わせた。

「……君、本当は猫派でしょ」

 僕の肩が震えた。え、いきなり、何を。

「××先生の授業は分かりやすいと思っている」

 ちょっと、待って。宮野、お前は一体何を。

 思わず宮野の方に手を伸ばす。

「格闘ゲームは苦手だし好きじゃない」

 もしかしてこれは。

 脳裏に浮かぶのは、いつぞやの休み時間にクラスメートと交わした雑談だ。けれど宮野が今述べているのは、僕が発言した内容じゃない。僕が……言おうとして、飲み込んだ言葉の内容だ。

「合唱は面倒だけど、合唱以上に面倒臭くて煩わしいのは注意する度に反抗するヤツ。大人しくそれなりに歌」

「分かった分かった! もういい!」

 宮野の言葉を遮って、降参をアピールするように両手を上げた。自分の本音を他人の口から聞かされるなんて、たまったもんじゃない。そもそも、その言葉達は僕が言いたくても「言うべきじゃない」と判断した言葉なんだ。くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ捨てたような存在。それを今更、なんでわざわざ。

「分かった。宮野にはその『飲み込まれた言葉』っていうのが聞こえるのは分かったから、だから」

 だから、僕の前に改めてそいつらを並べたてないでくれ。

 僕の反応を見て満足げな顔を見せると宮野は話を再開した。

「ええと、話が反れたね。とにかく、君は言葉を飲み込むことが多すぎる。それが聞きたくなくても私の耳に届いて、うるさいの」

 宮野の言うことに心当たりが無い訳ではない。いつからだったか僕は、常に本音より数歩手前の言葉ばかりを発するようになっていたから。けれど、まさかそれで「うるさい」なんて文句を言われる事になるとは、誰が想像できただろう?

「だからさ、君、これから言葉を飲み込む事は禁止ね」

 何が「だからさ」だよ。全く繋がりが分からないっての。不服そうに宮野を睨みつけてみると、彼女は溜息をついて、話し始めた。

「言ったでしょ、イヤホンで音楽を聞いているみたいに耳元で聞こえるって。普通の音よりも大きくてノイズになるし、君は誰かと話せば何回も言葉を飲み込むし、かみ殺すし、そうされた本音の言葉が私には他の音より大きく聞こえるの。鬱陶しいんだよ。しかも君と私はずっと席が近いから、尚更その言葉が耳につくの。だから言葉を飲み込むことを控えて欲しいんだよ」

 息つく間もなくまくしたてる宮野。そうとう苛ついていたのだろうか早口だ。

 いや、そりゃ、君にとってはそうなんだろうけども!

 常に本音をだだ漏れさせながら話せとでも言うのか? そんな人間、僕じゃなくても存在しないだろ。

「ま、常に本音だけを話せって意味じゃないよ。ただ言葉を飲み込んで殺す頻度を下げて欲しいんだよね」

 あ、そういうことですか。なんとなく主旨は理解したが、理解してしまった自分に僕は納得できない。

「……善処はするよ。なんかごめんね」

 雑に謝り、そこで僕は会話を切り上げようとした。だってそうだろ、宮野の言っていることが本当にしろ何にしろ、僕の理解の範疇を超えている。これ以上彼女には関わりたくない。が、宮野は逃がさないように僕の肩を掴んで、にっこりと笑みを浮かべている。……なんか、嫌な予感が。

「だから私が手伝ってあげる」

「はい?」

 何を?

「君が本音を言えるようになるためにだよ。君と私で、雑談をするの。君の言葉を飲み込んで殺す性格、少しでもマシにしてあげるよ」

「いや、別に俺は」

「断ったらこれから毎日、君の引出しにこれを入れるけど? お望みなら、教卓の上に置く方向でも良いけど」

 そうして鞄から宮野が取り出したのは『学級委員長くんの本音のぉと』なんて、わざとらしい丸文字が表紙に書かれたノートだった。

 うわ、悪趣味。

「……分かったよ」

 そんなこんなで、半ば恐喝のような形で僕は宮野と毎朝『雑談』をすることになってしまったのだ。



 始まった朝の雑談。初日。

「……」

「……(何だよ、この沈黙)」

 とりあえず昨日と同じ時間帯に来たら、案の定、宮野と僕しか教室にはいなかった。野球部のランニングの掛け声がグラウンドの方から聞こえてくるだけで、会話はない。僕が教室に着いてからもう五分近く経ったぞ。沈黙時間長すぎるだろ。長考にも程がある。

「何か喋れよ」

 仕方なく僕が口火を切った。

「いや、意外とネタがなくて」

「ああ、なるほど。……(お前が僕に持ちかけた雑談だろ。お前が何とかしろよ)」

「はいそこー、私のせいにしない。会話ってのは人が二人以上いて成り立つものです。つまり連帯責任なのです」

 僕が言おうとして飲み込んだ言葉が聞こえたらしく、宮野は僕にまで責任を押し付けてきた。くそう、なんかやりにくいな。

びしっと僕を指す宮野の指を、とりあえずあらぬ方向へ曲げてみる。

「いたた! 何してんの!」

「いや、人を指差しちゃいけないんだよって言いたくて」

「言葉で伝えようよ。この雑談が誰の為にあるか忘れたの?」

「えぇ……(別に僕が頼んだわけじゃないし)」

「はいそこー、不満を言おうとしない」

「……(じゃあどうしろって言うんだ)」

 結局そんな無益な会話だけで一日目は終わった。



 朝の雑談。二日目。

「昨日のことを学習しまして、とりあえず話題を持ってきました」

 ルーズリーフにびっしりと、箇条書きで書かれた「話題」片手に持っていた。暇人なのか、こいつは。

「えーと、まずは一つ目。ご趣味は?」

「(お見合いみたいな質問だな)……無い」

「つまんない男だな君は!」

 机を叩いた大きな音で宮野は不満を露わにする。

「無いもんは無い!」

「隠さなくて良いんだって! ほら、言ってみなよ! どんなものでも笑わないからさ」

「…………無い。(料理とか言えるわけ……)」

「料理なの! うわぁ似合わないー!」

「うわぁ僕の馬鹿! ちょっとでも言おうとするなんて!」

 思わず頭を抱えた。くそう、本当にやりにくい。ほとんど全ての心境がだだ漏れだなんて。宮野は瞳をきらきらさせながら僕の方へ詰め寄ってくる。

「え? 何が作れるの? お菓子系? 何か私に作ってよ」

「絶対嫌だ!(そもそも男が料理なんて……)」

「何で? 別にいいじゃん。似合わないけど。少なくとも作れて損は無いし、ある方が素敵なスキルだと思うよ」

 どうして君がそんな顔をするのさ、なんて言いながら宮野は首を傾げる。

 ああ、そうなんだ。そう考えてくれる奴もいるんだ。

「……(ありがとう)」

「うん、そういうの本当に似合わないね」

「……ああ、そうかよ!」

 宮野が勝手に盛り上がって二日目は終わった。



 朝の雑談。三日目。

 そろそろこの妙な雑談タイムにも慣れてきた頃だ。宮野は今日もまた昨日と同じルーズリーフを手に持っている。

「さてさて、二つ目のお題です。今朝見た夢は?」

「覚えてない」

「えーつまんない。……あ、そうそう! 今度私に、美味しいチーズフォンデュを作ってくれるって委員長くんは言ったよね。楽しみだね」

「言ってない」

「言ったじゃん。今朝、私の夢の中で」

「それが夢の話かよ! あのさ(絶対作らないし、作るにしてもタバスコ仕立てにしてやる)……なんでもない」

「言うのやめても聞こえてるよ? 酷くない?」

 他愛もないこの雑談に夢中になっていたが、ふと、思った。宮野は僕の本音が聞こえて嫌にならないのだろうか。たかが数日前に初めて話した相手に、なかなか辛辣な事を言おうとしていると自分でも自覚はしているのだ。他の人間には言おうとするだけでは聞こえない。けど、宮野は? 僕が言うのを止めても宮野には僕の棘のある言葉が聞こえてしまう。

 答えてくれるだろうかと、宮野を見る。

「ん? 何?」

 ……僕の馬鹿。何て甘ったれた考えを持って夢いたんだろうと気付く。

 宮野にだって言おうとする意思がなければ、伝わらないのに。何もかも見通せるようでいて、彼女にも分からないことはあるのだ。

 僕が勝手に落ち込んで三日目が終わった。



 そうして四日目、五日目、六日目と……毎朝、馬鹿馬鹿しい雑談を宮野と繰り広げた。もしかしたら、僕がこんなに全力で雑談をしたのは久しぶりだったのかもしれない。全力で雑談というのも変な感じだが。

 最初こそは、僕はほとんど聞く側に回っていた。与えられた話題に相槌を打つだけで、話を広げようとはしない。沈黙が起きるのは大体僕が黙るからだ。その度に宮野に「もっと喋りなさい!」と怒られた。

 けれど最近は、気が付いたら、僕から話を広げることも出てきたんだ。昨日見たテレビ、ネットで見た話題、学校の話。無理のない自然な会話が成り立つよつになった。

 宮野と話すのは正直、楽しい。けれどそれに比例して、つい宮野のフリーダムな発言に刺々しく余計な一言と共に突っ込んでしまっている気がしていた。

 宮野を不快にしてはいないか。そんな不安が再び胸をよぎった。


 朝の雑談。十日目。

「んー、思うんだけど、やっぱり君はまだ言葉を殺しているよね」

「殺すって言い方やめろよ」

「いや、飲み込むって言うより殺すって言う方がしっくりきちゃって。とにかく、君は私と話す時は言葉を飲み込んで殺す頻度がだいぶ下がったんだよ」

「……そうなのか。なんとなく、自覚はしていた」

 隠しても無駄だと分かったし、それならいっそ言ってしまえ、という心境になってきていたからな。

「ああ、やっぱり? それでも君はまだ、他の人と喋ると不必要に言葉を飲み込むし殺している。本音のほの字も言ってないよね。なんで?」

 ……何で、だろう。

 今でも僕は、宮野以外とまともに会話できないわけじゃない。ただ「何かを言おうとして結局言わない」ことが多いだけだ。当たり障りのない言葉だけで会話をつなぐ僕には、本音でぶつかり合う友人というものは(宮野以外には)いない。薄っぺらいその場だけの話し相手はいるけれど。

 それで、誰か困っているか? 宮野という特殊な人間以外に、僕の悪癖で迷惑をかけているか?

 大分前から思っていたことだ。宮野と親しくなるにつれ、尚更気付いたことだ。

 このまま宮野相手には本音を言えればそれでいいと、そう感じている自分がいることを。

「……別に僕はこのままでいい。自覚しているが、僕が本音なんて言ってみろ。きっと周りに誰も居なくなる」

「何で?」

「……宮野も気付いているだろ。僕は口が悪いんだ。だから」

「そうだね、君は口が悪いし、思考も捻くれている。だからって、このまま本音を全て飲み込んで周りに流され続けるの?」

 宮野は、まっすぐ僕を見ていた。初めて話した時と同じように、視線を逸らさず挑むようにら僕を見て話す。けれど僕は、以前と同じような後ろめたさは感じなくなっていた。

「君は、私が君と話していて不快にならないか不安になっているんでしょ。言おうとしなくても、そのくらい察せれるよ」

「……」

「私は気にしないよ。君がそういう人間だって分かっていたからね。もちろん、他の人は違う感じ方をするかもしれない。君は本心に棘をくっつけて言おうとしてしまうから」

「……」

「けどそれは、言葉の選び方の問題で、本心の言葉を押し殺すのとは、また違うんじゃない?」

「どういう、ことだよ」

 宮野はしばらく視線を彷徨わせ、少しゆっくりと話し始めた。慎重に言葉を選ぶように。

「全ての本心を殺して周りの意見に同調し続けたら、きっとそのうち、君は本当にそれだけの、周囲に同化した人間になる。まだ今は大丈夫だよ。でも、いずれ君の中から君自身の言葉が消えて、自分の好きなものも嫌いなものも分からなくなって、他人の言葉が自分の言葉のように錯覚して、君の頭でひねり出した考えなんて消えちゃって……」

「……」

 僕は何も言わず、宮野の言葉を受け止めて行く。

 いつも自信満々で、鋭い目つきと嫌味な笑みを浮かべている彼女は、この時ばかりは表情が不安げに揺れていた。

「このままだと……君自身が消えちゃう。そんな気が、するんだ」

 僕自身が、消える。

 なんだかぞっとする言葉だった。

「本音を全て言うのが正しい訳じゃない。けれど君は本音を……『君』を表に出すことを恐れすぎているよ。自分の言葉を放つのが悪い事じゃないって分かって欲しい。……君がいつか君自身を、殺してしまわないために」

 宮野がそう言ったところで、部活の朝練を終わらせるチャイムが鳴り響いた。



 その日は授業中もずっと、宮野の言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

 ノートを開き黒板を見つめてはいるものの、自分の意識は教室にはない。

『君がいつか君自身を、殺してしまわないために』

 僕が僕を殺す。……きっとそれは、僕の考えを、感じ方を、好きなもの嫌いなもの全てを、つまりは今ここに居る僕という存在を殺してしまうということだろう。

 もしかしたら僕は、このままだと言葉を殺すことはなくなるかもしれない。けどそれは、本心を曝け出すという形ではなく、他人の意見に全て従い自分の考えを持たない、という形じゃないだろうか。

 今の僕が言葉を殺すのと同じように、いずれ僕は自分自身を殺す。

 そんなのは、嫌だ。

 握りしめたシャーペンに力がこもった。


 今日はいつだったかクラスメートが愚痴を垂れていた、合唱発表会の為の練習が行われる。昼休み以降の五限目がその時間だ。

「なー学級委員長。練習なんて止めようぜ、面倒臭い」

「仕方ないだろ、一応そう決まったんだし」

「もう俺座っていようかなー。歌うなんてタルいし、委員長もそうだろ?」

 宮野が僕に話しかけて来た日に共に雑談していたこの男子は、愚痴を言いながら僕の肩に手をかけた。

 前々からこいつは僕に妙に馴れ馴れしいが、それは多分僕が委員長らしからぬ委員長だからだろう。こういう行事関係では学級委員が呼びかけをし、場を仕切っていくのが中学生の常だが、僕そこまで熱い人間ではないし、こいつの様ないい加減なタイプはつい見逃している。そもそも僕は半ば押し付けられる形で学級委員になったから、やる気なんてない。頼まれたら断れない性格が災いしたんだな。

 でも僕は知っている。消極的な僕と、こういう空気を読まないクラスメートのせいで、合唱関係の委員がいつも先生に小言を言われていることを。合唱の姿勢が悪いとか、声が小さいとか、クラスのまとまりがないとか、そんな類の小言を。

 ……ほんとこういうのが面倒臭いよな、中学生って。それぞれバラバラのことを考えている連中をたくさん集めて、一致団結ってものを強いられる。

 嫌なことでもやらなきゃいけない。みんなと一緒に頑張ろう。力を合わせて頑張ろうだなんて、ああもう、面倒臭いなぁ。こんな事に何の意味があるんだよ。

 でも、面倒だけれど、僕は思うんだ。この「面倒臭い」って感情は、他人に迷惑をかけてまで貫くだけの価値はあるんだろうか。

 確かに面倒臭いさ、煩わしいさ。それは紛れもなく僕の本音さ。でも、僕の本当の答えは、本当の僕の言葉は、そのずっと奥にあるんだ。

「なあ、お前さ」

 さりげなくクラスメートの手を僕の肩から外した。ああ、こいつには以前から色々と思うところがあったんだよ。

 どうせなら、今ここで。

「お前を迷惑に思っている奴等って、けっこういると思うんだ。お前はそれについてどう思っているんだよ」

「は? 何言ってんだよ、お前。意味わかんねぇ」

 僕の言葉に、顔をしかめるクラスメート。それは、先生に注意された時に見せるコイツの表情だった。

「お前だって、合唱なんて面倒だって言っていただろ。俺の気持ちは分かるだろ。今更いい子ぶるのかよ」

 クラスメートは、心底不愉快で不可解だとでも言いたげだ。

 予想もしていなかったんだろうな。今まで散々言葉や本音を押し殺して、周りに同調する素振りしか見せなかった僕が――誰かを傷付けることを恐れているふりをして、本当は自分が否定されるのを恐れていた僕が、こんなことを言うなんて。

 さあ言うんだ。つまるな。戸惑うな。言え。飲み込むな。殺すな。

 上辺だけの言葉じゃなくて、本当の、僕自身の言葉を。

「いや、いい子ぶろうとは思わないよ。ただ、自分の面倒を他人に押し付けるヤツは最低だなって、思っただけ」

 じゃあね。そう一言残して、呆然としているそいつから僕は足早に離れていった。確か練習は音楽室だったな。そろそろチャイムも鳴る頃だろう。

 僕が進むすぐ先には、宮野が立っていた。

「かっこつけちゃって、恥ずかしー」

 なんだか居た堪れなくなって顔を逸らす。

「かっこよくないだろ、他人を貶す言葉なんて」

 呟くように、僕は言った。

「そうかもね。でもさ、自分を殺して他人に媚びへつらう言葉を吐くよりはマシだと思うね」

 宮野もまた呟くように言った。

 横目で彼女の顔を窺うと穏やかに微笑んでいて、つられて僕も笑みを零す。

 宮野と朝の雑談を始めて十日目。それは、僕がほんの少しだけ変わった日になった。



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